甲乙つけがたし

「腹が減った」


 山道を歩いて数時間、体力に自信があるシノを疲弊させたのは、何よりも空腹感であった。シダ生い茂る獣道は無駄な足の上げ下げを迫り、これといって平坦な道もない。田舎に馴染みのないシノにとっては、天使や悪魔といったファンタジー的な存在よりも、こういった自然の方が異世界に触れた気がしていた。


「どうして街からスタートしてくれなかったんだ?」

「なんたって聖職者や神官が大量に押し寄せて、ギッタギタのメッタメタにされからね」


「街中の僧が集まるのか、床屋も大助かりだな」

「そうそう、纏めてバリカンでねって、また僕を滑らせようとしてるー」

 二人きりで滑るも何もないないだろ、とシノは思いつつも、こういった馬鹿話に癒しを感じる面もある。


「しかし、しもべは異世界の存在なのか?それとも元いた日本のことも分かるのか?」


「うーん、どっちつかずな感じだよ。日本は知識や教科書の中の存在としては分かるけど、実際に触れたことはない、それでいて僕たちが元いた場所はシノにとっての異世界に近いというわけさ」


 ちょうど、シノにとっての異世界の距離感が認識として正しいといえよう。実際、しもべの世界では『成績最下位の雑魚魔族が日本で最強に!?』という書籍が流行っていた。もちろん、しもべは成績の良い奴が順当に成功するのだと、否定的であったわけだが。



「契約は寿命の十分の一がルールだからね。ねらい目はエルフだよ?」

「しかし、契約がないと腹が膨れないというのは不便だな」


 ただ、契約とはいえ、人の寿命をもらうことなど俺に出来るだろうか?一度の契約で寿命の十分の一を削る。二十歳で六十まで生きる人間からは四年だ。ちょうど、タバコを吸うのと同じくらい寿命が縮むのだろうか?そう考えれば、案外大したことないのかもしれない。


 だが、一日の時間が二十二時間になると聞けば大変だ。それだけ余暇の時間がなければ、仕事をして一日が終わってしまう。



 と、そんなとき、キャー、と見計らったように悲鳴が聞こえた。



「お、食べ物だね、いくよ?」

「言い方ってものがあるだろう、まぁ、行くぞ」


 シノたちがたどり着いた場所は開けた平野であった。腰ほどの丈の草が生い茂り、ちょうど草食動物が隠れるに適した地形である。しかし、それも丘から見れば話は変わる。見晴らしの良い平野では、一人の男が追われていた。

 丸眼鏡に大きなリュック、ベレー帽のような深緑の帽子、どこか頼りなさげな雰囲気のある男が、ゴブリンの集団から逃げていた。


 ゴブリン、というのはゲームでの知識はあった。しかし、実際に見てみれば、一メートル弱の子供のような体躯の化け物が、錆びたナイフを振り回して、集団で追いかけてくるのだ。

 剣道の心得は多少なりともあるつもりだった。だが、だからこそ、あのモンスター共には通じないことが分かってしまう。



「まずは契約を持ち掛ける、話はそれからだよ」

 良心の呵責に苛まれる、しかし、このままでは、あの男は死んでしまう。二律背反に見える葛藤だが、答えは決まっていた。


「おい、お前、こっちに逃げるんだ。助けてやる」


 男は慌てふためきながら、走ってくる。足取りは重く、今にも倒れそうにふらついている。

 長い距離ではないが、後ろに脅威が迫ると考えれば話は別だ。死を目前とすれば、一秒は一分へと変わり、一分は一時間へと変わる。

 それでも、男は大粒の汗を纏い、どうにかこちらに倒れ込んだ。


 限界ぎりぎりの男に不利な契約を持ち掛けられるのなら、シノは警官など目指していなかった。

「なぁ、しもべ?まず、先にこの男を助ける方法はないのか?」

「ないよ、方法として無いし、そもそもルール違反だし、どちらにせよ、契約は先に来るんだ」


 ゴブリンの大群が差し迫る。緑の小人は眼をぎらつかせ、刻一刻と近づいてくる。

「契約をしろ、寿命の十分の一を寄越せ、無理ならここで共倒れだ」

「それは酷い話じゃないですか?そんな、共倒れだなんて?」

「いいから、早く、今死ぬか。十分の九の人生を生きて死ぬか。なんだったら、ジュース一本無料券でもつけてやるから」


 自分でもこんな選択あんまりだと思う。だが、状況がそれを迫るのだ。やるせないが仕方がない。

 男は一度深呼吸をしたのち、背後をちらりと振り返ると、覚悟を決めたように頷いた。


「うう、分かりました。契約します」

 男が叫ぶのと同時に、三人の前に閃光が爆ぜた。どこからともなく現れた紙と羽ペン、そこにはびっしりと様々な条項が書かれている。眼を通すのも億劫な文字の海、甲がどうだ乙がどうだと、読ませる気があるのかないのか理解を阻む文言の数々。


「契約内容はこの状況の打破だ、名前を書け」

 男は半泣きで、名前を書き綴る。


 シルエット・スレイ


 恨み言はシノを誑かした悪魔に言って欲しい。何が自由だ、何が責任がないだ。言ってしまえばそれは、個人事業主が、会社勤めよりも楽だと言われるようなものなのだ。

 見かけは自由で責任もない、がその内実は明日の稼ぎと税金に雁字搦めで心労が絶えない。そこにあるのは虚勢と張りぼてだ。


「書きました」

「よし、シノ何年入った?」


 足りない言葉に、俺はすぐさまピンときた。頭の中で感じられる感覚、1500m走で残りの300mを走るときのように、自分の余力というものがピタリと分かった。


「後六十年だ」

 男はこのみてくれでエルフであった。従順でない犬や、従順な猫のように、全てがその種らしさを備えているわけではないように、男もまた不格好なエルフなのだ。


「よし、十年を剣術に使うんだ」

 使う?新たな日本語を推測する間もなく、しもべはこちらに剣を投げ渡す。刃渡り一メートル、期待多め殺意マシマシのロングソードは存外に手に馴染む。

 シノは確かに有段者であるが、だからといってモンスターを殺せるほどの自信は持っていない。現に、目前へと迫りつつある緑の子供ですら、身長以上の怪物に見えている。

 そして、彼らの錆びたナイフに切られれば、破傷風どころの騒ぎでないことも知っている。


「シノ唱えるんだ」

 言うのではなく、唱える。シノは文言を口に出した瞬間、そのちょっとしたニュアンスの違いを即座に理解した。


「剣術に十年」

 力が沸く。血管がうねり、昂ぶり、全身の鳥肌が総毛立つのを感じる。何の変哲もないロングソードが今や、一本の腕かのように愛おしい。

 足の位置取り一つとって、意味を持つ。全身が剣を振ることに特化した機械のように、ただ純粋に相手を殺す演算だけを重ねる。


「ゲヒャゲヒャ」

 一匹目は迂闊だった。何の脳もない猛進を基礎的な袈裟斬りで処理をする。


 二匹三匹と恐れをなし、足取りが鈍るのを容赦なく、真っ二つにする。

 後の四匹目以降は簡単だ。逃げる背を切るのに技量はいらなかった。


 単調な作業だが、不思議とシノに恐れはなかった。それどころか激しい高揚すら感じない。静謐に、しかして、確実に、シノは玄人同然の剣捌きをみせた。


「これは?」

「これが悪魔の力だよ。人の寿命を力に変える。具体的には、その期間かけて習得できる技能を一瞬で得てしまうのさ」

 反則だと思う。何の努力もなしに、弁護士免許が三年もあれば取れしまうのだろうか。であれば、念願の英語を学びたいのだが、いや、この世界では無意味か。急に全ての言葉が英語に変換されるとかあるかもしれない。怖いから止めておこう。


「でも、それって、僕の寿命なんだよね?」

「黙らっしゃい!そもそも、シノが助けなきゃ死んでたんだからね、君感謝しなよ?」


「ふむ、そもそも、寿命って何が基準なんだ?俺が助けなかったら、寿命は十分もないのだろう?」

「契約した時点の暫定額だよ、一十百千万、ぱんぱかぱーん六百年でしたー、てな具合に健康度から逆算するんだ」

 そのネタ、異世界にまで出張するのか。

 しかし、悪魔の仕組みは分かった。それもだいぶ反則気味なことも、それなら、いよいよ、気になったことがある。


「そもそも、悪魔ってなんだ?なんのためにいるんだ?」

 しもべの表情が変わる。待ってましたとばかりに、口角のニィと上がるのが見て取れた。


「エルフのお兄さんに聞かれても困るからね。場所を変えようか」

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悪魔は聖女に勝ちを譲る~寿命を集めて最強を目指す 浅川せい @kabotyazuki

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