悪魔は聖女に勝ちを譲る~寿命を集めて最強を目指す

浅川せい

プロローグ

 篠ノ井新、もといシノは死んだ。心中死だった、それも妹と。新米警察官として。これから職務を全うしようという直前だ。しかし、彼はどこか満足していた。彼にとって心残りだった妹を、残さずにあの世にいったからかもしれない。


―もし、来世があるのなら、少しくらい人助けをするべきだったな。


 と、シノが考えていたところで靄がかっていた意識は急速に浮上を始め、その輪郭を取り戻した。



 眼前には二人の人間。二人とも後光に照らされている。その顔を見ようとすれば、まるで太陽を直視したかのように眼が眩んだ。



 ゆっくりと眼を瞬き、流れる涙を拭うと、確かに、彼らは人間と呼ぶに相応しい姿かたちをしている、一部を除いて。



 片方は金縁のモノクルにきっちりとした黒スーツ、髪はワックスべた塗りのオールバック、一見すると少々変人が入った社会人のようにみえるのだが、背中に生えた蝙蝠翼に、腰からはスペード型の尻尾と、悪魔を連想させる風貌だ。


 対し、もう片方は露出度の高いモノクロのロリータファッションで、ミニスカ、ニーハイにビキニのような上着と、違法コンカフェ嬢のような趣だ。ただ、やはりこちらも背中には純白の翼に、天輪を携えている。天使、いや、こちらはまだコンカフェ嬢に近いな。



 悪魔と天使喫茶系コンカフェ嬢は、シノが起きるなり、二人で眼を見合わせると

「悪魔になりませんか?」

「天使にならない?」


 と声を合わせていった。なるほど、やはり女の方は天使が正解か。

 いや、待て。


「なれるのか?」

 ええ、もちろん、とやはり二人は声を合わせる。現実感もなく、要領を得ない夢のような状況、しかし透き通った思考は寸分たがわず回り続け、ひたすらにエラーを吐き出している。


「ええと、つまりなんだ。俺は何をすればいいんだ?」


 天使が言った。

「選べばいいよ?私がいいか、この悪魔がいいのか」


 何がいいのか分からない。ごっこ遊びの配役でもあるまいに、第一、何もかも説明が足りない。

 俺の困惑を見抜いたのか、悪魔と呼ばれる男がそっと救いの手を差し伸べた。


「つまりですね、死後、あなたには悪魔か天使としての職務を全うしていただきたいのですよ」

 悪魔は薄い紙の束のようなものを取り出した。印字の滲むB4用紙が何かの契約書類であることは一目で分かる。つまり、それが彼にとっての仕事に大きく関わりあるものらしい。


「なるほど、何となく分かった。つまり、死前も死後も人材不足の波は激しいってことだな?」

「まぁ、そんな感じです」


 悪魔がコホンと、一息つき

「そうですね、私の職務を詳しく説明するなら、主に営業のような職種に該当するかと思われます。自分の足で顧客との関係を作り、両者が得をできるような契約を模索していきますね。少し大変ですが、やり切ったときは達成感もありますし、顧客からも感謝もされます。私としては、すごくやりがいのある仕事だと思っています」


 すかさず、天使が

「ええとね、天使はすごく楽だよ。美味しいもの食べて、たまに遊んで、毎日ハッピー、ね、どう?」


 なんという二択。正直、天使一択だと思っていた。だが、この質問で揺らいでいる自分がいる。

 両者とも具体性のないのは同じだが、一種のフォーマットに則っている分、悪魔の方が社会的にまともな仕事に聞こえるのである。


「ちなみに給与形態は?」

「インセンティブです」

「無いよ、しいていえば楽しい仕事が報酬かな」


 なんと、インセンティブ、公務員就職をした自分には良く分からないが、先進的っぽい給与じゃないか。なるほど、これは悪魔だろ。どう考えても、真面目な仕事だろうし。


 というのは冗談で………

「すまないが、悪魔になることは出来ない、なんせ………」

「悪だからですか?」

 と、悪魔が割り込んでいた。


 図星である。シノは曲がりなりにも警官だった。警官でありながら、一度だって事件を解決せずに死んだ。そのような中途半端な生い立ちが、より正義への執着心を高めさせた。


「それなら、尚更、悪魔をお勧めします」

 悪魔は続ける。


「悪魔の仕事は契約して、寿命を集めるだけです。対し、天使は上意下達のもと、ひたすら神のしもべを務めるだけです。前世にて、警察官を務めたあなたなら、肩書きのみがその者の善悪を決しないこと分かるでしょう?それに組織に属すれば、自ずと行動には制約がかかる」


「暴力団だって同じことを言うだろ?街の自警団などと笑わせるな。善行は制御された力のもとにないとな」


「いえいえ、悪いのは組織そのものです。アナタに与えられるのは悪魔という力。その力を、悪行に振るうも、善行に振るうもあなたの望み次第。しかし、天使というのは肩書きです、そこには責任が伴うのですから、分かりますね?」


 良く回る口だ。確かに、自由というのは何にも変えがたいものだ。



「勤務地は?」


「異世界です」

「その通りです」


 日本ではない。つまり、この悪魔と天使も、自身の価値観では測れぬものなのかもしれない。


「悪魔さん、どうぞよろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ」


 俺は仕事の内容に惚れたんじゃない。悪魔さんの内面に惚れたんだ。この人の下で働きたいと思った、までは言い過ぎだが、誠意は伝わった。

 実際、仕事という前提で話されると、悪魔の方がまともそうだ。


「それでは、私の代わり、お願いします」

「へ?」


 いや、待て。誰が天使と悪魔が仕事だなんていった?

 天使は端から、どちらかを選ぶようにしか話していない。

 そう考えれば、仕事という体裁のもと、厳格さをアピールしたのは悪魔が独りでに始めたことだろう。

 ふっと、嫌な予感が背筋を撫ぜた。


「おい、騙したのか?」

 悪魔はニヤリと笑うと

「いえ、私は伝え方を工夫しただけで、言葉は全て本心ですよ?」


「うわー、やっと解放されると思ったのに」

「ふふ、私の方が先だったみたいですね」


 ぐるる、と犬のマネで威嚇する天使をよそ目に、悪魔は高笑いをしている。


 勝ち誇った悪魔は、こちらに手を振った。

 その裏で、もう一人の人間が現れた。

 見覚えがある。


 妹はシノの死の理由だ。そして彼の知る限り最も純粋な悪が、天使と話をしていた。





 


 次の瞬間、シノは山中へと移動していた。

 濃密な自然の香り、葉の隙間から差す日の光、五感全てがこの景色を現実だと教えてくれる。

 さて、どうしてくれようか。


 問題はあの妹がこの世界に降り立った可能性があることだ。であれば、妹は俺を追うだろう。

 逃げなければいけない。


 いや、まだ確定はしていないな。アレの対処方を考えるのは、妹の存在を確認してからでいいだろう。



 その前に、俺の目の前でそわそわしている奴に構わないといけない。

「よろしく、お兄さん?僕はナビゲーターを任された悪魔のしもべだよ、しもべって呼んでね」

 美少年とも美少女とも形容できる、妙なちんちくりんがあざと可愛いポーズで挨拶をした。


 丈の短いTシャツはからはへそが見えており、深めに被ったパーカーとの対比が輝いて見える。おまけに黒のショーパンからはすらりとした足が伸びているのだ。高い露出度にも拘わらず、どこか健康的で下品さというのが排されたその恰好は、まさしく芸術。


「ああ。俺は篠ノ井新。そんなしもべだなんて、呼べないよ。ちゃんとした名前を教えてくれないか?」


「ええと、ないんだけど」


「それなら、ルナってのはどうだ?その月のような目の輝きにぴったりだと思うんだ?」

「嬉しい」


 と、ルナは笑って見せる。ああ、歯並びまで完璧だ。


「よし、じゃあ、もっとルナのこと教えてもらってもいいか?」

「えーと、本当は悪魔としてのチュートリアルをしたかったんだけど、まぁ、いいか、僕はサキュバス学校のボーイッシュ部を卒業して、この仕事に立候補したんだ」


 シノは目の前の少女の一挙手一投足に注目してしまっていた。口はだらしなく開かれ、ついでに、目も鼻も手のひらも重力の下に開かれていた。

 一種の催眠効果であろうか?目の前の少女から目が離せない。


 いや待て。

 こいつはあの信用のならない悪魔のしもべだと言うのだ。ともすれば、こいつもその同族、同じく信用度はゼロだ。


「なぁ?何か俺にやましいことを隠していないか?」


 ルナの目が泳いだ。手をわなわな震わせ、何かを訴えかけるように、こちらを見つめて

「疑うの?」


 黒だ。

 俺が欲しいのは、理性的釈明であって、情緒的解決でない。互いのことも良く知らず、信用だとか信頼だとかで片付けようとする奴は総じてクズだ。


 さて、問題は、何が問題であるかという点だ。


「手を挙げろ」

 一番まずいのは、俺が油断したところで背中からざっくりいかれることだ。

 俺はルナのボディチェックから始めた。


 何を勘違いしたか、一人でいやいやと、身をよじらせているルナを尻目に、凶器の有無を確かめていく。


「おい、しもべ?」

「あれ、ルナって名前は?ねぇ?」


 凶器は見つかった。

 そう、あったのだ。女の子の身体になくて、男の子の身体にあるものがついていたのだ。

 熱い友情?専用機への憧れ?固有スキル?違う、剣だ。小さいが一本の剣が収まっていた。サイズで言えば銃刀法違反を免れるレベルだが、所持は所持だ。

 おさわりまんも、おまわりさんとして、職務を全うせねばならない。



「自分は、サキュバスだって嘘をついたのか?」

 容疑者は固い表情でこちらを見つめている。サキュバスとインキュバスは天と地ほど違うはずだ。サキュバスは男の憧れであり、インキュバスは男の敵なのだ。だって、ずるいだろう?


「いや、サキュバス学校は卒業したよ。今まではインキュバス学校の同姓愛課しか選択肢がなかったんだけど、昨今の流れに合わせて、男でもサキュバス学校に通えるようになったんだ。なんなら、僕は主席だよ」

 主席だと?

「ずるいだろ、色々と。サキュバスさんに謝れ」


「なんでさ、お兄さんだって、僕のこと可愛いと思ったんでしょ?」


「甘いケーキ、なるほど、上手そうだな。甘いラーメン、どうだ、上手いか?そんなわけないだろう、そういうことだ。ジャンルが違うんだから評価軸だって別だろ」


 はぁはぁ、と息を整える。期待した分、落差に打ちひしがれたのだ。とにかく、このjapanese trapを片付けないと、あらぬ疑いをかけられてしまう。


「でも、僕はお兄さんのこと、好きだよ。かっこいいし、頼りがいがあるし」

「お兄さんと呼ぶな!」

 くそ、罪悪感に訴えかける作戦に出やがって、大体、お兄さんという呼び方にはトラウマがあるんだ。




「分かった、事務的にいこう。俺は主で、お前はしもべだ。敬語を使えよ?それで、肝心の悪魔の仕事ってのは何だ?」


「うう、分かりました。悪魔の仕事は人の寿命を集めることです」

「なるほど、女のふりして近づいて、驚かせるんだな?そんで、寿命を縮める」

「違うよ!契約を持ち掛けるんだ。一つの契約につき、寿命の十分の一を集められる、です」


「なるほど、おおむね、悪魔らしい仕事にはなるな。それで、報酬とやらは何だ、担当の悪魔しもべをチェンジできるのか?」


「うう、意地悪だ、このお兄さん。というか、報酬なんてないよ。悪魔は人の寿命を食べて生きるんだ。だから生きるために契約するんだよ、です」


「待て、じゃあ、今の俺はどうなるんだ?」

「うーん、まぁ、一週間もすれば餓死しちゃうんじゃない?」


「よし、分かった。ルナ、悪い扱いしてごめんな。敬語なんて辞めてくれよ。あと契約してくれないか?」

「本当に都合がいいな。まぁ、それは最後の手段だね、とにかく、人のいるところに向かおうか」


 む、最終手段とはいえ、寿命の十分の一を渡す覚悟があるのか。見直し………いやでも、待てよ?


「なぁ、もし、しもべが主席を取らなかったら、代わりに誰が来たんだ?」

「うん?よくぞ聞いてくれたね。僕が来なかったら、サリーっていう巨乳のつまんない女だったよ。意思は弱いし、なよなよしてるし、ほんと僕で良かったよね?お兄さん」


「それはそれは、全く余計なことをしてくれたな。チェンジで」


「へ?」


「チェンジだって、言ってるだろ?」

「無理。僕は返品不可の取り扱い厳禁、割れ物注意だからね」

 くそ、調子に乗りやがって。


「何が割れるんだ?」

「そりゃ、僕のか弱き心さ」


 あえて、間を取ってみる。



「よし、取り敢えず、人里に行こうか」

「な、待ってくれよー」

 と、シノの異世界生活はつつがなく、始まった。

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