朽ち果てた墓碑

枕崎 純之助

朽ち果てた墓碑

「誰か事故で亡くなったのか……」


 いつもの都道沿いの散歩道を歩いている時に僕はそれを見つけた。

 交通量のそれなりに多い都道脇のガードレールのすぐかたわらに、いくつもの花束が置かれていた。

 お供えの缶ビールやジュース類などと一緒に。

 おそらくバイク等の交通事故で、運転者が亡くなったのだろう。

 時折見かける悲しい光景だ。


 僕は見知らぬ誰かの死に少しばかり胸を痛めたものの、特に立ち止まることはせずにその場を歩き去った。

 翌日もその翌日もその散歩道を歩いたが、供花やお供え物は徐々に少なくなる。

 人の死も時がてば次第に忘れ去られていくものだ。

 だが、初めてその現場を見た日から数週間後、その場所には木材で作られた50センチほどの高さの墓碑ぼひが置かれるようになった。

 仏壇ぶつだんを模したようなつくりであり、雨除けの屋根が付いている。


「誰かが作ったのか……」


 プロの仕事というほどの出来ではなかったが、丁寧ていねいに日曜大工で作られたとおぼしき、木目の綺麗きれい墓碑ぼひだった。

 おそらく亡くなられた方のご家族か友人などの親しい人が作ったものだろう。

 事故でこの世を去ったその人はきっとしたわれていたのだと思った。

 それからも毎日その道を通るが、以前ほど多くはないものの、供え物が尽きることはなかったからだ。


 そして墓碑ぼひが置かれてから数週間した頃、今度はその墓碑ぼひの雨除けの屋根の下に、一枚の写真とメッセージカードが張り付けられていた。

 写真はりし日の故人を写したものだった。

 まだ若い男性だ。

 そしてその写真のすぐ下に貼られたメッセージカードにはこう書かれていた。


『皆さん。息子のためにやさしさをありがとう』


 故人の親御さんが息子をしたってくれた友人たちのために感謝の気持ちを込めて書いたものだろう。

 僕は元気だった若者の写真を見て悲しくなった。

 写真の中の若者は笑顔を見せ、生命を謳歌おうかしているよう見える。

 自分が亡くなることなんて考えもしなかっただろう。

 しかし命は失われ、彼の人生は永遠に幕を閉じたのだ。


 それからしばらくして、僕は引っ越しをしたためにその土地を離れ、その散歩道も通ることはなくなった。

 ただ時折、仕事でその道を通ることもあったので、その際は必ずその墓碑ぼひの様子を見るようにしていた。

 やがて年月は過ぎていく。

 5年経ち、10年経ち、新しかった墓碑ぼひは雨風にさらされて色はくすみ、次第にちていく。


 写真も色あせ、メッセージカードは字がにじんで読めなくなっていた。

 その頃にはもうお供えをする人もいなくなってしまったようで、墓碑ぼひは打ち捨てられた無縁仏の墓石のようだった。

 そして15年ほど経った頃、そこを通りかかった僕は思わず立ち止まった。

 墓碑ぼひが……バラバラにくずれ落ち、廃材のようになって地面に横たわっていたのだ。

 おそらく心無い誰かがいたずらに破壊したのだろう。

 明らかに人為的に壊されたような有り様だった。


 その後しばらくの間、墓碑ぼひは打ち捨てられたままにされていた。

 事情を知らない者がそこを通りかかっても、それがかつて墓碑ぼひだったとは思わないだろう。

 やがて20年以上が経過した頃には、廃材はすべて片付けられ、何も無くなっていた。

 ここにあった「死」の痕跡こんせきはきれいさっぱり消えてなくなったのだ。

 これが風化なのだと僕は思った。


 ここを通りかかる人で、あの墓碑ぼひとその死をいたむ人々の心がここにあったことを知る人はどのくらいいるのだろうか。

 僕のようにそのことを記憶に残していた人もやがてはいなくなっていく。

 時の流れと共にすべては忘れ去られていくのだ。

 誰かがそこにいたことも。

 誰かの死も。 


 だから僕はその記憶をここにこうして留めておくことにしたのだ。

 そうせずにはいられなかったから。

 そうせずには……いられなかったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

朽ち果てた墓碑 枕崎 純之助 @JYSY

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画