ua_hau(ウア_ハウ)

第1話

ある絵本の内容である。子どものカンガルーが「自転車になっても、ぬいぐるみになってもお母さんは僕を愛してくれる?」というセリフがあった。

「もちろんよ」とお母さんカンガルーは言った。

5歳の私も真似て、お母さんに「絵になっても、花になっても、お母さんは私を愛してくれる?」と聞いた。

「もちろんよ、音晴(おとは)」とお母さんは言った。

「障害者でも、不治の患者でも愛してくれる?」

20歳の私は言った。

そこで目が覚めた。



目が覚めて、私はゆっくりベッドから起き上がった。そして、自分の病気について考え、ぽろぽろと涙を流した。


私は生まれた時から小児がんを患っていた。肝腫瘍だった。おばあちゃんが小さな私をお風呂に入れていたときに、異変に気づいたらしい。兄の頃と比べてお腹が硬いと感じ、病院に連れていったことで、見つかった病気だった。


赤子の体重で手術は難しいとされているようだが、私は平均より大きく生まれたことで、予定より早く手術が出来たそうだ。手術後は、肝機能や黄疸の程度、抗がん剤治療後の晩期合併症の有無、再発の有無を調べるために、定期的に通院した。


自分が病人だなんて自覚はなかった。生まれた時から通院が当たり前で、皆そうなんだとさえも思っていた。だから、お腹にある大きな傷も、綺麗になることを想像してた。


小学生の時に、同級生からお腹の傷について聞かれたことをきっかけに、自分が病人なのだと知った。母の説明で、私は皆と違うのだと理解したが、母ははっきりと私が小児がんであったことは話さなかった。


14歳の時に完治と言い渡された。しかし、心配性な担当の先生が20歳まで見るよと言ったので、その後も検査を続けた。そして、新たに肝細胞がんが見つかった。


正式には、肝細胞がんの恐れがあると言われ、確かではなかった。


肝細胞がんは、初期には自覚症状がほとんど無いらしい。医療機関での定期的な検診や、ほかの病気の検査のときなどに、たまたま肝細胞がんが発見されることも少なく無いそうだ。

肝細胞がんが進行した場合は、腹部のしこり、圧迫感、痛みなどを訴える人もいるとの事だった。


しかし、私は初期段階であり、尚且つ肝細胞がんの恐れがあるという診断であったため、全く自覚がないうえ、確実なものではなかった。


更に私の病気は原因が分からないとの事だった。


本来、肝細胞がんの発生する主な要因は、B型肝炎ウイルスあるいはC型肝炎ウイルスの持続感染である。しかし、私はMRIでの検査や肝生検を行っても分からないとの事だった。


診断結果から、私は難病指定を受けた。


これら全ての病気について、私は大学生になって初めて知った。


自分がみんなと違う事は重々承知していた。しかし、どんな病気であるかや、病名は聞かされていなかった。母が私に対して、とても心配するような関わり方をしていたこともあって、私自身あまり病気に関して考えたくなかった。自分から知ろうとも思わなかった。

だから、完治を知らされたとはいえ、小児がんだったことも、今現在の難病ががんであることも今まで知らなかった。


自分の病気について知ったのは、大学生の最初の健康診断だった。自分の病歴を書く欄になんて書けばいいか分からず、仕事中の母にも聞けなかった為、病院の担当医に電話で聞いたのだ。

担当医は私がもう大学生だということから、母の了承なく私に伝えた。

「…小児がん?」

『うん、音晴さんは生まれた時に小児がんが見つかって、14歳で完治したよ。今は肝細胞がんの恐れのある難病だね。』

「…分かりました。ありがとうございます。」

『ごめんね、突然がんなんて言われたら困るよね。小児がんは完治したから心配はないよ。今の病気も恐れがあるから、念の為検査に来てもらってるからね。この前の検査もあれから変化なく問題ないから安心して?』

「はい…」

『また何かあったら電話してね。』

「…はい」


母はがんなんて一言も言っていなかった。母は私を騙していた。それから、私は母に不信感を抱き始めた。

「行ってきます…。」

「行ってらっしゃい。今日は何時になるの?」

「分からないけど遅くなる。」

「そう…気をつけてね。」

「うん…。」

何も無い日でも外に出て過ごした。大学が遠いから、通学に使う定期で電車に乗って、カラオケやカフェで過ごす日が増えた。家に帰り着くのも遅かった。それに対して、母は心配だったようだ。

「いつもどこに行ってるの?」

「サークルやボランティアに行ってる。」

「こんな遅くまで?」

「大学が遠いんだから普通だよ。」

「でも流石に遅すぎだよ。」

「…。」

「危ないから。」

「…うん。」

“家に帰りたくない”。だんだんそう思うようになり、帰る時間は22時、23時と遅くなっていった。母はそこに深く追求することはなく、そっとしていたが、不満は態度に出ていた。それがさらに私の心身に影響していた。

腹痛の日々が続き、外から身を守るようにイヤホンをつけて、ネットの人と繋がるようになった。

「雨音(あまね)」という名前でTwitterを始め、ツイキャスを通して色んな人と色んな話をした。そしてネットには自分とは違う理由で、同じように苦しんでいる子達がいることを知った。共感し、つい私も自分のことを話していた。夢中で話し、寝落ちして、気づいたら朝になっていた。

そして、私は虚しさを感じていた。あんなに楽しく話していたのに、私の発言は、まるで不幸自慢だった。私のやっていることは何も産まなかった。

暗い考えばかりが頭を埋め尽くす。自分の気持ち悪さに吐き気がする。

ふと、カミソリが目に映った。そして私は腕を切った。赤い血が、私を冷静にさせた。急いでティッシュで血を止め、大きな絆創膏を貼った。

ーーーーーこれより大きくて深い傷があるんだから、何回切ろうと変わらないよ。

悪い考えが私の頭をぐるぐる回る。

背中に冷たさを感じ、震えが止まらない。

現在、7時半。今日は8時から採血とMRIの検査。もう家を出ないと間に合わない。

「行きたくない。」

ーーーーーどうせ時間通りに来ても、待たされることに変わりはないよ。


私は結局30分も遅刻して病院に着いた。病院の先生は何も言わなかった。遅れたから私の番は後回しかと思ったが、私の前の人が時間かかっていたこともあって、その後は待たされることなくスムーズだった。

「大丈夫?」と言うようなことを先生に聞かれた気がする。私は「大丈夫です。」と答えたと思う。

いつになったら検査に行かなくて済むんだろう。昔はそう思う日もあったけど、母の「大人がしてる検査を早くにしてるだけだよ」と言う発言を思い出して絶望した。

病院からの帰路。検査はいつになっても、終わらないものなんだと改めて思った。道路の向こう側、信号を待ってると、制服を着た女子がタバコを吸っていた。

「刺し殺したい。」

思わず声に出していた。私はずっと我慢して検査を受けてきたのに、何で法律を守らない人が健康なのか。怒りが湧いた。許せなかった。

ーーーーー全員地獄に落ちればいいのにね。

悪い考えがまた頭の中をぐるぐる回る。

こんな気持ちで、私は大人になれるのか?


私は、虐待を受けている子どもを助けたくて福祉の大学に入学した。でも、私が福祉職につけたとして、仲間探しをするビジョンしか見えなかった。


ーーコンコン。

「はい?」

「…出海音晴(いずみおとは)です。相談したいことがあってきました。」

「うん、ちょっと待っててね、そこに座ってて。」

そう言って、ゼミの先生は研究室のテーブルの椅子に私を座らせた。

「それで、今日はどうしたの?」

「…今日、授業で自分の問題を克服したって話をしてたじゃないですか?高瀬先生は、どうやって克服したんですか?」

「う〜ん、私は仕事について徐々に克服していったよ?」

「なるほど…。私は自分の病気に対して悪い考えばかりがあって…このまま福祉職員になっても良いのでしょうか?」

「…もし良かったら、詳しく聞いても良いかな?」

そして私は、今までの不安や、親に対する不信感を全て吐き出した。涙を止めることが出来ず、先生からティッシュを受け取りながら最後まで話した。

「お母さんとの関係に問題がありそうだね。でもね、私も克服したのが福祉職員になってからだから、職員になってから、また考えても遅くないと思う。焦らないで、今は無理して解決しようとしなくても大丈夫だよ。」

私はそれを聞いて少し安心した。「また不安になったらおいで」と言う先生の言葉に笑顔で返事をし、バス停に向かった。


「ただいま。」

気持ちがすっきりしていた。今日は珍しく早めに帰っていた。お母さんも仕事から帰りついた頃だった夕方、お母さんが黄色いカードのようなものを渡してきた。

「…特定医療費?難病指定?」

「これね、医療費が今後上がった時の為に申請したの。医療費が2万円を達したときに使えてね?」

「…は?」

「将来音晴が困らないようにね?医療費とか気にしないで済むように、病院の先生が話してくれt…」

ーーダンッ!

「なんで!?なんで勝手なことするの?」

机を叩いた私を、お母さんは驚いた顔で見ていた。

「私の意見は二の次?私の病気なのに、なんでお母さんが何もかも決めるの?」

「そんなつもりじゃ…。」

「私の気持ちも知らないくせに!」

「お母さんは音晴に可能性や希望を捨てて欲しくなくて!お金のことも気にして欲しくなかったから!」

「可能性や希望って、お母さんが何も出来ないようにしてるじゃん!私に対して心配が多いところとか、病気のことを一切話さなかったところとか、私の事全く信用してないくせに、何が可能性!?私はこんなの望んでない!」

もう、何でも良かった。私は、ダムが決壊したように、今までの不満を支離滅裂に叫んでいた。

「私のためじゃない!お母さんのためじゃん!全部自分のためでしょ?」

言っちゃいけないって分かってるのに、もう止められなかった。

「償いのつもりならやめて、もう私に構わないで、あんたの自己満足に付き合いたくない。」

気づいたら、お母さんは泣いていた。私は目を合わせずに自分の部屋に閉じこもった。もう何も考えたくなかった。

あれが全て本心という訳ではなかった。親へ不信感を抱きながら、同時に自分が親の重荷になってることが嫌だった。12歳の私に「ごめんね」と言ったお母さんの光景がフラッシュバックする。負い目を感じられると辛くて、産まれてくるべきではなかった、あの時本当は死ぬべきだったと思った。





『協力して欲しいの。鳥取まで来て欲しい。』

話を持ちかけられたのは突然だった。ネットで知り合った「空歌(そらうた)」さんという人からのDMだった。


空歌さんは学校での人間関係に疲れて引きこもりになってしまった過去があった。今は家から出て買い物に行くまで回復したようだが、学校には行っていないとのこと。それは医師の判断でもあった。


『タリさんのツイート見てる?』

ーーーータリさんの?

私はなんのことか分からなかったが、ひとまずタリさんのツイートを見てみた。

「…え、何これ。」

そこには、タリさんの悲痛な叫びが綴られていた。

『もうすぐあの子の命日だ』『私が変わりに死ねばよかったんだ』『私に生きる価値はあるのか』

タリさんには自殺をした友達がいると聞いたことがある。しかも、それを止められなかったことに酷く罪の意識を背負っていた。

『もうすぐ私もそっちに行くね』

このツイートを見た瞬間、私は嫌な予感に襲われた。胃の中からの気持ち悪さ。息が荒くなる。焦りを感じているのだと気づいた。

『できる限り早く行く。』

鳥取は私の家からは遠い。しかしそんなこと言ってられない。私は直ぐに返信し、支度を始めた。


「雨音さん…ですか?」

そう聞かれて振り向くと、私より細くて華奢な、

でも少し背の高い女の子が立っていた。

「は、はい…えっと、くうかさんですか?」

腰の低い姿勢につられて、私も縮こまって聞いてみた。

「はい!そうです!リアルだと初めましてですね!」

私が雨音だと知ると、切れ長の目が細くなるくらい頬を上げ、笑顔で話を続けた。

「とりあえず、私住所知ってるんです!タリさんの家、プレゼント送る時に聞いたので!まずは突撃して、からおけや、スポッチャとか、楽しいところに行ってもらいましょう!」

「なるほど、そうやって楽しいことして、自殺を止めると」

「違います!」

この発言に私は目を見開いた。

「あの子の苦しむを私達なんかが止められないと思います。もちろん止めたいですよ?でも、会ったことも無い私たちがそんなこと…おこがましいですよ。」

自分で言いながら、空歌さんは辛そうな表情をした。

「だから!死ぬならいっぱい楽しんでから!」

空歌さんも辛いはずだった。でもこの人は強かった。



「…なんでいるの?」

そう思うのも、言葉に出るのも当然だ。福岡と石川にいるはずの2人が今目の前にいるのだから。

「前に誕生日プレゼント送るために住所教えてもらったから」

「そうじゃない!何で来たのかってこと!」

タリさんは少し動揺しているようだった。少し奥二重な目が、大きく見開かれた。心のどこかで、もしかしたら喜んでくれるかもって思ったけど、多分、もうこの世に未練が無いと思ってたら、‘’邪魔な2人‘’が来たという感じだろうか。

「ごめんね、まだ遊んだこと無かったからさ。今日だけちょっと時間ちょうだい!」

空歌さんは手を合わせてお願いした。私もそれに真似て手を合わせて、恐る恐るタリさんの顔を伺う。

タリさんは唇を噛んで俯き、考えていたようだ。俯いても、身長が高い分表情が見える。しかし、沈黙のあと、今度はため息をついて、頷いてくれた。

「「やったーーー!」」

私たちは雄叫びを上げ、タリさんに今日のスケジュールを提案した。

まずはカフェに行って限定スイーツをたべる。その後ゲームセンターへ行き、スポッチャで体を動かす。最後にカラオケで歌いまくった。朝早くに呼び出したこともあり、思った以上に予定は順調に進んだ。2人で計画した場所はほぼ制覇したと思う。

「喉ガラガラ〜」

空歌さんは喉を押さえながらも笑顔だった。たわいの無い話をし、タリさんを家まで送り届ける最中、タリさんが急にあゆみを止めた。

「行きたいところがあるの。ついてきてくれる?」

神妙な顔に、私たちは固唾を飲んで頷いた。


たどり着いたのは海だった。崖の上。飛び降りたら確実に死ぬであろう高さ。

「ここであの子が死んだの」

タリさんは言った。

「あの子は私を許してくれるだろうか」

そう言ってタリさんは、崖の奥へと近づく。私は手を伸ばそうとしたが、空歌さんが私の肩を掴んだ。「なんで?」と言いたかった。でも空歌さんも唇をかみ締めて、震えていた。

タリさんは進んだ。でも、途中で歩みを止めて、座り込んで、叫び声に似た鳴き声を上げた。私たちは彼女に駆け寄り、背中をさする。声はかけない。彼女の‘’泣く邪魔‘’になるから。それからどれだけ時間が経っただろう。私たちは彼女が気が済む待って傍で待ち続けた。


「今日はありがとう!はるばる鳥取まで来てくれて。」

「全然!私たちも楽しかったし!ね?」

空歌さんの問に私も激しく頭を振った。

「‘’また遊ぼうね!‘’」

「「!!!」」

「今度は私がそっちに行くから!」

タリさんは笑顔だった。‘’また‘’があるのだ。少なからず、タリさんはその約束の日まで生きてくれる保証がてきた。

「うん!また遊ぼうね!」


それからのこと、空歌さんは、デイサービスや療育に通い、少しずつ外に出られるようになった。鳥取へ行くにはだいぶ無理をしたようだが、本人としては大冒険のようだったとの事だ。

タリさんは友達の死と向き合い、自分を攻めることを少しずつやめていった。今では、3人でLINEも交換して、今度はどこに遊びに行こうかと、率先して計画を考えている。

私は、私ばかりが辛い訳では無いのだと理解した。


この先の未来が大丈夫とは思わない。傷は絶対に消えない。でも昔の私よりはマシになったと思う。自分なんかが誰かの力になれるかは分からないけど、こんな自分を肯定できるように頑張ろうと思う。


絵本には子どものカンガルーのセリフで、「大きくなっても、僕のこと愛してくれる?」というのがある。

お母さんカンガルーは「ぼうやが元気で大きくなることが、ママのねがいよ」と言う。

お母さん、私大きくなったよ。お母さん、こんな私でもあなたは愛してくれる?

声にならない問いに返事はまだない。

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