四文字が消えた往復書簡
音愛トオル
四文字が消えた往復書簡
ほの暗い部室に溶けて消ゆ囁き。
※※※
手芸部はゴールデンウィーク明けから正式に家庭科部に合併される。
高校に入学して選んだ部活には既に部員はおらず、顧問の事情で4月からの予定がずれて5月の半ばから正式に始動することになった。顧問の計らいで、合併までは手芸部室を使っていてもいいし、家庭科部に顔を出してもいいことになっている。
それも、手芸部の入部希望者がわたしだけだったから、だが。
「まあ、1か月間は最後の手芸部員として過ごそうかな」
というのが、わたしの方針だった。
残された部室はかなり綺麗に片付いており、備品の類も整理されて活動の残り香は薄かった。それでも、資料棚の隅に挟まった、「新入生へ」と書かれた新品のノートが目に付くと、わたしは顔も知らない先輩たちの気配を感じることができた。
1ページ目に、「部誌ノート」と書かれたそれは、恐らく歴代の手芸部員たちが残してきたものだ。聞くところによると最後の年は部長と副部長のみのほとんど同好会状態だったらしい。
「先輩たち……1か月で終わっちゃいますけど、つけますね。部誌」
わたしが密かな誓いを立てたまさにその時、伏せた視線の先に「交換ノート」と記されたノートが見えた。部誌ではないのだろうか、と不思議に思って手に取ってみると、表紙に書かれた「部誌」に斜線が引いてある。
まっすぐな線と、雑な線が一本ずつ。
「2人だし、堅苦しい感じにしたくなかったのかな」
家庭科部に顔を出した時、温かく迎えてくれた先輩や同級生たちの顔が浮かんだ。きっと、1年違えばわたしも――
そう考えると、胸のどことも分からないところがちくりとした。
春の、温暖な昼とは気温差のある涼しい放課後だ。それで身体にちょっとした不調が出てるんだろう。
分かりきった寂しさにわたしはあえてそう言い訳をして、なんとはなしに「交換ノート」をめくってみた。先輩たちに会えるかもしれないから。
「……え?」
果たして、最初の一行はわたしの想像とは何もかも、異なっていた。
※※※
4月〇日
担当:
せっかく2人の部活になっちゃったし部誌ノートより交換ノートの方が書きやすいかと思ったけど、それより……ねえ……昨日の告白、本気にしてもいいの?
※※※
4月〇日
担当:
もちろん。私の2年ぶんの気持ち。藍理沙は違ったの?
※※※
藍理沙
……嬉しい。
改めてよろしくね――恋人として
※※※
ぱたむ。
「……」
読んでいいのだろうか。
だが、わたしはもう既に、藍理沙先輩と葉月先輩の恋路が気になって仕方なかった。ある意味では、先輩たちのことを知れる機会でもあるし、恐らく決して会うことがない2人のことを。
けれどこれは、覗き見ではないのか?
葛藤するわたしは、背後で扉が開く音がして驚きのあまりノートを落としてしまった。
「あ、ごめん。驚かせちゃった?」
「あ、いえ……来てたんですか。先生」
「ええ。えと、実は佐山さんからメールがあってね。捨て忘れたノートがあるから処分しておいてくれませんかって。中身は見てもいいけど、って――ああ、それそれ」
「えっ、ああ、これ……ですか」
まるで先輩たちから見られているかのようなタイミングにわたしは冷や汗が止まらない。それと同時に、先生にこのまま渡してしまっていいのか、とも思った。
わたしの表情をどうとったのか、先生は、
「うーん、そうね……佐山さんも小倉さんも後輩欲しがってたから。2人とも、遠方に行ってしまったから気軽に会えないけれど……そうだね。よし、それはあなたが処分しておいてくれる?最初で最後の先輩からの仕事ってことで」
「――先生。はい、分かりました」
先生はウインクと共に颯爽と部室を後にしてしまった。あんな風に言われたら断れないし、そう考えてみるとこの胸の寂しさも少しは埋まるだろうか。
わたしは先生がいなくなった部室で、さんざん迷った挙句結局ノートの中身は見ないことにした。したのに、後輩へのメッセージでも残されていたら申し訳ない、と思い、出来るだけ中身を読まないようにぱらぱらとめくってみた。
手紙やメモの類は入っていなかったが、3月の最初の方で「引退ぶりのノートです。未来の後輩さん!会えないのは残念だけど、私たちの部活を頼んだよ!」「廃部になってるかもでしょ、その前に」という言葉があった。
「……きっと面白い人たちだったんだろうな」
処分してくれ、と言われてもどうしてもすぐには捨てられなかったわたしは、先輩に断ってその言葉の部分だけ写真を撮ることにした。そこでふいに、ノートの最後のページが不自然な途切れ方をしていることに気が付いた。
上から下へ力任せに破ったようなページが1枚と、丁寧にカッターで切ったであろうページが1枚。
「なんだろう、これ」
わたしは疑問に思ったが、ないものはどうしようもない。
頭を横に振って好奇心を捨て、そのほか何冊かの「処分」とラベリングされたノートの列に、「交換ノート」を加えた。最初は一番上にしたが、数秒ののちに一度梱包をほどいて真ん中あたりに忍ばせた。
先輩たちは見てもいい、と言っていたけれど、わたしは先輩たちのメッセージをもう受け取りましたから。
「ありがとうございました。佐山先輩、小倉先輩」
ノートの山を、わたしは撫でた。
※※※
藍理沙は葛藤していた。
「どうしよう……」
卒業式の予行が終わり、いよいよ来週が最後の登校日となったこの日、藍理沙と葉月は手芸部室にやって来ていた。下校時刻まで残って、正真正銘最後の活動がしたかったから。
顧問には許可を取ってある。本来廃部される予定だったが、2人がいたからということで存続に尽力してくれた恩人だ。引退後の活動のわがままも聞いてくれるのは嬉しかった。
「一応、後輩へのメッセージは書いたけど」
教室に忘れ物を取りに行った葉月を待つ間、藍理沙は最後に残った2ページに何を残すか悩んでいた。このノートは部誌改め交換ノートだが、どうせならメッセージ以外に後輩の役に立つ何かを残したかった。
しかし、そもそも来年後輩が入部してくれるかもわからないのに、いったい何を残すというのか。
「こういう時は、ノートを読み返そう」
30分後、部室に戻って来た葉月とじっくり時間をかけてノートを見返した藍理沙の最初の一言は、
「私たち、これを後輩に残すの……?」
――だった。
※※※
担当:葉月
今日の藍理沙は可愛かった。いつも可愛いけど、今日はやばかった。いつもはしっかりしてるし、部長もやってくれるかっこいい藍理沙なのに、今日一日お揃いのヘアピンをつけてあんなにでれでれなの、ほんとに可愛い。
やっぱり私の彼女は最高に素敵だ……
※※※
担当:藍理沙
は、恥ずかしいんだけど……う、嬉しいけどさ。そんなこと言ったら葉月だって表情に出してないつもりだったんだろうけどめっちゃ口にまにましてました!私は見逃さなかったんだから。(それって私のことずっと見てたってこと?:葉月)
でも、ありがとね。
お揃いの、買ってくれて嬉しかったよ……彼女さん
※※※
担当:藍理沙
ら、来週末!デートに行きませんか!
※※※
担当:葉月
いいよ。そんな、口に出して言うのが恥ずかしくて顔真っ赤にしながらノートを渡してくる藍理沙の頼みならね。(余計なことは書かないで!:藍理沙)
※※※
担当:葉月
……お泊り、楽しかった。
※※※
担当:藍理沙
葉月って、意外と押しに弱いんだね。ふふん、これからは私の時代だね!
初めて手つないだ時も、そういえば耳まで真っ赤にしてめっちゃ可愛かったな~。ああ、でも告白は葉月からだったね。それじゃあ、次のデートから私がいっぱいリードしちゃおうかな!
※※※
担当:葉月
こんなに楽しいなら、もっと早く告白しておけばよかった。
そしたら、放課後デートとかも沢山出来たのに。
※※※
担当:藍理沙
私も、もっと早く好きって気づいてたら……高校生のうちに色んな所にいけたのかなって思うよ。でも、一緒の大学行くんでしょ?これから、もっと楽しいよきっと!
※※※
担当:藍理沙・葉月
今日で手芸部はいったん引退です。交換ノートもちょっと楽しかった:葉月
受験が終わったらまた遊びに来ます。ノートは私たちだけでもやろうよ:藍理沙
※※※
体育座りで並んでノートを読んでいた藍理沙たちは、恋の往復書簡の様相を呈しているその内容に、妙な気分だった。引退してからは受験勉強に集中していて、この前久しぶりに来た時は最後のページしか読んでいなかったから。内容についての記憶が薄くなっていた。
あるいは、あれから「おはなしノート」と題して交換日記を続けているため、恋人どうしとしての会話はそこに全てあるものと記憶していたのかもしれない。
「藍理沙、でもちゃんとした部誌っぽい日もある」
「まあ、確かに。そうだけど……これ、ほぼ『おはなしノート』じゃん」
2人で読むにはちょうどいいから、と隣り合った手を重ね、藍理沙は右手、葉月は左手でノートを支えていた。部室で肩が触れ合う距離感にときめく時間も、もういくばくもない。
これからも同じ大学に通って日々を共にするというのに、藍理沙は葉月がどこか遠くへ行ってしまうかのような寂寥に襲われた。それは葉月も同じだったようで、ノートを床に置いた2人はどちらからともなく抱擁した。
「私たち、卒業するんだね」
「やっぱり寂しくなってる。藍理沙」
「葉月だって――ねえ、最後のページさ。書きたいこと思いついた」
「奇遇。私も。じゃあ、お互い見ないで書いて、一緒に読もうよ」
藍理沙と葉月はそれから、順番に最後の2ページに言葉を残し、準備が済むと2人で読み上げた。お互いのメッセージを読むのに要した時間はほんの数秒だったが、その後に交わされた口づけは、2人にとっての永遠だった。
床に落ちたノートに雫が2つ、落ちる。
「――ねえ、藍理沙。このページはさ、ノートから外したくない?」
「そうだね。破いちゃおうか」
藍理沙は嬉しさと愛しさと切なさとで先走ってしまい、びり、と素手で破り取ってしまった。一方の葉月は道具入れからカッターを用意してきており、藍理沙を見て苦笑した。
「藍理沙、意外とそういうところあるよね」
「ど、どういう所!?雑って言いたいのっ」
「違うよ。まだキスで顔真っ赤になるの、ほんとに可愛い」
「えっ、ちょ、ちょっと葉月っ」
机にならんだ2ページ。
それさえあれば、どこまでだって行ける。
口にこそ出さなかったが、2人は同じ気持ちで、最後の部室の時間を過ごした。
※※※
藍理沙
好き
※※※
葉月
好き
※※※
「ねえ、もう一回言って」
「じゃあ、葉月も言ってよ」
「いいよ」
ほの暗い部室に溶けて消ゆ囁き。
――大好き。
往復書簡からその言葉が書かれたページが消えても、2人の胸を叩くその愛おしさは消えることはないのだった。
四文字が消えた往復書簡 音愛トオル @ayf0114
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