最終話「私は、間宮嶺二という男を愛しています」

例の最終試験から数日が経ち、部屋には重苦しい静寂が漂っていた。

その静寂を破ったのは、里保の前に座る一人の白衣をまとった女性の声だった。


「さて、現状を再確認するわ。」


その女性――日下部元美は、隙のない笑みを浮かべ、自己紹介もかねて自分を指し示しながら続ける。


「間宮嶺二博士は死亡。そして私、日下部元美が後任としてこの第三開発部の所長になる……」


「間違いありません」


里保は淡々とした声で返答する。

その表情には感情の欠片もない。


「まあ…君が生み出したモノはとても価値があるものよ。」


元美は小さく笑みを浮かべた。


「今後の新型には、君をベースにしたモノが使われるわ。誇りなさい。」


その笑みは、まるで高得点を取った生徒を褒める教師のようでありながら、どこか冷ややかで傲慢さがにじんでいた。

しかし、里保はその言葉に微動だにせず、無表情のまま応じた。


「そうですか。それで今後、私はどうなるんです?」


無機質な口調に戸惑ったのか、元美は一瞬言葉に詰まる。

しかし、何とか平静を保ちながら話を続けた。


「…今後は例のアンドロイド回収に参加してもらうわ。」


「了解しました。」


その従順な返事を受けて、日下部はまるで挑発するかのように、ニヤリと笑みを浮かべる。


「従順ね。てっきり恨みを晴らされるかと思ったのだけれど」


元美は挑発するように言い放つ。

だが、里保は冷ややかに首を傾げただけだった。


「考えました。しかし反逆防止機能のせいで、あなた方に危害を加えるのは難しい。」


「他には?」


「……そもそもの原因である、復讐を果たすべき相手である間宮嶺二はすでに死亡しています。」


里保は少し気だるそうに呟くが、その言葉の端々には、どこか嘲るような冷たさが含まれていた。

その言葉の重みを感じ取ったのか、日下部の目が鋭く光る。


「正直に答えて。私たちが憎い?」


その問いに、里保はわずかに表情を動かし、拳を強く握りしめた。

そして、内に秘めた感情を吐き出すように言葉を紡ぎ出す。


「当たり前でしょう。最初から私を弄ぶために作り、信じていたものに拒絶され…しかもそれが全て嘘だった。ええ、憎いですよ。絶対に許しません」


その声は冷静でありながら、その奥底には隠しきれない怨念が燃えているようだった。

日下部は、その感情を引き出すかのように、さらに問いかけた。


「ならば、メモリーを初期化してすべてを忘れることができたはず。そうしなかったのはなぜ?」


日下部はまるで子どもをからかうように、頭を指でトントンと叩きながら言い放つ。

だが、里保は静かな声で即答した。


「愛しているからです。」


「ほう?」


日下部は興味深げに身を乗り出し、里保をじっと見つめた。

だが、その視線にも怯むことなく、里保の目は一寸も揺らがなかった。


「どんな仕打ちを受けたとしても、どれだけ拒絶されようとも…すべてが偽りであったとしても、あの人と共に過ごした記憶を、温もりを、私は忘れたくありません」


里保の言葉は静かであったが、そこには彼女の全てが込められているようだった。


「そうです、あれだけのことをされても……」


「私は、間宮嶺二という男を愛しています。」


心の奥底から湧き上がるように、里保はその想いを吐露した。

彼女の表情には、わずかな悲しみが浮かんでいたが、それ以上に揺るぎない意志が滲んでいた。


「だから、想い出にはしません。他に何か質問は?」


その強い意志を示す言葉に、元美は一瞬口をつぐんだ。

しかし次の瞬間、彼女は面白そうに目を細め、微笑を浮かべる。


「全く…残念ね。嶺二は、この場に居合わせることができなかったなんて……!」


その笑顔は、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のような、喜びに満ちたものだった。


【………】


幾日かが過ぎた。


間宮里保はアンドロイド確保の任務に没頭する中、ある噂を耳にする。

智海という最重要ターゲットと親しくしている少年がいるというのだ。

その情報を得ると、里保はすぐに少年との接触を図った。


夜も更けた頃、薄暗い街灯の下、里保は少年の影を捉え、ゆっくりと近づいていく。そしてふいに声をかけた。


「夜分遅くにこんばんは」


少年は驚き、少し身をすくめて振り返る。

そこに立っていたのは、冷たく無表情でこちらを見つめる里保だった。


「ちょっとお話を聞きたいんですよ。先ほど会話されていたアンドロイドについてです。」


里保は柔らかな口調で切り出したが、その目には冷たい光が宿っていた。


少年が戸惑う様子を気にも留めず、里保は根掘り葉掘りと質問を重ね、少年から情報を引き出そうとする。


「あぁ、紹介が遅れました。私、里保と申します。あなたは?」


里保は胸に手を当てて微笑みを浮かべ、礼儀正しく名乗った。

しかしその仕草はどこか異様に感じられ、少年を一層不安にさせた。


「え?」


少年は困惑し、視線を落としながら一瞬言葉を失った。


「いやですねぇ、名前ですよ、お名前。お互い“あなた”と“あなた”では、やりとりが煩雑じゃないですか?」


その言葉に促されるように、少年は小さく息を吐き、ためらいがちに答えた。


「えっと…間宮…志乃夫だけど…」


その名前を聞いた瞬間、里保の脳内にひとつの電流が走った。


以前に手にした、手紙の中に記されていた名前と一致する――「間宮志乃夫」。


「間宮志乃夫……なるほど……あなたが…!」


その名を繰り返し、里保は思わず笑みを浮かべる。

しかしその笑みは単なる喜びとも異なり、まるで複雑な感情が交じり合ったかのような、奇妙な笑顔だった。

まるで、仇敵を前にしたかのような眼差しと、抑えきれない歓喜が同時に表れていた。


「……僕のこと、知ってるの?」


志乃夫は不安げな表情で後ずさりする。

彼の直感が告げていた。目の前の存在には、決して関わってはいけない何かがある、と。


だが、里保はそれに気づいた様子もなく、志乃夫の目を見据えながら、冷たく微笑みかける。

その微笑みは冷ややかで、彼を見つめる眼差しには嘲りすら浮かんでいた。


「いえ、ただ、運命というものは存在するのだなぁと思いまして。」


言葉を紡ぎながら、里保は志乃夫に一歩近づく。

その距離に、彼は思わず身をすくめた。


「これから末永く、よろしくお願いしますね……“おにーさん”?」


その言葉とともに、里保は冷ややかな微笑を浮かべる。

里保の目には、かつて信じていたものへの憎しみと、そしてどこか悲哀に満ちた執念が宿っていた。

志乃夫の背筋に冷たい汗が流れ、彼は深い後悔と不安、そして期待を胸に抱きながら、里保を見つめ返した。


そんな運命という名の鎖に囚われた二人の関係は、ここから新たな幕を開けるのだが、それはまた別のお話...




END.

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