第3話(最終話)

 眠りについたのは朝が近くなってからで、ジョンが呼ぶ声で目を覚ました。睡眠不足のせいか頭痛がする。外に出てみると、ナックルがいなくなっている、とジョンが言った。

「あのバカ」

 僕はテントを飛び出した。

「ナックル! おおい、どこに行った!?」

 まさか島の中央に行ってしまったのか。

 近くにはいないようで、砂浜近くで声をあげても反応はなかった。

 テントの中を調べていたジョンがやってきて、ナックルの荷物だけが、一部を残して綺麗に無くなっていると言った。どうやら自分の荷物だけを纏めて、どこかに行ってしまったらしい。

「ということは、島の中央に行ったわけじゃないんだな」

 僕はそう言ったが、それならどこへ行ったというのか。

 ジョンも同じことを思ったらしい。

「でも、それならどこへ行ったんだ?」

「まさか、助けが来たわけじゃないだろう」

「俺が起きているときは、少なくとも船みたいなのは通りかからなかったよ。お前は?」

 僕は首を振った。ジョンと目を合わせる。たとえ島の中央に行ったわけでなくとも、最悪の事態には違いない。僕らは再び二手にわかれて、ナックルを探し始めた。

「バルト!」

 やがて、ジョンが僕のところに走ってきて、真っ青な顔で波打ち際を指さした。駆けつけると、浜の岩が突き出ているあたりに、ナックルらしき人間がうつ伏せに浮かんでいた。

 二人でナックルの死体を浜まで引きずってくると、ジョンは砂の上に尻餅をついた。

「泳いで帰ろうとしたんだ。バカなやつ」

 ジョンは震えながら言ったが、僕は彼を非難することはできなかった。

 かといって、これでは仕事もできないな、なんて冗談を言う気にもなれなかった。

 ナックルの荷物は流されてしまったらしく、死体だけでも流れ着いたのは奇跡のようなものだった。船もなしにどうやって帰り着こうとしたのだろう。僕らはナックルのテントを解体し、彼の死体を包んだ。死体だけでも島に持ち帰りたかった。フォーリィとオースティンの死体はまだ小さな密林の奥で骨だけになっている。彼らの体の一部だけでもいいから持ち帰りたい。でもそれには、圧倒的に人手が足りなかった。

 それに、あの奇妙な現象が再び起きるかもしれない。


 僕は、なんとかメールで緊急事態が起きていることを伝えた。

 少なくとも人が二人、何かの要因で死んでいること。そして一人がこの事態に耐えきれずに逃げだそうとして死んだこと。それから僕らを運んできた漁師の男に連絡をつけたが、忌々しいことに電話にすら出なかった。

「くそっ!」

 五度目の電話を終えて、僕は電話を叩きつけそうになった。敢えて出ないのはわかりきっている。僕たちにできることはただひとつ、島の奥深くに立ち入らないようにして、ひっそりと時間が来るまで砂浜で待っていることだけだ。もう仕事なんてどうでも良かった。いや、果たして仕事になるのか。

 僕とジョンは身を寄せ合うように。砂浜で過ごすことにした。一刻も早く船を寄越してほしかった。漁師だろうが、会社だろうが、国だろうが。この島にいる恐ろしい何か――あるいはこの島で起きている忌まわしい何かから逃れられるなら何でも良かった。

「あの超常現象について、何か知ってることは?」

 僕は皮肉って言った。

「残念ながら知らないな……」

「だろうな」

 せめて怪物の姿がはっきり見えていれば、どんなにチープであれど笑い飛ばしてやったものを。

 僕らは姿の見えぬ人食いの怪物に見つからないよう、震えてその夜を過ごした。


 翌朝も、電話は通じなかった。正確に言えば一度だけ電話が通じたが、向こうが電話を切ってしまった。会社からもメールの返事は来たが、いまの状況に困惑している様子が見てとれた。

 僕もジョンも呆然と朝を過ごし、昼を過ごしたあと、夕暮れが訪れた。

 ジョンが起き上がり、不意に荷物をあさり始めた。

「何してるんだ?」

「せめて、一発だけでもぶち込んでやりたくてさ」

 ジョンはそう言うと、銃やライターを装備した。残りの食料を口にして、腹におさめる。

「お前はここに居てくれ、バルト」

「……わかった。相手の正体はわかったのか?」

「わからない。俺がダメだったら、頼むよ」

 僕は頷いた。残された戦友を見送ることしかできなかった。

 無事であることを信じて、神へと祈る。静かな時間は永遠にも思えた。微かな声が密林の向こうから響いてくる。

 銃声がする。

 小さな島ではこんなにも音が響くものだったのか。

「わかった、わかったぞバルト! 火だ! もっと大きな火を……くそっ、くそっ……くそおおお!」

 小さな声が叫びとなって島に響いてくる。

 僕は泣いていた。


 翌日、僕はできるだけ詳細にメールを書いた。

 戻ってこれた時のために、パソコンやテントはできるだけ海に近いところへと隠した。もちろん隠し場所もメールに送っておいた。果たして信じてくれるかどうかは疑問だが、事実は事実だ。

 たとえ毒ガスか、野生のケシ類か何かで全員が発狂したのだと思われても、それでもよかった。ここは危険なのだと伝える必要がある。僕が失敗した時のために。

 残された銃と、ありったけの武器を手にした。できればガソリンが欲しかったところだが、この際四の五の言ってられない。なんとか残されたもので火をつけるしかない。そうでなければ……。

 予備のガス缶を携え、奥へと進む。

 奴等は夜にしか出てこなかったが、昼間は大丈夫だろうか。

 準備を整えてから気がついたが、思えばこの島に来てから、獣や虫を一匹も見ていない。鳥さえもだ。静かすぎた。小さいとはいえ密林があり、茂みがあるのに、それらしい生きものはただの一匹として存在していない。

 その時点で気付くべきだった。


 僕は奥へと進む。奥へとたどり着いたとき、ジョンの死体を見つけた。ジョンの死体はすっかり骨になっていた。僕はこの近くだとあたりをつけて、バーナーに火をつける。あたりの空気が一気に湿り気を帯びていく。

 まず、顔に痛みが走った。始まった。

 僕はガス缶の一つを開けて、バーナーであぶった。吹き出した炎が植物に引火していく。あたりの空気が変わった。湿り気を帯びた霧に向かっても炎を吹いていく。こいつらよりも先に炎上させなければ。痛みは露出した顔から、腕にも飛び火していた。

 腕に開いた穴は、わさわさと動いていた。

 こいつは超常現象でもなんでもなかった。

 霧のような微小生物たちの塊が、体を食い荒らしているんだ。こいつは夜にだけ出てきて、何も知らぬ人間たちを食い荒らして――。

 僕らはここに来るべきではなかったのだ。

 奴等が飢えて一匹残らず死んでしまうまで、僕らはここに来るべきではなかった。

 でももう大丈夫だ。僕の命はここで潰えてしまうだろうが、僕らには衛星電話もメールもある。だから僕のメールが届けばおしまいだ。ざまあみろ。

 この話を信じてもらえることを祈っている。神に誓ってこの話は本当なのだから。

 奴らは僕の耳の中にまで入り込んだらしく、さっきまでしていた轟音の滝のような音がもうしない。耳の機能もすっかり食い荒らされてしまったのだ。僕はガス缶を思い切り投げつけると、炎を吹き出した。一気に炎が上がる。奴等の悲鳴はもう聞こえないが、それでも良かった。痛みが足先や腹や背中を侵していく。このまま喰らい尽くされることだろう。

 僕は霧の中に向かって炎の前進を続けながら、やがて暗い夢の中に落ちていった。

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ギベレー島の眷属【全3話】 冬野ゆな @unknown_winter

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