第2話
人骨は服を着ていて、地面に倒れ伏していた。
衣服はすり切れたり、泥で汚れていたりしたが、彼が昨日着ていた服そのままだった。乱れはあったものの、胸ポケットには社員証が入ったままで、そばに携帯電話がそのまま残されている。確かにこの骨の持ち主はフォーリィかもしれない。まさかフォーリィがわけのわからない死体に自分の服を着せるような蛮行に出たわけじゃなければ。
「……フォーリィ、なのか?」
「まさか! 昨日の今日だぞ。こんなことが一晩でできるわけない」
そうだ。確かに一晩の出来事だ。
一晩の間にフォーリィの体をすっかり骨だけにしてしまって、もう一度服をかぶせてしまうって?
いくらなんでも非現実的すぎる。
まだ腐敗が始まっていたほうが受け止められたかもしれない。フォーリィらしきものはすっかり骨になってしまっていたし、あまりに綺麗だった。肉片ひとつついていないし、見てみると内蔵のほうもすっかり無くなっていた。
獣がいる、という可能性もあったが――。
「獣がいるとして、服がこんなにしっかり残っていることあるか?」
それも疑問だった。
まるですっかり、肉だけが洗い流されたような死体だ。
「フォーリィがふざけてるのか?」
「だったら、あの骨の持ち主は誰なんだよ」
「そりゃあ……、ここで死んだ誰か、とか……」
「それにしたって綺麗に残りすぎてる」
少なくとも不幸な誰かが死んでいるのは明白だ。国に持って帰って埋葬するか、元の国に送り返すかしないといけない。
「おい、フォーリィ! 冗談はよせ!」
オースティンが大声をあげたが、その声はわずかに響いただけで消えてしまった。再び静かになると、僕らはもう一度顔を見合わせた。
「とにかく――とにかく会社に連絡をしよう。フォーリィの奴はそのあと探せばいい」
「大丈夫なのか。こんなものを持って帰って……変な病気とかあるかもしれないんだぞ」
「会社の命令次第だな。それに……それに、これが……」
フォーリィ本人かもしれない。
僕たちはその可能性をどうしても信じられなかった。
誰もなにも言わなかった。
ただ黙々と自分たちの作業をしていった。
衛星電波を通じてメールで「島で死体を発見した」という旨の連絡を送ると、警察に指示を仰ぐからそのままにしろという命令が下った。少なくとも仕事をして忘れないといけなかった。フォーリィは相変わらず出てこなかったし、オースティンは仕事がてら探していたが、結局見つからなかった。
夕方になって軽く食事をとったが、昨日ほどの盛り上がりには大きく欠けていた。
オースティンは「暗くなる前に」と、もう一度フォーリィを探しに行くつもりらしかった。僕は止めたが、ナックルもついていくと言った。
「わかった。何がいるかわからないから、気をつけてくれ。何かあったら大声で叫んでくれれば、たぶん聞こえるだろうさ」
「そうだな。獣かなにかがいりゃあ早いんだけど」
ナックルは護身用の銃を懐に入れながら答えた。
「こんな超常現象みたいなことが……起きてたまるもんか」
「もうすぐ暗くなる。フォーリィみたいに帰ってこられなくなる前に、ちゃんと帰ってこいよ」
僕はそう言って二人を見送った。
あたりは急に静かになった。火の音だけが耳につく。それから、妙にじめじめと暑かった。昨日も本当はこれほど暑かったのか。僕とジョンはじっとりと汗ばむ中、ただひたすら二人の声がするのを待っていた。
たくさんの可能性が浮かんでは消えていく。
もしかしたらフォーリィが帰ってくるかもしれない……という淡い期待とともに。
ジョンと顔を見合わせたとき、密林の奥から悲鳴が聞こえた。僕らは急いで立ち上がった。それぞれ銃と、懐中電灯を持って森の方へと走った。
密林の中は砂浜以上にじめじめとしていた。水分を含んだ植物が顔を舐めていく。うっすらと霧が出ているようだ。
「オースティン! ナックル! どこだ、どこにいる!」
声は小さな島に響き渡るようだった。
「オースティン! いたら返事をしろ!」
「ナックル!」
声を上げ続けていると、植物の向こうに光が見えた。すぐそばにいる。茂みをかき分けていくと、その先の少し広くなった場所にオースティンが突っ立っていた。懐中電灯は地面に転がっていて、オースティンの足元だけが照らし出されている。
「いったいどうした?」
ナックルはがくがくと震えながら銃口を向けている。
「ば、ば、バルト。助けて、助けてくれ……」
オースティンは少しずつ近寄ってきている。
「なんだって? どうしたんだ?」
「やめろ! 近づくな!」
対するナックルは完全にパニックになっているらしく、いまにも引き金を引きそうだった。
「やめろ、ナックル! 落ち着け!」
「た、助けてくれ。助けて……」
僕はオースティンの姿を懐中電灯で照らした。そうしなければならなかった。だけどこの時ほど後悔したことはない。オースティンの頬には大きな穴が開いていた。抉られたような穴だった。中の筋肉が丸見えになっている。息を呑む。それは頬だけではなく、体のあちこちに開いていた。露出した腕に、丸みを帯びた穴がどんどん開いていくのだ。まるで酸か何かをかけられたようだ。
「ああ、ああ、ああ!」
血はわずかに流れるばかりだった。スプーンでえぐり取られたみたいに穴が開くと、そこを中心に穴が広がっていく。
「ああああ! やめろっ、やめてくれええっ、痛いっ、痛いぃ!」
オースティンは自分の顔をかきむしった。指が顔に開いた穴をひっかき、血が噴き出していく。その血も大して流れ出ない。次第に頬からも骨が剥き出しになる。薄い髪の毛がはらはらと落ちて、頭皮が見えたと思った次には、すぐ下の白い骨が露わになった。眼球が少しずつ抉られていき、鼻が消える。ふらふらと歩いていた歩みがとまり、呆然とその場に立ち尽くす。頭ががくがくと揺れている。
「うわあああああっ」
ナックルがやみくもに銃口を向けて、引き金を引いた。
乾いた音が島のなかにこだまする。
「おい、やめろ!」
このままじゃ弾を消費するだけだ。
僕はナックルを後ろから羽交い締めにした。最後の一発が空に向かって撃たれたらしく、次にはもうカチカチと音がするだけになった。
「ジョン、手伝ってくれ!」
ナックルは右に左にと大きく体を暴れさせ、僕ひとりでは押さえつけることができなかった。なんとか我に返ったジョンが一緒になって体を固定させると、今度は力が完全に抜けてしまった。涙を流しながらひぃひぃと息だけを吐き出している。
僕はおもむろにオースティンを見た。眼球のあった場所からは何も無くなっていて、頭の中身がすっかり空っぽになっていた。立っているのが不思議なほどで、やがて膝から――というより、足元から骨が崩れ落ちた。僕たちはナックルの体を引きずりながら、とにかくその場から離れるしかなかった。
茂みの中を抜け、小さな枝葉に傷を付けられるのも厭わず走り抜けると、ようやく砂浜近くのアジトに戻ってきた。ナックルの体を離すと、彼は引きずられて泥だらけのまま地面に呆然と横たわっていた。僕とジョンは顔を見合わせた。自分の手が震えているのがわかる。
「あれは、なんなんだ」
僕はなんとかそれだけ言った。
「わからない……」
「電話、そう、電話だ。衛星電話が通じるはずだ。いますぐ助けを……」
「だれに?」
ジョンは吐き捨てるように言う。
「いったい誰に?」
引きつった顔が僕を見ている。
「明日の朝になったら、あの猟師に電話を掛けよう。明日でも明後日でもいい。荷物を纏めて帰るんだ」
僕はジョンの肩を叩き、テントの中に入り込んだ。
できるだけ冷静にとは思っていたが、何も食べる気にもなれず、眠れもしなかった。
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