深秋

小狸

短編

 *


 秋もそろそろ深まってきたと思う10月の中旬ではあるが、今日の最高気温は、何と九州地方では30度を迎えるという。

 

 一体地球では何が起こっているのか。残暑というにはあまりに趣きのない季節である。いい加減終われよと、いかにあらゆるものに風情を見出す平安歌人も硯を投げるだろう。


 そんな気候の中。


 僕のような衣服に無頓着な人間にとって、着る服が分からないというのは、結構深刻な問題である。この場合の「衣服に無頓着」というのは、「自分が着る服についてどうでも良い」というだけで、それを「大衆の中で比較される」ことは想定していない。いや、流石に外出時はよそ行き用の服に着替えるけれど、柄も何もない、簡素なものしか持っていない。


 半袖か長袖、くらいの差異である。他の人は何を着るのだろうか、想像が付かない。逸脱するのは嫌である。お洒落さんではないので、衣服に興味はない。かといって、新しく服を買おうという気概もない。


 ほとほとどうしようもない人間であると、自分でも思う。


 少し話は変わるが、季節の変わり目というのは、僕のようなどうしようもない人間をあぶり出すのに、結構適しているのである。


 変わり目、つまり変化である。


 社会は変わるし、環境も変わる。今生きて、恐らく辞書的な意味で「普通」に過ごしている人間の大半は、その変遷に「適合」できた人間なのだ。


 別段、社会不適合者だと揶揄したいわけではない。


 ただ、その適合が発動する瞬間が、季節の変わり目だと言いたいのである。


 辞書的な意味での「普通」の人間は、普通に対応するだろう。


 前に挙げた通り服を着替えたり、違う服を身にまとったり、管理を任されている者なら、冷暖房を調節したり、食生活に気を遣ったりして、適合しようとするのである。


 しかし。


 僕らのような、辞書的な意味での「普通」でもなければ、辞書的な意味での「病気」でもない、中途半端ななりそこないの人間は、適合が遅れる。


 一瞬遅れる。


 目敏くも、それを見透かして来る輩がいるのである。


 大きなコミュニティには一人はいる。そういう、人の差異に機敏に気付く人間というのは。いや、本人にとっては、ほとんど無意識に気付いてしまうという方が正しいのかもしれない。

 

 皆でテストの問題を解いている時に、いつも齟齬に気付く人がいるように。


 皆で体育祭の練習をしている時に、どうしても先生の指示通りに演技できない者に苛立ってしまう人がいるように。


 皆で一緒に写真を撮った時に、一人だけ笑顔を作ることができない人がいるように。


 その結果として、僕らはコミュニティで浮くことになるのである。


 だからこそ、人よりもそうならないための努力をしなければならない。


 僕らにとって何より幸せなのは、人から「普通」と思われることなのだから。

 

 正直面倒で、大変である。


 それでも、「普通」になれた、皆と同族意識を持ってもらえたという事実は。


 何にも代えがたく、幸福だと、僕は思う。


 先日、それこそ辞書を引いていて、「深秋」という言葉を知った。


 良い言葉だと思った。


 秋が深い――詩的ではないか。


 そんな話を肴に、久方ぶりに、作家志望の友人にLINEでもしようか。


 最近はネット上に小説をアップしていないけれど、元気しているだろうか。




 そう思ったけれど。


 その思いは本当に「普通」なのだろうかと逡巡して、止めた。


 暦の上では――そして昔の日本では、もう秋真っ只中なのだろう。


 そろそろ冬の足音が近付いて来る頃合いである。


 この異常な気候に適合すべく、今日も僕は、服を着替える。




(「深秋」――了)

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深秋 小狸 @segen_gen

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