知らんふりでもええかと思って

おくとりょう

『もう、会うんはやめよっか』

 嫌な夢を見た。

 目を覚ますと同時に、どんな夢かは忘れてしまって、冷えた寂しい気持ちだけが自分の中に残っていた。眠気と夢の余韻とにぼんやりしながら、朝日の差し込む明るい窓の方を眺めていた。ふいに振動音が部屋に響いて、慌ててスマホを手にとった。

 今日は休みのはずなのに。すこし不満に思いながら。画面を開くとアラームのメモに『遊園地』と表示されていた。


 そうだった。今日は遊園地に行くんだった。

 ベッドを飛び降りて、顔を洗う。コンタクトを入れると、世界がパッと色づいた。そうだ、せっかくだから、ピアスもつけよう。ピアス穴に刺すのは久々でちょっぴり血が滲んだけれど、それすら何だか嬉しくって、鏡の自分にニッコリ笑う。

 リビングで食パンが焼けるの待ちながらコーヒーを淹れていると、弟があくびをしながら起きてきた。

「おはよ、土曜やのに早いな。休みとちゃうの?」

「……今日は講義ある日やし、兄ちゃんは?」

「遊園地」

「え、遊園地苦手じゃなかった?」

「誘われてん。おみやげ何がいい?コーヒーいる?」

「コーヒーちょうだい。おみやげはいらん」

「えー。ほな、よさそうなのあったらテキトーに買うわ」

「……いらんってば。でも、ありがと」

 小声でつぶやいて、コーヒーカップを受け取る弟を愛おしく思いながら、今日の脳内to doリストのトップに『弟のおみやげ購入』を書き込んだ。どんなもんがええやろか。やっぱクッキーとかチョコとかかな。この子、甘いもん好きやもん。たしか今年のバレンタインも嬉しそうにしてたよな。


「そういや、彼女できたん?」

「は?」

 つい口から飛び出た質問に、弟の眉がぎゅっと上がった。

「あ、えっと、いや、ほら、バレンタインにチョコ結構貰ってたやん?」

「あぁー」

 納得したような、呆れたような声。「あれは友だち」とだけ言うと、弟は立ち上がってリビングから出ていった。

(あーっ、兄から恋バナを振るのはよくなかったかーっ。でも、彼女できたかどうか知りたいんですよ、兄として。でも、知ったところでどうすんねんというところもあり。んんー、あーぁ。嬉しい気持ち半分、小舅こじゅうとみたいになってしまいそうな不安もあったり……)


「コーヒー冷めてんで」

 急に耳元で囁かれて飛び上がった。振り向くとさっぱりした様子の弟が、じっとこちらを見つめている。顔を洗ってきたらしい。

「あんまり彼女ほしいとかないわ、今は」

 自分の分の食パンを準備しながら、何気ない口調で話す弟。何だかすこしホッとした。

「でも、大学生やと付き合ってる友だちも増えたやろ?」

「んんー。……まぁ、そうなんやけどな」

 彼はすこし考え込むように口ごもり、熱々のトーストにバターをぐっと塗りつけた。歪な白い塊がじんわり溶けて、香ばしい香りが鼻をくすぐる。


「彼女できたら、女の子の友だちと遊びづらくならへん?」

「――っ!?」

 それはいろんな女の子と遊びたいってこと?!可愛く真面目な弟の意外な発言に思わずコーヒーを噴きそうになる。お兄ちゃんは弟をそんなチャラ男に育てた記憶はありませんよ!?

「いや、兄ちゃんには育てられてへんし、そういうのじゃなくて。というか、そういう風にとられるから遊びづらい。って話」

「恋人がいる人と遊ぶときには、浮気とかにならへんように気にせなアカンとか?」

「んー。あと、恋人の愚痴相談をきっかけに浮気になったりすることあるやん」

「あははは。漫画みたい」

「でも、現実でもあるねんて。最初は、本人らは友だちのつもりで仲良くしてるだけやから、浮気のつもりはないんやろけど」

 彼は再び口をつぐんで、冷めたコーヒーに牛乳を注いだ。真っ黒だった弟のカップの中に白い波紋が広がる。ふわっと茶色く変わっていく様を黙って見つめていると、彼は「兄ちゃんも要る?」と尋ねてくれた。やっぱりウチの弟は優しい。断ったけど、そういうところが愛おしくって、冷めたコーヒーすら甘く感じた。


「まぁ、恋愛は大変やんなって話。せやから、今しばらくは彼女いなくてえぇわ。

 そういや、今日の遊園地って誰と行くん?」

「ネネちゃん。ほら、家にも呼んだことあるやろ?高校からの女友だち」

 食べかけのパンを頬張って、コーヒーで流し込む。そろそろ、出かけた方がいい時間になっていた。

「ちょっと待って、二人っきりで?なぁ、ネネさんってこないだ結婚したって言ってなかった――?」

 弟の言葉を遮るように扉が閉じた。空は雲ひとつない青。その澄んだ色に、なぜか忘れた悪夢を思い出す。ただそれが夢だと知ってる僕はぐーっと伸びをしてから、駅へと向かった。

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知らんふりでもええかと思って おくとりょう @n8osoeuta

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