【試作】雪夜婚々 〜狗(神)は喜び庭駆け回り♫ 狐はあなたの嫁となる♫〜

夢咲蕾花

お試し投稿

 幼い頃、狐と喋ったことがある。

 美しいモフモフの狐だ。そのときは確か二月くらいで、狐も寒さに耐えるため冬毛だっただろう。小学生だった自分は参拝に使う油揚げを持っていたので、その狐にあげてみた。

 狐は油揚げを咥えると「ほほ、親切な童じゃ。いつかにしてやってよいぞ」と言って、森の奥に消えていった。

 夢のような——実際、夢かもしれないが、そんな出来事が小さい頃にあったのだ。


 そんな神秘体験から、約十年ばかり。

 今の自分をあの狐が見たら、さぞ失望するだろう。


×


 なんで朝が来るんだろうか。

 藍空雪夜あいそらゆきやは明け方の白んできた空をレースカーテン越しに眺め、ため息をついた。暗くなっていく時間と、明るくなっていくその境目の時間が、自分はひどく嫌いだ。一日が終わるという奇妙な焦りをもたらされるし、何もなせないまま一日が終わって何もできない一日が始まるという感覚がもたらされるかもしれない。

 こういうとき、他人のせいにすると気楽になることは経験上知っている。だがそのあとで、酷い自己嫌悪に陥るのだ。吐いた言葉は——ではないが、思うだけでもその言葉は自分に跳ね返ってきて、自責と虚無に支配される。


 小学生の頃は、普通だった。

 人並みに勉強ができて、人並みに運動ができて、部活動は卓球部。中学に入ってから、変わった。

 多分そこに論理的な理屈などなかったのだろう。或いは、感情さえなかったかもしれない。ただ反抗しなさそうな自分がいじめ——と表現することで巧みに隠しているが、実際は暴行と殺人未遂という立派な犯罪だ——のターゲットにされた。

 最初は小突かれる、悪口を言われる程度だったが反撃せずにいると相手は反応を求めて人格否定やより苛烈な暴力に打って出た。

 芋虫やカメムシを食わされたこともある。机の中に使用済みのコンドームや、女物のショーツを入れられて晒し上げられたこともある。

 やがて雪夜は心が折れ、中学三年に上がると同時に不登校になった。


 今は高校にも通わず、毎日毎日本を読んだりゲームをしたり、家の家事を手伝っていた。

 このままじゃあダメだ。ダメなんだ。それはわかっている。だが、何をしろっていうんだ。この無力感と、そこからくる焦燥感は、体と心を引きちぎろうとしている。

 無力だから何をしても無駄なのに、何かをしなくてはならないという焦りだけは一丁前に鎌首をもたげる。


 だめだ、このままじゃ本当に思考がドツボにハマって碌なことにならない。

 雪夜はベッドから起き上がって、現代風の和装に着替えた。狩衣とトレーナーを合わせたようなデザインの上着と、袴とワイドパンツを錬金術で合体させたようなデザインの黒い装束だ。

 近所の神社に行くだけなので、持っていくのは財布だけでいいだろう。どうせ誰からも電話なんてかかってこないし、煩わしいことを言ってくる親が鬼電をかけてくることがあるくらいなので、スマホは置いていく。


 誰も起きていない家を出て、外に出た。そっと鍵をかけ、マンションのエレベーターに乗ってエントランスまで降りる。

 道路には犬の散歩をしながらジョギングするジャージ姿の女性と、新聞配達の原付があちこちに停まりながら、仕事に精を出していた。

 雪夜にはない、充実した日々。外の世界の全てが攻撃的で、敵意に満ちている。そんな気がしてならなかった。自分の味方はもうこの世界にはいないような気さえする。


 歩いて住宅街から離れると、寂れた稲荷神社があった。雪夜は階段を登って境内の前で一礼し、鳥居をくぐろうとして、ふと二の腕に妙な寒気が走るのを感じた。


「……?」


 一体なんだろうか。十月の今、そこまで寒くはないはずだが。

 そう思いながら鳥居を越えた瞬間、突然、視界がぐるんっと回った。


「うわっ」


 気づいたら雪夜の視界は天地逆さになっており、一拍置いて自分が転倒したことに気づく。

 一体、なにが——。


「大丈夫ですか?」


 女性の声がして、雪夜は朝早くから巫女さんがいるなんて珍しいと思いながら「すみません」と助け起こしてもらって、


「えっ……コスプレ?」


 その女性の額から、二本の角が生えているのを目にした。

 最近の特殊メイクはすごいなあと思っていると、頭上を火の玉が飛んでいった。それから一つ目の提灯がふわふわ浮かんでいき、顔のついた車輪が牽く車が通っていく。

 あたりの連中は皆大なり小なり人の姿ではなく、そしてことごとく、時代を一つ二つ遡ったかのような和装をしていた。


「わぁあああっ!」


 雪夜は慌てて後ろを振り返った。しかしそこに鳥居などなく、大正時代風の街並みが広がっているのみである。

 鬼女は「どうされました?」と聞いてきた。


「たっ、食べないで! 俺……不摂生、気味だし……美味くないから!」

「何をおっしゃるのです? ああ、なるほど……賓人まろうどでしたか。別に人間なんて食べませんよ。骨ばかりで不味いですし」


 それはつまり、誰かは人間を食って確かめたことがあるという旨の発言だ。


「ひぃいい……」

「……ひとまずお茶しません? 落ち着きますよ。ここで右往左往していても往来の迷惑ですし」


 鬼女はそう言って、雪夜の腕を掴んだ。線の細い女なのに凄まじい力である。鬼というのはやはり、力強い乱暴者なのだろうか。

 彼女は近くの茶屋のベンチに腰掛け、やってきた女給(化け狸だった)に団子と茶を頼むと、雪夜を見やる。


「人間がこの里にくるなんてのは久しぶりですね。……私は陽菜ひなといいます。あなたは?」

「ゆ、雪夜……」


 これは夢なんだ。この稲荷神社には不思議な夢を見せる力があって、自分は今それを見させられているのだ。そうでなきゃおかしい。妖怪なんてものが実在するわけがない。

 さらには二つ、三色団子が乗っていた。桃、白、緑の順で刺さっている。それぞれ桜と雪、葉を意味するとか言われている。

 陽菜と一つずつ分け合って団子を食べる。もちもちした食感で、控えめな甘さだがコシがあり、飲み込むと仄かに甘さがすっと抜けていくような旨さがある。

 茶は濃く入れられた緑茶で、雪夜は一口啜った。


「しかしこの里に人間が来るとなると、何か事情があったと見るのが当然のところですねえ……。何があったかは、別に聞きませんけど」

「……そうしてもらえると、助かります」


 雪夜は白い団子を頬張る。正直、味はどうでもよかった。これからどうすべきか、そのことで頭がいっぱいだった。

 やがて最後の緑の団子も食べて茶を飲み干すと、陽菜が銅銭のようなものを女給に渡し、会計を済ませた。

 彼女は用があるとかでそこで別れ、雪夜は手持ち無沙汰もあって、まだ日が高い里? とやらを歩く。

 周りの妖怪たちは人間が珍しいのか視線を向けてくる。別に、雪夜は珍しいことなんてない。平凡な——負け犬である。強くもなければ、突出した才能だってありはしない。今どきありふれた、引きこもりである。


 そうして里をあちこち行ったり来たりしているうちに、普段運動なんてしない雪夜は疲れてへたり込んでしまった。

 一体、これからどうすればいい。元の世界に帰れるのか? そんな不安が湧いてきたが、しかし帰ったところですることもない。そもそも必要とされない人間だ。一体、何を成せというんだろう。自分が周りから求められていることすらわからないのに——。


「そこの小童」


 澄んだ女性の声がした。雪夜が顔を上げると、そこには七本の狐の尻尾を持った女が立っていた。

 金色と焦茶色が混じった毛に、先端が白い尻尾。大きな狐耳。上等な着物を着込んでおり、一目で貴人とわかる風体だ。


「……お主、雪夜だな?」

「はあ……そうです」


 狐女はこれはいいとばかりに手を打って、顔を近づけてきた。


「お主、妾の夫になれ」

「……なんですって?」

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