第8話 

 ♦︎♦︎♦︎




 どれくらい時間がたっただろうか。


 わずかに鼻につく消毒液の匂いと、あまりにも長い常世への倦厭からうっすらと瞼を開いた。


 そのまま可能な限り視界を開くと、そこには真っ白い天井が映っている。


「……………?」


 天国、というわけではなさそうだ。

 もちろん地獄とも言い難い。


 意識ははっきりとしてきたし、これが夢の中ではないと確信できるくらいには物事を判断できる。


「あっ。弓楽さん。目を覚ましたんですね。ちょっと待っててください。今先生を呼んでくるので。」


 ふと横から聞こえた声に体をびくつかせてそちらを見ると、まだ20代であろう看護婦さんがいそいそと部屋を出ていくところだった。


 私の身体を改めて眺めると、体はベッドの上に寝かされた状態であり、すぐそばには窓がある。その隣にはもう一つベッドがあり、おそらく私の正面となる場所にもあるのだろう。

 つまり、ここは病室だ。

 身体は何故か起こすことができないが、それでもここが病院で、私がその患者だということを理解できた。


「………助かったの?私。」


 誰も答えてくれるはずのない質問を虚空に向かって放つ。


 いやだって、どう考えても死んじゃうシチュエーションだったよね?


 名前も知らない赤星先輩の友達が、偶然にも簡単に人を殺すようなヤバい人で、血に飢えて赤星さんを手にかけようとした私はしっぺ返しを喰らって死ぬ。

 完全にそういうパターンに入っていたはずだった。


 でも、現実にここでベッドの上で息をしているのは、間違いなく弓楽由美という吸血願望を持った女子高生だ。


 見逃された?


 いや、確かにあの時、脳を銀弾で貫かれるのを感じた。以前に体験したことがあるわけじゃないけど、確かに死んだ感覚﹅﹅﹅﹅﹅があった。


「…………?」


 考えれば考えるほど分からない。

 もしかして全部夢だったとか?

 いや、それなら私が病院のベッドの上にいる意味も理解できない。


 そもそも、あの拳銃構えた女の子は、本当に赤星さんの友達の子だったんだろうか。

 あの時は何となくそう思ったけど、今考えると違うような気もする。


 それ以前に、あまりにも現実離れしたことが起こりすぎて考察することすらままならない。


「目を覚ましましたか、弓楽さん。」


 考えているうちに、白衣を着た医者と思われる女性が病室に入ってきた。

 たぶんこの人が担当医なんだろう。


「……あの、私どうなってたんですか?」


 ちょっと変な質問かとも思ったけど、本当に最初から分からないのだから仕方がない。


「弓楽さん。あなたは一丁目のビルの路地裏で倒れていたんですよ。通行人が発見して、ここに運ばれたのが三日前のことです。」


 医者は淡々と説明する。


 ……一丁目ってことは、私がいた塾の前の路地裏とも一致する。少なくとも全部夢だったというオチはないようだ。


「命に別状はありませんでしたが、不安定な状況が続いて今朝になってようやく目覚めた、という感じです。」


 ……いや、夢だったのかもしれない。


 今この医者は、命に別状はなかったと言った。

 私は確実に拳銃で肩や足を撃たれ、少なくとも銃弾は骨にまで届いていたはずだ。


 どう考えてもあそこで意識を失っていた私は、出血量が多すぎて最低でも死の間際にはいたはず。

 

 通行人の人がどれだけ早く見つけてくれたのかは知らないが、命に別状はないってことはないだろう。



「?…?…?…?…?」


 やばい、本格的に混乱してきた。

 

「あの、じゃあ私は何が原因で倒れてたんですかね?」

「………そうですね。ここに搬送された時、弓楽さんの両膝と両肩には銃弾で撃たれた跡がありました。完全に関節が損傷していたので、歩いたりは当分できないでしょうね。」


 全然気の毒そうにせずに医者は続ける。


「しかし、脈や呼吸は至って安定。そのほか以上な数値が見られたものもありませんでしたし、意識を失っていた直接の理由は現状精神的なものか、あるいは誰かに強力な睡眠薬で眠らされたか……くらいしか考えられませんね。もっとも、そうだとしても何かしら身体に変化があるものです。しかし、弓楽さんは本当に異常がなかったので、現状原因不明というしかないかもしれません。」


 なるほど。原因不明か。

 ますます分からないな。


「事件性があるかもしれないので、現在警察の調査も入っているとのことで。たぶんこれから訪ねてくると思いますよ。」

「えっ!?警察?」


 まさか警察沙汰になっていたとは。こういうこと実際にあるんだな。


「そりゃそうでしょう。傷は致命的ではなかったとはいえ、銃弾で撃たれて路地裏で倒れていたわけですから。……ちなみに、何か心当たりあったりします?別に私は警察じゃないので、答えなくてもいいですけど。」

「……………いえ、そんなに覚えてないです。」

「………そうですか。まあしばらく休んでいてください。詳しい話は警察から。」


 医者はひらひらと両手を上げると、そのまま病室を出ていった。


「はぁー…………」


 誰もいなくなったのを確認して、大きく息を吐く。


 本当のことを言わなかったのは、別に彼女が警察じゃないからではない。


 あまりにも、現実であり得ないことだったからだ。


 赤星さんの友達の女に撃たれて殺されかけたことだけじゃない。拳銃で撃たれた傷が致命傷ではなくなっていることもそうだ。

 

 あの夜のことがただの妄想だったなら、それはそれでわざわざあの医者に報告するようなことではないし、私も頭がおかしくなっていたで収まりがつく。

 問題なのは、全部が本当のことだった上で、なんらかの方法で私の傷を治されたというパターンだ。

 あの時のドバドバ血を出していた私を助けるには、それなりの医療技術がなければ無理だろう。

 なにより、どう考えても私を殺そうとした彼女が私を生かしたのだ。殺さなかっただけでなく、出血死しないように最低限の治療を施した上でわざと病院に連れ込まれるように手配した。


 原因はわからないが、たぶん、こちらからは何も言わない方が身のためなんだと思う。

 


♦︎♦︎♦︎



 その後、病室に訪れた警察の人と幾らか会話を交わしたが、知らない少女に拳銃で撃たれた、とは言わなかった。勿論、私が赤星さんを襲うために路地裏に潜んでいたことも。

 

 嘘をついていたことは警察の人にばれていたかもしれないが、とりあえず記憶にありませんと言っておけば深く接触してくることもないだろう。一応この場では私は被害者なわけだし。

 


「由美!」


 事情聴取が終わってようやく緊張から解き放たれて深呼吸をしていると、病室で放たれるものとは思えない大きな呼び声と足音が聞こえてきた。


「……瑠夏!?」


 目を丸くして声の主のほうを見ると、激しく息切れしながら両脚に手をつく瑠夏の姿があった。


「カナダにいたんじゃないの?」

「………ッ……今帰ってきたとこ。……由美が撃たれたって話を聞いて。」


 途切れ途切れになりながらも、私の姿を見て安心したように言う。


「わざわざ戻ってきてくれたの?」

「そらそうでしょ。親友が倒れたって聞いて呑気に日常を謳歌できる私ではない。」

「そんな大袈裟な話でもないけど……。」

「大袈裟なはなし!ニュースにもなってたんだよ!?」

「へっ?ニュース?」


 そんなまさか、と思ったが、病室に入ってくるなり瑠夏は自分の携帯をこちらに差し出した。


「………△△県◯◯市の高校生、拳銃で撃たれたか 命に別状はなし………へぇ、ここら辺じゃん。怖い事件もあるものだなぁ………………あ、もしかしてこれ私?」

「そ。」


 ネットニュースには私のことと思われる事件が大々的に見出しになっている。


 そんなに大事になっているとは。

 なんか実感ないな。


 警察の人に本当のことを言わなかったこと、不味かったかなぁ。

 

 でも本当のこと言ったら私の方が捕まりそうだし。

 いや、実際あの時点では赤星さんには何も手を出してなかったわけだし、一方的に撃たれたんだから表面上は完全に被害者なんだけどさ。 

 それでも、私が赤星さんを傷つけようとしなければあんなことにならなかったと考えれば完全に自業自得だ。

 

「ねえ由美。何があったの?銃で撃たれたなんてただごとじゃないよね……?」


 安心を通り過ぎた瑠夏は、真剣さと不安を表情にこめてこちらの目をじっとみる。


「……うーん。あんまり覚えてないんだよね。でも大丈夫だよ。運悪くギャングの抗争に巻き込まれただけかもしれないし。」

「ここらへんそんなに治安悪くないよ。」

「いや、瑠夏がいなくなった後一気に悪くなったのかもしれない。」

「由美、わたしは真面目に聞いてる。」


 だよね。

 さすがに瑠夏は誤魔化せそうにない。


「……天罰が降った……とかかな。」

「……どういう意味?」

「あ、いや。何でもない。」


 でもそのくらいしか答えが出ない。

 

 目が覚めて冷静になったからようやく自分のことを真面目に振り返れるが、あの時の私は正直どうかしていた。

 自分の手で赤星さんを殺めてしまっても別にいいと思ってたくらいだ。

 もしあの時あの少女に止められなければ、きっと赤星さん首筋に歯を立てていただろう。


 痛い思いはしたわけだけど、結果的に私は赤星さんを傷つけずに済んだし、赤星さんは何もなく日常を送れているはずだから悪いことばかりではない。

 こうやって心配してくれる瑠夏の表情も、あの夜があってこそのものだ。


 あれ?

 ていうかなんで今はこんなに冷静になれているんだろう。血が欲しい気持ちがあまり湧いてこないな。まあいいか。


「まあ、ある意味こうなってよかったのかもね。」

「………何か隠してるでしょ。」

「うん。」

「わたしには言ってくれないの?」

「ごめん。」


 心配をかけたことは申し訳ないけど、瑠夏にこのことは言わない方が良いだろう。

 私がどうして今生きているのかも分からないし、生きていて良い権利があるかも分からないのだ。瑠夏にはいろいろ付き合ってもらっていたからこそ、これ以上迷惑をかけることはできない。


「大丈夫だよ瑠夏。たぶん、なんとかなってるから。」


 なぜか笑えた。


 今度はちゃん欲望に塗れた笑みではなく、ちゃんと瑠夏の方を見て。




♦︎♦︎♦︎




 それから2ヶ月が経った。


 私の高二の夏休みはリハビリしているだけで終わってしまった。


 それでも、二学期が始まって少ししたころ、ようやく退院して学校にも戻れたのは行幸だったと言っても良い。それくらい足に負った傷は正確に私の移動機能を妨害するものだった。


「由美、次の時間音楽だよ。早く移動しないと遅れる。」

「あれ?そうだったっけ。」

「授業変更があるって今日の朝言われたでしょ。」

「音楽室、遠いんだよなぁ。病み上がりには相当応える。」

「もう完治したって自分で言ってたでしょ。ほら早く行くよ。」


 何もない残暑が響く昼間、そんな普通の高校生みたいな会話を私は瑠夏と交わしている。


 なんで数々月前から留学していた瑠夏がこの学校にいるのかという話だが、瑠夏は私が撃たれた原因を話してくれないことで相当不安になっていたらしい。それで、ちゃんと全部解決するまでは私の隣にいる、と言ってカナダから舞い戻ってきたのだ。

 そんな理由で留学辞めるな、と言いたかったが、瑠夏は一度意地になると聞かないのでこうなったらどうしようもない。


 何度も私は大丈夫だからと言ったのだが、それでもこちらに耳を貸す様子はなかった。


 なんだかかえって迷惑をかけてしまったような気もするが、本当のことを話したら話したでもっと大慌てすることは目に見えている。


「ほら、早くいくよ。」

「うん。」


 まあしばらくは瑠夏の気遣いに甘えよう。なんだかんだこうやって一緒にいる時が一番楽しいから。


「あ、そういえば由美。結局もういいの?アレ。」

「あー、うん。もうぜんぜん大丈夫。」

「ふぅん。しばらく会わないうちに味の好みも変わったのかな?」

「味の好みって……。」


 そうそう。

 あの夜以降変わったことがもう一つある。


 それは、血を飲みたいという願望を持たなくなったことだ。

 あれだけ啜りたくて仕方がなかった血液が、どうしてか全く欲しいと思わない。


 人から流れ出る血を見ても興奮もしないし、なんなら普通に心配したくなる。これが血に対する正常な反応なんだろうけど、正常にもどったとはこれ如何に。


 まあ飲まなくてもいいならそれでいいんだ。 

 ますますあの夜の謎が深まってしまったことからは目を逸らしておく。


 

 音楽室に向かうため瑠夏の少し後ろを歩きながら長い廊下を縦断していると、顔見知りの人の姿が目に映った。


「赤星先輩。」

「ん?ああ由美じゃん。」


 正面から歩いてきていた先輩に目をあわせると、先輩もにっと笑ってくれた。


 これまたあの夜以降の大きな変化だが、倒れている私を見つけて救急車を呼んでくれた通行人は赤星先輩その人だったらしい。

 以前にハンカチを貸したこともあってか、先輩はよく私の病室にお見舞いに来てくれていて、その結果こうやって会話を交わす程度には仲良くなった。

 自分で襲おうとしていた人と仲良くするなんてそれはそれでなんか罪悪感が伴うが、これもまた何かの定めなのかもしれない。


「もう足は大丈夫なの?」

「はい。完治したのはつい最近ですけど。」

「そ。良かった良かった。」


 結局、私が銃で撃たれた事件は迷宮入りになったらしい。そういうと大袈裟だけど、私が無言貫いただけだ。


 

「ほら。つい最近まで立つこともできなかった由美がちゃんと歩いてるんだよ。移動教室くらいお前は自分の足で行け。」


 赤星先輩がぶっきらぼうに言い放った相手は、先輩が背中の上でおんぶしている背の低い少女だ。


「いやだもんね。わたしの足は常に骨折してるようなもんなんだしー?」


 背負われている少女は、いつも赤星先輩と一緒にいる先輩だ。ふわふわしていてつかみどころがない感じの人。明るいか暗いかでいったら明るいんだろうけど、太陽のような感じではなく朧月みたいな感じだ。


「お前を背負ってる私の足のほうが骨折しそうだよ。」

「そうなったらちゃんとお墓に埋めてあげるよ〜。だから遠慮なくわたしをおんぶしてくれてもよい。」

「骨折くらいで墓にいれるな。」


 この人たちはいつもそんな感じの会話している。赤星先輩と関わっていると分かることだけど、この人は仲が良いほど粗雑な対応をする人だ。

 つまり、この二人の友好ゲージはとっく振り切れている。


「仲良いですね。相変わらず。」

「仲はいいけど同類だとは思われたくないな。私はこいつのことをどうしようもないやつとしか思ってないから。」


 私が口を挟むと、すかさず赤星先輩は肯定しつつも訂正する。


「でもおんぶしてあげるんですね。」

「私がこいつを理科室にまで連れていかないと、たぶん一生授業を受けようとしないから。サボり魔なんだよ。」

「ひどいなぁ。サボってんじゃなくて瞑想してるんだよ〜」

「人生そのものが迷走してんだよお前の場合……ま、そういうことだから私はこいつを理科室に送らないといけない。また今度ね、由美。」


「はい。またどこかで。」


 こうやって会話している間にも時間は進む。

 授業に遅れてはいけないので、私たちは廊下をすれ違ってお互いの行くべき場所へと足を進めた。


 すれ違い様、先程の会話では私の方なんて見向きもしていなかった背負われていたほうの先輩が、こちらに目線を合わせた気がした。気のせいかもしれないし、そうでもないかもしれない。


 少なくとも、今度は拳銃で撃たれるようなことはなかった。


 音楽室に向かう階段に足をかけると、赤星先輩との会話を黙って見ていた瑠夏がおもむろに口を開いた。


「由美、さっきの先輩と仲良いよね。前からだっけ?」

「ああいや、つい最近仲良くなったんだけどね。」

「へぇ。珍しいね、由美が人と友好関係を図ろうとするなんて。」

「瑠夏にとっての私って、どんだけ根暗だったの………。」

「まあ仲がいいのは良いことだ。………って、もう次の授業まで30秒!?走るよ由美!」


 瑠夏が急足で駆け出していく。


 私が赤星先輩と話していたせいとはいえ、わざわざ待っててくれるあたり、赤星先輩と瑠夏は似ているところがあるのかもしれない。

 そして、私とあの小さな先輩も、似ているところがあったのかもしれない。


 ……いや、やっぱりあの人と私は似てないか。

 

 色々なことが渦巻く世界だけど、今の私は今日みたいな日々を暮らす以外の選択肢がない。


 それはきっと、良いことだ。

 少なくとも、血で頭がいっぱいだったあの時と比べたら。



 私は一度だけ後ろを振り返って、もう誰もいないことを確認してから瑠夏の背中を追った。

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異界の私は血溜まりに沈む 佐古橋トーラ @sakohashitora

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