【短編】全国いい子さん選手権
シロヅキ カスム
【短編】全国いい子さん選手権
「第○○○○回、全国いい子さん選手権!」
息の合った男女のきれいなハモり声。高らかに叫ばれた大会名のあとに、会場のあちこちに設置されたスピーカーから盛大なファンファーレが鳴り響いた。
とたん、わたしは拍手と歓声に包まれた。
ぐるりと周囲を見渡せば、多くの参加者たちの姿が目に入る。男も、女も、年齢層もさまざまな人間たちで辺りは賑わっていた。
誰もが晴れやかな笑みを浮かべていた。心から大会の開催を祝して、手を叩いている。
それを見ていたわたしも、なんだか気持ちが明るくなってきた。胸いっぱいの感動を込めて、わたしこと──野中さなえも、周囲と一体になって正面のステージへ拍手を送る。
「お集まりのみなさーん!」
競技場のような会場には、音楽ライブよろしく巨大なステージが建てられている。その壇上に、マイクを持った男女二人が現れた。
「どーも! 今大会の司会を務めさせていただきます、
「おなじく、司会の
藍島と名乗った若い女性は参加者たちに向かってフレンドリーに手を振り、その隣の戸村井なる中年男性は礼儀正しく頭を下げた。
二人の背後、ステージ後方には超巨大型モニターが設置されており、集まった参加者たちの様子が映しだされている。そのなかに、わたしの姿もあった。
わたしはなぜか、スーツを着ていた。
大学を卒業し、就職祝いに親が揃えてくれたグレーのジャケットとスカートのセットである。入社して一年、長らく戦い続けてきただけあって、だいぶこなれてきていた。
髪型は清潔感重視の黒髪の一本結び。要するに普段の出勤時とおなじ格好なのである。
モニターに映る参加者たちのなかで、同様にスーツ姿の人はそこそこ目に入った。ほかは私服や作業服など、自由な格好でよいらしい。服装こそまばらであったが、みな一様に胸に番号入りのゼッケンをつけていた。
そして、もう一つの共通点が──。
「どうですか、戸村井さん! みなさんのこのキラッキラのまばゆいお顔を!」
わたしの代わりに、藍島さんが指摘する。
「なんだか、ワタシのほうまで気持ちが弾んできちゃいますよ!」
「そうでしょうとも、藍島さん。この大会にはですね、全国から選りすぐりのいい子さんたちが集まってくださってるんですから!」
藍島さんが「全国からですか!」と驚きの声を上げれば、「ええ、全国からです!」と戸村井さんが答える。参加者のほうからも、自然と拍手がわき起こった。
「東から西まで、そして北から南まで! 全国各地の方々に参加いただいております!」
「それはそれは……とっても楽しい大会になりそうですね!」
言うまでもなく、すでに参加者たちは大いに盛り上がっていた。興奮で頬は赤く染まり、口元からはニッカリ白い歯が光っている。生き生きとした気力にあふれているようだ。
「みなさんには、これからいくつかの種目に参加していただきます。どんな内容かは、どうぞお楽しみに……ただし、種目と言いましても、今大会は相手との競い合いを重視しているわけではありません」
穏やかな声で、戸村井さんは言う。
「我々は、みなさんの心を評価いたします」
こころ。
言われて、わたしはきょとんとした。戸村井さんが「そう、心です」と、念を押す。
「ぜひ、みなさんの純粋な心を存分に見せていってくださいね!」
「そして、なかでも一番美しい心を持った方には──特別なご褒美を進呈いたします!」
藍島さんの「特別なご褒美」のひと言に、参加者たちはうれしそうに顔を見合わせた。
澄んだ青い空に、ポンポンと花火が打ち上がる。司会者たちは退き、スピーカーからは再び、ファンファーレの音が流れた。
音色に魂をゆさぶられながら、わたしの全国いい子さん選手権は開幕したのであった。
* * *
さっそく、最初の種目がはじまった。
「こんにちは! 六十八番の
文句なしの声量に、ニカっと笑う親しみのよさ。壇上では、調理服を着た小太りの男性が、人前で堂々としゃべっていた。
「歳は四十四歳! 育児パパ&飲食店の経営者として、ガッツでは誰にも負けません!」
よろしくお願いします、と九十度のおじぎを見せて、彼は温かな拍手に迎えられた。
矢代さんがステージを降り、次の番号が呼ばれる──それを横目に、わたしは胸に手を当て、深呼吸ばかりをくり返していた。
わたしはいま、ステージ脇の控えの列に並んでいる。順番が来るのを待っているのだ。
全国いい子さん選手権、その最初の種目は『自己紹介』であった。特別、複雑なルールはない。ただ順々にステージの上に立って、自分の名前や番号、この大会への意気込みを元気よくアピールするだけである。
「ふぅ……」
胸から手を下ろせば、スーツの上を覆うゼッケンが目に入った。番号は七十七番だ。
これでも、わたしは営業職の人間だ。愛想をたたえ、お客さまに対面で商品説明をして購買を促すのが仕事である。だから大勢の前での自己紹介など朝飯前であるべきなのだ。
なにも臆することはない。
だのに、心臓はバクバクとうるさかった。
列が一歩、また一歩と進むさなか、わたしの耳は壇上ではつらつとしたパフォーマンスを見せる参加者たちのほうへ向いてしまう。
「七十一番の
「七十四番、
人と比べるのは、よろしくない。
けれど、ほかの人の自信たっぷりな自己紹介を前におじけづいてしまう。しょげそうになる頬を、無理やり指で引っぱってみた。
──すると、ふいに、目の前に並ぶ一人の参加者の横顔が目に留まった。
その人は女性だった。おそらく歳もわたしとそう遠くないと見える。いまのいままでステージばかりに気を取られていたが、彼女もなにやらひどく浮かない表情をしていた。
わたしと一緒で緊張しているのだろうか?
ところが、わたしにはその顔色が緊張というよりも、困惑しているように見えた。眉根を固めて、彼女は居心地悪そうに目をきょろきょろ動かしている。
ふと、その目と視線がぶつかった。
「……ファイトですよ」
「…………」
わたしは笑顔を見せて、彼女を勇気づけてみた。けれど気まずそうな会釈だけ返され、司会者に番号を呼ばれた彼女は暗い顔のままとぼとぼ、ステージに上がっていった。
迎える拍手との温度差がひどい。着ぐるみのスタッフからマイクを渡されると、彼女は不安げにそれを見つめた。そして、のそっと腕を上げて……マイクを口元へ寄せる。
「……七十六番の、名前は
彼女は、大木ななさんと言うらしい。
たどたどしくも、大木さんは自己紹介を続ける。だが、途中で彼女の声は止まってしまい、妙な間に場もざわつきはじめた。
「あのぉ……ここ、どこなんでしょうか?」
突然、彼女が変なことを言いだした。
「気がついたら、こんな場所に来ていまして……よくわからないまま、大会に参加してしまったと言いますか……そのぉ……」
すがるような眼差しを、大木さんは会場の参加者へ向けた。結局、司会者に無理やり締められてしまい、彼女は退場した。今回ばかりは拍手もまばらであった。
大木さんがステージから去る途中、次に控えるわたしの脇を通った。うなだれる彼女の肩を、わたしは思いきってポンと叩く。はっと上げた顔に、にこっと笑いかけてみた。
「どんまいですよ。大事なとこであがっちゃうこと、わたしにもよくありますから」
「あっ、えっと……」
大木さんは、唇をはくはくと震わせる。なにか言いたげな様子だったが、「七十七番さん、どうぞ!」と呼ばれてしまったため、わたしはそのままステージへ進んでいった。
気の毒だが、彼女のおかげでわたしはすっかり自信を取り戻していた。むしろ、このアンニュイな空気を晴れさせるのは自分の役目とばかりに、変に意気込んでいた。
「七十七番、
どもることなく、わたしは大声で名乗った。
「二十四歳、健康食品会社で営業を担当しています! 入社して一年、まだまだ未熟者ですが、常に前向きな自分が大好きです!」
全国いい子さん選手権、頑張るぞぉ!
かけ声とともに腕を青空へ突きだせば、拍手喝采が鳴り響く。先の反動もあって、わたしの自己紹介は大盛況に終わったのだった。
* * *
その後も、種目はとんとんと進んでいく。
『心を評価する』などと聞かされた時には、いったいどんな難題が待ち受けているのかと身構えてしまったが、どの種目も簡単で、参加者全員が楽しめるような内容だった。
なぞなぞ形式で出題された物を探す『なぞなぞお宝探し』、グループを組んでかけっこする『おみこし担ぎレース』、ステージの上で大好きな歌を歌う『大カラオケ大会』などなど──ちょうど運動会か、お楽しみ会といった具合であった。
これらの種目を通じて、ひょんなことに、わたしは例の大木さんと仲良くなった。一緒に謎を解いたり、おなじグループで走ったり、カラオケの時には特別にデュエットさせてもらったりした。
ひと通りの種目を終え、大会はお弁当休憩へと入った。配布された仕出し弁当を手に、参加者たちはそれぞれくつろいだ。
わたしもさっそく、知り合った何人かに声をかけ、弁当をいただくことにした。そのなかにはもちろん、大木さんの姿もある。
「へぇ、食品配送のお仕事の上に、夜の工場のお仕事もはじめられたんですか?」
大木さんは、働き者ですねぇ。
と、卵焼きを頬ばった口を押さえながら、わたしは感嘆をもらす。向かいに座る大木さんは、気恥ずかしそうにはにかんでいた。
おかずを箸でつまみつまみ、お互いの近況の話で盛り上がっていた。
「同居している彼氏が鬱の診断をもらいまして……休職中の彼の代わりに、アタシがもっと稼ごうって決めたんです」
大木さんはさらりと言ったが、唐突な重い話にみな返答しかねた。お子さんのいる矢代さんは同情する素振りだけを見せ、作家の保坂さんは黙って相づちを打つ。中学生の冨野くんに至っては、干物に伸ばした箸を宙に浮かせて気まずそうに頬をかいていた。
わたしはすかさず「食品配送のお仕事って、主に高齢者のお宅をまわるんですか?」と話題の方向性を変えた。大木さんは「ええ、そうなんですよ」と、素直にうなずいた。
「わたしも仕事柄、高齢の方の家を訪問するんですよ。うちの会社で取り扱っている健康食品のご案内をするために」
「野中さんは営業さんでしたよね? 大変じゃありませんか、営業職って」
「たしかにノルマはきついですけれど……」
しゃべりながら、わたしはふと思いだしていた。つらい就職活動の末に届いた一通の採用通知と、父と母が無事に社会人になれたわたしをお祝いしてくれたことを。
「お客さんからの感謝の言葉にやりがいを感じるんです。なかでも一人、親切にしてくれるおばあさんがいましてね。その人、一人暮らしだから、最初は寂しさからわたしの相手をしてくれるんだと思ってたんですが──」
いつも家の門の前に立ち、わたしを出迎えてくれるおばあさん。『この商品のおかげで調子がよくなったわぁ』と、ほほ笑まれた時……ようやく一人前の大人として認められたような気がした。うれしくてうれしくて、その時の目頭の熱さはよく覚えている。
「──というわけで、わたし、この仕事やっていけるんだって自信に繋がったんです」
気がつけば、熱を入れて語っていた。大木さんの話だったのに……自分の遠慮のなさに、わたしはさっと表情を固くする。
けれど、大木さんは朗らかに笑っていた。
「いい人ですね、野中さんって」
「えっ?」
目を丸くするわたしをよそに、ほかの人たちも大木さんに同意してうなずいていた。そのなかで矢代さんが「野中さんなら、一番に選ばれますよ」とまで言ってくれた。
「いえいえ、わたしなんかそんな……」
気恥ずかしさから、うつむく。ごまかすように口に入れた香の物のしょっからさが、口いっぱいに広がった。
たった一人に進呈されるご褒美。気にならないわけじゃないけれど、願わくばこの大会の参加者全員に分け与えてほしいと思った。
みんな、いい人たちばかりだ。大木さんも、矢代さんたちも、誰が一等など決められない。そのくらい、みんなとしゃべっていると心が温かくなってくるのだから……。
* * *
「大木さん! あそこにガーベラの花が!」
指をさすも、大木さんはきょろきょろ見まわすばかりで気づく様子もない。代わりにわたしが花のそばへ近づいて、茎を手折った。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、野中さん」
うれしそうな彼女の顔を見て、わたしも満足げにほほ笑み返すのであった。
全国いい子さん選手権は、最後の種目を迎えた。その内容は『花束づくり』である。
『あなたの大切に想う人へ贈る、世界に一つだけの花束をつくってください。人を思いやる気持ちを心豊かに表現しましょう』
司会者の説明のあと、参加者たちはスタッフに誘導されて会場の外へ案内された。
多くの人が息をのんだことだろう。外は一面、美しい花畑が広がっていたのだから。
「昔、有名なお花の公園に行ったことがありますが、ここはそこの比じゃありませんね」
わたしがそう言うと、隣で大木さんが「まるで夢みたいな景色です」と、うなずく。
バラ、アネモネ、カスミ草、ユリ、ダリア、チューリップ、コスモス……とりあえず、目についた花の名をざっと挙げてみる。四季も種類も色彩もすべて雑多に、地を埋めつくすほどの花々が一面に咲きほこっていた。
花畑の面積も予測がつかない。鮮やかな彩りは地平線の彼方、白く霞んだ先にまで続いている。いくら摘んでも問題なさそうだし、花屋なら商売上がったりだろうとも思った。
そんな幻想的な花畑を前に、参加者たちは一斉に散っていった。子どものように夢中になって、身をかがめては花を摘んでいく。
最初こそ、矢代さんたちも一緒にいたのだが、いつの間にか散り散りになってしまった。いまは大木さんと二人きりである。
「ガーベラの花言葉は『希望』なんですよ」
「へぇ、大木さんは詳しいですね」
「いっとき、花言葉にめりこんでまして……アタシ、夢見がちというか……その……」
照れる彼女の手のなかで、花束がゆれる。片手に収まりそうな控えめな花束は、例の同棲している恋人に渡したいと言っていた。
わたしが手元を見ていることに気づいたらしく、大木さんはくすっと笑う。
「野中さんは、いっぱい摘みましたね」
「いやぁ、あはは……」
わたしは花の種類などにこだわらず、ただ無節操に摘んでいた。とにかく大きくてゴージャスな花束をつくろうと、その結果、花の量は片腕に抱えきれないほどに達していた。
「どなたに差し上げるつもりなんですか?」
「まぁ、無難に実家の父と母ですね」
就職してから、わたしは実家を離れて一人暮らしをしている。これまで世話をかけたぶん、ぜひ感謝の気持ちを伝えたいのだ。
「いいですね、そういうの」
「…………」
目尻を下げた大木さんの視線がこそばゆくて、わたしは顔を少し横にそらした。
すると、ふと、向こうの花畑が途切れていることに気がついた。河だ。そういえば、司会者がこんなことを言ってたのを思いだす。
『ああ、そうそう。河には近づかないでくださいね。あそこはとても危険ですから』
その件の河が、あれなのだろう。
「あの河の向こう、なにがあるんでしょう」
ぽつりと言ったのは大木さんだ。いつの間にか、彼女の顔もおなじ方向を向いていた。
ゆらり、大木さんの体が動く。その足先が河へ向けられていたものだから、私は慌てて彼女の腕をつかんで止めた。反動で、抱えていた花束から何本かが地に落ちる。
「ダメですよ。河は危ないって──」
「ねぇ、野中さん」
わたしの言葉をさえぎって、大木さんは「変なこと聞いてもいいですか?」と言う。その神妙な声色にわたしはきょとんとした。
「このおかしな大会のことですれけど──」
しかし大木さんが話しだす前に、どこからともなくスピーカーの音が流れる。それは、花摘みの終了を知らせる合図であった。河のことはあきらめ、わたしたちは会場へ足早に戻っていった。
そのあとは、また自己紹介の時と同様で、一人ずつ壇上に立ち、出来上がった花束を発表していった。誰に贈るのか、どんな想いを寄せたのか、参加者たちは嬉々として語る。
大木さんに続いて、わたしも花束を手に大切な人へのメッセージを言葉にした。むずがゆさもあったけれど、花に心を癒され、素直な気持ちで両親に感謝を伝えるのであった。
* * *
「それではみなさん、お待ちかね。第○○○○回、全国いい子さん選手権の優秀者を発表したいと思います!」
全種目が終了した。司会者の藍島さんと戸村井さんがマイクを片手に壇上に立ち、わたしたち参加者もステージの前に集まった。
「どの方も、たいへん素晴らしい心を見せてくださいましたね」
しんみり言う戸村井さんの言葉に、隣に立つ藍島さんが鼻をすする。
「……本当に、美しい心ばかりでしたね。いい子さん、という大会の名のとおりに、情熱的で、人を思いやる優しい方たちがこの場に多く集ってくれました。
なんのしがらみにも囚われることなく、あるがままの精神というのは……これほどまでに清きものなのでしょうか」
参加者たちはみな、肩を寄せ合っていた。
大会を通じて距離が縮まった証である。本来、大会というからには他者を出し抜こうとするものだが、大勢が健やかなひと時を過ごすことができた。これもひとえに、参加者たちの人柄によるものだろう。
戸村井さんが小さな紙を取りだした。紙を見つめながら「優秀者の名前は──」と長いためをつくる。わたしも大木さんも、その様子を固唾をのんで見守った。
「――七十七番の、野中さなえさんです!」
わたしは、その場で飛び跳ねた。
まさか選ばれるとは思わなかった。まわりから熱い拍手を受けて、我に返ったわたしは、自分ごとのように喜ぶ笑顔たちへ礼を言っては頭を下げた。
大木さんの顔もあった。彼女も手を叩き、「おめでとう」と祝してくれる。だが、どこかぎこちなさがあるのは気のせいだろうか。
スタッフに誘導され、わたしは壇上に上がった。二人の司会者の間に挟まり、それぞれから賛辞の言葉もいただいた。
「それでは、いい子さんの野中さんに、今大会のご褒美を進呈いたします!」
ファンファーレが鳴り響く。
司会者たちはそれぞれ片手を上げて、「どうぞ、後ろを振り向いてください」と身をひねった。言われたとおり、わたしは体の向きを変え──そして、目を細めた。
「野中さんへのご褒美、それは──天国への階段です!」
二人のきれいなハモリ声が耳に刺さる。
振り向けば、そこに光の帯が差し込んでいた。雲間からあふれる金色のリボンに似たそれは、いつの間にか白く輝く空の彼方へと続いている。
天国への階段。聞き慣れない単語にぽかんとしていると、戸村井さんが説明を入れた。
「こちらの階段は、じかに天国へと繋がっているんです。本来なら、死者が天に昇るには厳しい審査をいくつも通らねばなりません。
しかし特例中の特例、この大会にお集まりいただいたみなさんには、特別な救済措置が設けられているんですよ」
わたしは、さっと振り向いた。
参加者たちは依然、ニコニコと笑みをたたえている。そのなかには矢代さんも、保坂さんも、冨野くんの姿も目についた。
「ここに集まっている方々はですね……しかるべき寿命を終えたのではなく、自ら命を絶った人たちなんですよ」
藍島さんが「要するに自殺者ってことです」と、わかりやすい言葉で言った。
「自殺の反動か、みなさん気持ちがハイになられているようですが、そうでなくても根は真面目で正直な方たちばかりなんです」
「しかし、悲しいことに現世では彼らの人のよさは評価されません。逆に真面目で気の優しさが仇となり、非常に苦しい思いをしてしまったようですね」
「だからこそ、こうして死と生の狭間の区域で、定期的に大会を催しているんですよ」
それが、全国いい子さん選手権なのです。
と、司会者たちはにこやかに答えた。
「清き心を我々が改めて評価し、特別に一名さまだけ天国へお送りする。それがこの大会の趣旨なのです。ま、言わばボーナスステージってところですかね」
わたしはもう一度、光の帯に向き直る。
「…………」
夏の夕方に差しこむ、やわらかな西日によく似ていた。懐かしさを覚えたわたしは、一歩、足を前に出す。その足取りに、ふわりと浮くような軽やかさを感じた。
そのまま跳ねて、飛んでいってしまいそうな心地よさに満たされる。背中からの温かな視線に押されて、わたしは旅立とうとした。
と、その時であった。
「野中さん、ダメです!」
突然、後ろから手を強くつかまれた。
驚いて振り向けば、そこに大木さんがいた。祝福するような顔つきではない、彼女は大きく目を見開き、戸惑う私に強く訴えた。
「そっちに行ってはいけません! いま思いだしました。あなたはこんなところに、いてはいけない人なんです!」
言うやいなや、大木さんはわたしの手を引っぱって走りだした。
なかば引きずられるように、わたしも走りだす。司会者二人の顔は見えなかった。驚きと混乱の入りまじる会場のなかを、人と人との間を強引にすり抜けて脱した。
会場の外に出て、花畑を蹴散らしていく。
いったいどこにいくのかと思いきや、やがてわたしの耳に水流の音がかすった。
河だ。花束づくりの時に近づいてはいけないと言われた、あの大きな河である。なんと大木さんは、わたしの手を引っぱったまま、ジャブンと河のなかに突っこんでいった。
「わっ、冷たっ!」
刺すような痛みに、ぎょっとしたわたしは引き返そうと身をよじる。しかし、大木さんの手の力はすさまじい。彼女は強引にでも、この河を渡りきるつもりなのだ。
「もう少しですよ、野中さん! あともう少しで、ここから逃げ──」
「…………」
「……野中さん?」
河のまんなか、大木さんが振り返る。水位はすでに胸元まで迫っていた。親に買ってもらった大切なスーツ一式は、冷たい水を吸って、黒く重たくなっている。
「……くない」
「どうしたんですか、野中さん?」
「そっちにはもう、いきたく……ない……」
ガタガタと全身が震えているのは、河の冷たさのせいだけじゃない。とうとう、わたしはすべてを思いだしてしまったのだ。
「できないのっ……もぉ……無理なのっ!」
くしゃくしゃにゆがんだ顔から、熱い雫がこぼれ落ちる。どうしようもない情けさと惨めさに心を侵食され、わたしは叫んでいた。
なにごとにも一生懸命だった。
その姿勢に偽りはない。だが結果が伴わなければ、しょせん努力など水の泡……わたしはそれを、向こうで嫌というほど思い知らされてきたのだ。
「わ、わたし……ぜんぜん仕事できなくてぇ……ノルマが……達成できてなくて……!」
感情が崩壊し、子どもように泣きじゃくる。みっともなさをこらえたくとも、癇癪に似た嗚咽はもう止まらない。
「怒鳴って追い返されて……いらないって、売れなくて……! でも、やっと親切にしてくれるおばあさんに出会ってぇ……じ、自信がついたのに……わたしぃ……!」
その日、会社に一本のクレームが入った。
それは、わたしが懇意にしているおばあさんのご家族からであった。
業績はぱぁになり、またまわりに迷惑をかけてしまった。反省文を書き終えた頃には、時刻は深夜の二十二時をまわり……その日の仕事も、まったく手つかずのままであった。
あと数時間後には日が昇り、また明日がやってくる。終わらない毎日のサイクルを思うと……わたしの体はふらり、終電のホームの縁に寄っていた。
「……帰りましょう」
大木さんはまだ、わたしの手をつかんでいる。その感触に、どこか覚えがあった。
「野中さん、あんなに明るく自己紹介してたじゃないですか」
手……わたしを止める手。
「どの種目でも積極的にまわりに声をかけて、誰とでもすぐに打ち解けて……アタシは好きですよ、野中さんの優しいところ」
「…………」
「一緒に歌も歌いましたね? 大好きな歌の歌詞にいつも勇気をもらっているって、アタシとおんなじこと考えていて……」
空気を震わす轟音、迫る閃光のなかで、誰かがわたしのスーツの袖をつかんでいた。
「花も……」
「はな……?」
「ご両親に、渡し……たいんでしょ?」
大木さんは泣いていた。泣きながら、私の手をしかと握りしめていた。
「あんなに大きくて……たくさんの気持ちを! だからっ、ダメなんですよ。絶対にダメです……あなたは……あなたは──っ!」
大木さんがなにを言いかけたのかは、わからなかった。直後に、わたしたちは冷たい河の大きな波にのまれてしまったから。
水の力が体を押し倒す。沈む体、やがて輪郭が水に溶けてなくなっていく。ただ唯一、袖を引かれる感覚だけが残っていた。
* * *
油っぽい砂の臭いがする。
野外のコンクリートの上で寝るだなんて、人生はじめての体験だ。固い、痛い、もう二度目はないとわたしは心に強く誓った。
「担架、運んで、担架」
頭上で声が響く。駅のホーム、電車からぞろぞろ帰宅者たちが降りてくる。揃って、物珍しそうに首を突きだし、わたしの顔を覗いていった。ほんの数秒、目に留めただけで、関わることもなく彼らの背は去っていく。
深夜で真っ暗だというのに、白い蛍光灯は昼の光のようにまばゆい。目を細めていると、ぬっと影が落ちた。「大丈夫ですか?」と、駅員さんがわたしに尋ねる。
「……彼女は?」
わたしは声をしぼりだした。駅員さんの口がパクパク動くも、救急車のサイレンの音にかき消されてよく聞こえなかった。
けれど、その表情を見て……わたしの目尻から水がこぼれた。
安堵の涙であった。
【短編】全国いい子さん選手権 シロヅキ カスム @shiroduki_ksm
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