第3話
『チュパカブラ。20世紀末に目撃情報が多発したUMA(未確認生物)の一種。一メートルから一メートル半程の大きさで吸血性。主に南米でよく見られた』
これがざっくりとしたチュパカブラの解説だ。少し前の日本でUMAがブームになった際に、UMA大図鑑などでしょっちゅう取り上げられていたことが記憶にある。
「チュパカブラってチュパチャップスと語感が似てると思わないか?」
「ええ。可能性としてはどちらもチューチュー吸うものだし……『チュパ』がスペイン語で吸うを意味しているのかもね。南米って確かスペイン語話者が多いし、チュパチャップスはスペイン発祥だった記憶があるわ」
僕の適当な思いつきに対して、なんともそれらしい考察を与えてくれる彼女の名前は立花牡丹。塾が同じだったという共通点のある、僕には希少な女友達だ。
「じゃあカブラとかチャップスはなんだろうな」
「そこまではわからないわよ。その手にある光る石板で調べたら?」
そう言って立花はスマホを取りだして調べ始めた。お前が調べるのかとツッコミたくはなったが、それよりもチュパカブラの弱点がワサビだなんてどこにも書いてないことが気になって仕方無かった。
「チャップスはスペインのロリポップキャンデーのブランドらしいわね……」
辺りを見回してみる。しかし彼女の姿はどこにもなかった。出席点は無いにせよ必修な専門の授業だと言うのに。
「ねぇ、カブラはスペイン語でヤギなんだって。チュパカブラを日本語に訳すなら『血を吸うヤギ』になるのね」
「あーはいはい」
「ちょっと! 適当に流さないでよ!」
……………………
私用の携帯が鳴る。この電話番号は自分が信用した人にしか教えない、言わば裏の顔に繋がる電話である。一口教授はめんどくさそうに電話を取り、耳に当てた。
「あーこちら一口、ヒトクチと読んでイモアライと書くことでお馴染みの一口なぎさ教授様だ」
『昨夜助けて頂いた東海林、ショウジと読んでトウカイバヤシと書くことでお馴染みの東海林旭です。少々お時間を頂いてもよろしいですか?』
「人の口上をパクるんじゃないよ。これだから最近の若者は……。で、なんの用だ」
『ありがとうございます。昨夜のことについてお尋ねしたいのですが、よろしいですか?』
「知らない方がいいことは世の中にたくさんあるんだよ。大学生なんて適当に遊んで適当に恋愛して、理系は院進なんかして……そんで適当に父親なり独身貴族なりに成れ」
もう用事は済んだとばかりに電話を切ろうとするが、ふと妙なことに気がついた。
「待て、東海林くん。君はどうやってこの電話番号を知った」
昨夜、彼がかけてきたのは教授として公開している方の電話番号であり、彼の裏の顔、つまり『怪奇研究家』としての電話番号を知る術はないはずだ。
『ええ、彼女に飯を奢ったら喜んで教えてくれましたよ』
「藤原ァ……」
一口教授は頭が痛くなった。
『そういう訳で今、教授の研究室の前に居ます』
「……ッ」
さらに頭が痛くなった。一口教授はハッキリ言って無駄に行動力のあるやつが嫌いなのだ。彼が電話越しにニヤリと笑うのが伝わってきた。
『それでは、お邪魔します」
…………………………
「チュパカブラはワサビを忌避する、そんな設定はどこにも無い」
一口教授はコーヒーを一口飲み、そう言った。
「そもそも君が昨日見たのはチュパカブラでも無い」
教授はファイルから写真を1枚取りだした。そこには毛の無いコヨーテがしめ縄でぐるぐる巻きにされているのが写っていた。
「より正確に言えば、『吸血鬼』の概念をしたナニカが我々の共通通念に従って、私が作った縁によって呼び出されたものだ。その一部がなぜか君の方に向かってしまったという訳だ」
『吸血鬼』『ナニカ』『縁』。そして『設定』。
「まるで理解できない……」
「そりゃそうだろう。それを理解しようと試行錯誤するのが我々、怪奇研究家だからな」
教授は椅子をキイキィ言わせながら僕を見た。
「引き返すなら今のうちだ。これ以上は再び『縁』が生まれる。そうなったら最後、もう囚われるしかないからな」
しかし僕はその理解不能な事柄に、胸が踊った。そう、教授の言葉を借りるなら、僕はもうとうの昔にその『縁』に囚われている身なのだから。
「逆に聞いてもいいですか?」
「……なにかね?」
教授は僕の問題を解決する策があるのかも知れない。しかしまだ教授を信用はできない。しめ縄で縛られているコヨーテの胸には深い傷。僕の望む方向に解決するとは限らないのだから。
「『縁』を簡単に切ることが出来ると思いますか?」
教授は天を仰いだ。
「好奇心は猫をも殺す。だが自分は猫などではなく、虎だとでも言うつもりか」
初めから『縁』は出来ていたと、そんな運命さえ感じる。
「虎にでも獅子にでもなりますよ。話を続けてください」
僕は己の口角が上がっていくのを全力で阻止しようと努力はした。
……………………
「君にワサビを持てと言ったのは、アレらが我々の想像の範疇でしか活動できないからだ。怪奇とはそういうものだ。大人数による想像が外形を、個々の想像が内容を決める」
教授の説明を僕なりにまとめる。怪奇現象に遭遇した時、人は現象にそれらしい理屈を付ける。というように思われているが、実際はその逆であり、理屈が付けられるからその現象を認識できる、という方が正しい。
そもそも怪奇などというものは無限に存在する。しかし我々はその中から一部分だけを、理屈付られる一部分のみを知覚し、互いに干渉し合うのだ。
吸血衝動を持った怪奇が、『チュパカブラ』という外形を借りて認識可能になり、チュパカブラを知る人に干渉し合うことの出来る存在となった、らしい。怪奇研究家はその元となった怪奇自体になにかアプローチできないかを調べることを至上命題としている。つまり知れば知るほど知らなくなるという、なんとも矛盾した学問だ。
「君の友人が見えない、と言ったのはチュパカブラを知らないからであり、もしその場にチュパカブラを知る者が居れば、チュパカブラはその人にも見えているはずだ。君はチュパカブラを知ってはいたが、それがどんなに形かは正確に覚えていない。だから黒い影のような不定形を取っていた」
そろそろゲシュカブラ崩壊を起こしてきた。
「チュパカブラの弱点は共通概念外のモノ、つまり個々人が想像で補わなければならない部分だ。君は扉が破られそうになったと言うが、それはチュパカブラが侵入するなら扉を破って入ってくるのだろう、と想像してしまったからだ」
教授は続ける。
「共通認識外のモノは比較的自由に決まってしまう。君にはワサビが弱点だと思わせておいたから、『君の』チュパカブラはワサビを忌避した」
教授はさらに続ける。
「その場でチュパカブラを認識している人が他にも居た場合、共通認識外の決定権が衝突することになる。その時はより強く思い込んだ方の設定が適応されるか、そもそもどちらの設定も適応されなくなるかの二択だ」
昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。教授はひとつあくびをして僕に早く出ていくように促した。
「一度思い込んだものは別の怪奇で上書きしない限り変わることは無い。それだけ覚えて今日は帰れ」
小康症候群 独り身 @hitorimi1818
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