あとからきたのはソッチでしょ!?

渡貫とゐち

新築にいる幽霊


 引っ越し作業も終わり、新居に完全に移ってから三日が経った。

 駅近で、会社へも通勤三十分以内だ。

 前の家が遠過ぎたからだと思うが、新居での生活はこれまでのストレスを全て霧散させてくれた。……あぁ、やっぱり満員電車とは悪だなあ。


「個人的には、夕食をちょっと凝って作れるところが良いな。普段は通勤で疲れてレンジでチンで済ませちゃうからなあ……。休日も疲れて一日ベッドにばたんきゅう。趣味の料理も、趣味なのに一ヵ月ぶりくらいか?」


 積んだままだったレシピ本を眺めながら、今日はこれを、明日はこれを作ろうと楽しむことができる。毎日が充実していた。

 日々の生活が楽しくなると、やはり心と結果は繋がっているようで、仕事の調子も良くなるのだ。残業していないのに、達成した仕事の量が多い。そう、効率がまったく違うのだ。


 昨日も今日も、上司から褒められた。

 ……最近は良いことばかりが起こる。


「うしっ、こんなもんか?」


 男の手料理なので見映えは良くないが、味は確かだ。多少濃くても気にしないので、味の調整はほとんどしていない。薄いよりは濃い方が好きだからな。

 結局は、酢豚の野菜炒めなのだけど、レシピ本を見て作ったのでオシャレだろう。オシャレを知る人からすればこんなのまだまだ、かもしれないが、俺が思っていればオシャレなのだ。

 オシャレなんて、見た側次第だし。

 作っている途中から既にお腹がぐうぐうと鳴いていたので、やや足早になる。

 つまみ食いをがまんしながら(してもいいだろうけど)キッチンから居間へ向かうと――ブツン、と、電気が消えた。真っ暗だ。


「うぉ!? え、ブレーカーが落ちた?」


 電力を一気に使った覚えはないけれど……とにかく、見えないので手で探って、見つけたテーブルに料理を置く。ブレーカーを上げに向かおう。


 ひとまずは落ち着け。

 異常事態に焦りがちだが、暗くなっただけなのだ。揺れているわけではない。

 まだ引っ越したばかりで、細かいところまでは覚えていなかった。非常時に必須な懐中電灯すら、どこに置いたのか把握できていなかった。持っていたかどうかも怪しいな……。


 なければスマホでいいのか。

 スマホのライトを点けて、ブレーカーがある(だろう)場所を照らすと――――



 首吊り少女がいた。


 青白い肌と、焦点の合っていない目が、遅れて俺を認識した。



「――はっ!?!?」


 スマホが床に落ちる。折りたたみスマホなので、耐久性が心配……とか思う余裕もなく腰が抜けてしまった。

 闇の中で白く光るスマホに手を伸ばし、おそるおそる、もう一度、同じ場所を照らす。


 薄目で再確認すると、今度、そこには、誰もいなかった。

 そのため首を吊られた少女もおらず。

 ……見間違いだったのだろうなあ。


「あはは、……そんなわけないよな。だって、事故物件だなんて聞いてないし……」


 聞かないと教えてくれない、のだったか?

 部屋を紹介された時、確かに「ここは事故物件ですか?」とは聞いていないし、聞かれていなければわざと悪い情報を言うことも、不動産の人もしないだろうし……。

 というか新築だろう? 事故が起きる暇もなく俺が住んでいるはずなんだが……。


 地縛霊ではなく浮遊霊が迷い込んで居着いてしまったとか? ……おいおい、ふざけんな。幽霊にも事情はあるだろうが、なぜ俺のところに。

 せっかく色々と上手くいきかけている理想の家なのに、事故物件でなくとも幽霊がいるとなれば、俺はこの家に住めない……住みたくない。


 たとえ除霊をしたとしても、幽霊が居着いた、という汚れは、他の幽霊を呼び込んでしまうのではないかと思ってしまう。

 幽霊が幽霊を呼ぶように。

 それはまるでフェロモンのように。

 除霊をしても、見えない痕跡が別の幽霊を呼び込んでしまうなら、事故物件でなく、除霊済みだったとしても、以降は安眠ができなくなる。


 毎日が、「また幽霊が居着くんじゃないか……」という不安に心が押し潰されそうになるなら、素直に別のところへ引っ越してしまった方がいい。

 ……理想の家だったのだが。だからできれば手離したくはない。


 幸いにも、持ち家ではないので、そこは助かったが……。

 賃貸だからいつでも引っ越せる、とは言え、また引っ越すのは、正直、しばらくは遠慮したいところだ。物が多いわけではないが(なので移動自体は楽だった)、各所の手続きで奔走されるのはもう嫌だからな……。

 住所変更の手続きも面倒だったし。


「……幽霊がいなければ問題はないんだから、あれは俺の見間違いだった、とすれば……うん、大丈夫だ。新築物件、事故が起きたわけじゃない。俺が勝手に見た幻だよ」


 そう言い聞かせて、あらためてブレーカーを上げようとスマホのライトを向ければ、



 いる。


 首吊り少女が、そこに。



「ふッッざけんなよ、出てけよ俺の新築だぞォ!!」



 俺の、ではない。

 借りているだけだから――――

 そんなことも忘れて俺は叫んでいた。

 八つ当たりだった。


 恐怖よりも怒りが勝ったのは、良かったのかな……。首吊り少女は急に怒鳴られてびっくりしただろうし、悪いことをしたかもな――と反省すると同時に返事があった。


 首吊りの縄が解かれ、足が――足があるな……幽霊なのに。

 足がない幽霊のイメージは古いか?


 すた、と床に着地した少女の幽霊が、ひたひたと裸足の足音を響かせて近づいてくる。

 ……俺は、動けなかった。

 これが金縛りか? 起きてるのに……。


 俺にとっては懐かしいが遠くもない十代半ばの年齢に見える少女だった。

 夏に着るようなひまわり色のワンピースを着ていることが今、分かった。

 怒りで恐怖が消えているから冷静に場を見れるようになったのだろう。ただ、冷静になったことで、彼女がこのまま近づき、俺に触れたら、それだけで俺があの世へ連れ去られてしまうのではないか? と嫌な想像をしてしまう。


 ブレーカーが落ち、暗闇の中。

 ここが現実なのか、はたまた幽霊の世界なのか判別できない。

 スマホの電波が生きているので、霊界、というわけではなさそうだけど……。


「……でしょ」


 囁き声だった。

 前半部分はまったく聞こえず、風が抜けただけかもしれなかったが……。

 少女が俺の胸倉を掴んで、詰め寄ってくる。

 やっぱり、俺に言いたいことがあったのだ。


 さっきの八つ当たりを、理不尽だと言いたかったのかもしれない。そりゃ文句があるだろう。

 ……金縛りの中、動けないことをいいことに、少女の幽霊が俺を引っ張った。


 動けないからと言って筋肉が固まっているわけではなく、背の低い少女の目線に合わせるように、俺の体は自然と中腰になる。……体勢はかなりしんどいけど。


「あのねえっ、あとからきたのはソッチでしょうが!!」


 と、いうのが、幽霊少女の訴えだった。


「え?」


「だからッ、元からあたしはここにいたの! 新築!? 知らないわよ、勝手に建てて勝手に住んで、あたしが顔を出したらわーわー騒いでくれちゃって!! こっちからすれば我が家の中に別の家を建てられたもんなのよ! 出ていくのはあんたでしょうが!!」


 …………元から?


 事故物件じゃなくて、じゃあ……土地が、元々、事故死(事故かは分からないけど)した幽霊を住まわせていたと。

 当然、そこに建物を建てれば、幽霊は新築だろうと中に収まってしまう。物件に幽霊が居着いたのではなく、幽霊がいた場所に物件が建ったというわけで――確かに事故物件ではなかった。


 なかったが……では、これをなんと言う?


「これ……誰の落ち度だ?」


「少なくともあたしじゃないから。あたしが出ていくことはないし。嫌ならあんたが出ていきなさいよ。この家もっ、あたしがいて嫌なら取り壊しなさい。あたしをお祓いするつもりなら容赦なく呪ってやるからね!!」


 金縛りが解け、中腰だったためにバランスを崩し、四つん這いになる。

 目の前にある青白い少女の足は、若干、透けている……けど、触れることができたのだ。


「きゃっ!? なに!?」

「……これ、触れるんだなあってさ」

「このッ、セクハラ野郎!!」


 再び、金縛りで俺の動きが止まる。動けなくなったところで冷たい足が俺の顎を蹴り抜いた――激痛、というほどではないが、ちゃんと痛いんだからな!?


 動けなくしてからの一撃だった。

 幽霊なのに、やり方が卑怯じゃないか……?


「あたしはっ、出ていかない!!」


 と、少女はまったく、譲る気はないようだった。

 ううむ。

 ……まあ、後からきたならまだしも、元々いたというのならば、まあ……。


 後から建てた管理者も、この部屋へ引っ越してきた俺も、悪いだろう。彼女の気持ちを考えずに場所を陣取ってしまったのだから、譲歩するのは彼女ではなく俺の方だった。

 イメージとは違って親しみやすい幽霊だったから……部屋にいるくらいは、大目に見るか。


「呪わないなら、いていいよ。追い出す気はないし、俺も出ていく気はないから」

「…………そう?」


 頷くと、幽霊は指をぱちんと鳴らして、ブレーカーを上げた。

 部屋の明かりが復活した。

 ……落ちたわけではなく、彼女の力なのかもしれない。


「……いて、いいの?」

「いいよ。先住してたのはそっちじゃないか」

「そうだけど……こうも平然と受け入れられると、逆に不安になるわ……」


 でもさ、猛反対してもどうせ……。

 落ち度はこっちにあるし、だから勝てないのだ。


 だったらこっちは、彼女に寄り添って、共存を示すのが最も良い結果になるだろう。

 幽霊が付いていると言っても、打ち解けてしまえば問題はない。ひとり暮らしなのにふたり暮らしみたいな感覚にはなるが、生きている人間としているよりはマシだ。


 あれよりはマシ、これよりはマシ、と言い続けているが、人生そんなものだ。


 マシを積み重ねて生きている。

 彼女の場合は、マシを積まずに死んでしまったのかもしれないけど。


「いていいのね?」

「しつこいな……いいって。ずっといていいよ」

「うん……。じゃあ、首を吊っても……いいの?」

「好きにしたらいいじゃん。死んだ人間にまで『するな』とは言わないよ」

「良かった……だって、これ、あたしの安眠の体勢だからね」


 幽霊ジョークでもなさそうだった。

 本当にそういう体勢で安眠できるのかもしれない。

 ……首吊りと言ったが、ハンモック感覚なのかも。


 不意に、急に見えたら心臓に悪いが、止まるよりはマシなのかもしれないな。



 ――こうして俺は、マシを重ねて、首吊り少女と同居する。

 不動産に連絡は……したらしたで面倒なことになりそうだ。


 退去する時に報告すればいい。

 首吊り少女らしく。

 この問題は、宙ぶらりんにしておこう。



 …了

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