第34話 贄月と桜の契り

◆◇◆

 

 木枯らしが吹いて、時守神社の境内に枯葉が舞った。神社を照らす陽の光はカラっと乾いていて、どこかで遊ぶ子供たちの声が珍しく鳥居の内側まで届いていた。


 美乃梨はいつもの巫女装束に身を包み、境内に散らかってしまった木の葉を掃き集める。広い境内ゆえに初めは時間のかかってしまっていた作業も、今ではすっかり慣れた。以前なら日も昇り切らない早朝に初めて昼前にようやく終わるという有様だったのが、日の昇る頃には終わるようになったのだから、相当な進歩だ。


 その左手の薬指には桜の木と白色金のような金属で作られた指輪が嵌められている。桜と月を模った装飾のそれは、友香からも盛大に祝福された。また近いうちに桜真を紹介するように言われているが、早く紹介したい一方、どう説明したら良いか悩んでもいた。


「美乃梨、今日は大学ではなかったのか」


 居住区の入り口の方から聞こえた声に、美乃梨は笑顔で振り返る。


「あ、桜真。おかえり。午前中の講義が休講になったから」


 美乃梨が桜真へ駆け寄ると、彼は両腕を広げて自らの妻を迎える。飛び込むと、彼女の鼻腔を桜の香りがくすぐった。美乃梨の一番好きな香りだ。

 

 最愛の腕の中で見上げた美乃梨の頭に、桜真の大きな左手が乗せられた。美乃梨は頬を染めて口角を上げる。彼女が頭に感じた固い感触は、美乃梨が付けているのと同じデザインの指輪のものだ。


「せっかくだ朝食を食べに行こう」

「うん、ちょっと待って」


 美乃梨は桜真の腕の中から境内へ振り返ると、神術を使って木の葉を集め、一気に燃やしてしまう。普段であれば、人に見られてしまわないようにとらない手段だ。

 周囲を焦がすことなく燃え尽きた木の葉を見て、彼女は満足げに頷いた。


「お待たせ」

「本当に、神術の扱いが上手くなったな」

「でしょ? まあ、この巫女服のおかげでもあるんだけど」


 堕霊との一見でも美乃梨を助けた巫女服は、彼女を正式に時神の巫女とした証だった。位で言えば、下位の神使と同じになる。つまりは、人ならざるモノ達の中のいわゆる貴族階級で、桜真と釣り合う格を与えられたということだった。


 二人は本殿の祭壇の仕掛けを動かして、時守町に向かう。この町で仲睦まじく歩く二人を知らないものはおらず、道行く人々は桜真と、そして美乃梨に次々声をかけていた。


「あっ、みりみり! 桜真様!」


 元気の良い声が通りの奥から聞こえた。小人のように小さな彼女を人ごみから見つけるのは難しい。美乃梨は無理に探そうとはせず、人の流れに身を任せてあちらから近づいてくれるのを待った。


「みりみりー、おはよ!」


 赤い髪に若草色の瞳の少女が宙から二人へ手を振る。可愛らしい笑みを満面に浮かべた明葉あかはに、美乃梨は友香ゆかと同じような匂いを感じる。美乃梨は、自分が明葉と真っ先に仲良くなったのは、彼女が友香に似ていたからだろうと考えていた。


「おはよう、明葉。どうしたの?」


 明葉の店はもっと先の方にある。こんな場所で出会うのには、理由がある筈だった。


「みりみりに用があってね。この前言ってたやつ、いつなら受け取れるかなって!」

「あ、上手くいったんだ。じゃあ、今日の夜はどう?」

「おっけー! 決まり! それじゃあまた後で!」


 いつにも増してせわしない明葉に、美乃梨は苦笑いを零す。本当に、友香とそっくりだった。

 

 今でこそもう少し落ち着いている友香だが、何度彼女に振り回されたか、美乃梨はもう思いだせない。しかしだからこそ美乃梨は助けられた部分もあり、その忙しなさも好意的に受け止めていた。


(もし、友香に明葉が見えたなら紹介したんだけどな)


 今度、普通の人間でも精霊が見えるようにする方法はないか桜真に聞いてみようと、こっそり考える。美乃梨は今なら友香を危険にさらすことも早々ないだろうと思っていた。


「それで、何の話だったのだ?」

「んー、今は秘密。あとで教えてあげるよ」

「そうか、ならば、楽しみにしていよう」


 美乃梨は楽し気に笑って、再び歩き出す。彼女は桜真に、いつかのお返しをしようと考えていた。


 二人は町の中央まで足を進め、それから西を目指す。向かっているのは、『たれかれ亭』だ。

 時間帯故にか、酒精に顔を赤らめる妖の姿が多い。彼らはこれから寝床へ帰り、日の暮れるのを待つのだろう。その中には気の大きくなってしまっている者も少なからずいて、美乃梨は無意識に桜真へ寄る。桜真も、彼女を護るように背中側から腕を回した。


(あっ、あの妖たち……)


 美乃梨が見つけたのは、前の時間で美乃梨を追った二体の妖だ。ほどほどに気持ちよくなっているらしい彼らは、仲睦まじく歩く桜真と美乃梨を見つけると微笑まし気に礼をした。


 二体は当然、前の時間のことは知らない。人ならざるモノ達の価値観と自分の人間としての価値観は違うのだと言い聞かせて、美乃梨は食べられそうになったことを水に流した。


 『誰そ彼亭』に着くと、ちょうど酔っぱらった妖の団体が出ていくところだった。この時間は一日を終えようとしている夜の住人と、これから一日を始める昼の住人が混ざる。普段交わらない者たちが交わるこの時間が、美乃梨は嫌いではなかった。


「こんにちは、蓮さん」

「あらあらお二人さん。この時間にいらっしゃるだなんて珍しい」


 確かに普段は夕飯時ばかりだ。美乃梨は前回朝に来た時のことを思いだそうとして、諦める。すぐに思いだすには、些か日が経ちすぎていた。


「そうだ、美乃梨ちゃん、野菜の件考えてくれた?」

「はい。やっぱりたくさんは卸せないです」


 蓮から頼まれていたのは、美乃梨の作った野菜を店で使わせてくれないかということだった。しかし店で使うような量となると、美乃梨一人では難しい。

 

「あら、じゃあ月一回くらいのスペシャルデーっていうのはどう?」

「それくらいなら大丈夫ですね」

「あら、助かるわー」


 上機嫌の蓮に見送られて、美乃梨たちはいつもの席に座る。半個室のそこでは桜真も人の顔を見せた。と言っても彼が仮面をとったのは料理が来てからで、この時間の蓮はまだ桜真の美貌を見たことが無い。以前に美乃梨がうっかり口を滑らせて以来、蓮は桜真の人の姿の顔を拝む機会を狙っているようだったが、未だに彼を出し抜けずにいた。


「知らぬ間に随分と馴染んだようだな」

「うん。ここでなら正直でいられるから」


 自然と目を細めた美乃梨へ、桜真も主人にそっくりな人外の美貌で微笑みを返す。見慣れている美乃梨でなければ、蕩けて思考を奪われかねないような麗しい微笑だった。


 朝食を終えた後は、少し散歩をすることになった。神使たちの家がある北側を通って、東側に回る。その途中の小高い丘へ上ったのは、時桜のもとへ行く為だ。


「相変らず綺麗だね」

「ああ。……美乃梨を導いたのは、この時桜であったな」

「うん。もしあの時、桜真のことを思いださなかったら、私はずっと孤独だった。こんなに幸せになれなかった」


 二人はいつかの長椅子に座り、身を寄せ合う。外の世界の影響を受けにくい異界とはいえ、冬らしい肌寒さもある。巫女装束では防ぎきれないそれを、美乃梨は桜真へ寄って誤魔化した。彼の体温は相変わらず低かったが、自分の内から溢れてくる温もりで十分だった。


 美乃梨が見上げると、季節外れの満開の桜が視界いっぱいに映る。彼女の最愛の人の瞳と同じ赤みの濃い桃色の花びらは、言い伝えにある血吸い桜のように美しい。その花びらは時折ひらひらと舞い落ちて、大樹の根元に桜色のカーペットを敷いていた。


「ねえ」

「どうした」

「前にどうして私を助けてくれたのかって聞いたよね」


 前の時間で誕生日を祝ってもらった時の話だ。


「その続き、今なら話してくれる?」

「ああ。今の美乃梨の記憶にあるより前、私の記憶で初めて出会った時の話になる」


 美乃梨の知らない時間はたくさんある。それらの中の幸せも、彼女はいずれ共有して欲しいと考えていた。

 しかしそれはいつでも良い。少しずつ聞いていければ良い。


 二人を再び結んでくれた時桜の下にある今は、美乃梨は、自分たちが初めて縁を結んだ時の話を知りたかった。


「あの日は、偶々南側の時守神社に出ていた。不吉な気配と、それとは別の不思議な気配を感じて鳥居の側まで出ると、君が逃げ込んできたのだ」


 その時は、堕霊とは別の妖に追われていたらしい。右手の甲に目の痣もなく、ただ神の血の混ざった稀血というだけの少女として、一番最初の美乃梨は桜真に出会った。


「この時は、珍しい者もいるものだ程度にしか思っていなかった。その後、何度も偶然に会う内に、私は惹かれていったのだ」

「農耕関係の神様の血だったから?」


 少し意地悪したくなっての質問だった。記憶がないだけで、自分との出会いを聞いている筈なのに、なんだか知らない別の女の話をされているような気分になったのだ。


「正直に言えば、切っ掛けとしてはそれもあったやもしれない。ただ、それだけで時を遡ろう等とは思わぬよ」

「ふぅん……」


 美乃梨は自分がニヤついているのが分かった。桜真はつまり、美乃梨自身のことをちゃんと好きになったから、過去に意識を飛ばす決断をしたのだ。

 その後美乃梨は、何らかの理由で命を落としてしまった。原因が堕霊なのか、全く別の妖か何か、はたまた人ならざるモノの全く関係ない事故であったのか、それは分からない。


 ただ、そこまで聞く必要性を美乃梨は感じていなかった。彼女も、桜真に辛い記憶を掘り起こさせるのは忍びない。


「そろそろ、帰って大学に行かないと」


 だから先は促さず、話を変える。そろそろ帰らないといけないのも事実であったから、都合が良かった。


 午後の講義の後、美乃梨たちが夕食を食べ終え、時守神社の居住区に戻って少し経った頃、神社本殿の方に精霊の気配が現れた。明葉がやって来たのを察した美乃梨は、少し小走り気味に彼女を迎えに行く。

 月明りに照らされる中、美乃梨は不思議なほどに楽しそうだった。


「さて、何を持ってくるのやら」


 桜真は美乃梨の背中に呟く。振り返った彼女は、いつかの明葉のように悪戯っぽく笑った。


 明葉はくだんのものを渡してすぐ店へ引き返したらしく、桜真の方へ戻ってきたのは美乃梨一人だった。彼女は後ろ手に何かを持っており、相変らず楽しそうに笑みを作っている。

 彼女の持っているものの予想がつかないのか、桜真は首を傾げた。


「やっぱり家ってさ、落ち着けた方がいいよね?」

「まあ、そうだな」


 相変らず首を傾げたままの桜真へ向けて、美乃梨は隠していたモノを差し出す。それは明葉の店で買える鉢植えに入っていて、桜真にとって馴染みの深い気配を放っていた。


「それは、まさか……」

「うん! 時桜の苗木! 一本だけ成功したんだって!」


 悪戯に成功した子供のような表情で美乃梨は告げる。


「まあ、サプライズってやつ? だけど、嬉しくなかった?」


 いつかの桜真を真似たような言い方に、桜真は軽く噴き出した。

 その時の記憶はもう、お互いの中にしか残っていない。二人だけの記憶だ。今と同じようで違う、大切な記憶だ。


「ふふ、いつかのお返し」

「なるほど、これは、存外嬉しいものだな」


 優しく笑みを浮かべる桜真の顔は狼の木面だが、美乃梨にはその表情の意味が手に取るように分かった。


 月に照らされ、居住区域の庭は十分に明るい。

 美乃梨は彼女にとっての一年前、桜真から初めて神術を習った場所まで行って、時桜の苗木を植える。未だ美乃梨の膝よりの高さよりも小さな苗木だが、稀血と神力の影響ですくすく育つだろう。もしかしたら、次の春には綺麗に花を咲かせているかもしれない。


「ねえ桜真。これから先、たくさん一緒に桜を見て、たくさん一緒に美味しい料理を食べて、たくさん他愛もない話をしながら一緒に町を歩いて、たくさん一緒に、笑いあおうね」


 時桜の苗木を背に、美乃梨は桜真へ空の月のような笑みを向ける。


「あなたを助けるために私の時は止まったんだから、一生離さないよ?」

「老いぬ身体は喜ぶべきところであろうに。だが、まあ、望むところだ」


 美乃梨を桜の香りが包んだ。桜真は彼女よりもずっと大きくて、しかし体温のあまり感じられない身体で自身の月を強く抱きしめる。


「私へのにえよ、約束しよう。何百年、何千年、何万年と続く時を、この桜真、美乃梨の隣で、共に過ごすことを」


 強い風が吹いて、どこからか桜の花びらを運ぶ。二人を祝福するように舞ったそれは天に向かって、そして月と重なった。


 二人の契りを妨げるものは、もう無い。


 ―完―

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贄月と桜の契り~稀血の彼女は神使の旦那に溺愛される~ 嘉神かろ @kakamikaro

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