第4話

母の左手を握っていた。

計器がずっとピッピッと鳴っていて、ほぼ意識はない。

口から弱々しく聞こえる呼吸。

個室になったのは最期のときへの準備だったのだろう。

看護師さんたちはわかっているんだろうな。

看護師の中にひとり高校のときの部活の後輩がいた。

卒業して少し経つので当時のような親しみはなかったが、彼女も母のことを世話してくれたひとりだ。ありがたい。


手の力が抜けるたびに母に声をかけた。

すると、手を握り返すから、それを繰り返していたが、確実に弱まっていった。

呼吸も今にも止まりそうで。

「もうすぐみんなが来るから…!」

なんとか保ってほしくてそういう声もかけた。

それでももう旅立つ間際で。

魂が抜けていく様が、目には見えないけど明らかにわかった気がした。

最後の一息を吐いて、母の呼吸は止まった。

手の力が何をしても変わらなかった。

いや、息を吐いたあともたしかに握り返したような感触があった気はする。

ピッピッという音がピーーーーーーー…という途切れない音に変わる。

耳障りな音だ。早く止めるか、一定の、さっきまでの音がかえってきてほしいくらいに。


母は文字通り、息を引き取った。

傍らに私だけを残して。父も兄も私のせいで間に合うものも間に合わなかった。

医師の死亡確認があり、母のエンゼルケアが看護師さんの手で施され始めて私は廊下に出た。

少しして父が到着した。

ことの次第を伝えると今まで私が生きてきてみたこともないような真っ青な顔をして立ちすくんだ。思わず歩み寄り、親にこんなことなかなかしないが、肩に手をおいて、かける言葉を探した。

何も出てこないかわりに肩を二回たたくことしかできなかった。

ごめん、と謝れば私がもっと早く連絡していれば、という後ろめたさもあり、怖くて口にはできなかった。

父の後ろに父と同じ職場から駆けつけた兄がいて、なんとも形容しがたい表情を浮かべていたが、正直あまり覚えていない。

2番目の兄と兄嫁もこの後駆けつけてくれたと思う。けど、記憶が定かではない。


父の涙はこの日初めて見た。

見ないようにしてたけど、兄たちも泣いていた。



そこからはもう悲しむ間もなく、葬儀の準備が始まった。

見送りの言葉として葬儀屋が改めて聞きとってくれた、母の好きなものや母のこと。

故人を思い出すことが供養になるとはよく言ったもので、慌ただしく事務的なことをこなす中で母のことを考えるときは涙が止まらなかった。

誰かに母の話をこんなにできて聞いてくれることが嬉しいことだと初めて思った。



母の遺体は三日、自宅にいた。

早寝早起きの父は二階の自室で寝たが、一階の和室をふたつ繋げた部屋は真ん中の襖を開け放ち、母が眠る部屋の隣の部屋で兄弟三人がコタツに入りながら夜通し母の思い出話をしながらお酒を飲んだりしていた。

不思議なもので仏様になろうとする人がいても全然怖くなかった。

時折、水を含んだガーゼを母の唇にあてる。

自宅には親戚や近所、友人知人が弔問に訪れた。




晦日が迫る年末、晴天の日に母は旅立った。

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Angel 10 @sinkuro33

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