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 十九時過ぎ、たぶんまだブッカーの弾き語りをしてるころ。偶然にも二人とも浦和方面まで歩いて帰ることが発覚して、わたしたちはトボトボとさいたま新都心の中を抜けるように帰った。そしてその道中にある人気の無いサイゼリヤに腰を下ろして、ドリンクバーと安いディナーをとることにした。ドリアとパスタとチキンとサラダと、それぞれ。

「水無月さんって大学生?」

 ふたりでドリンクバーのカップを探しに行った。ふたりともカプチーノを淹れようとして譲り合いながら。

「大学二年。だから、ちょうど二十歳になったところ。あなたは?」

「高三。もう今月には十八歳だけど。六月生まれなの。六月の三十日」

 気がついたら砕けていた言葉。たぶんお互いにお互いの領域が分かり始めていた。似たもの同士だってことに気づき始めていたんだと思う。

 カプチーノを持って帰るときも二人一緒で、テーブルにはもう二人分の辛味チキンと小エビのサラダが届いていた。

「レディオヘッドが好きなんでしょ? どうして?」

 年上の方がそれっぽく会話をリードしなきゃと思って、わたしはディス・コミュニケーションを避けるように言った。小エビのサラダをフォークでつつきながら、カプチーノを口に運ぶ。まだちょっと熱い。

「ヘン? あたしみたいな陽キャっぽい身なりの女が聞いてたら?」

「別にそういうつもりで言ったワケじゃ」

「大丈夫。そういう偏見、あたしだってそう思うから。もっと陰キャで根暗そうなヤツが聞く音楽だって、そう思うよ。でもね、あたしだって別に根っからの陽キャってワケじゃない。ただ周りについて行けるよう、そういうフリをしてるだけ。周りの空気を読んで自分を曲げてるだけなの。でも、根っこはたぶん水無月さんと一緒。”クソッタレな自分を肯定してくれるような暗い音楽”が好き」

 彼女は海外ドラマの女優がそうするように、エアクォートを交えながら言った。その脇からパスタとドリアがやってきて、わたしはそのうちからカルボナーラを受け取った。

「というか、あたしが思うにこの世のすべての表現で”良い”と思えるものは、なにかそういうセンチメンタリズムの濃縮体だと思ってる。だから今日のバンドもそういうとこで波長があったから好き。水無月さんはどうだった?」

「さっきも言ったけど、最初の鍵盤の男の子がカッコよかったよね。身なりの良いお坊ちゃんみたいな彼が、急にエグいフィードバックノイズを効かせて。あの瞬間、さっきまでの観客たちが全て置いてけぼりにされていくような感覚が良かった。彼らは好きなことを好き勝手にやってるんだなって思って」

「だよね。あたしもそういうのが好きで――」

 ドリアを口に運ぶ。熱かったのか、彼女がすぐに口に水を流し込んだ。

「あたし猫舌で。えっと、それでね。どこまで話したっけ」

「さっきのバンドの話」

「そう。えっと、あたし元々音楽が好きになったのはさ、叔父さんがバンドやってたんだよね。昔はインディーズで良いとこまで言ったんだけどさ」

「なんてバンド?」

「言ってもわからないと思う。ティーンズ・マシンって言うんだけど」

 知らなかった。申し訳ないけど、本当に。

 わたしがぽかんとしていると、サリーは当たり前とでも言わんばかりに話を進めた。

「その叔父さんがさ、昔のUKロックとかインディーロックが好きだったの。ていうか、初恋だったんだよね」

「叔父さんのこと?」

「まあ、たぶんそういうこと」

 言うと、サリーは食べていたドリアの手を止めて、かわりにジャージのポケットからスマホを取り出した。それから爪の長い手で器用にYouTubeを開くと、ある動画をわたしに見せてきた。

 それは、画質の悪い素人のホームビデオ。どこかも分からない体育館のだだっ広いステージで、たぶん文化祭か何かのステージなんだろう。そのうえに詰め襟姿の少年が一人立っていた。彼はアコギを一本携えると、それを右の手で力強くはじいた。がむしゃら、だけど感情のこもったコードストローク。六本の鉄弦が弾かれて、パーカッシヴに鳴り響く。体育館の床がその音を反響させ、やがてカメラの元にまで辿り着く。しかしその音は文化祭で色づく高校生達の耳には届いていないようだった。だって、誰もその曲が何の曲かわかっていないようだったから。

 でも、わたしにはその曲が何かわかった。

《Please forget the words that I just Blurted out》

 RadioheadのI Can'tだった。CreepでもKarma Policeでも、High & Dryでもなく。しかもアコギ一本だけで。

「これね、その叔父さんなの」

 サリーは少し自慢げに言った。沸き立ちもせず、ただ目の前に現れた謎の洋楽を歌う少年を呆然と見放す観客。そしてそれをまったく無視してがギターを掻きむしる少年。その歌声とギターは決して上手いというワケではなかったが、しかし誰かのセンチメンタリズムに火を点けるには充分過ぎるものだった。現にYoutubeのコメント欄には彼を称賛する言葉が並んでいる。もう十五年くらい前の動画だというのに。

「カッコいいでしょ。もちろん今の叔父さんはただのオッサンなんだけどさ。でも、この動画が自分だってこと、叔父さんはあたしにだけコッソリ教えてくれて。それで好きになったし、あたしもこういうことやりたいなって思ったの」

「じゃあ、軽音部でボーカルでもやってるの?」

 わたしがそう問うと、サリーは首を横に振った。

「残念ながら。さっきも言ったでしょ、あたしは周りの空気を読むのが得意だし、それが処世術だって思ってる。叔父さんみたいに周りのことガン無視してギター掻きむしるなんて無理。あたしは傍観者でいるだけでいい」

「だから今日もライブを見ていた?」

「うん。シャンツァイもそういうバンドじゃない。良いバンドだけど、ぜったいに売れないタイプ。カッコいいけど、見つけて欲しいって感じがしないタイプ。あたし、そういうのに惚れちゃうんだよね」

 だから、傍観者でいるんだ。

 彼女はわたしにそう言った。でもその目は少し寂しそうだった。


 それから彼女はわたしにレディオ・シャンツァイのCDとかを貸してくれたり、あと今度やる下北でのライブとかの情報も教えてくれた。でもわたしが行くかどうかはあやしかった。

 そうして帰り際、彼女は思いだしたように。

「そうだ、あたしは志乃原沙理シノハラ・サリ。だからサリー。水無月さんも良かったらまた会いましょうよ。あたし、こういう音楽の話とかできる女の子、リアルに少ないから。うれしい」

「いいけど。あと、わたしは水無月じゃなくて、本名はアマミヤ・ジュン。雨の宮に純粋の純で、雨宮純」

「なんか男の子みたいな名前。でもカッコいいね。インスタやってれば交換しない?」

「ごめん、やってない」

 すまん、これは本気で。わたしもシャンツァイと同じで、見つけてもらうつもりがないシンガーソングライターだから。

「じゃあ何なら連絡取れる?」

「ラインかツイッターかディスコードなら」

「じゃあディスコードで」

 そういってサクッと連絡先を出してくるのは、なんていうかさすが現役の女子高生というか。あんまり宣伝とかSNSとかをする気が無いわたしをヨソに、いつのまにか沙理との連絡先交換は終わっていた。

「じゃあね、また連絡する。CD聴いてよ」

「うん、まあ、聴いとく」

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水無月の君へ 機乃遙 @jehuty1120

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