1-8

 ぶすぶす、とドラムがセッティングする音がする。バスドラを何度か叩きつけて、そのあと歪んだギターの音。ちょうど一つ目のバンドが終わり、二組目が始まるあいだのところだった。

 わたしたちは入り口のカウンターでチケット代を払い、ドリンクチケットをもらうと、重苦しい扉を開けて店内へ。瞬間、爆ぜるような轟音が鳴り響いた。ステージの上には真っ赤なレスポールを掲げる男と、くたびれたサンバーストカラーのプレべを弾く男。その後ろに金髪頭のドラムスがぶすぶすと音を鳴らしていた。

「ここのライブハウスあるあるなんですけど」

 サリーがわたしに耳打ちする。次の瞬間、激しいバスドラとパワーコードの応酬が始まった。その間隙を縫うように重たく歪んだベースが駆け回る。言うなればメロコアとかメタルっぽい曲調。がなるみたいにギターボーカルが歌い出す。何を言ってるか分からないが、『何かを引き裂こうとしている』ことだけが分かった。

「ブッカーのおじさんの振れ幅がすごくて。儲けにならない学生バンドとか若手のバンドとかは、まあジャンルとか特に関係なしに適当に入れ込んじゃうんですよね。だからあたしが気になってるバンドも、いつもこういうメロコアとかハード寄りのバンドとか、あとこのあいだはラッパーのイベントに入ってたりして。ちょっと可哀想だった」

「へえ」

 って、わたしは彼女の耳打ちに答えたけど、たぶんそのバンドの爆音で何も聞こえて無かったかと思う。

 若い学生のメロコアバンドがド派手な曲をやって、それで先月実家に帰ってラーメン食ったとか正直どうでもいい話をして、無駄に時間を浪費して。ただそれでも顔が良いから多少ついているファンが薄い愛想笑いを何度か返したりして。それで彼らは四曲くらいやってステージから身を引いた。

 静かになって、BGMにMUSEとかが流れ出すと、そのうちステージそばにいた客はいなくなり始めた。気がつけば演者とその連れみたいなのしか会場には居なくなっていた。わたしたちも観客席のはじっこで背を持たれて聴いてたけど、もしギュウギュウに詰めれば百人は入りそうなスペースに、いまこの瞬間には十人ちょっとも居なかった。

「あ、つぎです」

 MuseのHysteriaが終わって、ベックのLoserが流れようとしたときだった。徐々にフェードアウトするベックの代わりに、四人組がステージに現れる。見ればギターとベース、あと鍵盤とドラムという四人編成。髪の短い女がギター(ムスタングだった)を握りしめたかと思うと、丸縁メガネのヒョロッとした少年が鍵盤の前に立つ。ハリーポッターの映画から飛び出してきたみたいな彼は、べつに杖を振るワケではなくて。代わりにキーボードに繋がったエフェクター類のスイッチを入れだした。刹那、会場中に発振音が鳴り響く。

 たぶんディレイか何かだと思う。そのレイテンシのツマミを右へ左へグリグリ回しながら、鍵盤を叩き続ける。地の底から唸り上げるような音が、左右に回転周期を変えながら、遙か上空へ突き上がるようにして響いていく。そしてそれがある高度までたどり着いたとき、回転数――つまりディレイタイムは一定の周期に戻り、そしてそれに呼応するようにバスドラが四つ打ちを始めた。

「こんばんは、レディオ・シャンツァイです」

 ボーカルの彼女が真っ赤なムスタングを振り下ろし、ボソボソと言った。ショートカットでボーイッシュなナリにしては、やくしまるえつこみたいなウィスパーボイスだった。

「何曲かやります、よければ聴いていってください」

 マーシャル直挿しのムスタングが、不安定なコードをかき鳴らす。その合間を鍵盤が駆け抜けて。さらにその空虚を満たすようにボーカルが囁いた。

     *


 そのレディオ・シャンツァイってバンドが、要はサリーの目的のバンドで。たしかに彼らに惹かれる理由は少しわたしにも分かった。シャンツァイの四人は四曲くらいやると、特に何か告知とか宣伝とかMCもしないまま「ありがとうございました」ってボーカルが囁いて、それで帰って行った。

 ちなみにサリーもそれで「帰ろう」って言った。わたしはもちろん「最後までいないの?」と聞いたけれど、彼女はそれを突っぱねた。

「このあとはブッカーの弾き語りがあって、最後にハードめなシャウトするバンドが来るけど、水無月さんはそういうの好き?」って。

 実際、わたしは否定するワケじゃないけど、その手のメタルとかメロコアとかは苦手だった。ポップパンクとかエモあたりまでは行けるけど、ドロップDでパワーコードゴリゴリの、デスボイスなんか来られたらちょっと良さが分からない。だからサリーがそういうのは、きっとわたしに配慮してのことだったし。それに彼女も同じような趣向だったからだと思う。


 大宮駅方面に向かう途中、世界はもう暗くなり始めていて、繁華街のあやしい光が徐々に灯り始めていた。

「どうでした?」

 オーバーサイズのジャージをユラユラさせて、サリーはわたしの一歩先をクルクル回りながら問うた。

 わたしはしばらくなんて言おうかためらった。でもそれは決して今日という日が嫌だったからじゃなくて、あの目の前に現れたバンドのことをわたしにとってなんと形容すべきか、ちょうどいい言葉が見つからなかったからだ。

「なんていうか、えっと、わたしもギターを弾くし曲を作る人間なんですけど」

 徐々に言葉にしようとするが、思考が会話のスピードに追いつかなくて、少々コーナーで手こずっている感じがする。サリーがV8エンジンで突っ走るところを、わたしが660ccでノロノロ追いついている感じ。

「なんていか、バンドのライブにちゃんと来たのも久々で。わたしもバンドサークルにいたから、そういう場にいることは多かったんだけど。でも、ここ最近は色々あって……。音楽って、ほら、創ることや演奏することは楽しいけど、それ以外の問題が多すぎるっていうか。人間関係って面倒臭いから。だからずっと敬遠してたんだけど、でも今日久々に誰かの演奏を見て、『ああ、わたしも音楽好きだったんだな』って、『バンドっていいよね』って、そういう気持ちになったかな」

 訳も分からない言葉を紡ぎながら、そこに付け足すように。

「あとさ、純粋にカッコよかったよね。あのハリーポッターみたいな鍵盤の子、最初のドギツイ発振音もそうだし、あの素っ気のないギターボーカルの歌い方や気だるげなギターとか。テクニカルな鍵盤やベーシストに対して、アン直のムスタングとかいう潔い感じとかさ。なんか、そのアンバランスさの中に成り立つカッコ良さって、バンドでしかなり得ないなって。そう思った」

 ――って、あ、なんか喋り過ぎた。

 わたしの悪い癖。音楽のことになるとあーだこーだと喚き散らしてしまうこと。少しだけ沈黙が訪れて、わたしはまた反省する。

 少女サリーは、わたしの言葉を反芻するように頷きながら、彼女も何かを言葉を選んでいた。選ぶ言葉の選択肢が増え、悩む時間が進むごとに、わたしたちが大宮へと近づいていく。別れるリミットは徐々に近づく。


「えっと、水無月さん。よかったら夕飯いっしょに食べて帰りません?」


 サリーが紡いだ言葉はそれだった。

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