第6話 休息
「トーマ、シャワーありがとね。さっぱりしたよ。……あれ」
およそ15分後、シャワーを終え寝間着に身を包んだヴェルナーが部屋に戻ると、十真はソファに座り込んでうつらうつらと舟を漕いでいた。別段驚くことではない。もう充分深夜帯であるし、しかも京都から関東の間の往復というかなりの大移動をさせ、更に食事の準備までさせた。ヴェルナーが認識しているだけでもかなりの労力を割かせている。それに十真のことだ、ヴェルナーを招待するということで部屋の掃除等も気合いを入れたかもしれない。そう思うと疲弊し眠ってしまうのも致し方ないことであるし、それだけのことをしてくれた彼に対してありがたいやら申し訳ないやら、複雑な気持ちになる。
ヴェルナーは、このまま寝かせておいていいものか少々悩んだが、試しに傍に寄り恐る恐る声をかけてみる。
「トーマ~……」
「……んん……」
「トーマ、起きて、俺シャワー出たよ。トーマもシャワーした方がいいんじゃないの」
「ん……」
ソファの横にしゃがみ込み続けて声をかける。呼びかけに反応するということはヴェルナーの声は聞こえているのだろうか。しかし、起きない。別にこのまま寝かせておいてもいいのかもしれないが、ここは十真の家だ。家主が眠りについてしまえば、この後自分は何をどうすればいいのか分からない。眠りにつくにしても、自分もソファで寝ていいのかどうか、それすら判断に悩む。
それに、逆の立場なら折角恋人が起こしてくれたのに目が覚めなかった、恋人用の寝床をきちんと提供できなかったというのはかなり悔やまれることだ。……ついでに言うと、無防備な様で眠っている彼のことを見ていると、なんだかドキドキしてしまう気持ちもある。
そのため、再度十真に声をかけて体を軽く揺すってみると、漸く朧気ながら十真が薄く瞼を開く。
「……トーマ、起きてよ」
「…………うん……ん、んん? ……ヴェルナー……?」
「うん、おはよ」
「おはよ……? ……ん、っえ、あ、僕寝てた!? うわ、ごめん!」
「大丈夫だよ。深夜だし疲れてたろうし、寝ちゃうこともあるよ」
ヴェルナーの呼びかけにぼんやりと目を開けた十真は、朧気に言葉を発する。現状がよく分かってない様子で数秒呆然としていた彼だったが、突然ハッとして力強く目を見開き体を起こした。慌てた様子で謝罪をして口元に垂れる涎を拭う。
その様子がなんだか可愛らしくて、つい微笑ましい気持ちになった。幼い子供を見守る保護者のような気持ちにも近いだろうか。……まあ、実際には邪な気持ちも含まれているのだが。そんなだから、更に続けて申し訳なさそうにする十真に対し、余計なことを言ってしまう。
「いやいや、でも、ごめん……悪かったな、起こしてもらって」
「別にいいよ。寝てるトーマ可愛かったし、ユカタがはだけてるのもあってちょっとセクシーだったから」
「なっ……あんた僕みたいなおっさん相手に何考えてんだよ……すけべ親父め」
「おっと。でもまぁ……好きな人相手だし? それに俺からしたらトーマは若いんだからさ」
「……まぁ、別にいいけど……。……じゃあ、折角起こしてくれたし風呂入ろうかな。……あ、そうだ」
「ん?」
ヴェルナーの発言にやや顔を赤くしながらもソファから立ち上がり、風呂場に向かおうとしていた十真だったが、ふと何かを思い出したのか短く声を上げた。何だろうと思っていると、十真はヴェルナーの方を向いて一つ質問をあげる。それは、寝床についてのことだった。
「えっと、そういやベッドについてなんだけど……やっぱヴェルナーは床に布団敷いて寝るのは嫌だよね?」
「え、うん……そうだねえ。キャンプで寝袋で……って訳でもないし、出来れば避けたい、かも」
「だよなあ。そうなるとやっぱり今回はヴェルナーはソファで寝るか、ちょっと狭いけど僕と一緒にベッドで寝るか……になるんだよね」
ヴェルナーの返答に、十真は手で順に数字を示しながら提案する。床で寝ないならばソファで寝るか十真と共にベッドで寝るか。それなら二人でベッドで寝る方がいいが、十真としてはベッドが狭いため不安に思うらしい。曰くセミダブルだから男二人で横になると結構狭くしっかり睡眠が取りにくいのではということだった。確かに長旅で疲れてまともに眠れないのは困る。しかし、ヴェルナー自身は寝つきはいい方だし他の相手ならともかく十真が相手なら多少狭くても平気かもしれない……そんな気持ちからベッドで眠る方を選んだ。それに、折角恋人の家にいるのに別々に寝るなんて寂しいものだ。
「いいよ別に。確かに狭いかもしれないけど、俺は割とすぐ眠れるから多分大丈夫でしょ。それに、トーマがいいなら、俺は一緒に寝たいけどな。……それともやっぱり俺の体型からして厳しい、のかな?」
「いや、多分、そんなことはないと思うけど……そんなこと言うなら僕だって体大きいし。……うん、分かった。じゃあ、一緒に寝よう。掛け布団は用意してるから、とりあえず寝室案内するね」
「うん、ごめんね、ありがとう」
そんなわけでキッチンの奥の別室に続く扉の向こうへ案内される。引き戸を開けたその先は、寝室となっており、十真の言うようにセミダブルのベッドがあり、シンプルな書き物机や本棚も置かれていた。一見すると物が少なく、多趣味な十真にしては簡素な部屋だと思ったが、どうやらアウトドア用品は広々としたウォークインクローゼットに仕舞われているらしい。
――ここで、普段トーマは寝てるんだね……。
そんなことを思いながら寝室に足を踏み入れて見回していると、ウォークインクローゼットの片隅に畳んで仕舞っていたという掛布団や枕を取り出した。
「ヴェルナーは枕にこだわりはあったっけ?」
「いや、特にないよ。とりあえずなんでもいいかな」
「それならよかった。でもこれ、固さ合わなかったら言ってくれていいからな。そのときはなんか対応考えるから」
「うん、ありがとう」
十真は、ヴェルナーに壁側か反対側かどちらがいいかを確認する。ヴェルナーはどちらでもいいと答えたため、十真は少し考えてヴェルナー用の枕を壁側に置き、その隣に自分のものを並べて置いた。そして、それに合わせて掛布団をベッドに敷く。これでとりあえず寝床の確保は出来たということか。
「ありがとうね、準備してくれて」
「いーえ。じゃあ僕は風呂入るから、ここでのんびりしてていいよ。えーと、ドイツ語とか英語とかの本もあるから読んでてもいいし、先に寝てもいいし……そんなに部屋荒らさなかったら何してもいいよ」
「うん、ありがとう。……じゃあちょっと部屋見せてもらおうかな」
「いいよ、どうぞ。……それじゃ」
「うん、ごゆっくり」
部屋に関する説明をしてからその場を後にした十真を見送って、ヴェルナーはベッドに腰を下ろす。ゆるりと部屋全体を見渡し、部屋に置かれた家具を一つ一つ見ていく。今座っているセミダブルのベッドに、枕元に置かれた収納つきのサイドテーブルの上には小さな照明がある。その他には、書き物机やいくつかの本棚が見受けられる。少し距離があったため立ち上がって机の上を見てみると、そこにはノートパソコンや雑誌、何かのテキストが置かれたり本立てを用いて並べられたりしているのが分かった。仕事で必要になるものもあるみたいだが、ドイツ語や英語に関する試験のテキストも置いてあり、なんだか感慨深く思う。
――トーマのドイツ語レベルなら充分ドイツ語圏で生活も仕事もできると思うけどなあ……。勉強熱心で凄いなあ。俺も日本語勉強した方がいいのかなあ。
日本語がほぼ読めないため多くは判断ができないが、勉強熱心な十真のことは尊敬に値する。それこそ、ほぼ日本語が読めない自分が少し後ろめたく感じるほどには。
続けて本棚を覗き込む。全四段で構成された縦長の大きめの棚には、日本語で書かれた小説だけでなく、彼の言うとおりドイツ語や英語の本もある。タイトルや裏表紙のあらすじからして歴史小説だろうか、ドイツ語で書かれたハードカバーの本を手に取ってパラパラと捲ってみた。文字もそこまで小さくなく読みやすそうだ。20代の軍人が主人公の小説で、十真もこういうのを読むのだなあと驚く気持ちに加えて、これは自分も楽しめるものだと思った。
ベッドに腰を下ろして静かに本を読み進めることおよそ十分強、すっかり本に集中していたヴェルナーは、寝室に戻ってきていた十真になかなか気づけなかった。
「――……ナー、ルナー……ヴェルナー?」
「……ん? あ、あれ!? トーマもうシャワー出たの? 早くない?」
認識の外から響いた声が、ヴェルナーの意識を正気に戻す。驚きに一瞬肩を跳ねさせ紙面から顔を上げると、意外そうな目つきでこちらを見やる十真がそこにいた。淡い水色の浴衣を身に纏った彼は、ヴェルナーの言葉を受けてやや不思議そうに言葉を返す。
「そうか? 15分くらいは経ってると思うけど……本に夢中で意識してなかったんじゃないかな?」
「あー、そうだったのかも。これ結構面白かったからさあ」
「そうだろ? この、主人公の空気読めない行動が良くも悪くもいい味なんだよな」
「だよね。史実通りではないところもあると思うけど、ね」
ぱたんと本を閉じ、十真の言葉を肯定しながら本を元の位置に戻す。そうしてざっくりと本について触れると、彼は嬉しそうに顔を輝かせる。まだ序盤しか読めていないが、彼の言うとおり主人公が空気を読めず突拍子もない行動を多々繰り返す。現実にいたらイライラする可能性があるが、史実を元にした歴史小説であるし、主人公としては存分に動いてくれる方がいいだろう。
「それはまあ、結局は創作だからな。……というか、何、もしかして暫く本読みたい?」
ヴェルナーが少し本について語ったからだろうか、妙に困ったように眉を下げた十真がそのように疑問を口にするが、これには流石に否定する。もう時間も遅いし、ここで本格的に読書を始めてはいつまで経っても眠れない。
「いや、もう流石に眠いし、この本はまたいつか自分で探して読むよ。だから特にやることがなければもう寝るのでもいいかなって」
「そっか、じゃあさっさと寝るか」
十真が短く言葉を返して、ベッドを少し壁側から離す。2人で寝るスペースの確保のためだそうだ。枕と掛け布団は既に置かれているため、それに合わせて布団に寝転がる。他人のベッドに横になるなんてなんとも不思議な気分だ。
「んじゃ、寝るか。電気消すぞ」
「うん、おやすみ」
十真が、扉付近の壁にある照明のスイッチを消す。パチンと音がして煌々と照らされていた部屋が一気にふっと暗くなる。暗い室内を十真が歩く音がして、彼がサイドテーブルに何かを置いた音――恐らくメガネを置いたのだろう――がして、隣に入ってきたのが分かった。腕が軽く触れ合って、ギシ、と動きに合わせてベッドが軋む。
「……狭くないか?」
「少し、狭いかも」
「今からでもソファで寝ていいぞ」
「嫌だよ。こっちの方がいい。それに、体勢変えたら少しマシになるよ」
暗闇の中、十真の低い声が響く。少し不安げに発されたその言葉を無意識に肯定すれば、彼は少し申し訳なさそうにソファで眠る提案をした。しかし、やはりこちらの方がいい。体勢を変えて仰向けから横向きに眠るようなポーズをとると、こちらを気にかけるようにしていた十真と目が合った。暗闇ではあるが、距離が近いからか何となく分かる。メガネをかけておらず、視力が悪い故に少し目付きが鋭くなっているけれども。
「トーマ、俺の顔見えてる?」
「何となく。距離近いからな」
お互い向かい合って横になる体勢でじっとお互いを見つめ合う。ヴェルナーから擦り寄るように軽く足を触れさせると、十真は一瞬目を丸くし呆れたように笑う。
「すけべ親父め」
「それはある意味お互い様じゃないの」
「それは……まあ……そうかもしれないけど……」
彼の言葉に軽く返すと、十真はまるで痛いところを突かれたように表情を変化させる。なんとも可愛い。いい年したおじさんがおじさん相手に何を思うのかと思うところもあるかもしれないが、愛する恋人相手なのだから話は別である。ヴェルナーにとっては、自分よりも若く優しい素敵な恋人なのだから。
そして、じっと十真の銀灰色の瞳を見つめて、ふと口を開く。
「……ねぇ、キスしていい?」
なんとなく、キスがしたくなった。このタイミングだから所謂おやすみのキスと言われるものだろう。気持ちの赴くままに言葉を発すると、僅かに驚いた様子の十真は、柔らかく表情を緩めて肯定する。
「……いいよ。となると、このままじゃやりにくいよな」
「あ、ごめんね、気をつかわせて」
「いやいや」
十真はゆるく否定するような仕草をしてから、よいしょ、という短い掛け声と共にゆっくりと体を起こす。同時にヴェルナー自身も体を起こすと、その向かいで正座のような体勢をとった十真は、歓迎するように両手を広げた。
おいで、と言われて、やおらに距離を詰めたヴェルナーは、彼の逞しい体をぎゅうと抱きしめる。薄いシャツや浴衣越しに温かい体温が伝わる。シャワーを浴びてからそれほど経っていないこともあってか、それともお互いに高揚感からかなんだか普段より温度が高いように感じられた。
力強くハグをしてから、少し距離を離して十真の頬や肩に手を置いてどちらからともなく目を閉じて唇を重ね合った。真っ暗な中だからか少しだけ口の位置がずれたような気がした。
唇を離して暫し無言で見つめ合い、再度触れるだけのキスと優しいハグをして、改めて『おやすみ』と言い合う。こんな深夜に、寝る前に何をこんなにも盛り上がっているのかと自嘲したくなるがまあいいだろう。ヴェルナー自身も満足したし、気分良く眠れそうだ。
ほわほわした気持ちで横になり。掛け布団を被る。横で同じように布団を体に掛けた十真の様子を見つめながら微笑ましい気持ちで呟く。
「付き合ってくれてありがとうね、トーマ。嬉しかったよ」
「いいよ別に。まぁ、僕も嫌じゃなかったし」
「よかった。ありがとう、嬉しいよ。……愛してるよトーマ」
「……ん、僕も」
「ふふ。……んじゃ、今度こそおやすみ」
「うん、おやすみ。明日……いや、今日? 楽しみだな」
「そうだね。二人でいっぱい観光しようか」
「うん、もちろん」
横になりながら目線を合わせて明日――というよりはもう『今日』の話ではあるのだが――そう約束をし、ヴェルナーは実に幸せな気分で眠りについた。
それはもう、ベッドの狭さなんて気にならないほどに。
二人の旅路・前夜 不知火白夜 @bykyks25
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