終幕

終幕 復讐の物語を記すとき

「『この怪談を、真実と思うか、虚構と思うかは、貴方次第である。了』……と。よし」

 万年筆を置いて、悧月は伸びをした。


『カメリア』店内には、蓄音器から洋楽がけだるく流れていた。そんな中、女給がコーヒーを運んでくる。

「先生、お待たせしました。あ、完結したんですか?」

「うん、できた。あー気持ちいいね、『了』!」

「おめでとうございます。お疲れ様です」

 花墨はコーヒーカップをテーブルに置いた。

 どこからか、声が聞こえる。

『いいにおいじゃな。それは、なんじゃ?』

 花墨はさりげなく口元を隠して答える。

「コーヒーっていう飲み物よ」

『うまいのか?』

 その質問には、一口飲んだ悧月が答える。

「うーん、苦い」

『にがいのに、のむのか? りつきはへんなおとこじゃの』

 声は不思議そうだ。


 同じテーブルには、原稿用紙の他に、資料用の新聞も載っている。

 見出しはこうだ。

『高鳥御殿、深夜の炎上』


 高鳥家の悪事は、憑捜によって白日の下に晒されていた。憑捜を預かる辰巳家は、皮肉なことに今回の事案で、気兼ねなく動けるようになったのだ。

 ことが大きすぎ、時間軸も長すぎて、一般の人々にはピンとこないだろう……と花墨は思っていた。

 しかし、憑き病の元が断たれたという事実に皆が喜び、病の原因が高鳥家だったことに怒り、世間はその話題で持ちきりだ。


 高鳥秀一は、焼死体で見つかった。

 生き残った一族は対応に追われている。神社と牢屋の焼け跡では、大々的にお祓いが執り行われた。

 高鳥屋百貨店は閉鎖され、『しばらく休業いたします。再開は決まり次第、お知らせいたします』という張り紙がされている。悪いイメージのついてしまったこの百貨店は、どこかが買い取るのか、あるいは取り壊すのか、まだ決まっていない。

 そして織物工場は、人を駒のように考えている高鳥家が経営していたわけで、案の定、工場法違反がいくつも発覚した。

 しかし、東京市で儲けたい実業家はいくらでもいるため、こちらはすぐに買い手がついた。トシを始めとする女工たちは、新しい経営者の元、以前よりいい条件で働けているようだ。


「バーネット元大使は釈放されて、本国に帰ったよ」

 剣柊士郎が『カメリア』に来て、教えてくれた。

「礼を言われたけど、彼にとっては、全てが遅かったんだ。……まあ、何もわからないよりはいい、か」

 複雑そうな表情をしていた彼もまた、忙しくしている。憑き病がなくなった結果、憑捜は人員整理が行われ、規模が少しだけ縮小されたのだ。

「とはいえ、憑き病以外の怪異がないわけじゃないからな」

 柊士郎は今日も、浅草を巡回しているはずだ。『カメリア』にも、たびたび訪れる。


 もう、憑捜が花墨を追うことはないだろう。

 なぜなら、高鳥御殿の一件以来、花墨の髪は根元から少しずつ黒くなってきているからだ。後は、星見に憑かれていることを柊士郎が黙っていればいいだけである。


 花墨は一度、実家の様子を見に行くつもりでいる。

 凄惨な事件があった時庭家だが、どうやら花墨の父・青蔵の弟子たちが後を継ぎ、植木や造園の仕事を続けているらしい。今さら花墨が口を出すつもりはないが、物陰からそっと、様子を見たかった。

 それに、家には何か、両親の形見が残っているかもしれない。花墨は両親の遺産すら受け取っていないのだ。

 親戚に会うのであれば、少々揉めそうだが、薬師寺夫妻が弁護士を紹介すると言っている。

 夫妻とは、いい付き合いが続いていた。


「先生、後で原稿読ませてくださいね。でも……どんなふうに怪談を締めくくったんですか?」

 首を傾げながら花墨が尋ねると、悧月は彼女を見上げて微笑んだ。

「君のお望み通り、『娘は復讐を果たして死んだから、約束通りにこの物語は書かれたのだ』……ってことにしたよ」

「絶対、その方が物語としてはいいですよ。……ふ。殺してもらっちゃった」

 花墨は目を細め、口元をほころばせる。微笑み、と言っていいような表情だ。


 まだ笑うことに慣れていないが、もう罪悪感は感じていない、曇りのない笑み。悧月はそんな彼女の笑顔に骨抜きにされ、うっとりと口にする。

「君は、なんて綺麗なんだろう」

「だからそれ、やめて下さい……」

 花墨は頬を薄紅色に染めた。


 復讐のためなら死んでもいいと思っていた娘は、物語の中で殺された。新たな笑顔を携えて、花墨は物語のその後も、人生を歩んでいく。

 守護霊のように花墨になついている、星見と共に。

 そして、側にいるのはもう一人。


「か、花墨ちゃん? ちょっと相談があるんだけど、今日、仕事の後の予定は……」

「あっそうだ、さっき森さんから電話があったんです。『先生そちらですよね、進捗どうですか』って」

「え待って、いつの間に担当氏と親しくなったの⁉」

「いつでもいいじゃないですか。聞きましたよ、華族会館で鍵を借りる時、先生がなんて言い訳したか」

「うっ! そ、それは、泥棒するために仕方なく……!」

「嘘がお上手ですね。さすがは作家先生。早くその原稿、渡してあげて下さいね」

 冗談交じりに皮肉って、花墨は厨房へと戻っていく。


「……また、相談しそびれてしまった」

 ため息をつきながら、悧月は自分の鞄から一枚の紙を取り出した。

 不動産屋に紹介された、とある家の広告だ。


 著書が出版され、次の本も今日、書き上げた。作家・鏡宮悧月もそろそろ、薬師寺家を出ることを考える時期だ。

 新居は、大事な人との暮らしを考えて選びたい。そしてそれは花墨以外、いない。

 一緒に、生きていきたい。


「急すぎるよな。やっと落ち着いたばかりだし。でも星見がいるからなあ」

 花墨は今の長屋で、事情を知らない人と暮らしている。星見がいると、色々と難儀だろう。

「『僕の仕事を住み込みで手伝ってほしい、給料も出すから』って誘ってみるとか。いや、一緒に暮らすなら、気持ちをさっさと伝えるべきか。うーん」

 悧月の煩悶は続く。


 厨房に戻った花墨を見て、鞠子がクスクスと笑う。

「な、なんですか? 鞠子さん」

「ん? 二人とも気づいてるのかなぁ、と思ってさ。うふ」

 彼女は花墨の鼻をつついた。

「花墨ちゃんって、作家先生にだけは笑顔を見せるのよねえ」

「……!」

 花墨は目を見開き、そしてまた白い頬を薄紅色に染めながら、言った。

「あの……鞠子さん。先生に、大人の女性として見てもらうには、どうしたらいいと思います?」



 それからしばらくして、一軒の家に、男女が越してきた。

 家には小さな仏壇があり、秋には菊の花が供えられる。

 庭にもいくつか、菊の鉢が並べられており、そして。

 時々、この家には住んでいないはずの女の子の笑い声が、するとか、しないとか。


【了】

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女給と作家の大正メイズ(迷図) 遊森謡子 @yumori

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