婚約者に見捨てられた悪役令嬢は世界の終わりにお茶を飲む

めぐめぐ

婚約者に見捨てられた悪役令嬢は世界の終わりにお茶を飲む

 ルージャン、今日もお茶を頂くわ。

 ええ、いつものとおりコリンの花茶でお願い。昨日わたくしが摘んできたコリンの花、干してくれていたわよね? 

 あと、私が採ってきたティアの実のクッキーも、いつものとおりお願いするわ。


 ふふっ、私が毎日採るから、とうとうティアの木から実がなくなりそうよ。私がここに来た当初は、食べられない実だからと山ほどなっていたのに。


 食べられるように考えてくれたあなたのお陰ね。


 お茶とクッキーを持ってきてくれてありがとう、レクト。いつもルージャンお兄さまのお手伝いをして、とても偉いわね。


 ……そうね、レクト。お家の中にいるのは退屈でしょうね。ここ最近は、ずっとお外に出られないものね。


 え、今から遊びに行く?

 今日は特にやめておいた方がいいわ。


 でも安心して。

 明日は良い天気になるはず。お友達と一緒に、思いっきり外で遊べるわ。だから今日は、ルージャンお兄さまと一緒にお家の中にいなさい。


 あら、ルージャン。どうしたの、そんなに難しい顔をして。 


 明日、晴れるわけがない? 


 そうとも言い切れないわよ?

 十年前に魔王と魔物が突如現れたと同時に、世界中の空が闇に包まれてしまったけれど、明日晴れないという可能性はゼロではないわ。


 そういうことじゃない? 

 ……ああ、そちらの話しね。でもその話は、レクトの前でしない方が良いわ。


 ほらレクト。

 確か、小枝で工作をしている途中だったわよね。続きを作っていらっしゃい。


 …………

 …………

 

 ねえ、ルージャン。

 私がこの村でお世話になって、もうどのくらい経ったかしら?


 二年? もうそんなにも経ったの?

 この村で過ごす日々は、とても穏やかだったから、そんなにも長居したとは思わなかったわ。


 あの日――ルージャンが私を助けてくれなければ、安らぎの時間を知ることなく、私は死んでいたわ。


 得体の知れない私を、村の人々は温かく迎えてくださったわよね。そして、名前以外何も語らなかった私の心が癒えるまで、静かに見守ってくださった。


 本当に……感謝しかないわ。

 養う人間が一人増えるだけでも大変だというのに。


 ルージャンも、こんな私に毎日、コリンの花茶とティアの実のクッキーを作ってくれてありがとう。


 この本を、あなたに差し上げますわ。

 我が家が残した魔法書よ。極めれば、死者を蘇生したり、時すら遡ることができるそうよ? ふふっ、私にはそこまで極める時間も力も、ありませんでしたけれど。

 魔法使いなら喉から手がでるほど欲しがる代物でしてよ?

 売ってお金になさって。


 何で突然こんなものを、って?


 少しあなたに聞いて欲しいことがあるの。

 あなたと出会う前、私に何があったのかを。

 

 魔王に滅ぼされて世界が終わる今日という日に――あなたが淹れてくれたお茶を飲みながら、ね?


 *


 私の本当の名は、アイリス・ロヴィ・クランメトーレ。

 

 ペグランド王国を支える五大貴族――クランメトーレ公爵の長女です。


 私は幼い頃、ペグランド王国の王太子であるケルビン・オール・ペグランド様と婚約いたしました。


 この国は、国王が全て。絶対的な権力を有しております。


 たとえ王妃であっても、国王の身に危険が迫れば、身を挺して守らなければならない、いわば護衛の一人。


 ですから、次期国王となられる相手の結婚相手は、五大貴族の中で一番魔力量が多く、魔法に長けた女性だと決まっているのです。


 それが――私でした。


 ケルビン様を守るため、私は幼い頃から過酷ともいえる魔法訓練も受けてきました。魔法訓練に比べれば、妃教育など可愛いもの。


 公爵令嬢に似つかわしくない、文字通り血の滲むような努力を続けた結果、私は僅か十九歳にして、王国内でも五本の指に入るほどの実力をもつ魔法使いとなったのです。


 全ては未来の国王となられる婚約者、ケルビン様を守るために――

 

 ケルビン様は……そうですね。

 彼は未来の国王となられる御方だと育てられたせいか、非常に我が強い方でした。国の主として強い意志をもたれることは良いことなのですが、いささか……その態度が強固すぎるというか――ふふっ、私ったら。彼の短所を良いように言う癖は、まだ直っていないようですね。


 ええ、あなたの言う通り、ケルビン様はとても我が儘で自己愛の強い御方でした。


 しかしそれもきっと今だけ。

 民の上に立つお立場になったとき、ご自身の身を振り返り行動を正してくださる。


 そう、信じておりました。

 

 神殿が聖域としている聖なる泉に、ホンジョウ レイカ様が現れるまでは。


 *


 レイカ様は、明らかにペグランド王国の人間ではありませんでした。彼女が身につけていた服装や持ち物が、この国では見たことないものばかりだったからです。


 聖域で発見されたため、彼女の身柄は当初神殿が引き受けました。


 神殿には大昔、異世界からやってきた黒髪と黒い瞳をもつ聖女が、魔物に征服されていた世界を聖なる力――魔の物たちを跡形もなく消滅させる力――で救ったという伝承が残っておりました。


 レイカ様から、伝承にある聖なる力を見いだした神殿は、彼女を、異世界からやってきた聖女と認定したのです。


 丁度その頃、ケルビン様は、とあるミスを犯してしまい、次期国王の座が危うくなっておりました。弟君をおす者たちの声が大きくなり、窮地に陥っておられたのです。


 次期国王の座を取り戻すには、ケルビン様に国を治める力があることを国内外に示す必要がありました。


 ですから、この世界に蔓延る魔の権化である魔王を、聖女とともに倒そうと決意なされたのです。


 それくらいなさらなければ、落ちた権威を取り戻すことなど、不可能でしたから。


 こうしてケルビン様は、初めてレイカ様とお会いになられたのです。


 あの日のことは……今でも夢に見ますわ。


 レイカ様は、彼女を護衛する聖騎士クライム様とともにやってこられました。


 案内された広い応接間で、ケルビン様に向かって頭を下げるレイカ様の第一印象は、小さくて可愛らしい方でした。

 長い黒髪が艶やかで、黒い瞳からは怯えが見えました。年齢は私と同じだと聞いておりましたが、幼く思えます。

 神殿の巫女が身につける白いワンピースと、肩にはケープを羽織り、頭には額冠をつけておられました。


 ケルビン様が、クライム様とともに頭を下げるレイカ様に近付きました。そしてレイカ様の前で腰を落とし、彼女の頬に無遠慮に触れると、ご自身の方へ無理矢理顔を向けさせ、


「こんな小娘が聖女だとは。神殿の目は節穴ではないか?」


と嘲笑されたのです。


 神殿の宝たる聖女様への暴言に、私の背筋に寒気が走りました。殿下のまさかの発言に、周囲もざわついています。


 神殿は、魔王が現れてから急速に力をつけていました。今では、王家とほぼ同等の権力をもっているからです。

 もし神殿を敵に回すことになれば、大変な事態となるでしょう。


 しかし、レイカ様の斜め後ろに控えていたクライム様が、口を開こうとなされた瞬間、


「誰が小娘よ! この手を離しなさい、セクハラ王子‼」


 レイカ様の叫びが部屋に響くと同時に、ケルビン様が腹部を押さえながらうずくまりました。


 どうやらレイカ様が、ケルビン様の腹部を殴ったようでした。


 近衛兵たちが動きました。

 兵に武器を向けられ、立ち上がったレイカ様の瞳が恐怖で見開かれました。クライム様が立ち上がり、レイカ様を背中で守りながら周囲に鋭い視線を向けています。


 一触即発な空気の中、


「武器を下げよ‼」


 ケルビン様の一喝によって、近衛兵達は武器を下げました。ですがクライム様はまだ警戒されているようで、レイカ様を庇いながらケルビン様の様子を伺っています。


 ですがケルビン様はクライム様を押しのけると、レイカ様の手首を掴まれました。


 そして一度も、婚約者たる私に向けたことのない笑顔を浮かべながら、こう仰ったのです。


「俺に楯突くとは面白い女だ。気に入った。お前、俺の妃になれ」


 と。


 *


 ふふっ、傑作でしょう?

 婚約者たる私がいる前での発言なのよ?


 あらルージャン、何故そんなに怖い顔をしているのかしら?

 ここ、笑いどころよ?


 突然求愛されたレイカ様は、顔を真っ赤にされながら、


「はぁっ⁉ 全く意味が分からないんだけどっ‼ あんたみたいな自分勝手な男と結婚するわけないじゃない‼」


 と叫び、ケルビン様に掴まれた手を振り払われました。しかし殿下は、手をお離しになりませんでした。むしろレイカ様が抵抗すればするほど、楽しいと言わんばかりのご様子。


「俺の求婚を正々堂々と正面から断ったのも、お前が初めてだな。ますます欲しくなった」


 掴んだ手をご自身の方に引き寄せると、レイカ様を抱き上げ、部屋から連れ出そうとなされたのです。


 殿下の発言・行動から、これから何をなさろうとされているのか。

 あの場にいた誰もが想像できたでしょう。


 聖女は、その身が清らかでなければならないとされています。

 クライム様が殿下を制しようとしましたが、近衛兵たちに取り押さえられ、身動きがとれなくなっておりました。そんな状況でも彼は諦めず、レイカ様の名前を叫びながら、彼女に向かって手を伸ばされていました。レイカ様もクライム様の名を呼びながら、手を伸ばされていたので、まるで引き裂かれる恋人たちの一幕のようでした。


 王家と神殿が仲違いするわけにはいきません。


 私はケルビン様の前に立ちはだかると、彼を真っすぐ見据えながら意見をいたしました。

 この場で殿下を止められるのは、婚約者たる私だけでしたから。


 私を視界に映したケルビン様は、非常に不愉快そうに顔を歪められました。


「なんだアイリス。邪魔をするな」

「恐れながら殿下。レイカ様は聖女でございます。聖女が体の清らかさを失えば、魔王に対抗する力を世界が失うということ。それがこの国にとって、そして殿下の未来にとって、どれほど大きな損失となるか……あなた様程の御方ならば想像に難くないかと。どうかお戯れはここまでに……」


 淡々とした口調でお伝えすると、ケルビン様は大きく舌打ちをし、レイカ様を解放なされました。


 レイカ様は一目散に私の後ろに隠れ、顔を半分ほど出されながら、ケルビン様を睨みつけています。他の者がしようものなら、不敬だと切り捨てられても仕方のない態度を見せる聖女に、殿下は口元を緩ませました。


「……まあいい。魔王を倒し、俺がこの国の王となった暁には、お前を必ず手に入れる」

「誰があんたなんかと結婚するものですか! ベーーーーーっだ‼」


 レイカ様は舌を出して拒絶の態度をお見せになると、今度はクライム様の後ろに隠れてしまわれました。


 殿下が、面白い女だな、などと呟いていますが、ハッキリさせておかなければならないことがあります。


 私は再び口を開きました。


「殿下。先ほどからレイカ様を妃にとおっしゃっておりますが、あなた様の婚約者は私――アイリス・ロヴィ・クランメトーレであることをお忘れなきよう」


 私たちの結婚は幼い頃、現国王と私の父によって決められたこと。気になる女性が現れたからといって、簡単に反故できるような軽い契約ではございません。


 万が一そのようなことがあれば、父は王家に反旗を翻すことも辞さないでしょう。

 

 ああ、娘想いな父親ではないのですよ、ルージャン。

 私を王家に嫁がせることで、クランメトーレ家は王家にたいし、様々な融通をきかせて、協力してきたからなのです。 


 私には、未来の国王と国を守る義務があります。このようなことで、保っていた両家の均衡を崩すわけにはいかないのです。


 ケルビン様は、苦々しい顔を通り越し、忌々しいと言わんばかりに私を睨みつけられました。レイカ様を一瞥されていたので、彼女の前で話して欲しくない内容だったのでしょう。


 私の言葉を聞き、反応されたのはレイカ様でした。


「酷い男‼ 婚約者がいるのに、別の女を口説くなんて、さいっっっっってーーー‼ アイリスさんが可哀想じゃない‼ ほら、早く謝んなさいよ!」

「謝罪するのはあなたもですよ、レイカ様」


 私は、クライム様の後ろで楽しそうにはやし立てるレイカ様にも、厳しい視線を向けました。そしてレイカ様の傍に寄ると、彼女の黒い瞳を真っ直ぐに見つめながらお伝えしたのです。


「ケルビン様は、次期国王となられる御方。本来であれば、あなたが軽々しく言葉を交わすことのできないお相手なのです。それを言葉だけでなく、手を挙げるなど……この場で切り捨てられてもおかしくないのですよ。今あなたが生きていられるのは、殿下の温情によるものだと弁えてくださいませ」


 レイカ様は、異世界からきた御方。この世界の慣習は分からないでしょうから、今後同じような過ちを犯さないように注意したつもりでした。

 しかしレイカ様は下唇を噛みながら俯かれ、黙ってしまわれました。その表情からは、不服や不満が見えます。


 初対面の相手からの指摘は受け入れられにくいと判断した私は、クライム様にお声をかけました。


「クライム様。レイカ様を守る聖騎士であるなら、彼女の言動にはしっかり目をお配りください。そしてこの世界での振る舞いを、レイカ様にしっかり教育なさるよう、神殿にお伝えくださいませ」

「は、はい……申し訳ない、です……アイリス様……」

「クライムは悪くないわ‼」


 レイカ様が否定されましたが、私は無視しました。

 何故なら、神殿の宝である聖女を、一歩間違えれば命すら危うい状況に陥らせたのは、護衛である彼の失態なのですから。


「聖女の振る舞いが、王家と神殿の関係にどれだけの影響をもたらすか、あなた様ならばお分かりになるでしょう? 以後お気をつけなってください」

「……肝に、銘じます……」


 クライム様は項垂れながら小さな声で仰いました。そんな彼の背中をレイカ様が撫でながら、慰めていらっしゃいます。


 確か、突然現れたレイカ様を見つけたのは、この聖騎士だったと聞いております。それもあってか、レイカ様は彼に大きな信頼を置いているように見えました。


 クライム様を慰めるレイカ様を、ケルビン様が眉を顰めながら見つめていらっしゃいます。


 丁度、国王がお見えになられたため、私は入れ替わるように席を外しました。

 私の後ろ姿に向かって、レイカ様がぼそりと呟かれた言葉が、何故かとても大きく聞こえました。


「なにあれ……悪役令嬢じゃん……」


 と。


 *


 悪役令嬢――何って顔をしていますね、ルージャン。

 後ほど、説明して差し上げますわ。


 こうしてケルビン様は、レイカ様とともに魔王討伐に向かうことが決まりました。


 軍は連れては行けません。

 何故なら魔王がいる場所に辿り着くには、非常に険しく道幅が細い場所を通らなければならず、過去何度もこの場所で全滅させられていたからです。


 お供として、神殿からはクライム様、王国側から私が選ばれました。


 私は旅立つ前に、魔物と戦ったことのないケルビン様やレイカ様に向けて、訓練をされるべきだと主張いたしました。


 しかし、私の主張は聞き入れられませんでした。


 早く汚名を返上し、弟君をおす勢力を削ぎたいと、ケルビン様が出立を急がれたからです。レイカ様もご自身のお力に絶対の自信を持たれており、ケルビン様のご意志を後押しなされました。ゲームと同じように道中に現れる魔物を倒し、経験を積めば良いと。


 ……ゲームとは何のことでしょうね?


 ならば護衛を増やすべきだとお伝えいたしましたが、それもケルビン様に却下されてしまいました。その理由は、後ほど判明するのですが。


 こうして私たちは、魔王討伐に旅立つこととなったのです。


 旅はどうだったか、でしょうか?

 ふふっ……逆にお聞きしますけど、あの面子で上手く行くとお思いですか?


 ケルビン様は旅の間、ずっとレイカ様にアプローチを続けていらっしゃいました。護衛を増やすことを拒否されたのは、これ以上異性を増やしたくなかったからでしょう。


 クライム様も、レイカ様に惹かれていらっしゃいましたから。


 男性二人は、どうすればレイカ様の心を射止められるか競い合っていました。

 街に着けば魔王討伐の旅に必要な準備や情報収集、領主への挨拶などは、すべて私に丸投げし、レイカ様を半分連れ去るような形で出かけて行かれました。


 レイカ様はどちらの男性の愛に応えるべきか、よく私に相談なされました。


「この世界にやってきてから、クライムが私を守ってくれたわ。だからとても感謝しているし信頼をしているの。だけど最近、ケルビンも気になるのよねー。彼は……まあ出会いは最悪だったけど、ああ見えて一途で優しいところがたくさんあるわ。ね、アイリス、私どうしたら良いと思う? こういう話、あなたにしかできないしー……」


「あなた様が何を悩んでいらっしゃるのかは分かりかねますが、一つだけハッキリしていることを申し上げます。ケルビン様の婚約者は私です」


「えー、アイリス、妬いてるのぉー? 可愛いところあるじゃない」


「いいえ、違います。私たちの婚約は、我が公爵家と王家で結ばれた重要な決まり事。確かに、ケルビン様はあなた様に好意を抱いていらっしゃる。しかし私たちの立場ともなると、個人的感情ではなく家や国の利益に重きが置かれます」


「じゃ、アイリスはケルビンを愛していないのに、自分の家が得するから結婚するの? それってお金や権力目当てってことよね? えー、それでいいの? その考え、ちょっと引くわー」


「それでいいのかと仰いましても。私はケルビン様の伴侶となるよう望まれ、様々な教育を受けて参りました。殿下を守る盾としての生き方しか知りません」


「アイリスがこんな人だったなんて……酷い。ケルビンが可哀想だわ……」


 レイカ様は黒い瞳を潤ませながら、私を責められました。


 何故私が責められているのか。レイカ様の気持ちが分かりませんでした。

 いえ、一生分かることはないでしょう。


 見張りをそれぞれの男性と抜けだし、これ見よがしに首筋に痕を残して帰ってくるような方の気持ちなど。


 道中に現れる魔物を倒しながら、私たちは戦いの経験を積む予定でした。

 しかし実際は――


「アイリスが敵を弱らせ、拘束してくれれば、私の魔法で敵を浄化するわ」

「それではレイカ様の経験には……」

「レイカ様は聖女。一番に守るべき御方です。万が一傷ついたら大変ですから、アイリス様、よろしくお願いいたします」

「そうだ。アイリス、お前は実践経験も豊富だ。お前がまず前に出て敵を弱らせろ」

「……かしこまりました、殿下」


 毎度このような形で、私が前線に出されました。


 え? 

 聖騎士であるクライム様はどうしていたのか?


 ああ、彼はレイカ様の護衛ですから、彼女の傍から離れられないと、前線にでることはありませんでしたわ。


 ふふっ、今考えると、とても可笑しい光景。

 鎧を身に纏った大の大人が二人、後ろにいて、魔法を使う関係で、防具を何一つつけられない私が、敵の大軍の前に出ているのですから。


 私が魔法で敵を弱らせ拘束すると、ケルビン様とクライム様に守られたレイカ様が私の前に出て来られました。

 聖なる力を使うと、魔物たちは全て光の塵となって消えていきました。


 そう……あの日も、同じでした。

 村を襲っていた魔物を、レイカ様が消滅させると、村人たちがレイカ様たちを取り囲み、聖女だと讃えました。


 そのとき、レイカ様を取り囲む人垣から少し離れた場所にいた少女に、生き残ったこびと型の魔物が、鋭い爪を掲げて襲い掛かろうとしていたのです。


 誰も気付いていませんでした。

 他に魔物が残っていないかを確認するために離れていた、私以外は――


 反射的に体が動き、私が放った魔法が魔物の首を切り飛ばしました。


 頭部を失った魔物の体から黒い血が噴き出し、少女の顔を染めていきます。少女はあまりの恐ろしさに固まり、地面に座り込んでしまいました。


 聖女を讃えていた場が、騒然となりました。

 母親らしき女性が悲鳴をあげながら、少女を魔物から引き離しました。


 ケルビン様が私に詰め寄られました。


「アイリス、一体何事だ!」

「生き残った魔物が少女に襲い掛かろうとしていたため、討伐しました」

「だからって、もっとやりようがあっただろう! あんな残酷な殺し方……レイカが怯えているだろう!」


 そう憤慨されるとケルビン様は、クライム様にしがみつくレイカ様に駆け寄り、慰めの言葉をかけていらっしゃいました。子どもをあやすように、レイカ様の黒髪を撫でていらっしゃいます。


 少女が殺されそうになったというのに、レイカ様の心配をするケルビン様のお気持ちが、全く分かりませんでした。


 村の人々たちから私に向けられる視線も、冷たいものに変わっていました。


「子どもの目の前で、首を飛ばすなんて……」

「聖女様は、何故あんな残忍な女を供にしているんだ」

「恐ろしい……」


 そんな会話を交わしながら、村人たちはレイカ様たちを取り囲みながら、立ち去っていきました。

 私が救った少女を抱き上げながら立ち去る母親が、憎々しげに私を見ていたのが印象的でした。


 ……今なら、何故ケルビン様が私のことを残酷だと仰ったのか、理解できています。


 レイカ様の力であれば、魔物たちは光の塵となって消えます。血なまぐさい戦いを経験していなかったのです。


 この場に取り残された私は、魔物の遺体を焼きました。

 ユラユラと揺れる炎を見ながら、私は初めて旅に疑問を抱いたのです。


 私はあの方たちにとって、一体何なのか、と―― 


 *


 旅を続けながら、

 前線で戦わされながら、

 一人で広い街の中で情報収集をし、時には危険な目に遭いながら、

 いつまでも三人が戻らない宿で一人待ちながら、

 路銀が足りず、母の形見の髪飾りを売ったお金が、レイカ様へのプレゼントに消えていくのを見ながら、

 眠っている私の隣で、ケルビン様やクライム様との逢瀬を楽しむレイカ様の淫らな声を聞きながら、


 ずっと、ずっとずっと私は考え続けました。


 私は、彼らにとって一体何なのかと。


 私の役目は、ケルビン様を守ること。

 それを果たしているのに、何故こんなにも空しいのかと――


 そして私の運命が変わったあの日――


 今でもハッキリと覚えていますわ。

 とある村はずれに、強大な魔物が現れたのです。


 今までの戦い方が通用しません。それなのにケルビン様もクライム様も、レイカ様の傍から離れることなく、


「アイリス、早くあいつの動きを弱らせて動きを止めろ!」


 と叫ぶだけ。


 雑魚は全て倒しましたが、あの魔物は残っています。

 私は敵と対峙しました。


 しかし本来魔法使いとは、魔力を操るために鎧を身につけることができないため、後方にいるもの。

 物理で攻められれば、ひとたまりもないのです。


 ケルビン様もクライム様も、私の防具が、戦いでボロボロになった服とローブということを、きっとお忘れになっていたのでしょうね。


 敵の攻撃を避け損ねた私は、体中に衝撃を受けて倒れてしまいました。


 魔物が止めを刺すために近付いてきます。

 重い足音と重なる形で、三人の会話が聞こえてきました。


「あいつがアイリスに意識を向けている間に逃げるぞ‼」

「で、でもケルビンっ、あ、アイリスが……っ」

「今はご自身の安全を一番にお考えください! あなたは聖女なのですから!」

「俺やレイカのために命を投げ出せるなら、アイリスも本望だろう! それにあいつは、お前を目の敵にして、色んな嫌がらせをしてきていたんだろ? 気にするな!」

「そうです! 聖女を苦しめた報いです!」


 まさか、という思いでなんとか目を開くと、視界の端で三人が私に背を向けて走り去るのが見えました。


 助けて。

 行かないで。


 私を、


 ――見捨てないで。


 声なき声を発しながら、私は三人の背中に手を伸ばしました。

 しかし、彼らは一度も振り返ることは、ありません、でした。


 ふと、旅の途中、レイカ様に熱をあげるケルビン様へ忠告を差し上げたときのことを思い出しました。


「アイリス。お前のその態度、レイカの言う【悪役令嬢】そのものだな」

「あくやく、れい、じょう……? それはどういったものでしょうか?」

「物語のヒロインに敵対し、攻撃をする貴族令嬢のことだ。ヒロインの恋路の邪魔をしたり、才能を妬んで嫌がらせをするような者のことをいうらしい」

「私は、レイカ様の邪魔をしたり、妬んで嫌がらせなどしておりませんが」

「ふんっ、どうだか。レイカは俺たちがいないところでお前に嫌がらせを受けていると言っていたぞ。だがその意識すらないとは……根っからの悪役だな、お前は!」


 私は何も言えませんでした。

 何故なら、本当にレイカ様に敵対などしていなかったのですから。嫌がらせなど、もってのほかです。


 ただ、この旅が成功するよう、力を尽くしていただけ。


 しかし、見捨てられてようやく分かりました。

 私が皆のためだと思い、し続けてきた行動は……彼らにとって悪意でしかなかったのだと。


 彼らにとって私は、ヒロインレイカ様を苦しめる悪役令嬢だったのだと。


 そう。

 そのときでしたね? ルージャン。


 あなたが私を助けようと、出て来てくれたのは。


 魔物の注意があなたに向いた瞬間、私はありったけの魔力を注いだ一撃を、敵に叩きつけました。


 魔物は倒れ、私も同時に気を失い……気付けばこの村にいたのです。


 あなたが連れてきてくれたのですね?

 本当に……感謝しています。


 しかしあなたも知っているとおり、意識を取り戻した私は、ずっと心を閉ざしていましたね。婚約者に見捨てられ、仲間だと思っていた人たちから裏切られ、私の心は酷く傷ついていたのです。


 このまま死んでもいいと、思う程。


 ですがあなたたちは、そんな私に理由を聞かず、優しく接してくださいました。

 そしてあなたは、両親を失い、一人で弟を育てて大変なはずなのに、私を家に置いてくださいました。


 あなたや村の人々の優しさが、死を望んでいた私の心を癒やしてくれたのです。


 心が癒やされた私は、思いました。


 ケルビン様やレイカ様、クライム様にとって私が悪役令嬢だというのなら、お望み通り、そうなってやろう、悪役らしく自分の欲望に忠実であろうと。


 ケルビン様たちだって、旅の間、ご自身の欲望に忠実だったではありませんか。

 ご自身たちが見たいように物事を見ていたではありませんか。


 ならば、私も同じように生きても問題ありませんわよね?


 え?

 私は悪役令嬢などではない?


 ありがとう、ルージャン。でも私は……悪役なのですよ。


 私は、遠眼鏡の魔法で見ていたのです。

 ケルビン様たちが辿った末路を――


 今まで私に頼りっきりだった彼らが、戦っていけるわけがございません。すぐに魔物たちに捕まったようです。


 ケルビン様は、ご自身の命が惜しく、魔王に命乞いをなされました。そして国王様の首を取ってくることを条件に解放され――お父上をその手にかけたのです。

 混乱に乗じ、取り憑いていた魔物がケルビン様の肉体を媒体にして転移門を開き、大量の魔物を送ってきたため、門を封じるために斬り殺されました。


 クライム様は、魔王によって膨大な魔力を注ぎ込まれたせいで狂い、魔物とともにたくさんの人間を殺しました。結果、神殿にとらえられ、魔を祓うために火あぶりにされました。


 レイカ様は今も生きていらっしゃいますわ。

 ……まああの状態を、生きている、と言えるかは分かりませんが。


 彼らの最期を、私はただ見ていただけでした。

 祖国が滅ぼされるときも、私はただ見ていただけでした。


 己の感情を――怒りや憎しみを優先した結果、未来の夫も、世界の希望である聖女も、ともに二人を守る役目を担った仲間も、家も、国も、神殿も、全てを見捨てて裏切ったのです。


 だから、ルージャン。

 私はあなたが思うような人間ではありませんのよ。


 世界は魔王にほとんど支配されています。

 もうずっと長い間空は見えず、風が吹けば異臭が鼻につきます。


 この村も含め世界は、今日滅ぼされてしまうでしょう。


 魔王はこの世界の人々に向けて言ったそうですね?

 私たちが今いる土地は、もともと魔物たちが住んでいたのだと。それを後からやってきた人間たちが、黒髪黒目の女性を使って虐げ、追い出したのだと。


 だから、あるべき姿に戻すだけなのだと――


 そう。

 あちら側にも理由があったのです。


 でもね、ルージャン。


 全部、全部――







 ど う で も い い の。


 *


 魔物たちに、人間たちに、どんな戦う理由があっても、私にはどうでもいいの。


 皆それぞれに言い分があるのなら、私にだって言い分があります。

 無数に存在する言い分の中、通せるものは……力ある者の言葉でしかないのです。


 分かりますか。

 力ある者の言葉こそ、全てなのです。


 …………

 …………


 ありがとう。

 お茶とクッキー、とても美味しかったわ。


 え?

 立ち上がってどこにいくのか?


 決まっているでしょう?

 魔王を倒しに行くのよ。


 レクトにも、明日は晴れると言いましたからね。村の皆さんも、そろそろ太陽が見たいのではなくて?


 …………

 …………


 私は……この村が魔王によって滅ぼされるのが許せないのです。

 私を見守り、優しさを教えてくれた人々がいるこの村だけは……守りたいのです。


 一度は、この村とともに私も滅ぼされても良いと思いました。

 でも、悪役令嬢として生きようと決めたとき、許せないと……この怒りを大切にしようと思ったのです。


 私は、この村の皆さんに――そしてあなたに、生きて欲しいと思っている。

 平和な世の中で、笑顔を浮かべながら生きて欲しいと、強く……強く願っていると、気付いてしまったのです。


 人間や魔王が掲げる戦う理由と比べると、利己的で自分勝手な理由でしょう。

 ですが、何の問題があるのでしょう?


 私は、悪役令嬢。

 好き勝手させて頂きますわ。


 魔物たちは、人間たちに土地を奪われた被害者だそうですが、そんなこと、私には関係ございません。


 その主張を魔王や魔物たちが力で押し通そうとするのなら、私は大切なものを守りたいという主張を通すため、力を振るうだけです。


 ……ええ、そうね。

 私は以前、魔物に負けています。そんな私が魔王に挑んだところで、返り討ちにされ、レイカ様と同じ運命を辿るだけでしょう。


 でも私が、何も対策をしていないと思って?


 私が摘み取り、毎日食べていたティアの実とコリンの花。

 あの二つには、魔法使いの魔力の回復と魔力量を増やす効果がある、大変希少性のあるものなのです。普通の人にとっては毒なのですけれど。

 大量に自生しているのを見つけたとき、驚きましたわ。


 魔法使いであっても食べるのが辛いそれを、あなたが食べやすい方法を考えてくださったおかげで、二年前と比べものにならないほどの力を得たのです。


 あなたたちのと毎日のティータイムが、私を強くしてくれていたのですよ。


 今、この瞬間も――


 だから感謝しています、ルージャン。

 あなたのお陰で私は、本当に大切なものを守れる。


 昔からの決まりではなく、

 誰かに命令されたからでもなく、

 望まれたからではなく、


 自分の意思で、守りたいもののために力を尽くせる。


 ……ああ、自分の思い通りに行動するって、これほどまでにワクワクすることなのですね。


 私、悪役令嬢になれて本当に良かったですわ。


 では、レクトに伝えてください。

 明日からずっと、青空の下で元気に遊んでくださいと。


 村の人々には、私を静かに見守ってくださった感謝を。


 そしてルージャン、あなたには――あら、何故耳を塞いでいるのかしら?


 そんな言葉、聞きたくない?


 ふふっ……仕方ありませんわね。

 では私がここに戻って来たら、そのときは……耳を塞がずに聞いてくださいね。



 それではルージャン。







 ――ごきげんよう。


 *


 ああ、今日も良い天気だ。

 太陽が、眩しい。


 平和だ。

 とっても、平和、だ。


 この景色を見たかったんじゃないのか?


 なのにどうしてあなたは――


 *


"それではルージャン。ごきげんよう”


 その言葉とともに彼女が僕の前から姿を消したあの日、魔王は倒された。


 だが、彼女は戻ってこなかった。


 彼女がいつ戻ってきてもいいように、僕は毎日、ティアの実のクッキーとコリンの花茶を用意していた。


 だが、彼女は戻ってこなかった。


 戻ってきたら、僕に伝えたいことがあると言っていた。

 戻ってきたら、僕も彼女に伝えたいことがあった。


 だが、彼女は戻ってこなかった。


 後悔した。

 あのとき、彼女の言葉を聞いてしまえば、二度と会えなくなる気がし拒絶した。


 彼女の言葉を聞くべきだった。

 僕は彼女に伝えるべき、だった。


 戻ってこないのならば――

 

 魔王を倒したのが彼女であることは、誰も知らない。

 僕も、彼女の功績だと声をあげるつもりはない。


 きっとそれは、彼女が望むことではないから。


 …………

 …………


 ああ、レクト、ありがとう。

 うん、今日も貰うよ。ティアの実のクッキーとコリンの花茶を。


 僕の体にも、すっかりティアの実とコリンの花が馴染んだよ。まあ十年間食べ続ければ、さすがに慣れるよ。

 始めの頃は、食べる度に随分苦しんで、お前にも心配をかけたけれど。


 でも……お陰で僕も今や世界唯一の大魔法使い様だ。ここまで辿り着くのは大変だったけどね。


 ああ、うん。彼女が残した魔法書は全て極めたよ。

 今の僕なら――この世界で最高の魔力量をもつ僕ならば、死者も蘇らせられるし、時間も超えられる。


 彼女が、この村が滅ぼされることを許さなかったように、誰よりも気高く、心優しい彼女が犠牲となることを、僕は決して許さない。


 え?

 それらは禁忌じゃなかったって?


 ああ、そうだけど僕には、



 ど う で も い い こ と だ。

 


 ――じゃあ、行ってくるよ。

 彼女を迎えに。


 そして聞くんだ。

 彼女の言葉を。


 そして今度はちゃんと伝えるよ。

 あの日伝えられなかった


 僕の想いを――



 <了>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

婚約者に見捨てられた悪役令嬢は世界の終わりにお茶を飲む めぐめぐ @rarara_song

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ