第一話 ノンフィクション

----------------------あぁ、朝が怖い

そう思うたびに私の心は擦り減って、奥深くで泣きそうになる。

 

 夜は私の何もかもを受け止めてくれる。

 まるで黒色に何を混ぜても変わらないように。


そんな真っ黒な夜に、私は一つだけ質問してみた。



「私は、この痛みを愛せるのかな?」



なんてね。夜は人とは同じように話せない。ただただ色んな人の思いを受け止めるだけの空間に過ぎない。

けれど私は、この人に話を聞いてもらえていると思っていた。


そんなことをしていると、東の方から少しずつ青色の空へと変わっていく。

 もう、夜は終わりなんだ。

 まだ、まだ待ってくれないかな。

 もう少しだけ夜と話していたいよ。

自分の思いとは裏腹に、一軒家やマンションが明るく照らされていく。



---------------------あぁまた、朝が来てしまった。





 私、水城麗は、県内の公立高校に通う17歳だ。

部活には入っていないけれど、色んな物語を書くのが好きで、今までに5作品くらい書いてきた。

 王道のラブコメやミステリー。この前はホラーにも挑戦してみた。

元々、私は本を読むことがほとんど無かった。漫画やアニメの方が面白いと感じていたし、文字が並べられているだけの文庫本に興味は湧かなかった。

中学3年生のとき、ネット上の友達にある本を勧められた。主人公が余命1年ほどのヒロインが登場し、主人公の成長とヒロインの生き様を書いた作品だった。

 最初は読むのを躊躇っていた。けれど、友達は私なら沼にハマると言っていたので、とりあえずその本を開いてみた。

 そこには私の知らない世界が広がっていた。ただの文字の羅列が、情景となって目の前に現れた。文字だけの会話が、まるですぐそばで聞いているような感覚になった。文字だけでこんなにも想像ができるのかと、私は感心した。

 それからというもの、面白そうな文庫本を見つけては読むということを繰り返していた。アニメの原作もあったので読んでみると、キャラクターの気持ちがアニメよりも鮮明に伝わってきた。

 本を読んでいくと、これを自分でやってみたいと思うようになった。最初はどう書いたらいいのか分からなかったので、読んできた本の真似をしてみた。それを何度もやっていると、自分の書きたいことが少しずつ自分の表現で書けるようになった。

 自分の言葉で物語に息を吹き込むのが神秘的に感じて、創作の世界にのめり込んでいった。


 通学途中は、私の作品を読んだ人からのコメントを読んだりしている。


『言葉選びが独特で、水晶さんの世界観に惹き込まれる』

『色んなジャンルを書けて本当にすごいと思います!』

『これを書いてるのが高校生とは思えない』


 水晶というのは、私のペンネームだ。名字となんとなく似てるからという理由でこれにした。

 私のアカウントにはこういったコメントがよく来る。私を肯定してくれるコメントだ。あまりネットの世界に縋るのはやめた方がいいと親からも言われているけれど、顔も知らない人が私の作品を読んでくれて、こうやって私を認めてくれるのが、とても嬉しかった。



学校じゃ誰も私を見ないようにしているから、ここが私が皆に認めてもらえる唯一の場所だ。



そう思っていても、ネットの世界ではやはりアンチコメントというのは付き物らしい。


『本書いたり読んだりしてる奴って現実じゃ根暗ボッチだろw』

『出版されたところで誰も読まないよ』


 やっぱり皆に認めてもらうのは無理か…。

 まぁこの人たちの言い分もよく分かる。実際に根暗ボッチを貫いてるし、名前の売れてない小説家はどうあがいても最初は作品が売れないものだ。

 それでも誰かが、少し気になって、試し読みして、面白いなと思って、自分の本棚に作品を入れてくれるかもしれない。それが積み重なって、名前と作品が売れていく。その微かな希望を持って、駆け出しの小説家というものは必死に作品を書いている、と思う。


 そんなことを考えていると、スマホの時計が8時半を映していた。あれ、そんなに経ってたの?

「さすがに学校遅れたらまずい」

一応皆勤賞を目指してるので、遅刻は許されない。

 私はショルダーバッグにスマホを投げ入れ、走って学校へ行く。

 改札機に定期券をかざし、バスロータリーを抜け、すぐそばにある階段を上がる。橋を渡ればそこはもう、校門前である。

 こういうときに駅近はいいなと思う。時間がギリギリでも、こうやって走れば意外と間に合うのだ。




 下駄箱で上靴に履き替え、校舎に入り、ドアの前に立った。

(あぁ、また始まるのか…)

 いつもは完全に閉め切られているドアが、少しだけ空いている。ベタなものでいくなら、黒板消しが落ちてくるとかかな。


できれば汚れたくないな〜と思いながら、恐るおそるドアを開ける。

 すると4つほど、ガムテープで作られたボールがとてつもない速さで飛んできた。私にはそれらを避ける動体視力も、運動神経もないので見事に全弾命中した。

 ボールを投げてきた人たちの1人が私に声をかける。

「わりぃわりぃ、皆でキャッチボールしてたんだ」

嘘。言っている男子は不器用な無表情を作ってるし、周りの人たちもクスクスと笑ってるんだもん。そもそも、キャッチボールって4個もボール使うものじゃないでしょ。

「申し訳ないけど、そのボール投げ返してくんない?」

これも嘘。あなたみたいな人が申し訳ないなんて言葉を使うはずがない。謝る気がないことは私にだってわかる。それに、投げ返したところであなたたちは逆ギレするんだし。

だからこういうときは、


「おい!無視すんな水城!」


これが模範解答だ。投げてきたのは彼らだから、私にそれを処理する義理はない。どれだけ挑発しても乗ってこない私に勝手にイライラしてるといい。今回に関しては単純に球技ができないからっていうのもあるけれど…。


 彼らは、高1のときからこんな感じだ。


弱そうな人、孤独な人、私みたいに陰が住処の人。 


そういう人たちをいじめてきた。精神的なものから身体的なものまで様々だ。いじめられた人が不登校になったとか転校したとかは、風の噂で聞いたことがある。その噂が流れると、いじめる対象を変える。そうやって自分の地位を、クラス内の権力を高めたいのだろう。

 クラスメイトたちは、彼らに目をつけられないよう、基本的に彼らに言われたことはやる感じだ。当の本人たちは、その裏に殺意や憤りがあることに気づいていないけれど。

 高2になってから、彼らが同じクラスになると知った瞬間、私はいじめられるという予感がしていた。私は基本、休み時間は勉強をするか、本を読むからだ。誰かと親しげに話すわけでもなく。

 予想していた通り、始業式の次の日から私へのいじめは始まった。

 彼らは手慣れているように、最初は軽いものから始め、段々と重くしていく。


始業式から1週間は、授業プリントがなくなると         か、シャープペンシルの芯が何本かとられるといった具合だった。

 これくらいなら別に大丈夫だった。


始業式から3週間ほどして、私のボールペンとシャープペンシルがなくなった。

 割と気に入っていたので、かなり傷ついた。


始業式から1ヶ月。ついに身体的ないじめが解禁された。最初は、わざと机にぶつかったりするくらいだった。

 この程度は大丈夫だけど、いずれエスカレートすると思った。


始業式から1ヶ月半。体育の授業で、ボールを私の顔に直撃させた。

 特にケガをしなかったけれど、これが少なくとも今年は続くと思うと、とても恐くなった。


始業式から3ヶ月。体育祭の前日に足をかけられ、左足の足首を捻挫した。全治3週間と言われたので、先生に言って、誰かは忘れたけど代理の人に走ってもらった。そういえば、代理の人に謝ったっけ……?。

 この頃から私は、誰かに助けを求めることも、助けられることもなくなった。三者面談では親には話さないよう先生に言っておいた。


夏休みを挟んで2学期になった最近。精神的にしんどいものも、身体的にしんどいものも両方される上に、頻度が高くなった。

 学校の時間が長く感じるようになった。


「はぁ〜…」

 今度は、いつも座っている自分の席に、刃物か何かで彫られたような跡がある。恐らく彫刻刀だろう。幸いにも、悪口とかが彫られてはいなかった。

 このくらいなら、下敷きを敷けば何も問題はない。

椅子にも何かされているのでは?と思って確認したが、何もなかったので安心して椅子に座る。


「水城さん、大丈夫?」


少し悲しそうな顔で私を見てくる。

これもいつも通りだ。

こうしていじめられては、隣の席の西河透くんが私を心配してくれる。

割と上手く笑えてるはずなんだけど、この人だけは疑り深いのか、全く話しかけるのをやめようとしない。

 ていうか、改めて見ると西河くんって結構かっこいいんだな…。


 西河くんは私をいじめる人たちとかなりの頻度で話しているが、こういういじめには参加しない。まるでその時だけ彼らをいないものとして扱うように。その理由を前に聞いてみたら、こう返してきた。

『別に、好んであいつらと仲良くやってるわけじゃない。むしろ逆だ。嫌いだから、あいつらの輪に入って、ボロをかき集めて、それを先生とかに出したいだけ。それで停学とか、できれば退学まで追い詰めたい』

 これを聞いたとき、なるほどと少し思った。

 確かに、私は彼らにいじめられているけど、彼らのプライベートを知らない。私がいじめられていることは先生に伝えてあるから、『いじめ』という内容を言ったところで、注意喚起程度にとどまるだろう。輪に入れば、「昨日は何した?」とか簡単に聞けるし、プライベートの情報を集めることができる。西河くんによると、悪行はたまにしかしないらしい。


「うん、大丈夫」

そう言って私は笑顔をみせる。

「ならいいけど…」

少し不安そうな顔をしながらも、西河くんは手元にある文庫本に目を戻す。

 こうした“作り笑い”も慣れてきた。

 1学期のときから心配してくれていたから、西河くんにあまり心配をかけたくないと思って始めたっていうのもある。けれど一番の理由は、こうすれば彼らが、「いじめても面白くない」という感情を抱いて、自然と私へのいじめがなくなっていくと思ったからだ。

 けれど、なくなるどころかエスカレートしていくばかりだった。

 そのせいで私の作り笑いは、いじめをなくさせるためのものから、私の辛さを誤魔化すためのものになっていった。


「あ、そうそう」

西河くんが私に話しかけてくる。


「今日の放課後さ、ちょっと残っててくんない?」


思ってもいない言葉が発せられて思わず「え…?」と呟く。

「あれだからな。告白とかそういうのじゃないぞ」

「だったら何の話?」

「放課後までおあずけです」

「私は犬じゃない!」

はぁ、全くこの人は…。

 まるで私を慰めてくれるように話しかけてくる。

 まるで私の辛さがわかってるように悲しそうにする。

 まるで『良い人』のように救おうとしてくる。

 そんなの、ただの偽善に決まって……。

そこまで考えて、自分のダメなところをまた思い出す。

 あぁ…、まただ。また私は、救いの手を差し伸べてくれる人を突き放そうとしている…。


「で?残ってくれる?」

普通はただの確認程度の言葉に受け取れる。けれど私には、残りなさいと命令を受けているように感じた。

「今日は特に予定は無いから、いいよ」

「わかった。場所はこの教室で」

「うん」

そこで私たちの会話は終わった。

そのあと、西河くんが彼らを呼び出して、廊下で何か話していた。

私の席は窓側なので、西河くんが彼らに何を話しているのかほとんど聞こえなかった。



幸いにも今日は朝の一件以降、いじめはなかった。



 ホームルームが終わり各々が帰路につく中、私はずっと自分の席に座って考え事をしていた。

(なんでわざわざ私を、しかも放課後に呼び出すんだろう?)

西河くんは交友関係がかなり広い。だから、その中から私を選んで、昼休みじゃなくて放課後に呼び出す理由がわからない。

私にしかできないことでもあるのだろうか。実は西河くんも彼らにいじめられているとか…。

私以外、誰もいなくなった教室にガラガラッとドアの開く音が響く。

「お待たせ」

「全然待ってないよ。………って言いたいところだけど、ホームルーム終わって20分も経ってるよ」

「先生にプリント運べって言われてさ。まあそれが重かったのよ」

「言ってくれれば私も行ったのに」

「水城さんにはだいぶしんどいと思うよ」

「……遠回しに私が非力だと言いたいの?」

「うん。そう見えるから」

「今度はストレートに言うんだ……」

「遠回しに言ったら嫌そうな顔してたし」

「え、そんなに分かりやすいの?」

「うん。だって水城さん、嫌なときはちょっと相手のこと睨むでしょ」

そうだったんだ。恐らく無意識の行動なんだろうけど、それに気付く西河くんの観察眼の鋭さに感心した。

「それで、話ってなに?」

本題に入るために、私は質問を投げる。

すると、西河くんはスマホの画面を操作して私に見せてきた。そこに映されているものを見て、私の心拍数がどっどっと上がっていく。

画面を見せながら、西河くんが口を開く。

「これ、水城さんのアカウントだよね?」

私が小説を書いているアカウントが、画面に映されている。なんでバレたの?どうやって知ったの?

質問したくても、驚きが強くて口を動かせない。

それに構わず、西河くんは話を続ける。

「このサイト、俺も使ってるんだよね。水城さんみたいな長編小説は、書いていくうちに設定とか忘れそうだな〜と思って、俺は短編小説を書いてる」

「----------んで…」

「え?」

「なんで!」

思わず叫んでしまった。それでも私の口は動き続ける。

「なんで私のアカウントを晒すの!せっかく誰にも干渉されない居場所を見つけて、顔も知らない誰かに認めてもらえたのに!」

「なんか勘違いしてない?水城さん」

「何を勘違いしてるのよ!」

「俺はこのアカウントをクラスの誰かに晒そうとしてるわけじゃない」

「え……」

「俺がこのアカウントを晒すなんて言ってないだろ」

言われてから気付いた。晒されると思ったのは、完全に私の早とちりだったらしい。

恥ずかしくて、か〜っと頬が熱くなる。穴があったら入って、入口を閉じたい。

「……それで、私に何をしてほしいの」

少し早口になって聞く。

すると、西河くんは頼み事だと言った。

「水城さんに、彼らに関する長編小説を書いてほしい」

「どういうこと?」

私には西河くんが何を言っているのか、さっぱりわからなかった。

「俺が集めてきたあいつらのプライベートの情報と、水城さんが受けてきたいじめの内容をもとにノンフィクションの小説を書いてほしいってこと。それを水城さんにお願いしたい」

やっと脳が追いついた。

 私のアカウントが注目されていることを利用して、多くの人にノンフィクション作品を読ませて、彼らを炎上させる。そして停学や退学へと追い込む気だ。

 でも…、

「西河くんもアカウント持ってるんだよね?だったら、わざわざ私のアカウントを使わなくてもいいんじゃ……」

「俺のアカウントじゃだめなんだよ」

ピシャリと戸を勢いよく閉めるように強く言い切った。

「で、やってくれる?」

話題を無理矢理戻すように、私に確認してきた。


 私だって彼らがいなくなるなら、本当に嬉しい。

 未来の平穏な生活が保証されるのだ。

 けれど、その手段として私の大好きな小説を使うのは、なんとなく気が引けた。

 これまで注目もほとんどされなかった私のアカウントにノンフィクションを投稿したら、どうなってしまうんだろうか。

 インターネットの注目の的となってしまうのは確かだ。

 そうすれば、私が趣味として楽しくやってきたものを失ってしまう気がする。

「……やっぱり、私のアカウント…」

「水城さん、なんか面倒くさいこと考えてない?」

私の心を見透かしたその言葉に、はっと顔を上げる。

「『今まで頑張ってきたアカウントを使うのはどうなんだろう』とか『嫌いな人を題材にしたくない』とか考えてるんだろうけどさ、」

少し動揺した。全部、ぜんぶ正解だ。西河くんは人の心でも読めるのだろうか。

大丈夫だと、西河くんは続ける。

「アカウントはさ、1つじゃないんだよ。自分で新しく作れば、また活動できる」

「でも、それじゃ!今私を見てくれている人がいなくなっちゃう!」

「それも大丈夫。水城さんの小説、めちゃくちゃ面白かったから。初投稿のやつとか、まだまだ初めたてって感じもあったけど、ストーリーの構成、発想力、言葉選び、独特の感性を活かした表現。そういった“小説家としての素質”を感じた。短編小説しか書いたことのない俺が言うと価値がないかもしれないけど、水城さんの小説はいずれ大ヒットすると思う」

 とても真面目な顔で、声色で、まっすぐ私を見てそう言った。

 不意に頬に一筋の水滴が流れる。あぁこれが……

「あれ、俺なんかまずいこと言った?!ごめん!そんなつもりは無かったんだって!」

大丈夫。分かってる、わかってるよ。あなたはそんなことをする人じゃないって。

 ただ、あなたが私をまっすぐ見てくれて、小説が面白いと言ってくれて、素質があると言ってくれたのが、本当に嬉しくて。


 思わず涙が溢れただけだから。



 あぁこれが、小説家にとって一番嬉しいことなんだ。


まだ涙を少し残した顔でニコッと笑って、まっすぐあなたを見て伝える。


「ありがとう!」


精一杯の感謝を伝えた。

「別に俺は大したこと言ってない」

西河くんは少し目を逸らして頭をわしわしと掻く。

照れ隠しにも見えるその仕草には触れずに、さっきの質問に答える。

「いいよ。頑張ってノンフィクション小説書いてみる」

「本当にいいのか?」

「今いいって言いました」

「そうじゃなくてさ、また無理してないかなと思って」

「大丈夫!」

私は満面の笑みを浮かべる。あなたなら、これが作り笑いじゃないことは分かるはずだ。

「分かった。それじゃあ、具体的にどういう構成で書いていくかとか考えていこうか」

「うん!」



机に大きめの紙を広げ、二人で話し合う。

「まずはストーリーだけど、ノンフィクションだからできるだけ現実に沿う感じになるけど、書ける?」

「フォロワー5000人を甘く見ないで。私が今まで書いてきた日常系の小説はね、いかに“普通に”書くかを重要視してた。だから大丈夫だと思う」

「オッケー。あと登場人物だね。キャラクター設定は本人と当事者に寄せるけど、名前はどうする? 本名使う?」

「できれば使いたいかな。そっちのほうが私は書きやすいし、自分の気持ちに正直に書けそう」

「わかった。あいつらは俺が短編小説書いてるの知ってるから、名前使っていいか聞いてみる」

「そんなにサクッと聞けるものなの?」

「『主人公の名前思いつかないから使ってもいいか』って聞けばたぶん一発」

「………すごいね」

嫌いだから輪に入っているとは聞いていたけど、こんなことも簡単に聞けるくらい仲が良い(ように見せかける)のはすごい。

 私ならわざわざ輪に入ろうともしないし、話そうともしない。これがコミュニケーション能力の差なのだろうか。

「あとは、水城さんの思うがままに書いてくれればいい」

「え?」

「俺が手伝えるのはここまでだ。さすがにどう書いてるかを見る権利は俺にはない」

「……見てもらわないと困るって言ったら?」

「俺が根負けするまで耐久勝負」

西河くんが腕を組みながらドカっと椅子に座ってそう言った。まだ西河くんも子供なんだな〜と思ってクスッと笑う。

「あれ?そこは勝負に乗る流れじゃない?」

ここで耐久勝負をしては、私が西河くんに「見る」と言わせる形になってしまう。だから、西河くんの意思で「見る」と言ってもらうために、

「耐久勝負は苦手なので」

こう言った。でも、あなたなら、

「どんだけ俺にやらせたいんだよ…」

ほら。こうやって言葉の裏を読んでくれる。

なんだか、小説家とその編集者みたいだなと自笑する。

「わかったよ。麗の書いた小説は俺が見る」

不意に名前を呼ばれてどきっとする。

「あれ……名前呼んで…」

「毎回呼ぶときに『水城さん』って他人行儀な感じになるの嫌だから、名前で呼ぶことにした。いいかな、麗?」

今まで家族にしか呼ばれてこなかったその名前を、あなたは使ってくれるんだね。友達だと、仲間だと認めてくれるんだね。だったら私も、

「いいよ、透」

お返しをしてあげよう。今まで偽善者だと疑っていたことへの謝罪と今日の感謝を込めて、あなたの名前を初めて呼んだ。


それから導入だったり、構成だったりをお互いに意見を出しながら決めていった。

気付けば閉門時間ギリギリだったので、二人でヤバいと言いながら荷物をまとめ、制靴に履き替え、校門まで走る。

「こういうのって青春だよな」

全力で走っている私の横でジョギングのように走る透が言う。

「青春なんだろうけどさ、はぁ…、ジョギングは煽りにしか見えないんだよ、はぁ」

「麗も帰宅を極めたらこうなれるよ」

帰宅に極めるなんて概念あるわけないでしょ!と心の中でツッコみながら、とにかく校門まで全力疾走する。

校門を一瞥したら、警備員の人が門を閉めようとしている。

「あのー!閉めるのちょっと待ってください!」

隣でジョギングしながら透が叫ぶ。

「ほらあとちょっと」と言われながら、なんとか閉められる前に校門を出られた。

「いやー危なかったね」

「危なかったとか言う割に元気ですね!」

私は今ので体中の酸素をほとんど使い切ったというのに…。

「そういえば、麗って家どこの辺り?」

透がまだ息が整ってない私に聞いてくる。

「私の家はここからもうちょっと北の方にあるよ」

「え!俺と方面一緒じゃん」

「そうなんだ」

人って意外なところに繋がりがあるんだな〜としみじみ思っていると、

「せっかくだし、一緒に帰らない?」

少しだけ笑って私に声をかける。

夏に比べると藍が深くなった空が透の笑顔を引き立てていて、その魅力に思わず惹き込まれる。

 凛としていて真っ黒な目。

 少しだけ長めの黒い髪。

 ハーフらしさのある高い鼻。

 少し赤みがかった頬。

 色気を纏った唇。

 それらが合わさって透という1人の人間を写している。

「うん!」

私は元気よく答えた。



透は西町の北の方に家があるらしいので、途中まで一緒に帰った。

……何か私、変なこと言ってたりしないよね?

次々話題が出てきたせいで、何を話したかほとんど覚えていない。


ヴッヴッ


ポケットに入れていたスマホが鳴る。その振動に驚いて「ひゃっ」と少し裏返った声が漏れる。

 よかった。周りに人はいない。

 見られていたら穴を掘るところだった。

メールの通知欄に『西河透』と書かれている。

「どうしたんだろう」

通知欄をタップしてメールを開く。

『大丈夫、何も変なこと言ってなかったから』

…………。離れていても気付かれるのか…。

もしかして私をストーキングしてたり………。ってそんなことをするような人じゃないか。

『なんで分かったの?』

透に聞く。

『さっきいっぱい話してたから、麗ならそういうこと考えそうだな〜と思った』

すごいを通り越して、もはや怖い。

透の目は遠く離れた私の心まで見えるんだ。

『もう遅いし、早めに寝なよ〜。小説書いてて寝坊するとか恥ずかしいだろうし』

『わかった。おやすみ〜』

『はーいおやすみ〜』

そこでメールのやり取りは終わった。

スマホを閉じて、もう一度歩きだす。


無意識に笑みが溢れた。





ドアの前に立ち、鍵を開けて、中に入る。

「ただいま」

おかえりと返す声は無いけれど、これが習慣になっていた。


私の両親は、数年前に離婚した。


 母はどんなときでも上品な人だった。言葉遣いや傘の持ち方、鞄の背負い方まで。お嬢様という言葉が最も似合うのは彼女だろうと私は勝手に思っていた。勉強やスポーツだって超一流。私がわからない問題を、母は人工知能のように高速で解いていく。

そんな母を何度も凄い凄いと言っていた記憶がある。その度に、世の中には私より凄い人はいっぱいいるんだよって言われたっけ。

 反対に父はかなり暴力的な人だった。言葉遣いは荒々しいし、気に食わなければ母でさえも殴ったりする。勉強はほとんど出来ないし何を聞いても、うるさいとだけ返される。私は、父は母と全く釣り合っていないじゃないかと思っていた。けれど小学生の時、私がいじめられたらすぐに学校へ出向いて、いじめてきた生徒とその親に対して本気で叱ってくれた。そのときに、殴ったり罵声を浴びせたりしながらも、父は私を大切に思っているということが分かった。



私にとっては最高の両親だったんだけどな……。


離婚してほしくなかったな……。



なんとなく負のループに入りそうな気がしたので、顔をぶんぶんと思いっきり振る。そして頬をパシンと叩いた。

今更そんなこと考えても仕方がない。過去は過去なのだから。今は今を進まなければならないのだから。

簡単に夜ご飯を済ませて、机の前にある椅子に座りパソコンを開いた。

「ちょっとだけやってみるか」

新しいファイルを開き、そこに文章を打ち込んでいく。カタカタというキーボードの音だけが部屋に残っていた。






まだ私はここにいたいと思っていた。

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まだ私はここにいたい ノヴァ @hobbykiwami

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