金の祠、銀の祠

津麦縞居

記録

 沼の中から全裸の老人がぬうっと現れた。

「そちぐわこわしたほこらわどちじやあ」

 老人は水面から足が少し浮いた状態でそこにいる。そして、掠れた声で呪いの言葉か何かを吐き出している。実際に聞こえてくる言葉は、『そぉ~ちぃ~ぐぅ~う~わ~』という感じの超スローペースなので、一発で聞き取れる現代人はいないのではないだろうか。


 黄昏時。この珍事に遭遇してしまった青年は、とりあえず警察に電話をかけることにした。110番の間も老人は変わらず直立不動(浮動?)で「そちぐわ――」と繰り返している。

 全裸、というのがちょっとした事件性を感じさせる。人間が水面に浮いている、というのも異常事態である。吊るされているとしたら、何かのトラブルに巻き込まれて拘束されている、とか……。

「あの……、怖いんで、電話繋いだままじゃダメですか?」

 青年はそう言ってからハッとした。電話は既に切れていた。


 翌日。件の沼は警察関係者に包囲されていた。

「小林巡査~? マジでここから電話掛かってきたの?」

 鬼原きばらが気の抜けた声で女性に詰め寄り、その傍らの電話ボックスをドスンと叩く。実際、電話本体は既に撤去されているので、電話ボックスというより、「電話ボックスの廃材」と言うべきかもしれない。

「いや、他にこのアドレスで公衆電話ないじゃないですか。私だって信じられませんよ?」

「じゃあ、心霊現象だわ。この辺多いのよ。来てみたら通報者自体いなかった~、みたいなやつ」

「それなら、これだけ集めたのは何故ですか?」

「事例が多いから、だな」

 小林は「はあ……」とうつむき、その直後、黒板を引っ掻いたような悲鳴を上げた。その場であちこち捜索していた人間が皆、彼女へ視線を向ける。

「うわ~。巡査、音痴だろ。悲鳴が気持ち悪い」

「……すみませんでした」

 鬼原が散々な軽口を叩くので、小林は正気を取り戻した。

「……で、何見ちゃった?」

「男の人です。身長と体格からして、成人……通報者かと思いました。全身が血まみれで……」

「さっき、フチ見てたよな? あの辺はさらったけどホトケさんは出なかった。今、見える?」

「見えません。見間違いでしょうか」

「見間違いだったらあんな悲鳴上げないね?」

「はい」

「気張れ」

 鬼原が唐突に肩をバシッと叩いたので、小林はよろけた。

「……どう?」

 鬼原の手が示す先には人の体が見える。これはどういうことだろう。

 小林は血の気の引いた顔で周囲を見渡し、再び沼のほとりに目を向けた。そこには確かに青っぽい服を着た成人男性が横たわっている。

「やっぱり人が倒れています。さっきと違って、普通の……いや、普通じゃないか」

「おう、分かった。さて、どうやって回収しようか。……おや?」

 ふと、鬼原はこちらに手を振る二人の方へ駆けて行った。小林はその後を追おうと一歩踏み出……したつもりだった。


 景色が変わったのは、ほんの一瞬。県警本部から来ていた警部の鬼原が背を向けたその時だ。

 行方不明者の多発する場所で現場検証をしていた小林は、沼のほとりに一人で立っていた。

「うそでしょ……」

 今は朝8時、快晴のはずだが辺りが薄暗い。沼の形も先ほどまで見ていたそれと違う。異世界に迷い込む、ということが現実にあってよいものだろうか。

 とりあえず、電話をかけてみる。本部の人員は少ないから、つい先程メモをとった鬼原の番号で良いだろう。

 ――はーい、鬼原~。巡査、早速何かあった?

 鬼原は相変わらず気の抜けた声をしている。

 まさか自分は幻覚を見ているだけなのだろうか、と小林は首をかしげた。

「皆さんとはぐれました。どういう状況なのか把握できていません」

 ――俺も、急に電話かかってきてわけわからんよ? 今どこ?

「信じがたいのですが、一歩前に出ました。それだけです。男性が倒れている、と言った場所で……」

 ――う~ん?

 鬼原は不思議そうに唸り、「電話を切るな」と指示を出した。電話越しに数名の声が聞こえる。どうやらこのファンタジーな現象に、その場の全員が困惑しているらしい。

 手持ちぶさたなので自分の足元を見た。男性が倒れているのでは、と思ったがなにも無い。沼を見ても、全裸の老人はいない。

 電話は繋がったままだ。下手なことは出来ない。

 小林はメモ用紙を1枚ちぎって、それを丸めて沼に投げた。紙は、沼の真上に届いたあたりで鉄の玉のような動きに変化し、そのままボチャッと音を立てて沈んだ。

 すると、ゴボゴボと音を立てて水面に向かって老人が浮上してきた。

「鬼原さん! 聞こえますか!」

 電話に叫んでみたが、ノイズが聞こえるだけで鬼原の状況はわからない。

 そうしているうちに老人は全身を現した。


 昨日の夕方、不審人物に遭遇したとの電話があった。小林は電話を受けた川城かわじろと現場に向かった。しかし、通報者がいるはずの場所に人は一人もいなかった。

 小林たちは水難事故の恐れも視野に入れ、すぐにでも捜索を行いたかったが、ちょうど日没を迎えて危険だということで引き上げることになった。


 小林は老人と対峙した。老人の平坦で遅々とした発音は、こう聞こえた。

『そちが壊した祠はどっちじゃ』

 数秒置いてから発音は再開した。

『壊した祠は、金の色か? 銀の色か?』

 祠を壊した覚えはない。金と銀の祠なんてものを見た覚えもない。

 電話は変わらずノイズ音しか発しない。

 一か八か。

「私は祠を壊していない」

 小林は、老人に向かって声を上げた。


 間もなく、鬼原の目の前に小林が現れた。ついでに、男性の水死体も。 

「おうおう、帰ってきたか」

 小林はへなへなとその場に座り込んだ。


 後から聞いた話だが、小林巡査は異界に迷い込んだ時、祠を壊した。老人が『それならば石の祠を壊せ』と言ったからだ。

 その後は、周辺地域の行方不明者が次々と発見された。まるで、死者が祠に閉じ込められていたかのように。

 小林はその件以降、祠を見つける度に壊していたらしい。鬼原もそれを黙認していた。


 金の祠か銀の祠を壊せば、もっと多くの死体が見つかるだろうか。いや、それこそ壊してはいけないのかもしれない。


 小林が失踪してから、今日で10年目になる。



 

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金の祠、銀の祠 津麦縞居 @38ruhuru_ka

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