大好きな漫画家をボコボコにしようとした話

ガビ

大好きな漫画家をボコボコにしようとした話

「‥‥‥やっぱり、今週もつまらない」


 絶望的な気持ちで漫画雑誌を閉じる。

 小学生の頃から大好きだった漫画、『サウザンド・ストーリー』が、つまらない。


 今週もだけではない。先週も先々週も、1ヶ月前も1年前もつまらなかった。

 1年前までは、「つまらないわけがない。これは私の読解力が足りないせいなんだ。新山ボタン先生のことを信じよう。きっとこの話は、今後の話に効いてくる伏線か何かなんだ」と必死自分に言い聞かせていた。


 イジメられいた時期も、『サウザンド・ストーリー』の続きを読めると思えるだけで耐えられた。

 両親の喧嘩を止めるために間に入ったら、邪魔だと父に酒瓶で殴られて入院していた頃も、その面白さに支えてもらった。

 高校2年で初めて彼氏ができて嬉しかった。でも、バイト代を搾り取られた上に浮気されたことが判明し、それを指摘したら逆ギレされて目の前から去られた日も、『サウザンド・ストーリー』は面白かった。


 だから、新山ボタン先生には返しきれない恩がある。ちょっとくらいついていけなくなったからなんだ。悪いのはボタン先生の意図を汲み取れない私じゃないか。


 そう考えて、1年間読み続けた。


 死んだと思われていた主人公の師匠が、何の前触れもなく再登場した。きっと、納得できる説明があるはずだ。‥‥‥無かった。

 女性キャラ陣が、無意味に肌を露出するようになった。同性の私でも綺麗な身体だと思うけど、この子達ってこういう服を好んで着る性格じゃないような気がする‥‥‥。

 ようやく、謎に包まれていたラスボスが登場したが、魅力を感じない。今までの敵役は悪い奴だけど、カリスマ性があって格好良かった。でも、こいつはただ強いだけだ。


 違和感を覚える展開が、どんどん増えているのだ。

 一体どうしたんだ。キャラへの愛を失ってしまったのだろうか。


「‥‥‥んしょッ」


 私は重たい身体を無理やり立たせて、本棚に向かい、『サウザンド・ストーリー』の1巻を手に取って読み出す。

 あぁ。やっぱり面白い。キャラが生き生きとしている。今とは大違いだ。


 その勢いのまま、50巻まで一気読みしてしまった。だって面白いから。

 時計を見れば、深夜2時。もう寝なくちゃ明日の1限の講義が辛くなる。寝よう。


 布団に潜り込み、目を瞑るが瞼の裏が見えるだけで眠れる気が一切しない。まだ脳内で最近の『サウザンド・ストーリー』のつまらなさについて考えてしまう。


「‥‥‥最新話、読みたくないなぁ」


 つい、独り言が漏れてしまった。

 そこで、ちょっとしたアイデアを閃いた。


「‥‥‥じゃあ、ボタン先生に休んで頂ければ良いのでは?」


 そうだ。きっと、今は疲れが溜まっていらっしゃるからに違いない。週刊連載を長年している先生は、もう若くはない。昔のようにクオリティを維持しながら書くのは、そりゃキツい。半年くらい、しっかり休んでから作品に向き合って頂くのが良いのではないか。


 しかし、それには理由が必要だ。

 ただ「疲れたから」で休めるほど甘い世界じゃないだろう。やむを得ない理由‥‥‥病気や怪我か。


「‥‥‥怪我」


 このアプローチなら、私にもできることがあるかもしれない。

 ボタン先生に命には別状はない程度の怪我を負わせる。そうすれば、誰もが納得する休む理由になるじゃないか!


「よし! 先生をボコボコにしよう!」


 テンションは上がっているが、それをしたら逮捕されることくらいは理解していた。しかし、それで作品が良くなるのなら、私の人生などどうでもいい。


 方針が決まれば、後は行動するのみ。

 私は布団から起き上がり、準備を始める。

 明日の1限のことなど知ったことか。

\



 半年後。


 丁度、ボタン先生に休んでもらう予定の時間がかかってしまったが、準備は整った。

 大変だった。まずは先生の仕事場を知ること必須だったのだが、日本の宝である新山ボタンは顔出ししていない。


 いきなり大きな壁にぶち当たった私は、人生で初めて探偵を雇った。風俗のバイトで貯めた全財産を提示したが、もちろん、向こうさんは断った。しかし、ここで諦めるわけにはいかないのだ。


「あの! 探偵さんは『サウザンド・ストーリー』は好きですか!?」

「ん。まあ、そりゃ好きだよ。最近は微妙だがな」

「そんなんです! 微妙というかつまらないんです!」


 そこから、私はボタン先生を襲撃する意図を馬鹿正直に打ち明けた。犯罪計画を自分から嬉々として語り出したのである。

 今考えればとんでもない奇行だった。その場で警察を呼ばれても文句は言えない。


「‥‥‥君、面白いね」


 しかし、女性の探偵さん‥‥‥星田さんはニヤついてそう答えた。


「私も、最近の『サウザンド・ストーリー』には違和感があったんだ。殴りまくって目を醒させてやれ!」

「はい!」


 という、頭のおかしい会話の末、星田探偵事務所は新山ボタン先生の仕事場を調査してくれた。


 その間、私は己の身体を鍛えた。

 普段は大学と風俗バイトくらいでしか外に出ない私だったが、一丁前にランニングや筋トレを始めた。全ては新山ボタン先生を病院送りにするために。

 そして、半年の月日が流れて、ついに星田探偵事務所はボタン先生の仕事場を突き止めてくれた。


「ありがとうございます! ありがとうございます!」

「良いってことよ」


 あの人には感謝しかない。

 恩返ししたいけど、私はこれから逮捕されるので先の話になりそうなのが申し訳ない。


 さて。決行だ。

\




 先生の仕事場は、古いアパートの202号室だった。

 意外だ。私はてっきり代官山辺りのオシャレなマンションの1室だと予想していたのに。部屋とかにこだわりがないタイプなのだろうか。


 現在、午前11時20分。


 この時間は、先生は必ず外食に行くと星田さんから調査報告を受けている。

 私は周囲に怪しまれないように堂々と202号室に向かい、鍵穴をピッキングする。これもこの半年の間で身につけた能力の1つだ。ものの2分で開ける事ができた。


 部屋にはいり、隠れそうな場所を探す。

 生原稿に目が移りそうになったが、犯罪者である私にそれを見る権利は私にはない。


 しかし、不倫相手を隠すことで定番のクローゼットすらない。ミニマリストすぎるだろう。先生。


 もういい! トイレだ!

 トイレに駆け込み、ボタン先生の帰りを待つ。


「‥‥‥」


 なんか、こうしてると、高校時代に便所メシをしていた頃を思い出す。

 惨めだったなぁ。

 でも、家に帰ったら『サウザンド・ストーリー』が読めるから耐えられたんだ。


 ガチャッ。


 そんな思い出に浸っていると、玄関の方から解錠の音がした。

 いよいよだ。せっかくだからボタン先生がトイレの扉を開けた瞬間に襲いかかろう。


 耳を澄ませる。


 手を洗う音、レジ袋から何かを出している音、ネトフリを起動する時の「ドュゥゥゥゥゥン」という音を聞きながら、30分ほど経ち、こちらに足音が近づいてきた。


 間違いない。トイレに近づいてきている。

 ファイティングポーズをとって待ち構えている。


 ついに、扉が開く。

 そこにいたのは、メガネをかけた可愛らしい女性だった。

 作風から、男性だと思い込んでいた私は、一瞬身体が固まる。


「ごめん。とりあえず気絶してもらうね」


 そんな間抜けにボタン先生はハイキックを喰らわせる。

 首にクリーンヒットした衝撃により、私の意識は途絶えた。

\



「あ。起きた」


 私が目覚めて最初に視界に映ったのは、先ほど、見事なハイキックを繰り出した女性だった。

 そして、頭部には柔らかいものが。


 ‥‥‥膝枕をされている?

 もしかして、不法侵入者を介抱してくれていたのか? 優しいを通り越して凄みを感じる行動に頭が痺れる。


 その人の顔をマジマジと見てしまう。

 歳は40代後半といったところだろうか。しかし、雰囲気はもっと若く感じる。


「どうも。新山ボタンです。ごめんね。思ったより強くて蹴っちゃった。お水いる?」

「‥‥‥はい」


 ゆっくり起き上がり、差し出されたペットボトルの水を飲む。

 一息ついてから、自分が完膚なきまでに敗北したのだと受け入れる。身体的にも、人間的にも。


「えっと‥‥‥はい。事情を説明します」


 これはもう、ジタバタしない方が良い。

 私はまたしても、自分の愚かな行いを人に話した。


「‥‥‥うゥ」


 結果、泣いてしまった。

 私ではない。ボタン先生がだ。


「す、すみません! 週刊連載を長年頑張ってらっしゃる先生に私みたいな何者でもない女がとんだご無礼を! どうか、好きなだけ罵って下さい!」


 涙だけではなく、鼻水もダラダラ垂らしながら、ボタン先生は言う。


「違うの。嬉しくて‥‥‥」

「嬉しい?」

「うん。だって、最近アンケートの順位落ちてきてるし、つまらなくなってるのは分かってるの。でも、今の担当さんは私よりずっと歳下だから意見とか言ってくれないの。何を書いても絶賛してくれて‥‥‥あ、良い人なんだよ? でも、昔みたいな議論ができなくて。読者さんの声を聞きたいけど、SNSとか怖いし‥‥‥だから、貴女が問題点を教えてくるて嬉しい! 他には何か無い?」


 なんだ。

 何が起きている。

 私、あの新山ボタンに感謝されているのか?


「ねぇねぇ。何かある?」

「あ。えっと、最近小さいとか大きいとかをセリフで表現する事が多いので、絵で説明してほしいと言いますか‥‥‥標準的な大きさのものと比較させるとかして」

「あぁ! そうだ! そうだよね! なんか分かりにくいと思ったら、それが原因か!」


 ボタン先生は飛ぶように作業机に座り、漫画を描き始めた。


「‥‥‥」


 私は全身の力が抜けて再び寝転んだ。

 なんだ。

 周囲が変わっただけで、先生自身は格好いいままだったのか。


「あ! ごめんちょっと良い!? このコマなんだけどさ!」

「あ。はーい!」


 先生に呼ばれて慌てて立ち上がり駆け寄る。

 幸せそうに漫画を描いている新山ボタンの横顔は美しかった。



-完-

 

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