到着

増田朋美

到着

その日、梅木武治さんことレッシーさんは、自宅近くにあるパン屋さん「パンの店阿部」を訪れた。店の中にはいろんな種類のパンが並んでいて、どれを買っていいのか、わからなくなるほどの量がおいてあった。とりあえず上段においてあった食パンを取ろうと思ったが、車椅子のレッシーさんには手が届かなかった。諦めて帰ろうかと思ったその時。

「おじさん。」

と一人の青い声に呼び止められて振り向いた。そこには一人の少年が立っていてその手には、食パンの袋が握られていた。

「これどうぞ。」

少年は、レッシーさんに食パンを渡した。

「取るのに困っていたみたいだから、代わりに持ってきたの。」

「ありがとうございます。」

レッシーさんは、食パンをにこやかに受け取った。

「じゃあ、勘定払ってもらってきますね。ありがとうございます。助かりました。」

そう言って、レッシーさんは、お勘定場の方へ行って、パンの代金を支払った。そしてパン屋を出ていこうとすると、少年も別のパンを買って、外へ出てきた。

「おじさん、パン買いに来たの?」

少年に言われてレッシーさんは、

「そうだけど?」

と、とりあえず答える。

「そうなんだね。じゃあおじさん車椅子でそのまま来たの?それともバスかなんかで?」

少年がなおも質問してくるので、レッシーさんはタクシーで来たと答えると、

「そうなんだね。僕はバスで来たんだけど、タクシーはお金がかかるから、おじさんも乗っていく?僕、吉原中央駅で降りるの。」

と、少年は言うのであった。本来であればタクシーで帰るつもりであったが、少年の笑顔を崩しては行けないと思ったレッシーさんは、吉原中央駅でタクシーに乗ればいいと考え直して、少年と一緒にバスで帰ることにした。バス停は、パン屋さんから歩いて五分もかからない。それに、吉原中央駅に行くバスは、割と本数は多い。二人が、五分ほどバスを待つと、吉原中央駅行とかかれた大型バスがやってきたので、二人はそのバスに乗った。と言っても、車椅子のレッシーさんの方はバスに乗るのに手間がかかった。他に乗客は、5人くらいしかいなかったので、誰も文句を言う人がいなかったのが救いでもあった。

二人は、バスに20分ほど乗った。バスの車内アナウンスが、吉原中央駅に到着したことを告げた。また運転手にお願いして、レッシーさんはバスから降ろしてもらった。他の乗客も、二人に文句を言うことはなかった。そこは、富士市民が割とのんびりしている人が多いということだろうか。

「本当にどうもありがとう。君の名前はなんていうの?」

バスを降りて、レッシーさんは少年に尋ねた。

「僕は大西博。おじさんは?」

と、彼は答えた。

「僕?名前は梅木武治。」

レッシーさんがそう言うと、

「じゃあまたあいに来てね。」

と大西博さんは、レッシーさんに頭を下げて、吉原中央駅の前にある横断歩道を歩いていった。レッシーさんは、博くんが見えなくなるまで眺めていた。

それから数日後。レッシーさんが幼児があって吉原中央駅でタクシーを待っていたところ大きな紙袋を持った博くんの姿が見えたので、

「博くん。」

と声を掛けると、

「あ、こないだのおじさん。」

と、博くんも彼に気がついてくれた。

「そんなに大きな買い物袋を持ってどうしたの?」

聞いてみると、

「食料を買いに行ったの。すぐ近くのスーパーマーケット。僕が買いにいかないと、他に誰も行く人はいないから。」

と、博くんは答えた。しかしレッシーさんは記憶に間違いはなければ、スーパーマーケットは、吉原中央駅からは、一キロメートル弱は離れていた。そこまで歩いて買い物に行ったのだろうか?それに、この時間帯は、小学生は学校に行っている時間帯である。

「博くん学校の勉強は?」

とレッシーさんが聞くと、

「ほとんどやる時間なんてないよ。だってご飯の支度やお掃除したり、洗濯物を干したりして、勉強する時間なんてないんだもん。」

と博くんは答えた。

「それでは、学校の授業についていけなくて困るのでは?」

レッシーさんが聞くと、

「どうせ学校の勉強なんて、順位つけられてそれで区別されて、大人が喜ぶだけだもん。」

博くんは答えた。

「でも、考えることや思うことはしないと行けないよね?」

レッシーさんが言うと、

「それでもいらないの。勉強したって、大人の人が喜ぶだけで、僕は何も楽しくないもん。それより僕は、家の手伝いをしたほうが、そのほうが家族のみんなも喜んでくれる。それなら、こっちも楽しいし、やりたいことをやったほうが、ずっと良いと思う。」

博くんはそういうのであった。ということは、家の手伝いを強いられる環境なのだろうか?

「そうなんだね。じゃあ家ではずっと家事をしていて、勉強はしないの?」

「そうだよ。でもそれで良いと思ってるんだ。僕はどうせ、勉強もできないし、体育もできないからさ。便利な道具を出してくれるロボットがいるわけでもないし、そういうやつは、いらない存在とみなされるだけでしょ。だから僕は、もう良いと思ってるの。それでいいと。」

「そうなんだ。」

博くんの話を聞いてレッシーさんは少し考えてしまった。もちろん勉強することは大事であるが、博くんは自分ができないと思い込んでしまって、こういう態度に行ってしまったのかなと思われる。なので少し態度を変える必要があった。

「そうだね。確かに学校は辛いものがあるね。」

「そうなんだよ。それにね、大人だって、僕らのことわかってくれる人はいないんだよ。みんな必ず最後には勉強しなくちゃダメッていうんだもん。中には塾へいけって言ってくれた人もいるけど、僕はその前にお母ちゃんの世話をしないと、行けないしね。他にお母ちゃんの世話をできる人もいないから。」

ということは、お母様が働いていないのか。

「そうなんだね。」

レッシーさんはとりあえずそういった。

「だからおじさんも、他の大人とおなじこというんだったら、声はかけなくていいからね。」

博くんはそう言って、レッシーさんの前から離れて言ってしまった。本当に学校へ行きたくないんだなと思わせる態度だった。

その翌日。レッシーさんは水穂さんのもとへ施術に行った。一応、鍼は打ったのだが、水穂さんに、

「梅木さんどうされたんですか?なにか偉く疲れているみたいですけど。」

と言われてしまうほど上の空だった。

「隠し事は行けないぜ。こういう仕事は、ちょっとしたブレが命取りになることがあるからな。ちゃんと話をしてもらおう。よろしく頼むよ。」

杉ちゃんに言われて、レッシーさんは話さなければならないなと思い、

「実は昨日、バス乗り場でとても可愛そうな子を見かけました。僕がパン屋で買い物をするのを手伝ってくれるほど、優しい子ではあるのですが、勉強をできるような環境ではなく、その上、学校内で邪険に扱われているようで、自分を肯定できないような、とてもつらい思いをしている子どもさんなんです。なんでも名前は、大西博くんという。」

と、正直に言った。

「はあ、そいつは、学校が百害あって一利なしであることを知ってしまったのか?」

と杉ちゃんが言うと、

「ええ、多分そうだと思いますが、でも学校に碌にいかないで、きちんと教育されないでいては、社会へ出たとき困るでしょう。それではやはり可愛そうなので、大人がなんとかしてあげないと行けないと思うのですが、何でもお母様の世話をしないと行けないようで、勉強する暇が無いのだそうです。」

と、レッシーさんは言った。

「特別な身分とか、そういうことでしょうか?」

水穂さんがそう言うと、

「いえ、そういう感じの子供さんではありませんでした。ちゃんと、緑のトレーナーを着ていましたから。ですが、別の事情があるのだと思います。」

とレッシーさんは答えた。

「そうか。身分というより経済状況で、勉強ができないという感じの子供さんなんだな。どこのバス乗り場でその子を見たんだよ。」

杉ちゃんがいうので、

「ええ、吉原中央駅です。彼の話によれば、近くのスーパーマーケットで買い物をしてきたというのですが、スーパーマーケットは、吉原中央駅から1km弱は離れています。」

とレッシーさんは言った。

「じゃあ、その近くで待ち伏せして、それで話を聞くか。」

「でもそんなことしたら、杉ちゃんが誘拐犯と間違われてしまいますよ。」

水穂さんがそう言うが、杉ちゃんの決断は変わらなかったらしい。

「まあ確かに、今の学校は百害あって一利なしではあるんだが、学校にいかないで、親御さんの世話をしているというのもまた異常事態ではあるんだよな。現実世界では、むしろ逆だからな。そういうわけで、ちょっと、彼に、お母さんから離れてもらって、自分の事をしっかり考えてもらう時間を持ってもらえば、少し変わってくるんじゃないのかな?いいか、子どもは国の宝なんて政治家みたいな言い方は好きではないが、子どもが楽しそうに生活できない世の中ってのは、本当に異常なんだぜ。」

「そうですね。じゃあ、杉ちゃんと僕で、彼をここへ連れてきますか。」

と、レッシーさんも杉ちゃんの話に乗った。

「よし。とりあえず吉原中央駅に行ってみようぜ。買い物は毎日しなければ行けない行為だから、必ず現れるだろう。それに、スーパーマーケットに寄っては、タイムセールなどをしているから、その時間に現れる可能性もあるし。」

そういうわけで、杉ちゃんとレッシーさんは、二人で障害者用のタクシーを呼んで、吉原中央駅まで乗せていってもらった。吉原中央駅近くの横断歩道で待っていると、また博くんが、紙袋を持って、やってきたのが見えた。

「博くん。」

レッシーさんが博くんに声を掛ける。

「今日はおじさんの友だちを連れてきた。おじさんたちは、君を無理やり学校へ戻すとかそういう気持ちはまったくないんだ。それよりも、君がどうして、学校に行きたがらないか知りたくて、君に聞いてみたいんだよ。」

「だからこないだも言っただろ。学校はつまらないんだもん。先生は、勉強のできる人の方しか見ないし、僕は、ずっと放置されっぱなし。だから、行ってもつまらない。」

博くんはそう言うが、杉ちゃんがすぐに、

「本当にそれだけ?」

と聞いた。

「まあ確かに、学校は百害あって一利なしというのは、確かだよな。それが辛いっていうのもよく分かる。だけど、本当にそれだけかい?別の理由があるだろう。そんなに大荷物持って、子どもが一人で買い物をするという光景は、戦後すぐならよく見られたが、今の時代は、全く見られない。」

杉ちゃんがそう言うと、博くんは、

「だって、僕がお母ちゃんを見てあげなければ誰が見てくれるんだ!」

と言って走って逃げようとしたが、大荷物に足を絡まれて転んでしまった。レッシーさんが車椅子ですぐ追いついて、

「ああ、膝擦りむいちゃったね。じゃあおじさんたちと一緒にお家へ言って、消毒しよう。放置しておくと破傷風にかかる危険があるから、ちゃんと消毒したほうがいいんだよ。それは、わかるでしょう。」

と言った。もう逆らえないと思ったのか、博くんはハイと言った。杉ちゃんたちは、障害者用のタクシーに乗せてもらって、製鉄所へ帰ってきた。

製鉄所へ戻ると、レッシーさんが、メールで博くんを捕まえたことと、転んで膝を擦りむいた事を連絡してくれてあったので、製鉄所の中では、水穂さんが傷薬と包帯を用意して待ってくれた。水穂さんに、傷薬をつけてもらって、傷をガーゼで塞いでもらうと、博くんは思わず、

「僕の母ちゃんもそうなってくれればいいのにな。」

と子ども心に感じたことを呟いてしまった。

「僕の母ちゃんって、君のお母さんは一体どういう人なの?」

と、水穂さんが優しく博くんに聞く。博くんは、まずいことを言ったという顔をしたが、

「そんなに怖がらなくてもいいんだよ。おじさんは、いま着ている着物のせいで、随分つらい思いをしてきた。これは、博くんたちより、身分が低いことを表してる。だから、おじさんだって、病院に行きたくても、病院に連れて行ってもらえなかった。それは、日本の歴史が関わってきたことだから、仕方ないことなの。君のお母さんよりも、おじさんのほうが身分が低いのかもしれない。」

「でも、僕のこと治してくれたじゃないか。」

博くんは反抗的に言った。

「そんなに優しいおじさんが、僕のお母ちゃんより、身分が低いなんてありえないよ!みんな大人はそうやって、僕のこと騙すんだね。」

「博くん。」

レッシーさんは優しく言った。

「本当のことなんだよ。僕も、このおじさんを病院に連れて行こうとして、本当に苦労したんだから。日本の社会は優しいようで優しくないのは、博くんもよく分かるんじゃないの?」

博くんは少し考え込む。

「博くんのお母さんも、このおじさんみたいに、事情がある人なの?僕は、このおじさんを病院に連れて行こうとしたけど、おじさんが銘仙の着物を着ていたせいで見てもらえなかった。そういうことが君のお母さんにもあったの?」

レッシーさんに優しく言われて、博くんは、小さな声で、

「お母ちゃんは、洋服を着ているけど、でも、おんなじことがあった。」

と答えた。

「それはどういうことだ。なにか、行けない事情があったのか?歴史的な事情意外に、医療機関を断られる例というと、例えば、、、。」

杉ちゃんに続いて水穂さんが、

「なにか、障害というか、不自由なところがあったの?」

と、優しく聞いたので博くんは小さく頷いた。

「そうなんだ。それは大変だったね。大変なお母さんをもって、周りの人には理解もされないで、さぞかし大変だったことでしょう。誰にも理解してもらえないで辛かったねえ。」

と、水穂さんが言うと、博くんは涙をこぼしながら、

「でも、お母ちゃんは、僕がいないとなんにもできないんだ!」

と言った。

「わかったよ。じゃあ、具体的にどんな症状があったのか、教えてもらえないかな?おじさんがパン屋さんで、パンを買うのを手伝ってくれたね。だから、同じように車椅子なのかなと思ったんだけど違うの?」

レッシーさんが言うと、

「歩けるんだけど、悪い人に狙われているとか、そういう事を言ったり、宅配便のお兄さんを、強盗だと言ったりして、、、。」

博くんの答えはこうだった。

「なるほど、被害妄想があるわけですね。」

水穂さんが静かに言った。

「それのせいで日常生活がままならないのなら、入院させたほうがいいかもしれないですね。」

レッシーさんもそう言うと、

「そうだよ!だけど、そうなると、僕はおばあちゃんの家に行くことになってしまっていて、お母ちゃんは、おばあちゃんのところに僕が言ってしまうのが嫌だから、僕を側においておきたくて、今の家にいる。」

と、博くんは答えた。

「つまり、被害妄想のせいで、出かけることも家事をするのもできないわけか。それなら余計にお前さんが可哀想だな。そんなわけだもん、世の中嫌になるよな。勉強が嫌になるのもわかる。でもそれでは、行けないよな。なんとかして、お母ちゃんを医療関係者に引き渡すことと、学校に行けないんだったら、フリースクールとか、そういうところにお前さんを通わせるようにしないと行けないな。」

杉ちゃんが結論を出した。

「しかし、それを実現するにはどうしたらいいでしょう?」

レッシーさんが言うと、水穂さんが、

「とりあえず市役所かどこかに電話して、彼の生活の現状を伝え、彼の母親が、養育能力がない事を認めてもらいましょう。そして、彼にはできるだけ差別のない教育を受けさせることです。」

と、言った。

「少なくとも、彼は僕のような身分ではないわけですから、そうさせてもらうことは可能だと思いますよ。まずは、市役所あたりに電話することから始まると思います。」

「そうですね、水穂さん。こういうときは誰かが変化を起こしてくれるのを待つわけには行きませんね。僕ちょっと電話をかけてみますよ。」

水穂さんの言葉に続いてレッシーさんは、電話をかけ始めた。

「僕、お母ちゃんと離れ離れになっちゃうの?」

と、博くんはそう言っているのであるが、

「だって、養育する能力がないんだもん、離れたほうが良いと思うよ。全寮制の学校とか行って、お友だちと楽しく過ごすってのも悪くないぜ。むしろ、どんな友達ができるか、それを楽しみにしてろ。世の中は、悪いやつばかりのように見えるけど、いいやつも出てくるから。きっと学校に行きだしたら、楽しい生活が待ってるぜ。」

と、杉ちゃんはそういったのであった。杉ちゃんの何でもプラスに変えてしまう能力には、みんなびっくりしてしまうことがある。どうしてそうなのかわからないけど、杉ちゃんという人はそうなっているらしい。どんなに言葉が乱暴であっても、そういうことができるのはある意味すごいと思われた。

「ねえおじさん。」

不意に博くんが、水穂さんに聞いた。

「おじさん、僕より身分が低いって言ってたけど、どうしておじさんは身分が低いの?どうして病院に行っても見てもらえなかったの?」

子どもらしくそういう博くんに、水穂さんは、静かに頭を撫でて、

「それは、学校というところで教えてもらってきてご覧。」

と言った。

「嫌だよ。僕学校はどうせ、順位つけて、順位が高い人ばっかりしか相手にされないもん。成績良くても、僕らが喜ぶのではなくて、大人が喜ぶのが学校なんだよ。」

と博くんはいうが、

「そうなんだね。それは確かに傷ついたね。でも、そういう事をしない学校もあるんだよ。それは、期待していいと思うよ。きっと学校へ行ったら、いろんな事を学べるよ。だから、それを楽しみに待ってようね。新しいことは辛いことではないの。楽しい事なんだよ。」

水穂さんは静かに言った。それと同時に、レッシーさんが電話を切って、

「とりあえず保健師さんが見に来てくださるそうです。それから、お母様の病状も確認したいって。今頼んできました。」

とスマートフォンを持って、杉ちゃんたちのところに戻ってきた。それから数分後、富士市と書いてある商用車が製鉄所の前に止まった。保健師が到着したのだ。



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