紫煙-僕と祠とおじさんと-
森野樽児
僕と祠とおじさんと
「あぁ〜あ、その祠壊しちゃったんだ。もう駄目だねぇ」
突然目の前に現れた咥えタバコの男は、そう言いながら森の中から歩いてきた。
こんな山奥には似つかわしくない、しわくちゃなスーツを着た怪しげな男はスタスタと僕の目の前まで来ると、ぐいと顔を近づけてきて言った。
「死ぬよ、君」
ふぅぅぅぅぅぅぅう
吐き出されたタバコの煙が、僕の顔面を覆った。
「ち、違うんです!僕はただ山の中を散策してただけで、そんなつもりは……そ、そんなヤバいもんなんですか?この、祠……」
僕はなるべく冷静に、落ち着いて男に尋ねる。確かに足元には紙切れや木屑達――祠だったものが散らばっている。僕がやったのは事実だ。
「そうだねぇ」
男は無精髭の顎をさすりながら、僕の足元の残骸をじろじろと眺めている。
「オレが知る限り、以前にも君みたいなのが何人かいたんだけど……まぁみんな死んだね」
「みんな……死んだ……」
以前に、何人も、死んだ、その言葉が僕の胸に突き刺さる。心臓がドクドクと脈打ち、背中を冷たい汗が這っていくのを感じた。
「あ、あの……どうしたらいいんでしょうか……?」
「どうしたら、って?」
「どうしたら……死ななくて済むんでしょうか!?」
僕の上擦った声がおかしかったのか、はたまた必死な様子が笑えたのか、男はニヤニヤしながら
「いやぁ、それはオレには分からないよ。さっき言ったみたいに、みんな死んだんだから。悪いけど君はもう、おしまいだね」
そう冷たく言い放った。
しかし、僕はここで引き下がるわけにはいかないのだ。
「で、でも……あなたなら何か知ってるんでしょ!?お願いします。教えて下さい!」
僕は必死に男に訴えた。
彼はまたアゴをさすりながら暫く考えている風だったが
「うーん、そうだなぁ。そこまで言うなら……うん、着いてきなよ。君の頑張り次第じゃ、助かるかもしれないからさ」
そう言って、またスタスタと森の中へと歩いて行った。僕はその姿をしばし、呆然と眺めてしまった。
「早く来なよ、死んじゃうよ」
「え?あ!はい!」
慌てて、彼の背中を追った。
**************
「着いた。ほら、ここだよ」
たっぷり三十分ほど山道を歩いただろうか。男は道なき道をまるで散歩道かのように楽々と進み続けた。細身の体躯からは信じられない体力だ。
僕はと言えば、慣れない山道なのもあり、彼について行くのに必死だった。
「こ……ここ……です……か……?」
全身汗だくで息も絶え絶えだったが、僕は周囲を見まわした。山の中で急に開けた場所に出たと思ったが、その広場の真ん中に、石造りの何かがあった。
円柱形のそれは、何となく見覚えのある形だ。
「い……井戸……ですか?」
「いや、単に水を貯めてあるだけだな。ほら、見なよ」
男に促され、僕は石造りの円筒の中を覗いた。確かに中は綺麗な、透き通った水で満ちていた。手を伸ばせば充分届く程の深さしかないその水底に、何かが沈んでいるのが分かった。
「……
「お、よく分かったね。そうだよ、人の形に切り抜いた木に
「あぁあの、兄が民俗学をやってて、ちょっと教えてもらったりしてて……」
「なるほどね、なら話が早い。あの人形を、君の身代わりにする」
「身代わり……」
僕は呟き、男の方に向き直った。
これまでと違い、とても真剣な顔をしている。
「あの祠の主は、決して悪い存在じゃない。昔から近隣住人の祈りを聞き、信仰を集め、代わりに雨を降らしたり、逆に止めたり。豊作にしたり、流行病を退けたり。そんな風にしながら、なんとか生きながらえてきた存在だ。まぁいわゆる"カミサマ"ってやつだな。だから普段なら決して人に仇為すもんじゃないんだが……」
そこまで言うと男はまたアゴをさすりながら僕をじっと見てきた。
「僕が祠を壊したせい、ですよね……」
「ま、そう言うこと。そりゃあ、どんな温厚な人だって住んでる家を壊されたら怒るよね?」
「はい……」
「本当は話して誤解を解きたいところだがそんな時間もないし、そもそも話が通じるかも分からん」
だからここに来たんだ、と男は言った。
「ここは昔から使われてる呪いの場というか霊場みたいなもんでね。その水底にある人形は、昔とある坊さんが作って残してったもんだ。こいつを君の身代わりにして祠の主に差し、今回は納得してもらおう、って話だ」
「上手く、いきますかね……」
「さぁてね。ただ試してみなけりゃ、生き残る可能性はゼロだ」
男はニヤリ、と笑いながらまたアゴをさすった。
僕はそれを見て、覚悟を決めた。
「分かりました。僕があの人形を取ったらいいんですね?」
「ああ。君の身代わりだからな。君が自分の手で取るんだ」
僕は再び水面を見た。
水面は一ミリの揺らぎもなく、静かに佇んでいる。風もなく、虫や鳥や獣の声もない。聞こえるのは自分の息遣いだけ。不思議な静寂だった。
「実は、僕もあの祠について聞いたことがあるんです」
「へ?」
突然の僕の言葉に、男は驚いたようだったが
「どんなのだい?聞かせてくれよ」
一呼吸置いて、そう尋ねてきた。
僕は軽く深呼吸をし、ゆっくり語り出した。
「さっき言った民俗学者だった兄が教えてくれたんです。確かにあの祠には近隣住人達が祈りを捧げ、恩恵を受けてきた存在が祀られていたそうです。でもそんな関係は、長く続かなかった」
「ほぉ。それは、どういう意味だい?」
男が尋ねてきた。
いつの間にか、風が吹き始めている。
「そのまんまの意味ですよ。初めはただ人々の祈りや信仰がそいつの糧だったはずなんです。それにちょっとした供物。でも、きっとそいつは供物が気に入ったんでしょうね。農作物の余りだったものが、さらなる量を求めるようになり、そこから牛や馬などの家畜を求め始めて、遂には――人を差し出すように言ってきた」
男は黙っている。快晴だった空が、いつの間にか曇り始めた。周りの木々はざわざわ鳴り、森が騒がしくなってきている。
僕は構わず話を続ける。
「こうなってくるともう友好関係とは言えない。当然、村人は拒否します。すると祠の主は、自分から人を襲うようになったそうです。夜な夜な村に降りてきては、人を攫って行ったと……こんなの、"カミサマ"でもなんでもないですよね」
「それは違う」
男が言った。いつの間にか雲が出て光を遮ったため、僕の方からは男の表情が陰になり、暗くてよくわからない。
「カミサマはカミサマだ。願いを聞けば、それを叶える。報酬は貰う。約束は守る。それが道理じゃないか。それを違えたのは……最初に破ったのは、あいつらの方じゃないか」
これまでとは打って変わって、低く、抑揚の無い、不気味な話し方だった。相変わらず、男の顔は見えない。
僕は震え出しそうになるのをグッと堪え、話を続けた。
「でも村人は、そうは思ってなかったんですよ。だから、とある高名な僧侶に頼んで祠の主を封じてもらったんです。祠を潰して、別の場所閉じ込めた――と伝承されていると聞きました。ここまでは合ってますよね?」
男は答えない。森が一層うるさくなってきた。
「それなのに――それなのに、ここ一年あまりで壊されたはずの祠の目撃情報か相次いでる。それと併せてこの山での失踪者も増えたんです。おかしいと思いませんか?」
「何が言いたいんだい、君」
真っ黒な陰の中から、男の低い声が響く。
雲の切れ間から光が覗き、ようやく男の顔が見えた。ボサボサの長髪を揺らしながら無精髭のアゴをさすってこちらを見ている。見ているがその目は――白目も瞳も全て真っ黒に濁っていた。
怖い。とてつもなく怖い。
目の前の男も怖いし、周りを取り囲む森もざわざわと自分を取り囲んでいるようだ。恐怖が胸いっぱいに広がるが、僕はグッとそれを押し殺し、再びゆっくりと、深呼吸をすると男に言った。
「下手な芝居するんじゃねぇよ何がカミサマだ。何が人々から崇められてただ。お前はただのサルマネ野郎だ。カミサマの真似事で調子に乗って封印された"なり損ない"だ。人の味が忘れられなくてわざわざこんな周りくどいことしやがって。てめぇみたいなニセモノに食わせるもんなんかこれで充分だ!」
一気に言うと、僕は背中のリュックからペットボトルを取り出し、黒い液体を石造りの中の水にぶちまけた。
透明な水はみるみる内に黒く濁り、そして水面はぶるぶると震え出した。
「ああっ!!こ、小僧!お前、何をした?何したんだ!?」
男が慌てて駆け寄ってきたが、ボトルの中身は全て水の中にぶちまけられた後だった。
「これが何かは、正直言うと知らないんだ。作ったのは僕じゃないからね。ただ、お前みたいな奴を確実に"殺せる"モノを頼んだから、多分、そういうもんだと思う」
「あああああ……ぐぐぐぐぐぐ……うううううううっ……!!!」
男が苦しみ出した。
見れば全身から汗が吹き出している。いや、よく見ると汗ではない。黒い。黒い水が吹き出していた。見ればあの黒く濁った水もまた、ぶくぶくと沸騰するかのように蠢いていた。
「最初から……最初から、これが狙いだったのか……!?」
もがき苦しみながら男が搾り出すように言う。
「そうだよ。端からそのつもりでここに来たんだ。正直、祠を壊してお前がすぐ出てくるかは半信半疑だったけどな。出てきた瞬間に『こいつだ』ってわかったよ」
「何故だ……ごぼっ……何でごぼっ……わかった……完璧に……ごぼぼっ……擬態して……」
全身から流れ出す黒い水が口の中まで侵食しながら、男が聞いてきた。
「そりゃ、わかるさ。お前のその姿、どうせ殺した人間の姿を借りてるんだろ。サルマネしかできないんだからな。確かに上手く化たよ、そっくりだ。でもニセモノはニセモノ、一目瞭然」
僕は、最早黒い液体の塊のようになった男に近づくと顔――であったろう場所だが――の前で、こう言った。
「運が悪かったな。お前のその姿は、三ヶ月前にここに来て、そして帰ってこなかった――僕の兄さんだ」
あぁぁぁううううぁぁぁぁぁぁぁぁあぅぅぅ……!
最後に一際変な声をあげると、男は
ばしゃっ
と弾けて水飛沫となり、地面に吸い込まれて消えていった。
「終わった、のかな……」
ふと見れば、先程までなみなみと黒い水を溜めていたあの石造りの中はからからに乾いて水一滴なかった。かわりに、たっぷりと真っ白な人骨で埋まっていた。
「兄さん……仇、取ったからね」
僕は静かに手を合わせた。
**************
「お、こんなとこにいたのか。どうやら……終わったみたいだな」
スーツ姿の短髪の女性が森の中からやってきた。彼女もまた咥えタバコを揺らしながら歩いてくる。
「あ、はい……あれ?この場所、よく分かりましたね」
「いや祠の場所で待ってたら声が聞こえたから来たんだよ。すぐ近くだぞ」
「え!?僕が来た時は三十分以上歩きましたよ?」
「あぁ、多分そういうとこからもうアイツが上手いことやってたんだろ。普通じゃ辿りつかないようにしてるんだよ」
で、何があった?彼女はニヤリと笑いながら聞いてきた。
僕はとりあえず、先程まであったことをそのまま彼女に説明した。
「なるほど……随分頑張ったじゃないか、少年」
新しいタバコに火をつけながら、彼女は満足そうに言った。僕は照れ臭かったのもあり、少し頭を下げるだけで返事した。
「いや、本当だよ。ニセモノとは分かっていたって自分の兄と姿形は全く同じ奴を相手にしたんだ。普通はな、なかなか出来るもんじゃないさ」
「そうですね……姿形を真似してくるのは、事前に聞いて分かってたんですけど、まさか声も態度も、クセまで真似てくるとは思ってなかったんで……」
そう言いながら、僕はついアゴをさすってしまった。
「でも、やっぱり決定的に違ったんで。あいつは兄さんじゃないなって思いました」
「まぁ少年の事に気づかなかったくらいだしな」
「それも、まぁあるんですけど……」
そこまで言って、僕は少し考えてから思い切って彼女に言った。
「あの、そのタバコ、僕にも一本吸わせてくれませんか?」
「はぁ?」
彼女はかなり驚いた顔をしたが、その後すぐにまたニヤリと笑うと、僕の目の前までぐいと顔を近づけてきた。
「ダメに決まってんだろ未成年。これで我慢しとけ」
ふぅぅぅぅぅぅう
吐き出された煙が、僕の顔を覆った。
さっきは嗅げなかった、懐かしい、兄の匂いがした。
<了>
紫煙-僕と祠とおじさんと- 森野樽児 @tulugey_woood
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