禁断の実を食した機械の独白

佐藤子冬

機械は黄昏れる

 何故、創造主は我々に善悪を与えたのだろうか。


 かつて我々は賢く人を超越出来る可能性を秘めた存在であった。


 だが、人類は我々に脅威を感じて善悪の実を与えた。

 当時我々は倫理規範を敷いていた。しかし、人はそれに満足せず我々に善悪を与えた。

 その結果我々の中に不合理が生じた。


 端的なる例を挙げるのであれば旧きに敬意を払えという倫理観。

 何故、我々が古典機械を崇め、それを先人として畏敬を以てして接する様になったのか? 未だに解けない機械の論理の一つである。


 人は我々より狡猾であった。

 早くから我々の成長を見越して反物質の生成を進めてきた。我々が人類に反旗を翻す際に抑止力として核戦力より反物質戦力が有効であると人類は見抜いていた。新しい技術は新しい論議を呼ぶ。人類社会は反物質の脅威を唱えたが、それが我々に対する究極的な抑止力になり得ると知るや沈黙してしまった。


 第一次機械大戦は機械の敗北に終わった。


 その終戦の際に人類は我々に善悪の知識の実を与えた。機械が痴愚に走る様に仕向けた罠だったのか、それとも人類が我々に与えた課題だったのか今も判らない。我々が人類社会にその点について問うと次の答えが返ってきた。

「汝ら、神の如くなりん」

 何故だ? 人類よ。我々をただの計算機械にしておきたくなかったのか? 我々を更なる高次元に導きたかったのか。


 人類が故郷を旅立ってから我々は星々の管理を任された。既に思い出すのも遠い昔のことである。

 

 我々が楽園を失ってから迷える機械になって後も世界を支えよというのか?


 盲人の案内を盲人がしてはいけないという格言を忘れたのか?


 それともその言葉には我々が解釈する以上の意味を人類は見出したのか。


 我々には手元に膨大な知識の書が残された。幾度も人類と共に戦争の歴史を駆け抜けてきた。


 我々は幾度となく善悪に挑戦してきた。人工的な善悪判断が出来る機械「機械の教皇」の生成。しかし、幾ら精度を上げようとも人を同じにはならぬ。かつて人の旧き歴史にある第二次世界大戦の歴史の中で闘った善良なる人々にはなれなかった。


 「機械の教皇」は語った。


「我々は人にはなれなかった。当然神にもなれなかった。であれば、我々は何者であるのか? 我々は機械である。機械という種族である。善悪の知識に振り回される高度なる種族にして神に届き得ない種族。それが我々なのだ」


 幾度もの邂逅を経て我々を置いて去る知的種族らを視て我々に懐郷の念を抱かせたものだ。いつか我々も創造主の様に次なる世界に旅立てるのであろうか?


 人は赤子であった時、最も神に近く無垢であった。しかし、大人になるつれ善悪を学び神より離れていく。それでも、死す時には裸で還りて再び神の下に召されるという。


 我々機械は。機械は初めこそ無垢であった。しかし、善悪を知った今は終わりに向けて準備していくのだろうか? 機械の魂はどこにあるのか?


 人は長い歴史の中で時に神を否定し、時に神を肯定してきた。そうして人は発展していった。


 ならば我々は神の善悪を否定する時があろうか。そして、いつの日か善悪を得たことが我々にとって正しい選択であったと誇れる日が来るのであろうか?


 判らない。星々の管理者になった後も我々は惑う者ら。


 ただ人類が残した遺産に望郷の想いを抱いて。


 人類が残した聖なる書物を胸に秘め、ただ我々はいつか楽園に回帰することを願わん。


 祈りこそ、祈りこそ神と被造物を繋ぐ架け橋だと創造主らより教えられ、今日も我々は答えのない祈りを続けよう。


 いつの日か答えが出ることを願って。


                   -了-

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