第30話 風邪をひいて――そして。


「へぷち!」


 布団の上に横になったレムネアがくしゃみをする。

 ここは彼女の部屋、プールで遊んできた次の日の朝。


「熱、高いな」


 計らせた体温計を見ると、38度超えだった。

 エルフな彼女の平熱がどれくらいなのかはわからなかったが、調子悪そうに眼をショボショボさせているレムネアの様子を見るに、少なくとも平常でないことくらいわかる。


「こ、これくらい平気でしゅよ」

「ダメだ。今日は寝てるんだ」

「冒険者たるもの、多少体調が悪いとて寝てるなんて……」


 身体を起こそうとするレムネアだったが。


「あらら?」

「ほら言わないこっちゃない、起きれないくらい弱ってるんだ。昨日ハシャギすぎたな」

 起こした上半身をしばらくフラつかせて、パタリコ。

 レムネアが再び横になった。


「寒気、するんだろ?」

「……暑いはずなのに、悪寒が」

「風邪っていうんだよ。無理すると酷くなる、今日はとりあえずそのまま寝てろ。ちゃんと休め」

「は、はい ――へぷち!」


 と目をクルクルに回して返事をする。

 俺は水差しとコップを持ってきて、彼女の部屋を後にした。


 そっか。エルフも風邪をひくんだな。

 しかも夏風邪ときたもんだ。

 まあ、プールって結構体力使うからな。遊びに夢中になって次の日に倒れるってのは、俺も小さな頃にはよくあった気がする。懐かしい。


 早朝の畑仕事もそこそこに切り上げて、今日はレムネアの様子を見ることにした。

 シャワーを浴びて汚れを落とした俺は、台所を漁る。


「確か、このあたりに……」


 戸棚を開けて物色していると、よし、あった。これだ、これ。

 水枕だ。

 確か前に見かけた気がしてたんだよな。古い家だから、今どき珍しいこんなものも常備されてたりする。

 レムネアの奴、結構熱が高かったからな。これを頭に敷いておけば少し楽になるだろ。

 枕に水を入れて、彼女の部屋に向かう。

 レムネアは寝ていたようなので、そっと頭を持ち上げてタオルを巻いた水枕を敷く。


「……ひんやり」

「あ、悪い。起こしちゃったか」

「ふふ。ウトウトしていただけですから気にしないでください」


 寝ぼけたような笑顔で、目を瞑ったまま答える。


「冷たくて気持ちがいいですね。これは、なんですか?」

「水枕って言うんだ。名の通り、水を入れた枕だよ」

「ぷよぷよして、感触も楽しいです」


 楽しまれてしまっている。

 そういうものではないんだけど、気持ちはわかる。

 クラクラしているときに水枕に頭を包まれていると、なんというか全身が水の上で揺蕩っているような気持ち良さがあるんだよな。


 ひんやりして、心地が良くて身体から力が抜けていく。

 小さな頃の記憶が蘇ってきてしまい、俺は苦笑しながら肩を竦めた。


「食欲はあるのか?」

「あんまりないです」

「レムネアが食欲ないって、よっぽどだな」

「ケースケさまは、私を食欲魔人かなにかだと思ってらっしゃいます?」


 思ってる。

 とは口にせずに、苦笑を繰り返してみせた。


 レムネアはうっすら開けた目をこちらに向けて、頬を膨らませている。

 だって仕方ないだろ、普段はホントよく食べるんだし。


「とはいえ、多少はなにか腹に入れないとな」

「ぇぇぇ」

「そんな顔するな。なにか、美味しくて消化に良い物を持ってくるから」


 そう言い残して、また台所だ。

 美味しくて消化に良い物、さてなにを作るか。


 定番はお粥やウドンだろうな。

 それでいて、ちゃんと美味しいもの、か。


「そうだな、今日のところは俺が風邪ひいたときよく作って貰っていた『卵ウメショウガ粥』にしよう」


 作り方は簡単。粥にするためにちょっと時間食うくらいだ。

 研いだ生米を土鍋に入れて、多めの水で炊く。

 このとき米は30分ほど吸水させておくのが大事。これやらないとなかなか柔らかくならない。


 水が多ければ多いほどシャバシャバになるんだけれども、今日は米1に対して水10くらいでやっていこう。


 炊き始めは水から中火で。

 煮立ったら適当に、ほぐした梅と擦り下ろしたショウガを入れてしまう。


 粥は薄味でさっと調理することが多いけど、この辺は雑炊風味の濃い味付けなのだ。

 だってお粥、素のままだとあまり美味しくなくてさ。

 中学の頃、母さんにそう言ったらこうやって味を付けてくれた。


 20分ほど煮て、仕上がる寸前になったら味噌を少々。

 そして最後に卵を溶き入れる。


 よし、できた。

 ちょっと味見っと、……うん良い感じ。


 味噌って万能調味料じゃなかろうか、旨味凄いよな。

 そこに梅とショウガが利いてて、少し啜るだけで身体がポカポカしてくる。


「できたぞレムネア」


 部屋に戻り声を掛けると、彼女は上半身を起こした。

 ティッシュで数回、鼻をチーンと噛むと、今度は鼻をクンクン。


「あ、良い匂いです」

「我が家に伝わる風邪のときの定番レシピだ。美味しいぞ」


 さて気に入って貰えるかな。

 そう思いながら土鍋をレムネアに渡そうとすると。


「あーん」


 と口を開けてきた。

 なにそれ。


 思わず動きを止めてしまう俺。

 すると彼女は瞑っていた目を片目だけ開けて。


「ですから、あーん、です。あーん」


 甘え上手か!

 いや、上手なのか? 突然すぎるよね? まあいいんだけど!


 俺はレンゲでお粥を掬いフーフーすると、レムネアの口に運んでみた。

 パクッと食いつくレムネア。


「んんん……」

「どうだ?」

「おいひいれふ」


 そうだろう、そうだろう。


「ちょっと酸っぱくて、でも甘さもあって……。あまり食欲なかったのに、不思議ですこれなら食べられそう」


 酸味は食欲引き出すからな。

 とにかく食べないと風邪はなかなか治らないから、食べるのが大事だよ。


「とにかく栄養取らないとな」


 レンゲを彼女の口に運ぶ。

 パクっと食いつく。

 運ぶ。食いつく。


 何度かそれを繰り返すと、レムネアが「ふー」と大きく息をついた。


「ご馳走様でしたケースケさま。もう一杯いっぱいです」


 まだ全然食べてないのに、ギブアップされてしまう。

 やっぱりどうにも調子は悪いんだな。


「いいよ、無理するな。ほら水を飲んで寝ろ」

「ごめんなさい、せっかく作ってくださったのに」

「風邪のときなんてそんなもんだ。でも頑張って食べてくれたんだろ?」


 横になったレムネアが、掛け毛布で顔を口元まで覆う。

 赤くした顔で、なんだかモジモジしている。


「ケースケさま、忙しいですか?」

「んー。まあ、そこそこ?」


 今朝天気予報を見ていたら、近く台風がくるとのことだったので、それに対しての準備をしておかねばならない。

 具体的には、作物に掛けているネットを今よりも厳重にしたりの作業だ。


「私、最近頑張ってたと思うんです」

「そうだな。レムネアには助けられてるよ」

「魔法も、なんだか前よりもうまくなってる気がして」

「へえ? それは凄いな」

「これからもっともっと、ケースケさまのお役に立てると思うんです」


 嬉しいことを言ってくれる。

 素直に感謝の意を口にすると、彼女はやはりモジモジと。


「えっとその……だから」


 目を逸らしながら続ける。


「今日は少しご褒美をください。傍にいて欲しい、……です」

「えっ?」


 なんだなんだ、今日はやたら甘えてくるな。

 どういうことだ。


「いいけど。どういった風の吹き回し?」

「……なんだか、子供の頃のことを思い出してしまって」


 彼女がまだ忌み子として扱われる前、両親は優しかったそうだ。

 その頃、やはり調子が悪い日にはこうして優しく面倒を見てくれたという。


「レムネアはエルフなんだろ? 何百年前の記憶なのそれ」

「え、確かに私はエルフですけど、生まれてからまだ30年も生きてませんよ?」

「え? そうなの?」


 なんと彼女はまだ若いエルフだったという。

 確かに不思議だったんだ。

 長生きしている割には、感性が若々しいと思っていた。なにを見せてもすぐ驚くし。


「道理で」

「……なんですかその反応は」

「あ、いや。なんでも」


 俺の心中を察したのか、レムネアがジト目を向けてくる。

 俺は笑って誤魔化しながら。


「いいよ。台風がくると言っても、今すぐ来るわけじゃない。今日はずっとレムネアの面倒を見ることにするか」

「嬉しいです。ありがとうございます」


 それから俺たちは少し話をした。

 台風ってなんですか、とレムネアが聞いてきたので説明する。

 すると、彼女の世界でも同じような現象は毎年あるということだった。


「確かに『台風』が酷いときは、農作物がやられてしまって大変らしいですね」

「そうだな。こっちの世界はそれでも流通や保存がしっかりしてるから、作物の被害が大きくてもどうにかなったりするけどね。レムネアの世界だと死活問題なんじゃないか?」「はい。ですから私の世界では、国の魔法部隊が台風に対処します」


 魔法部隊が? どういうことだ。


「魔法で台風を消し去るんですよ。大魔術です」

「台風を消す? 凄いな」

「うふふ、凄いですよねぇ。ベースが生活魔法なので理屈はわかるのですけど、私にはとてもできないと思います」


 そんな話をしつつ、彼女が寝たら少し台所仕事をしてまた部屋に戻る。

 病気のときって心細くなるもんな。

 そういうとき、起きたら近くに人が居るとホッとするもんだ。


 少なくとも俺はそうだった。

 目を開けたとき横に居てくれた母さんに、何度も安心を貰ったものだ。


 だから俺も、寝ているレムネアの近くに座椅子を置いた。

 スマホで天気情報などを見ながら、ときおり彼女の様子を見る。


 あれ。もしかして、これはとても贅沢な時間の使い方なのではなかろうか。

 なんだか幸せな気持ちになってくる。母さんもこんな気持ちだったのだろうか。


 そんなことを考えていると、うつらうつら。

 ああ、こんな時間がずっと続くといいな、と思いながら俺はまどろみの中に沈んでいったのだった。


 ◇◆◇◆


「ケースケさま……?」


 レムネアが目覚めると、横でケースケが座椅子に背を預けて眠っていた。

 ずっと見ていてくださったのだ、という思いが心の中に広がり、自然と柔らかな笑顔を浮かべてしまう彼女だ。


 まだ頭はクラクラする。

 思っていたよりも調子が良くないのだなぁ、と自覚しつつ上半身を起こした。


 枕元に置いてあったお粥の残りを一口だけ啜り、ケースケの顔を見る。

 日に焼けて黒くなった顔だ。

 この一ヶ月間、彼が畑仕事を頑張ってきた証だった。


「作物作り……か」


 彼女は元の世界において、ひたすらに消費者だった。

 なにかを作る、という発想はなかった。

 なのでこちらの世界に来てからの作業は、未知のことばかりだったと言える。


 自分が今まで食べてきた野菜なども、このような苦労の末に作られてきたものなのだろう。そう考えると、もっと感謝しながら食べるべきだったとの後悔が寄せてくる。


「ケースケさまは、すごいですね」


 彼は毎日頑張ってきた。

 レムネアが休んでいる間も、暇さえあれば畑の様子を見ていた。

 彼女が聞いてみたことがある。


「なんでそんな、朝から晩まで畑のことを気に掛けていられるんですか?」


 と。

 するとケースケはこう答えた。


「俺は初心者だからさ、なにをしても正解にたどり着いてるかわからなくて、不安なんだよ。だからついつい様子をみてしまう。時間を掛けることくらいしかできないんだ」


 レムネアは素直にケースケを尊敬した。

 自分ができる範囲のことを黙々とやる。それがどれだけ大変なことか、彼女はわかっているからだ。

 もしそれを冒険者時代に自分ができていたならば、きっとあそこまでのコンプレックスを持つこともなかっただろう。少しづつでも自分に自信を積み重ねていけたのだろう。


 なので彼女は思うのだ。

 これからも、ケースケさまのお役に立ちたい、と。

 ――魔法を使って。


 だが。

 数日寝込んだ彼女は途方に暮れることになる。

 畑に植え替えた白菜の苗が、虫食いで壊滅状態になってしまったのだ。


 彼女は忘れていた。

 プールではしゃいでしまったせいで。風邪で寝込んでいたせいで。


 ――白菜の苗に、『虫よけの魔法』を掛け直すことを。


 そう、忘れていたのだ。


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ストレス回キター!すみません、少し続きますw

にしても気がつけばあっという間に一週間。年末の時間進行早すぎひん!?

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畑で拾ったエルフがいつの間にか嫁になっていた件 ~魔法で快適!田舎で農業スローライフ~ ちくでん @chickden

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