第29話 高いところから見下ろして


「混んでる!」


 ウォーターチューブに並ぼうとした俺たちは驚いた。

 階段の下の下まで行列ができ、蛇行している。

 代表して声を上げたのはリッコだった。


「混んでるよケースケおにーさん!」

「これは……、並んでるうちにお昼時を超えてしまいそうだなぁ。どう思う、レイジ」

「タイミングが悪いなこれ」


 午前中に遊びに来た層が、まずこれを楽しもうと一度に並んでいるのだろう。


「だよな。ちょっと後回しにした方がよさそうだ」

「えっ!?」


 と俺の言葉に目を丸くするレムネア。

 いやだって、これ並ぶと下手すりゃ1時間コースだぞ。

 楽しみになっているところ悪いけど、先に他のことをした方がいい。


「そうですか……」


 目に見えてションボリしたレムネアに、美津音ちゃんが声を掛ける。


「それ……なら、私、レムネアお姉ちゃんに泳ぎを教えて……欲しい、です」

「あ、私もよかったら……」

「なにナギサ、まだ泳ぎが苦手だったの?」

「う、うるさいな。リッコだって教えられるほどじゃないって言ってたでしょう?」

「いやまあ、そうなんだけど」


 どうやら三人は泳ぎが不得意らしい。

 車の中で「レムネアは泳ぐのうまいらしいぞ」って俺が吹聴したからな。教えて貰いたい勢が発生した。


「どうだレムネア、三人に泳ぎを教えてあげられないか?」

「わ、私がですか!?」

「泳ぎ、得意なんだろ?」

「得意です!」


 えっへん、と胸を張るレムネアだった。

 女の子三人組が、頭を下げた。


「「「教えてください」」」

「し、仕方ないですねぇ~」


 というわけで。

 俺とレイジはプールサイドで休みながら、彼女たちの練習を眺めることにしたのだった。


 ◇◆◇◆


「じゃあ皆さん、まず息の続く限り水に潜ってみましょう」


 レムネアの指示で水の中に潜る三人娘。

 一分も経たずに水面に顔を出したのは美津音だった。


「ぷわぁっ!」


 よっぽど慌てて顔を出したのか、しばらく大きな呼吸を続ける美津音。

 レムネアは小首を傾げながら尋ねる。


「あらら。美津音ちゃんは、そんなに息が続きませんか?」

「えっと、その……。息は……まだ続きそうなんだけど、もし続かなくなったら、って……思っちゃって」


 美津音がそう言って俯くと、二分くらいは潜っていたリッコが困り顔で肩を竦める。


「ミッツンは怖がりなんだよね。だから、もし急に息が続かなくなったらってすぐ顔を上げちゃう」

「ふむむ。なにがそんなに怖いのですか、美津音ちゃん?」

「目が……」


 と、美津音は顔を覆って。


「目が見えない中で、なにが起こるか、わからないのが、怖い……です」

「なるほど。美津音ちゃんは、水の中で目を開けられないのですね」

「は……い」


 それなら、とレムネアは何処からともなく杖を手にした。


水の中で目を開けるのが苦にならない魔法ウォ・ブレア


 杖で、コツンと美津音の頭に触れる。


「これで大丈夫です。水の中で簡単に目を開けられると思いますよ」

「ま、魔法なのですかレムネアさん!」

「はい、魔法ですよナギサちゃん」

「私にも掛けて欲しいです!」


 食い入り気味にレムネアに詰め寄るナギサ。

 レムネアは勢いに押されてナギサに魔法を掛けるも。


「単に水の中で目を開けやすくなるだけですよ?」

「それでも構わないんです。魔法を体感してみたいだけですから」

「なら私にも、私にも掛けて!」


 リッコも参戦してきたので、結局三人に魔法を掛けたのだった。

 そして三人は、水中で目を開ける。


「がぼ、がぼがぼ」

「がぼぼ、がぼ」

「がぼぼぼぼぼ」


 水中で喋ろうとしたのか、リッコとナギサがガボガボ言う。

 そしてすぐに二人は水面に顔を上げた。


「あれ! お二人とも、さっきよりも短くないですか!? なんで!?」

「この魔法、凄いです!」


 まずはナギサが声を上げた。

 リッコが続く。


「水中で、こんなハッキリと目が利くなんて! しかも全然目が痛くならないし!」

「……そんな大げさな。初歩的な生活魔法ですよ?」

「いいえ、これは大した魔法ですとも。水中ゴーグルの類と違って視界が狭まらないから、水の中を思いっきり堪能できそうです」


(そんなものなのかな?)


 レムネアは不思議そうな表情で首を傾げた。

 彼女が魔法を用いて泳ぎを練習していたときは必死だった。


 あちらの世界では水辺には危険が多いから、気が休まらないままに練習していたのだ。あまり『楽しむ』という方向に意識が行くことはなかった。


 レムネアがそんなことを考えていると。


「ぷあっ!」


 と、美津音が水から顔を上げた。


「ミッツン、長かったじゃーん!」

「今回はだいぶ長時間水の中にいたね、ミッツン」


 ふー、と息を付いている美津音の周りでピョンピョン跳ねながら「えらいえらーい!」、リッコとナギサが彼女を褒めた。


「長く……、息を止められ……ました、です」


 自分でも信じられない、という顔で、美津音が目をしばたかせた。

 興奮しているのか、水中から出たばかりなのに頬が紅潮している。


「よかった美津音ちゃん。えらいですよ」

「えへへ……、レムネアお姉さん、のおかげ……です」


 美津音の嬉しそうな顔を見て、レムネアも思わず嬉しくなった。

 やっぱり人が喜ぶ顔はいいなぁ。そう思う心のどこかに、啓介が喜んでいる顔が浮かんでいる。人の役に立てるって、いいものです。


「じゃあ美津音ちゃん。これを少し続けて、水の中に慣れてしまいましょう」

「は、はい、です……」


 美津音はしばらく魔法を掛けたまま練習をした。

 その結果、魔法を解いても長い時間潜っていられるようになった。


「よかったねーミッツン、これで泳げるよ!」

「ミッツン頑張った」

「……ありがとう、リッコちゃんナギサちゃん。やった、です」


 うんうん。

 三人の様子を見てレムネアも嬉しそうに頷いた。

 そんな彼女に美津音はひとしきり礼儀正しく。


「レムレア……お姉さん、ありがとうござい……ます。少しだけ……、自信が付いた気がします、です」

「水にさえ慣れてしまえたら、あとはもう簡単だと思いますよ」

「そうそう、時間の問題だよ」

「リッコの言う通りだよミッツン、あとは時間の問題」


 と、美津音を祝福する三人の元に、啓介がやってきた。


「おーい、四人ともー」

「……はい、如何なさいました、ケースケさま?」

「レイジの奴が、今ならウォーターチューブ空いてそう、だって言ってるんだけど」


 水際にしゃがみこんで、四人の顔を見る啓介。


「どうする? 昼食前に一回遊ぶか昼食を先にするか」

「「「「遊び」」」」


 四人の声がハモる。


「ましょう!」「に一票!」「たいですね」「……たい、です」


 どれが誰の言葉だかわからないくらいに、被りまくる。


「よし、じゃあ水から上がって」


 元気の良い四人に苦笑しながら、ケースケは皆に促したのだった。


 ◇◆◇◆


 高いところまで続く階段の途中で、俺たちは風に吹かれていた。

 日差しはまだまだ暑いので、風が頬に気持ち良い。


 レムネアは風になびく風を片手で整えながら、俺に振り向いた。


「わくわくしますねぇケースケさま」

「そうだな。俺もこんな大きなプールに来たことがないから、ウォーターチューブには少しドキドキしてるよ」

「こちらの世界でもプールとは稀有な遊びなのでしょうか?」

「そんなことはないんだけど……」


 独身のアラサーが一人で来るような場所じゃないのは確かだ。

 最後にこんな大きなプール施設に行ったのは、大学のときか? もうだいぶ経つ。


「まあ、ボッチ気味だった俺にはあまり縁のない場所だったのは確かだよ」

「そうでしたか。でも今はお友達がたくさんですからね。気兼ねなくこれて良かったです」


 確かに。

 この土地に来て、友達が増えた気がする。

 野崎さんたちを友達、と言うのは失礼な気もするが、良くしてくださる人、という意味で大事な人と言うことはできる。


 会社に居た頃は、知り合いこそ多かったけど友達と言える人は居なかったよなぁ。

 そう考えたら今の俺は充実してる。嬉しい限りだな。


「だいぶ高いですねぇ」

「ん?」

「いえ、ほらここから見ると広いプールが一望できますので」

「そうだな、人がたくさん。九月だけどまだまだ夏が続いてる感じだよ」


 高いところからの景色は気持ちいいものだ。

 見てると、あれ、なにかを思い出すような……。


「滑り丘を思い出しませんか?」

「ああ」


 それだ。俺も今、それが出てきそうだったんだ。

 子供たちと板で草の坂を滑って遊んだ、あの丘の上から見た景色。


「ふふ。あそこから見下ろした町も、ほんと広くて、でも小さくて」

「そうだった。続く畑、田んぼ。緑があちこちに点在する街並み、どれも小さかった」


 俺の言葉に、レムネアが微笑んだ。

 その笑顔はなんだかとても温かいもので。


「あのときはまだ少し、お客さんのような気持ちでしたけど……」


 わかる。あのときは、ちょっと遠くにあの景色を見ていたけど。


「今はもう、俺たちの住む町なんだよな」

「はい……。私、あの土地が大好きです。あの土地に居る皆さんが大好きです」


 高い高い階段の上からプールを見下ろしながら、俺たちは笑った。

 ああそうだ。

 あそこは、俺たちがこれから生きていく土地なのだ、と。


「二人とも、なにをボンヤリしてるんだ?」

「え?」

「もうお前たちの番だぞ、後ろがつかえてるんだから。イチャイチャしてないで早くいけよ」

「わ、悪い、レイジ」

「は、はいレイジさん」


 レイジに促された俺は、急いでチューブに入ろうと思った。

 だがどうも、それはレムネアも同じだったらしく。


「だ、ダメですよ。危ないですお客さん!」

「えっ!?」

「きゃっ!」


 ひゃああああー、と、二人で同時にチューブに入ってしまった。

 身体をくっつけたまま、俺たちはチューブの中を滑り落ちていく。


 チューブはグルグル。

 大きく回転しながら、俺たちは滑っていく。


 二人分の体重で、勢いが上がる。あわわ。


 ざっぱーーんッッッ!


 目を回した俺たちは、出口のプールに勢いよく飛び出して。

 しばらくプカプカと水に浮かんでしまったのだった。


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あれ、スリルもサスペンスもなかった……?

すみませんwwww


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