第2話







あれからどれだけ走っただろうか。気がつけば人気のない公園へとたどり着いていた。やたら必死に走ったせいか息切れが激しい。


 視界にブランコが移る。いつもは小学生が占領して使う機会のない器具だ。時刻はちょうど正午過ぎ。大した考えもなくブランコに腰を下ろす。すると不思議と心が落ち着いた気がした。


 それにしてもさっき比志野江ひしのえさんには申し訳ないことをした。助けてくれたのにその場で逃げてしまった。というか泣きながら逃げたなんて、幻滅されたに違いない。

 

 先ほどのシノンさんの言葉を思い返す。


『ただ助けられるのを待っていただけ、自分では何もしない、そんな人間になに言おうとも私の勝手でしょ』


 ノルウェー人と日本人のハーフである彼女から言われた言葉。かなりきつい言い方だったが、正鵠を射た発言だ。僕はなにもしなかった。それが全て。そんなことわかってる。


 じゃあその事実がわかっていながらもしもう一度、尾花たちにリンチにされたら僕は彼女たちに仕返しをするのか?その答えは――


「――できないよな」


 彼女たちに反抗できる未来が思い浮かばないのだ、自分自身でも。


 卑屈、貧弱、臆病の三拍子。


 殴る度胸も反抗する度胸も僕にはない。すべてがわかっていながらも結局何もしない自分。その事実がより一層自分のことを嫌いになる。


 勢いをつけ、ブランコを揺らす。学校をさぼっているというのにも関わらずどこか楽しんでいる自分がいる。ルールを破っている背徳感というものだろうか。


 もう一度、地面を蹴りより前へ、より前へ。幸運にも人通りは誰もおらず、自由に空をかけているかのよう。ブランコなんて小学生以来だろうか。


 そうして何回かブランコを漕ぐとようやく心落ち着いてきて、ブランコが自然と止まるのを待つ。


 これからどうしようか。家に帰るか。育て親のお父さんは仕事中だから家にはいないだろう。


 いや、これからというのはその『これから』じゃないだろう。明日以降という話だ。


 学校に行ったところでまた尾花たちにいじめられるだろう。いや、もしかしたら比志野江さんがまた助けてくれる?そうなったら――


(ああ、また他力本願……)


 自問自答して勝手に落ち込む。


 これ以上ここにいると余計なことばかり考えてしまいそうだ。それに高校の制服をきた人間が平日に公園にいるところを見られたら面倒なことにしかならない。


 自然法則に任せていたブランコの動きを完全に止め、いよいよ立ち上がろうとしたその時。




 ――キコッ、キコッ。


 隣からブランコが鉄をこする音が聞こえる。横を見るといつの間にか小さな少女が僕と同じようにブランコに身をゆだねていた。


 小学生、いやそれより小さい?いや、小さいのは事実だが思わず息が漏れるほどきれいだった。腰まで伸びる白髪がきれいに曲線を描き、瞳は人形であるかのように大きく、顔もそれらのパーツに負けず劣らず整っていた。成長したら文字通り傾国の美女にでもなりそうというほどだった。


「なんじゃ?おぬし、わしのことが見えるのか?」


 ――ただし、しゃべり方は全然かわいくなかった。


 まさか本当にこんなしゃべり方をする人間がいるなんて。先ほどは思わず見惚れてしまって彼女を見てしまったが、今は珍しいものでも見るかのように彼女を見つめていた。


「おい、質問に応えんか?わしが見えておるのかと聞いておるのじゃ?」


「えっ、あっ、はい、見えてます、見えてますよ」


 気圧されてしまい、幼女相手に思わず敬語を使ってしまう。というか幼女相手にビビる高校生って……


 そんな考えをよそに彼女は、ナグサと名乗った少女は話を続けていく。


「わしはな、体から魂だけが抜け出した状態、つまり幽霊みたいなもんでな。だから普通は見えんはずなんだが。じゃが久しぶりに話し相手ができそうじゃ」


「は、はあ……」

 

 とりあえず、相槌を打つが話が全く分からない。いや、わかりはするけど何を言ってるのかわからない。


 いや、要約すれば彼女は幽霊みたいなもんで普通は見えないけど僕だけには見えてるよ、ってことなんだろう。





(ん~~~~~~~~、あやしっ!)


 いや、まだ超能力がはびこった世界だとかなんだとかファンタジー感満載の世界だったらわかるけど、あいにくここは現実、普通の世界。そんなでたらめ信じる方がおかしい。


 子供がからかっているだけだろうか、それとも新手の宗教の勧誘?


 僕の内情を察したのかナグサという少女がこちらを下から覗き込む。


「おぬし信じておらぬな」


「い、いや、そんなことナイデスヨ……」


 内心『はい、その通りでございます』と言いたかったが、そんな度胸、僕に存在するわけもなし。


 すると、なにを考えたのか「まあ、言うより見るのが早いか」などつぶやくとブランコを加速させ、勢いそのままに前方へと飛ぶ。公園を飛び出し、そのまま道路へと綺麗に着地する。


 それと同時に車が横から来ていた。


「!?」


 叫ぶ暇もなくそのまま車はナグサへと近づいていき――




 ――ナグサの体を通り抜けた。


 


「!?」


 ナグサはなにもなかったかのこちらを振り向く。傷など一切なかった。


(今のは一体?)


 車がナグサにあたらなかった?というよりもナグサの体が幽霊のように車をすり抜けたのか?


「なっ、いったじゃろ」


 あまりにも当然だと言わんばかりのナグサの表情に、僕は呆然とするしかなかった。



―――


「どうじゃ、落ち着いたか?」


「あっ、はい……」


 車通り抜け事件の後、公園を後にして二人で辺りを歩いていた。平日の昼間ということもあり人は少ない。ちょうど昼飯でも食べているのだろう。


 そのことは僕としても都合がよかった。平日の昼間に制服を着た高校生がいるのは色々と問題だし、ナグサと一緒にいて驚きの声を上げないことは不可能に思えるからだ。そもそも普通に幽霊と一緒にいること自体心臓に悪い。普通の人にはナグサは見えてないらしいから、はたから見れば僕が勝手に驚いているように見える。そんなのただのヤバい奴だ。


 そんな僕の考えを知ってか知らずかナグサは辺りを見回しながら、先へと進んでいく。ちなみに右手には僕がさっき買ったコンビニのコロッケ。ナグサ曰く、他人から見えないせいで買い物一つできないとか。


 幽霊に食事が必要なのかという疑問はあるが、そんなことお構いなしにナグサはコロッケにかぶりついている。


 まあ、それ以外にも聞きたいことが多すぎる。ナグサがコロッケを食べ終わるのを確認すると、僕は彼女について聞いていく。


「そのナグサ。さっきからずっと歩きっぱなしだけどどこに向かってるの?」


「ん、そんなの決まってるではないか。観光じゃ、観光」


「…………か、観光」


「冗談じゃ冗談。ぬしはからかいがりがあるの」


 ナグサのいうことは本当かどうかわからないな。まあ、僕にとってはナグサの次の発言の方がなおさらうそのように聞こえたが。


魔物クレーマーを探しとるんじゃ。ちなみにわしがこんな幽霊みたいになったのも魔物クレーマーどもと戦って死にかけたせいで、肉体から魂を逃がしたせいじゃ。まったく忌々しいやつらめ」


 クレーマーと戦って死にかけた?ナニヲイッテルンダコノヒトハ?


 クレーマーってあのクレーマーだよな?電話とかでひたすら罵詈雑言はいてくる人たち。


「ああ、ちなみに魔物クレーマーというのはおぬしが考えるクレーマーじゃなくて、怪異みたいなものじゃ。簡単に言えば、人間の不安、苦悩、そういったマイナスの感情から生まれたバケモノ。そういったやつらを駆除するのがわしら『メイド』の仕事であったのじゃがなぁ……」


 なんか情報量が多すぎて頭がパンクする。


 要約すると魔物というのは呪霊とか怨霊みたいな?


 ん~~~~~~、信じられない。そもそもそんなやつら見たこともないし、そんな危険な奴がいたら僕とか絶対に殺されてる。


「ん、その顔、また信じておらぬな」


「まあ、その、はい」


 今回ばかりは肯定する気が起きなかった。まあ、そのそもの話で言ったらこうして目の前にいる幽霊少女ナグサも信じられない存在だが。


「まったく、最近のやつらときたら最初から否定に入る。まったく、ん、ちょうどいい。だったらさっきと同じく見てもらうのが手取りばやいのぉ。わしが見えるぐらいじゃ。魔物のこともその眼にしかと焼き付けろ」


 ナグサがそっと指先を僕の横へと向ける。ナグサの言わんとしていることが理解はできなかったが、自然とその指先の軌道上を振り向いてしまう。


そこにいたのは理解の外側にいるモノだった。


 鉄と灰を混ぜたかのような肌に加えて、膨れ上がった肉体。顔というものはなく唇だけが肥大化しておりそれがなおさら気味の悪さに拍車をかけていた。


「オソウザタカイ。タカイタカイタカイィィィィィィィィィィィッィィィィィィッ!」


 不気味なほど膨れ上がった右腕と思わしきものが間近に迫る。逃げろと訴える生存本能に反して体は動かない。生暖かい感触が鼻先に触れたその時。




 一条の閃光が走る。




 レーザーのようなものが真横を通り過ぎたと思ったら、バケモノの体に風穴があく。そのままバケモノは抵抗できずに、灰のように霧散した。


「とまあ、今のが魔物クレーマーというわけじゃ。おおかた最近の物価高のせいで主婦の不満が集積した結果、今の魔物クレーマーが生まれたのじゃろう。ん、聞いておおるか?」


 ハリのある少女の声は耳を通り過ぎ、俺はただ今しがた起きた出来事にひたすら唖然とするだけだった。

 


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