実家に戻って猫ライフ

「ただいま」


「お嬢様? 一体どうしたんですか」


 連絡もせず、突然実家に戻った私を、使用人のメルが迎えてくれた。十四歳の女の子で、妹みたいな存在だ。


「婚約破棄されちゃった」


「婚約破棄!?」


「そんなことより、猫たちは元気?」


「はい。猫ちゃんたちはみんな元気ですよ。旦那様、奥様、ニーナ様がお戻りです」


「ニーナ、どういうことだ、婚約破棄って」


「ニーナ、説明しなさい」


 メルの声を聞いて、屋敷の奥からお父様とお母様がやってきた。後ろからわらわら猫たちがくっついてくる。


 ああ、今すぐにでも猫を撫でまわしたい。猫の匂いを嗅ぎたい。猫を吸いたい。

 今の私には圧倒的に猫が足りないのだ。

 とはいえ、その前に両親にどうしてこうなったか説明しなければいけない。




「ワオン王子が猫嫌い……そうだったのか。じゃあ仕方ないな。おかえりニーナ」


「それじゃあ仕方ないわよね、婚約破棄でよかったじゃない。おかえりなさい、ニーナ」


 説明し終えると、はじめ渋い顔をしたり、戸惑いを隠せなかった両親は、そろって納得顔になった。一人娘が王族の前でどうしようもないだらしない女を演じたことも許した。


 お父様もお母様も、そしてメルも、大の猫好きなのだ。この世は猫なのだ。


「ニーナ、王宮では猫に会えず、さぞかし辛かっただろう」


 お父様がそんなところへ娘を婚約者として送ってしまったことを、悔やんでも悔やみきれない、といった口調でおっしゃった。

 そんな顔をなさらないで、お父様。賢いルルが友達になってくれたし、私は猫がいなくても、寂しくなんかなかったわ。

 何より「必ず婚約破棄に持ち込み、実家に戻り、猫を吸う」という確固たる意志が、私を支えていた。


「ニーナ様、ニーナ様がいらっしゃらないあいだ、新しい猫ちゃんをお迎えしたんですよ」


 メルが足元の黒猫を優しく持ち上げた。

 あまり毛並みは良くなく、痩せているが、金色の目が神秘的で、どこか高貴さを感じる猫だった。


「お腹をすかせて、屋敷の裏にうずくまっていたんです」


「きっと、飼い主に捨てられてしまったのよ、かわいそうに。ニーナ、まだ名前を決めていないから、貴方がつけてあげなさい。男の子よ。わが家の十匹目の猫ちゃんね」


 お母様がそうおっしゃったので、私は自分の部屋に戻り、着替えると、さっそくメルと一緒に名前を考えた。


「おとなしい子だね、この黒猫ちゃん。名前は何にしようかな、クロスケ、クロベ―、ジジ、ヤマト……」


 考えつつ、黒猫を抱き上げる。黒猫はそこではじめて「にゃお」と鳴き、突然、


 私にキスをしてきた。


 してきたかと思うと、ポンっという音とともに、なんと黒猫は、黒髪の美青年に変身した!


私もメルも、目の前に立つ美青年に唖然とした。たしかに彼は、黒猫だったはず。

 黒猫だったはずなのに、今は私より少し上……十七、八くらいに見える青年(少年?)だ。

 異国の衣装を身に着け、金色の瞳をしている。

 メルの様子をうかがうと、顔を真っ赤にして、口をぱくぱくさせている。それぐらいイケメンなのだ。


 イケメンは言った。


「僕の名前はココア・ム・サハン。小さな島国の王子です。船でこの国を訪れたとき、悪い魔女に黒猫の姿に変えられてしまったのです。高貴な身分の若い女性のキスで、元の姿に戻るのです。おかげで元の姿に戻れました。もしよろしければ、僕と一緒に国にいらっしゃいませんか。元に戻してくれたお礼に、ぜひ妃に迎えたい」


 長い説明だった。ええと、たしかにこの国には悪い魔女がいて、たまに悪さを働いて困っているって、ワオンが言っていたけど。本当にいたんだ、魔女。

 というか、今、私求婚されてる? 妃って。


「僕と一緒に国にゆきましょう。美しい人」


「あ、そういうのいいです。私は当分、猫でいいので」


 ココアというイケメンが差し出した手を取らずに、私は首を振った。可愛い黒猫だと思ったのに、人間とか。がっかり。猫が減った。


「ええっ。だ、だけど貴方は婚約破棄されたんでしょう? 猫の姿で僕、聞いてましたよ」


 ココアはうろたえる。断られると思ってなかったんだろう。丁寧な振りしてすごい自信家だ。


「婚約破棄されたっていうより、そう仕向けたんです。私はまだ十六ですし、しばらく実家で猫たちを吸って過ごします」


「ぼ、僕の国だって、猫はいますよ」


「猫は欲しいけど、今はイケメンはいらないっていうか。イケニャンならいいけど」


「そんな」


 ココア王子は美しい顔を歪め、ショックを受けたように数歩後ずさる。そこで、私のとなりにちょこんと座っているメルにはじめて気がついたようだ。

 メルをじっと見つめると、


「その純粋な瞳……美しい」


 と言い、今度はメルに手を差し出した。おいおい。




 ♦♦♦




 それからひと月が経ち、ワオンに新たな婚約者が決まったと風のうわさで聞いた。

 メルは、ココアと恋人同士になり、二人で異国に渡った。

 時折届く手紙によると、婚約者となり、幸せでいっぱいらしい。私の口元も思わずほころぶ。メルと離れるのはさみしいけれど、妹同然に思っていた彼女の幸せは、私の幸せだ。喜ばずにはいられない。


 私は猫ライフを満喫している。ワオンとの日々を思い出す暇もないほど、猫の世話で忙しい。

 忙しいけど幸せ。

 猫に囲まれる幸せ。猫は猫のままでいいの。それだけで可愛い。


 当分、このままでいいや。




 終わり。

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猫嫌いの貴方とはさようなら。猫が足りないから婚約破棄してみせるわ。 ふさふさしっぽ @69903

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