第2話−2


「私の子供たちは、8人全員が男だから貴女は兄弟たちの紅一点ね。でも、心配することはないわ。皆、良き兄と弟になるに決まってるもの。なんたって、私と旦那様の子供なんだから」


 門から屋敷に向かう途中、ラリマーが振り返ってそう言った。


 日の光を受けてキラキラ光る金髪がふわりと揺れて、穏やかな海を思わせるアクアブルーの瞳がスフェーンに柔らかい視線を向ける。彫刻のように整ったその顔と、ドレス越しでもはっきりとわかる完璧な体のラインのバランスが美しい。


 8人の子供を産んだとは思えない、それどころか20代にしか見えないラリマーは、童話の中のから出てきたプリンセスのようだ。


「さあ、応接室はすぐそこよ」


「大丈夫か、ブラザー?」


「うん、覚悟はできてる」


「戦地に行くわけでもあるまいし……。ま、大丈夫だよ。おれがついてる」


 重厚な玄関扉が、ギィイイと音を立てる。


 前を歩くラリマーについていきながら、スフェーンは深呼吸を繰り返した。長い長い廊下にはいくつもの扉があって、高価そうな装飾品も飾られている。場違いな自分が恥ずかしく、学校の古びた寮の部屋が恋しくなった。


「入るわよ」


 ラリマーがドアをノックして、スフェーンの緊張が最高潮に達する。


 けれど、ガーネットが彼女を守るように前に立ってくれたので、スフェーンは青くなるだけですんだ。今は、吐き気も目眩もないだけで上々である。 




「やあ!やあ!可愛らしいお嬢さん!」


「うるせぇ!俺の隣で大声出すな!」


「まあまあ、そんなに怖い顔しちゃあの子が怖がっちゃうよ。こんにちは〜」


「………」


「おー、すげー賢そー」


「ふんっ、そうか?面白みのないヤツの顔してるぜ」



 四方八方から声がした。


 長テーブルを囲んで席についている男たちの視線が、ザッとスフェーンに向けられる。にこやかに笑いかけてくる者もいれば、冷たい視線を向けてくる者もいる。


 広々とした応接室のホールに話し声が響き、各々が好き勝手にスフェーンを品定めしているようだった。


「元気がいいわ〜、いいことよ!さすが私の息子たちね」


「いやいや母さん、これじゃスフェーンが自己紹介できないだろ?いったん黙らせてよ」


「あら、それもそうね。ほらほら、私の可愛い宝物たちマイ ジュエルズ、少し静かに!今日から貴方たちの姉妹になるスフィが挨拶をするのよ!きちんと聞きなさい」


 ラリマーがパンパンと手を叩くと、一瞬にしてホールに静寂が訪れた。しっかりと躾の行き届いた犬のように、兄弟たちは口を閉ざしたのだ。


 ラリマーに優しく背を押され、スフェーンは一歩前に出る。踏み出した足が震えたが、けして視線は逸らさなかった。


「ファス村の修道院の学校から来ました、スフェーンと申します。この度は、このような機会を設けていただき、まことにありがとうございます。ガーネット様には日頃よりお世話になっております。……よろしければ、皆様とも親交を深めることができれば幸いです」


「ってなわけで、俺の親友!優しくしてやってよ!」


 形式ばったスフェーンの挨拶とは対照的に、ガーネットはへらりと笑いながらそう言ってのけた。さりげなく、反応の悪い兄弟に視線で釘を刺しておくことも忘れない。


 本心からの歓迎か、形式だけの社交辞令かはさておき、その場の全員から拍手が送られる。スフェーンはそっと胸を撫で下ろした。


「うんうん。素晴らしい挨拶ね。どこに出しても恥ずかしくないわ。それじゃあ、今度は私たちの番!さっきも言ったけれど、私はラリマー。あの子たちの母親であり、今日からは貴女の母親でもあるわ。よろしくね?」


 ぱちん、とラリマーの可愛らしいウインクが炸裂した。彼女はすでにスフェーンを養子にする気満々の様子で、上機嫌に微笑んでいる。


「じゃあ、次はおれね!おれは長男のルベラ!ルベリィでいいよ!この国一番のファショニスタさ。ドレスやアクセサリーが欲しいときはいつでも言ってね、お兄ちゃんが何だって作ってあげる!よろしく〜」


 がたん、とイスを鳴らして立ち上がり、満面の笑みで胸を張っている青年は長男のルベラだ。

 母親譲りの美しい金髪は緩く三つ編みで纏められていて、ルベラの明るい気質を示すように彼の動きに合わせてゆらゆらと揺れている。


「僕は次男のサファイア。これでも医者だから、怪我をしたときなんかは頼ってね。よろしく、スフェーン」


 上品に微笑んで、静かにスフェーンを歓迎している青年は、次男のサファイアだ。

 ミルクティー色の髪と透き通るような肌、極めつけは珍しいホワイトの瞳。話し方や声も相まって、どこか儚げな印象を与える男である。


「三男のシディアンだ。ジジイと親父がやらないんでな、領内の統治なんかをやってる。関わることは少ねぇと思うが、一応お前は俺の妹ってことになるらしいから何かあったら言え。以上」


 敵意も歓迎もなく、限りなく無関心に近い態度で笑みすら見せぬ青年は、三男のシディアンだ。

 短く切り揃えられた黒髪とずっと不機嫌そうに曲がっている唇から、彼の神経質さが見て取れる。


 シディアンの双子の兄───サファイアが「よろしくぐらい言ったらどうなの」と彼を諌めたが、まるっきり無視されてしまった。


「順番的にオレか?……でもさ、ぶっちゃけアンタと仲良くするつもりないから」


「ちょっと!ジル!」


 猫耳帽子を被った少年が、挑発的に笑った。

 彼は、七男でありガーネットの弟でもあるジルコンだ。兄弟のなかでも特に生意気で個人主義な性格なので、ガーネットとは頻繁に喧嘩をしている。


 すかさず、ガーネットがジルコンを睨みつけた。


「なんだよ。オレが悪者か?今日からお前のお姉ちゃんだよ、って……そんなこと言われて受け入れられるわけないだろ。なんでオレがガーネットにぃのワガママに付き合わなきゃなんないんだ」


「なんでそこまで喧嘩腰なんだよ!まだスフェーンとは初対面なんだから、ちゃんと話したりとかしてから考えてくれてもいいだろ!?いい奴だってお前もわかるよ!」


「はぁ!?やだね!だいたい、大概の人間ははガーネットにぃと違ってクソお花畑ポジティブじゃないんだよ!そういうとこがウゼぇ!」


「う、ウザ………!?なんだとジルこのヤロー!!」


 ジルコンとガーネットの喧嘩はヒートアップしていく。しかし、誰も止めに入らなかった。


 ついには、ガーネットが火の粉を吹きながらジルコンに掴みかかる───かと思われたその瞬間。


「やめなさい」


 静かで重たい声が響いて、2人がピタリと動きを止めた。


 その声の主こそ、アデルバート・インクル卿の子息であり、8人の兄弟たちの父親である男───アレンだ。

 大きな岩のようながっしりした体は重圧を感じさせる。浅黒い肌は子供たちの誰にも似ていないが、鮮やかな赤い髪はガーネットの髪とそっくりである。


「喧嘩はやめなさい。……いいね?」


「……うん」


「……父さんが言うなら従うけどさ」


 長い前髪の奥から覗く深緑の瞳が、穏やかにジルコンとガーネットを見つめた。


 ガーネットはコクリと頷いて、スフェーンの背に隠れるように彼女の背後に戻ってきた。対するジルコンは、バツが悪そうに目をそらしたが、これ以上は抵抗するつもりがないようで大人しく口を閉じた。


「七男のジルコン。……姉貴ヅラすんなよ」


 あからさまに歓迎する気のない表情でそう言われて、スフェーンは愛想笑いをすることしかできなかった。

 背後のガーネットはまた機嫌を損ねているのだが、さっきの今で喧嘩をするわけにもいかず、イーッと歯を見せてジルコンを威嚇するだけに留めた。


「んあ、もうおれの番?えーとぉ、おれは八男のスモーキー。スフィねぇ?でいい?ま、よろしく」


 目の前で勃発した兄弟喧嘩のことなど気にかけることなく、ひらひらと手をふっている少年は、八男であり末っ子でもあるスモーキーだ。

 黙っていれば美少女に見間違えそうな容姿の彼のおさげ髪が、スモーキーが眠気に抗うたびにゆらりゆらりと揺れた。


「アレン・インクルだ。よろしくたのむ」


 アレンは締めくくるようにそう言って、ほんの僅かに微笑んでみせた。言葉は少ないが、どうやらスフェーンを歓迎しているらしい。


「よ、よろしくお願いします!!!」


 全員から手放しの歓迎を受けたわけではないが、スフェーンが想定していたより、インクル家の面々の反応は良いものだった。


 スフェーンはまだ震えている指先でスカートの裾を持ち、片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ───いわゆるカーテシーをした。

 本で学んだ付け焼き刃である。けれど、少しでもこの場にふさわしい人間になろうと努力したことには他ならない。


 スフェーンは、けして目をそらさなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アンダースィンアイス〜宝石家族のひとり娘、世界を征く〜 黄金糖 @ogonto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画