豆腐屋小町
太川るい
豆腐屋小町
九州で、殿様が住んでいる城下町のひとつに
娘の肌は絹のように細かく、豆腐のように白い。人々は美しい彼女を「豆腐屋小町」と呼んで、馴れ親しんでいた。豆腐屋小町はいつも口数少なく客の話を聞いたり、注文を取ったりしている。その様子が何とも言えず儚げだが、不思議と応対する客に一種の安心感を与えるたたずまいをしていた。この娘の存在もあって、豆腐屋は栄えた。
時がのんびりと流れる、そんなある日のことである。さわやかな春の朝、人々はいつもと何かが違うことに気付いた。
最初にそれを発見したのはしじみ売りだった。彼は近くの川で売り物のしじみを採るために早起きするのだが、家を出たところで、外に妙なものが置いてあることに気付いた。それは白く、ところどころ崩れてはいるが、長方形の物体が何十個も積み重なったものだった。何事かと思って、しじみ売りは近付いた。くんくんとにおいを嗅いでみる。指で触ってみる。触れると、やわらかい感触がしじみ売りの手に伝わってきた。
それはどうやら豆腐のようだった。
「誰がこんなことを」
「たちの悪いいたずらだ」
「お前の家にもあったのか」
「なに、俺のところだけじゃなかったのか」
町のいたるところで、このような会話が交わされた。
豆腐は四つ辻や家の門の前、あちこちの街道におびただしく有って、ひとつのかたまりごとに十丁、二十丁と、うずたかく積まれていた。全てを合わせると、数百、数千の豆腐があるのではないかと思われた。
事の全貌が明らかになるにつれて、町民たちの当惑は深まっていった。「狐や狸のしわざなのではないか」という声まで聞こえてきた。最初のうちは気味悪がって誰もその豆腐に手を付けなかったが、昼になり、夜になっても、何の変哲もないただの豆腐のままだ。恐る恐るではあるが、食べ物の少ない時代のことである。それぞれの家では近くに積まれている豆腐たちを取り入れてその晩の夕食にした。それでも特にたたりがあるわけでもなく、食べてみればごくごく普通の豆腐だった。
その後、町の豆腐屋や、隣町の豆腐屋たちに人々は事情を聴いたが、その日に格別多く豆腐を売った店もなく、どこからこの豆腐たちが集まり来て、どういうわけで積まれることになったのか、ついに誰にも分からなかった。「不思議な事だ」と、今泉の人々は噂しあった。
もうひとつ、不思議な事と言えば、その豆腐の事件があったあたりで、豆腐屋小町が店さきからふっつりと姿を消したことである。店の旦那に聞いても、彼も彼女がどこに行ってしまったのか分からないという。消えた小町と、大量の豆腐。この二つの出来事を並べて連想しない人はいなかったが、だからと言って豆腐屋小町がこの怪現象を引き起こした張本人だとは誰にも断言できなかった。
しばらく月日が経った。あるときふらりと、豆腐屋小町は町に戻ってきた。彼女はどこへ行っていたのか、何をしていたのかと問われても、「ちょっとそこまで」といって微笑むばかりである。件の豆腐のことを聞いてみても、「まあ、まあ、」と驚いたような顔で終始を聞く始末だ。町人たちは互いに顔を見合わせあったが、ともあれまたいつものような穏やかな日々が戻っていった。
そんな町人たちの中に、年を取ってから時折、昔のことをなつかしんで孫娘たちにこの豆腐の話をする老人がいた。そして子供に聞かせる少し不思議な話として、代々伝わってきたらしい。私はその老人の孫の孫の孫という人から、この今泉の話を聞いたのである。私は気になって、豆腐屋小町はその後どうなったのかとその人に聞いた。その人はしばらく昔の記憶を思い出すように目をつぶって、黙っていた。そして、
「たしかなことは分からんが、その後も豆腐屋には居続けたようだ。何しろ昔の話だから、あまり詳しいことは伝わっていない。夢みたいなもんだ」
「豆腐屋小町が、この出来事の原因だったのでしょうか」
「さあね。ともかく今泉は良いところだったと聞く。私はこの話を聞く度に、確かに不思議な話だが、その時代ののどかさというものも味わえて好きなんだ」
その人と別れてからも、私の胸中には時折この話が浮かんできた。この話は、ふとした時に思い出す、何かそういう作用があるらしい。
私の空想の中では、儚げに豆腐屋小町が微笑んでいる。そしてそれは徐々におぼろげになりながら、春の陽気の中に消えていった。なつかしいような気持が、私の中に満ちた。
豆腐屋小町 太川るい @asotakeyoshi
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