エピソード3 : 雄たけびババア
S君の家の近所には、「雄たけびババア」と呼ばれる変わった老女が住んでいた。彼女は毎朝、道路に面した窓から顔を出し、通学や通勤中の人々に向かって意味不明な雄たけびを上げるのが日課だった。
「ヴアアアアアアア!!」
この絶叫を聞くことは、S君にとって日常の一部となっていた。老女の声は力強く響き渡り、特に気の弱そうな男性たちを狙う傾向があった。小柄で大人しいS君も例外ではなく、小学生の頃から彼女の「雄たけび」の格好の餌食となっていた。老女はまるで彼を特別な標的に選んだかのように、毎朝元気よく咆哮を浴びせた。
S君もS君で、道を変えれば良いのに
「ビックリする以外に害はないし遠回りになるから」
と、頑なに同じ道を通り続ける変わり者だった。
しかし、S君が中学生になる頃には、彼女の声は徐々に衰えていった。高校に進学する頃には、叫ぶ日も少なくなり、雄たけびの頻度は落ち着いていった。
ある朝、高校2年生になったS君はふと気づいた。ここ数日、雄たけびババアがまったく姿を見せなくなっていたのだ。彼女の窓には雨戸が閉じられ、生活の気配すら感じられなかった。
「雄たけびババア、どうしたんだろう?」
彼は心配しながらも、いつも通りの通学路を進み、雨戸の閉まった窓の前を通り過ぎようとしたその瞬間――
「ヴアアアアアアア!!!」
突然の雄たけびがS君の耳をつんざいた。
「わっ!」
反射的に飛び上がり、恐る恐る窓を見上げると、そこにはいつものように満足げな笑みを浮かべた老女の姿があった。彼女は満足そうに頷くと、何事もなかったかのように窓を閉めた。
「なんだよ…元気じゃん…」
そう言ってS君は立ち上がり学校に登校した。
下校の時間、S君は駅から自宅までの道すがら、小学校からの友人とメッセージアプリで会話を交わしていた。
「今朝さ、久しぶりに雄たけびババアに叫ばれたんだよ」
すると、友人から意外な返信が届いた。
「え、あのババア、入院してたって聞いたけど。退院したのかな?」
S君は不思議な気持ちに包まれた。確かに老女の雄たけびを聞いたのは久しぶりのことだった。それが今朝のことだなんて――彼は少し安堵しながらも、どこか不安を感じずにはいられなかった。
その日の夕方、再び老女の家の前を通りかかると、驚いたことに業者が彼女の部屋から荷物を運び出していた。玄関先には見覚えのある孫娘が立っていた。彼女は、かつて老女と同居しており、S君が雄たけびを浴びるたびに謝ってくれた顔なじみだったが、孫娘さんは結婚を機に家を出ており、それ以来は会っていなかった。
「あの…お婆さん、引っ越すんですか?」
思わず声をかけると、孫娘は彼を見つけ、懐かしそうに微笑んだ。
「あら、S君!大きくなったねぇ」
だが、その笑顔は次第に曇り、彼女は申し訳なさそうに告げた。
「おばあちゃん、二週間前から具合が悪くてね……先週、亡くなっちゃったの。だから、このアパートも引き払うことになって、業者さんに荷物の片づけをお願いしてるの」
その言葉に、S君の背筋が凍りついた。頭に浮かぶのは、今朝の出来事だった。
――では、今朝、僕を驚かせたあのお婆さんは一体……?
孫娘は気づかずに続けた。
「おばあちゃんね、S君のこと気に入ってたのよ。誰よりも大きなリアクションで驚いてくれるから、嬉しかったみたい。ごめんね、君にとっては災難だったわよね……」
彼女の優しい声が、どこか遠くに響くように感じられた。
実話系会談集 ぐおじあ @Guojiax3
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