エピソード2 : 霊感スイッチ
コロナ禍で、Tさんも自宅からのテレワーク生活を余儀なくされていた。彼女の住むアパートは静かな郊外にあり、在宅勤務には申し分のない環境だった。しかし、ある日を境に、奇妙な現象が日常に入り込んできた。
ふとした時に視界の端に、黒い何かがサッと通り過ぎる。最初は気のせいかと思った。だが、数日が経つにつれ、その"何か"は消えず、あたかも自分をからかうようにTさんの目の端を彷徨い続けていた。
「ついに霊感に目覚めちゃったかも!」
元々怖い話が好きだったTさんは、目の端に映る"何か"を目撃するたびに胸を躍らせていた。しかし、その一方で、視線を向けるとそれが消えるため、じっくり見ることができないもどかしさも募る。見たいのに、見えない。この感覚が彼女をさらに夢中にさせていた。
ある日、昼過ぎのテレワーク中、スマホで流していた怪談番組が興味深い話をしていた。霊感があると言われる怪談師曰く「霊感スイッチ」というものが存在し、それを使えば幽霊が見えたり見えなくなったりするのだという。しかし、そのスイッチが具体的にどのようなものかは明かされぬまま話は終わった。
「そんなの、気になるじゃん…」
番組を聞いた後、Tさんは「霊感スイッチ」をONにすべく色々と試してみた。目の端に"何か"が映ったとき、あえてそちらを見ずにじっと意識を集中したり、逆にその場所を凝視してみたりしたが、何も見える様にはならなかった。結局、その"何か"は目の端でしか存在しないものなのだ。
それでも彼女は諦めなかった。何度も同じ現象を楽しむように観察し、夜寝る前にもスマホを片手に「霊感スイッチ」に関する情報を検索し続けていた。
その夜も、彼女はカーテン越しに"何か"が通るのを視界に捉えた。Tさんはベッドに横たわりながら集中してそれを追ったが、それ以上の動きはなかった。次第に眠気が訪れ、彼女はスマホを枕元に置き照明を消した。
静かな部屋に、Tさんの寝息だけが響き始めた──その時だった。
コツコツ…コツコツ…
窓に何かがぶつかる音で、Tさんは目を覚ました。寝ぼけ眼のままスマホを見ると、時刻は午前0時を少し過ぎたところだった。
コツコツ…コツコツ…
「カブトムシかな?」
季節は夏の終わり。彼女のアパートの近くには街灯があり、虫たちが集まることがあった。時々、カブトムシやクワガタが窓に飛んでくることも珍しくない。Tさんは写真を撮ろうと考え、興味津々でカーテンを開けた。
──しかし、そこには数人の男女が無言で窓に張り付いていた。
思わず息を呑むTさん。冷静に考えれば、ここは3階の部屋だ。外は地上から数メートルの高さがあり、人が立てる場所ではない。しかし、その男女はTさんを無表情で見下ろしている。
「これが……霊感スイッチの正体?」
恐怖と興奮が同時に湧き上がり、Tさんはカーテンを勢いよく閉め、布団にくるまった。だが、心臓の鼓動は鳴り止まない。
コツコツ…コツコツ…
今度は部屋のドアから音がした。恐る恐る顔を出し、ドアの方を見ると、ドアの覗き窓越しに男が顔を押し付けるようにしてこちらを見ている。
「いやっ…!」
Tさんはたまらず飛び起き、照明とテレビを急いでつけた。そして辺りを確認するが、部屋は静寂そのもの。
ドアにも窓にも、もう誰もいなかった。
その日以来、Tさんは二度と目の端に映る"何か"を見ようとはしなくなった。
そして、寝るときも決して電気を消さなくなった。
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