あこがれている一人芝居の実力者の演技を期間限定で特等席で見続ける、とある少女のとても贅沢な体験のお話

天野水樹

あこがれている一人芝居の実力者の演技を期間限定で特等席で見続ける、とある少女のとても贅沢な体験のお話

 その人は、私がこれまで舞台の上でみたどんな女性よりも美しい存在だった。


    ◇


「あの、りょうこう中学から来ました。

高校で演劇を再開しようと思って入部します。

よろしくお願いします」


「あー、あの無量小路むりょうこうじ中学の人ね。

噂はちゃんと聞いています。

本当にうちみたいな演劇部のない高校を選んで良かったのかな?」


 入学式の直後に押しかけた私を快く迎え入れてくれた三年生の先輩。

 さっきまで新入生を歓迎するための一人舞台を披露してくれて、やっぱりこの高校を選んで良かったと実感した。

 女生徒としては大柄な先輩が演じたのは進学に期待をし、でも不安を持ってその日を待つ等身大の私達の姿。

 役柄的に大きな声を発することが出来ないのに、体育館の隅々にまで響く声が私の心を改めて射貫く。

 小さくて可愛い女の子を舞台の上に出現させた後、堂々とした礼をしながら会場の拍手を奪い去った。


「さっきまで堂々としていたのに、舞台を降りると繊細な感じなんですね」


「そういう役柄だから」


 先輩は肩を竦め、苦笑いを浮かべ、分かりやすい初歩的な演技を噛ませて私と会話する。

 やっぱり近くに立つと少し見上げる形になるけれど、計算された動きが私の心から圧迫感を拭い去る。


「この学校を選んで良かったです。

これから、よろしくお願いします」


「はい、こちらこそ」


    ◇


 私が進学を決めた定塚さだつか高等学校には演劇部はない。というか、壊滅的に文化部がない高校としてこの近隣では有名だ。

 その代わりに「アート研究部」というものが存在していて、各々アートな活動をしたい人が在席し、個人の活動をサポートし合っているのだとか。

 例えば、コスプレ班の写真撮影を写真班が行い、さらに手芸班とヘアメイク班がサポートを行う。一人では部室を持てず、学校の備品を使うコトも出来ない状況を改善するための苦肉の策だったという。

 先輩もこのアート研究部の演劇班に名を連ねていて、地域の演劇祭への出展を中心に、文化祭や入学式でその実力を披露している。

 今日は制服のスカートにカーディガンを合わせた姿で先輩が出迎えてくれた。

 舞台上の動きも見事だけれど、目の前でみる所作も美しい。


「お待たせしました、今日もよろしくお願いします」


「そんなに急がなくても大丈夫。

ちゃんと面倒みさせてもらうから」


「はい、がんばります。

でも、学生であんな完成度の一人芝居をするからどんな凄い部活なのかと思ったら……。

これは逆に凄い、というパターンでしたね」


「あはは、面目ない」


 そう、近隣の演劇強豪校の多くは部員数は多く、選抜メンバーが舞台に登るから質が高い。

 一方、この学校はアート研究部の演劇班しか、直接演劇をする人はいない。


「……一人だから、一人芝居が上手くなるんだ」


「それが……秘訣?」


「まぁそれ以外にも、当て書きの脚本を他校に発注しているのも大きいね」


 先輩が今までに演じた脚本が、演劇班に割り当てられた棚に並べられている。手に取って見せて貰うと、全てが同じ人の手によるもの。先輩と同学年で脚本賞を何度も受賞している有名人の作だ。


「これ、全部ですか」


 百で足りるのだろうか。正直、あきれるほどの数がある。これだけの脚本を書く労力と時間。それを考えただけで身震いする量だ。


「あー『ひとりしか登場人物がいないなら、これほど楽なことはない』って。

一作当たり一時間かかってないからね、それ」


「は?」


「そういう書き手もいるってこと。

しかも、演劇の脚本も書けるというだけで、それが専業じゃないから困る」


「……なるほど?

そういう人とお知り合いな先輩が凄い、と」


「まぁ、その書き手を育てた人に、目をかけてもらったからね。

っと、それはどうでもよくて。

こっちがキミに向いてると思う脚本が三つ。

後、自分でやってみたいモノを三本選んでもらおうか。

それを使って指導してくよ」


「はい!」


 そんな風にして、先輩と私だけのアート研究部、演劇班の活動はスタートした。


    ◇


 一人芝居に特化した演劇班の部活動に「読み合わせ」という時間は存在しない。

 もちろん周囲の人達の助けはあるけれど、究極的には個人の魅力と能力に依存するのが一人芝居だ。

 だから、用意された六本の脚本を前にしながら、まだわたしは演技を出来ずにいた。


「せ、せんぱぁい……さすがに、これは……きついですっ」


 柔軟、筋トレ、走り込みを組み合わせたサーキットトレーニング。

 確かに一人芝居じゃなくても演劇部ならこれくらいする。

 でも、監督する先輩とマンツーマンでのトレーニングとなると、手抜きして休むことが出来ない。

 長袖長ズボンの学校ジャージにポニーテール、竹刀を持ったコテコテの後輩しごきスタイルで先輩が監視している。


「下地作りは重要だからね-。

監視されてなくても自発的に喜びを持ってやれるくらいになりましょう」


「ふぁ~い」


 演劇への情熱は持っていても、先輩が最低限と思う体力は足りていなかった。

 折角脚本はそらで言えるくらいまで読み込んだのに、ずっとトレーニングばかり。

 かといって、いつ先輩が「今日から稽古だ」って言うか分からないから、復習も欠かせない。

 そう思っていたら、先輩が鬼のような一言を私に告げた。


「はーい、じゃぁ走りながらでいいから、一本目の脚本のセリフ、暗唱してみよう。

今は感情表現までは求めないから、安心してね」


「は、は~い」


 半袖短パンの体操着でそれなりに良い汗をかいていたはずなのに、そこへ冷や汗が流れる。

 息も苦しいのに台詞を言う。しかも将来的には感情表現まで求められるのは明白。

 ただ、この練習法を変な目で見るのが私と同学年に限られるということは、先輩は一人でこなしていたということで。

 その先にあるのがあの一人芝居なのなら、私は先輩について行くことだけ考えよう。


「は、はぁ……はぁ……っ」


 そこからグラウンドを五周。大声ではなかったけれど、痙る寸前の腹筋を使って腹から声を出して、発声をしながらやりきった。


「はい、お疲れ様」


 どこから調達してきたのか分からないけれど、冷たいおしぼりを先輩が手渡してくれる。

 冷たさに身体が引き締まる思いがして、頭もスッキリとした。

 そこにスポーツドリンクも渡されて、乾いた喉に流し込む。


「陸上部に話はしてあるから、シャワーを借りて着替えたら部室に集合ね」


「はい、分かりました」


 言われたとおりシャワーを浴びて人心地ついて、部室に戻る。

 特訓ジャージの時間は終わったらしく、今日は白の夏服セーラー姿でお出迎えだ。

 さっきのポニーテールがほどかれて、ロングヘアが女性らしいラインを描く。


「走ってたからしょうがない、とも言えるけど、発声はもう少し気を使いましょう」


「はい」


 台本に沿って台詞を言い、先輩がお腹や背中を触って筋肉の使い具合をチェックしてくれる。

 言われた通りにすると良い声が出ているのを自覚できるけれど、それをひとりで再現するのは難しい。

 先輩が良い発声と良くない発声の違いを実演して、身体に触らせてくれる。

 少し恐る恐る触ったら、くすぐったがられて、平謝りした。


「先輩は憑依系と計算系のどっちが得意なんですか?」


 わたしの質問に先輩が不思議な顔をする。

 演劇者は大抵、その役が乗り移ったかの様に演技する「憑依系」と、すべて計算ずくで人物を作り上げる「計算系」に別れると中学の時に習った。

 ちなみにわたしは「計算系」と言われていたし、稽古して試行錯誤した分だけ上手くなっていた記憶がある。

 では、一人芝居をあれだけ演じれる先輩はどうなんだろう?


「どっちかである必要ある?」


 ……その返しは考えていなかった。


「強いて挙げるなら自分は憑依系だと思うけれど。

見えない他の登場人物を想起させるのは、計算あってのことだからね。

だから、両方とも、なんじゃないかな」


「それ、何かずるいです」


「そうかな、多分世の中にはそういうタイプの役者もいっぱいいるんだと思うよ。

どちらか一方しか見えてなかったり、見せてなかったりするってだけで」


「そういうものですか」


「そういうものです」


 納得はいかないけれど、先輩の演技を身近で見ているこの身としては、納得する他ない。

 完全な憑依系だと思うのに、きちんと計算している部分も分かる。

 この先輩は、いつだって一人芝居をして過ごしている様なものだ。


「私、がんばります」


「はい、その意気ですね」


 それだけの人物を私は独占して、こうやって毎日稽古に付き合ってもらっている。

 恩を返すことがあるのなら、演技で、その舞台で、返すべきものだと思う。


    ◇


 六本の脚本。それは先輩曰く、卒業までに対外的に私が発表するために用意していくとのこと。

 もちろん他の脚本に手を出しても良いけれど、先輩の手が入るのはこの六本だけになる。

 これらを通してアート研究部の皆との関わりも深めていく必要があるし、公演の下準備についても学んで行く。

 ただ、私は想定外の問題に突き当たっていた。


「先輩、すみません」


「あぁ、やっぱりその脚本は微妙な状態なんだね」


 たまに見る私服姿の先輩。ゆったりとした白基調のワンピースがとても優雅な動きで揺れている。

 セミロングの髪が綺麗に編み込まれているのは、ヘアメイク班の気合いの入ったアレンジによるものだ。


「一人芝居だからこそ、男性が出て来ても大丈夫だと思ったんだけど」


「逆に、そこだけリアルに想像してしまうのが駄目みたいです」


 私はこの学校に演劇を『再開』するために入学し、入部した。

 問題は、なぜ一旦演劇を辞めたか、という点にある。


「狭い世界の話ではあるからね。

中学の合同演劇祭での事件については、キミの入学前から知っている」


「……演劇を続けたいなら、どこかでぶつかる話ですから。

それに、未遂なだけで、ショックで男性恐怖症になっただけです」


「だけ、ならこんな一人芝居しか出来ない所にこないでしょう?

せっかくの演劇者の卵を殻のまま放置しておくのは嫌だったから、奪い取ったみたいなものだけど」


 合同演劇祭では他校の演劇部と共同で一ヶ月かけて作品を作り上げる。

 と同時に、カップルが誕生することでも有名だ。

 ……そういう状況だけに、男女の接触はある程度監視下にあったのだけど、馬鹿はいるもので。

 発表を前日に控えた合宿所で、女子部屋に侵入した男子がいた。

 直接的な行為に及ぶ前に取り押さえられたが、次の日の芝居はガタガタ。

 その責任を、なぜか被害者の立場の私にも押しつけられた感があり、演劇での進学は難しくなった。


「そんな時に先輩の舞台を見ました。

女性主人公の一人芝居で、美しくて、可憐で、でも強くて、儚くて。

こんな人と演劇が出来たら良いな、って」


 男子生徒といるのは今でも怖い。でも人の中で生きて行くなら慣れるしかない。

 私は演技することが好きだから、そこからでしか生き方を修正することができない。

 だから。


「こうして毎日しごかれても、まだ言える?」


「もちろんです。

先輩は私に凄く良くしてくれています。

今だって」


 私の熱の入った言葉に、先輩が気圧されてる。

 顔にかかった髪の毛を後ろに流し、息を整え、それから私を見る。

 確かに憑依していて、でも計算だ。


「そう見えてるなら、舞台だとしたら成功かな」


「はい、とても」


    ◇


 夏休み明けに一度、二人がそれぞれ一人芝居を持ち寄ってのプチ演劇祭を行った。

 先輩はおととしと去年に引き続きだったので名物扱い。

 その人気がある中での新人の私、というのはとても期待値が上がっていてやりにくかった。


「まぁ、課題は色々あるけれど、舞台を踏めて良かったんじゃないかな」


 先輩はそう言ってくれた。そう、確かに私にとって久しぶりの舞台。

 後でビデオを見て反省しきりだったけれど、でも演じる気持ち良さは格別だった。


 そして文化祭。

 先輩の引退公演を期待されていたけれど、受験優先ということで私の本当の意味での一人舞台になった。

 もちろん要所要所で先輩のサポートが入ったのだけれど、それでも目の回るような日々。

 舞台の全てをコントロール出来るし、しなければならない一人芝居の面白さを再確認出来た。


 演劇祭への出展、他校との交流会。

 その全てで、先輩に教わり、用意した脚本を元に演じきった。

 後二本は、謝恩会と来年の入学式のモノ。

 謝恩会は先輩に見て貰えるけれど、入学式ではもう見て貰えない。


 私はどうしても先輩に『これまでとは違った私』を見て貰いたくて、勝手に脚本の人へ連絡を取った。

 先輩の知らない脚本で、私の成長を見て貰いたい。

 その一心で、その赤髪の脚本家に頭を下げた。今思えば、よくもまぁ男性脚本家のところに押しかけて、無理を通したものだと思う。


「まさか新作を持ってくるとは思わなかった。

しかも、キミのための当て書きを頼むなんて」


 卒業式の後、謝恩会でわたしはその新作を全校生徒の前で披露した。

 先輩の為でなく、私の為に書き下ろされた一人芝居。

 幼い恋心を届けようとするけれど、まだちゃんとは恋心の意味を分かっていない女の子の話。

 台詞より体表現が重要なこの芝居が演じられたのは、先輩のしごきで作られたこの身体のおかげ。


「びっくりさせたくて、がんばっちゃいました」


 謝恩会の後、卒業生が証書と荷物を手に在校生に見送られている。

 その中に私達はいて、周囲の視線を浴びせられながら、会話をしている。

 だって、誰が誰に恋心を持っているかなんて、あの芝居をみたら、当て書きなのだから、分かって当然なんだから。


「あの一人芝居全部が、先輩へのラブレターです」


 今日は卒業式。

 さすがに今日は先輩だって演じるのはお休みだ。

 この一年間、私の前では一度も舞台裏を見せなかった先輩の詰め襟姿。


「舞台を降りてる姿を見ても、幻滅しない?」


「それは、まぁ、どうか分かりませんけど」


「……そうなんだ」


 いつもの先輩の表情だけど、男の子なんだな、ってちゃんと分かる。

 こんなにも長い間、私は特等席でこの人の演技を見て、過ごしてきたんだ。


「でも、私の心を掴んでしまったんです」


「じゃぁ、改めて俺のことを知ってもらおうか」


「はい!」


 固唾を望んで見守っていたアート研究部のメンバーが歓声をあげる。

 それに答えて、二人で一度顔を見合わせて、深々と礼をする。

 一年に少し足らないこの期間、二人で作ってきたお芝居の、カーテンコールだ。


    ─完─

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