源丞内

野志浪

源丞内

小雨の降りしきる夕べ、町のはずれの古い小さな居酒屋に、二人の男がやってきた。

先に入ってきた方は、すぐにいくつかの日本酒を注文すると、きき酒を始めた。

「おっと、こいつのキレは抜群にいい。お前も試してみるか。」

酒を勧められたもう一方の男は、熱い茶の入った湯呑みを軽く傾ける。

「俺は仕事中だ。これでいい。」

「へへ、昔からお硬いやっちゃ。」

「そういうお前は、昔から奔放だった。中学生のころ、お前がいきなり陶芸家になると言い出したとき、親父さんには迷惑かけただろうに。」

「そうだな。さんざん説き伏せられたが、結局やりたいようにやらせてくれた親父には、感謝してた。ボケちまって俺のことが分からなくなってからも、育ててくれた恩を忘れたことはねえ。毎日必死に面倒見てたよ。」

「介護も育児も、一人では大変だったろう。」

「息子は問題ない。手のかからない子だ。何にも欲しがらねえし、何にも文句を言わねえ。だけどな、あれは、俺のためにそうしてんだ。いつも親父の医療費で金のない俺に、これ以上負担をかけないようにしてやがるんだ。だからガツンと言ってやったのさ。子供が親に気を遣ってどうする、俺はお前に殺されたって怒りゃあしないってな。」

沈黙の隙を埋めるように、少し強まった雨脚が店の古窓を叩く。

大将が、酔いが回りはじめた男に最後の酒を持ってきた。

「そうそう、今日のお目当てはこれだ。『源丞内げんじょうない』。あまり有名じゃねえが、不老不死の妙薬酒だぞ。」

「まさか。」

「…ま、冗談だけどさ。でも、言い伝えでは不老ってのは合ってるぜ。年老いた父親がせがむ酒を飲ませてやるために、源丞内という男が毎日せっせと働いてた。そしたら、神の恵みか、あるとき不老の酒が湧く滝壺が見つかって、それを父親に飲ませてやったって話よ。」

「……源丞内は幸せになったのか。」

問われた男は、一口ごくりと飲んだ。

「そうさ。やっと父親の世話をする必要がなくなったんだからな。…それにしても不思議だ。確かに薬のような渋さがあるが、喉を通ればスッキリさ。後には何も残らねえ。」

店の入口が静かに開いた。警官の格好をした男が、時計を確認しながら、店の外からチラチラと二人を見ている。

「さ、そろそろ時間かね。俺は先に乗ってるぜ、警部殿。」

言うと、酒瓶を置いた男は、警官に連れられて外へ出ていった。

店に残った男は、大将に勘定を求めると、旧友の残した一口分の酒を飲み干した。

「そうだな。何も残りはしない。何も……。」

雨は知らぬ間に止んでいた。

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源丞内 野志浪 @yashirou

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