第9話 ブランコ
三月の最後の土曜日、みんなでひいばあちゃんちに行く日、朝八時前にお母さんのスマホが鳴った。
朝ご飯のしたくをしていたお母さんが、あわててタオルで手をふいて、電話に出た。
「はい月野です。
ああ、はい、お世話になっています。
えっ、もうですか? すみません、そんな朝早くから。
ええ、分野の道の駅で十一時に、父と待ち合わせしてまして。」
お父さんが、お母さんの顔をのぞきこむようにして、
「誰?」
とたずねた。
お母さんが、スマホを顔からはなして、小さな声で、
「高橋さん。」
と答えた。
スマホを耳にあてると、お母さんがふっとななめ上を見上げて、パチパチとまばたきをした。
「いえ、今、ひいばあちゃんちの柱時計の音が聞こえたような気がして。
ああ、やっぱり。
そうなんですね。
ええ、はい、それじゃ十二時ころに。」
そう言って、お母さんが電話を切ると、お父さんがたずねた。
「高橋さん、なんだって?」
「何時ころ着きますかって。もう、ひいばあちゃんちに来てるんだって。」
「えっ、もう?」
「雨戸開けて、空気の入れかえしてくれてるんだって。」
ひいばあちゃんがなくなった後、おじいちゃんは、高橋さんにひいばあちゃんちの鍵をあずけていた。
「話していたら、柱時計が鳴る音がきこえたのよ。ほら、台所の。」
「ああ、あったあった、柱時計。」
「今朝、ぜんまいのネジをまいてみたんだって。そしたらちゃんと動いたって。きっと、ひいばあちゃん、日奈子や陸人が来るのを楽しみにしてるのよ。」
朝ご飯を食べて、お父さんの車で、ひいばあちゃんちに向かった。
青空には白い雲がうかび、高速を下りると、あちこちで山桜が咲き始めていた。
約束していた道の駅につくと、おじいちゃんたちが先に来ていた。
お昼のおにぎりやおかずを選んでレジに持っていくと、レジのおばさんに、
「あれ、清子さんとこの?」
と言われた。びっくりしたおじいちゃんが、
「はあ。」
とあいまいにうなずくと、レジのおばさんは、レジのすぐわきで野菜をならべようとしていたおばさんに声をかけた。
「ちょっと、こちら、清子さんのとこの。」
「あらまあ、そうですか。清子さんには、本当にお世話になって。」
「こちら、ほら、清子さんとこの。」
レジのおばさんは、通りかかる人に次々と声をかけ始め、そのたびに、おじいちゃんは、道の駅のスタッフの方や、お客さんから何度も声をかけられ、お礼を言われていた。
「これ、つまらないものですけど、お昼にでも、食べてください。」
「いや、しかし」
「いいんです、いいんです。田舎ですから、こんなものしかないですけど。」
「はあ、それじゃあ。」
道の駅を出るころには、おにぎりとか、おやきやお漬物、地元でとれた野菜まで、どっさりもらっていた。
「どうなってるんだ?」
わたされたビニール袋を持って、おじいちゃんは首をひねっていた。
お父さんは、おじいちゃんからビニール袋を半分受け取って、
「さあ。」
と答えていた。
カナばあちゃんとお母さんは、顔を見合わせてだまっていた。
道の駅から、わたしは、前を走るおじいちゃんの車に乗った。
国道をそれて山の中へと進み、何度も通ったバス通りからわき道へ入り、細い一本道を上っていくと、ひいばあちゃんちが見えて来た。
おじいちゃんが車を止め、ドアを開けて車から下りると、
カラ、カラカラカラ
と、ひいばあちゃんちの玄関の引き戸が開いた。
「ようきんしゃったねえ。まっちょったよ。」
ひいばあちゃんの声が聞こえるような気がした。
でも聞こえてきたのは、
「お待ちしてました。」
という、ひいばあちゃんちから出て来た高橋さんの声だった。
ひいばあちゃんちは、この前来た時と何も変わっていなかった。
でも、柱のお札は、前のようには光っていなかった。
少し光っているように見えなくもないけれど、なんだかぼんやりとしている。
(ひいばあちゃんが、もう、いないから。)
それか、わたしに、もう前のような力が無いっていうことなのかもしれない。
庭の柿の木の横には、ひいばあちゃんのブランコもあった。
ここは、何も変わっていない。
ひいばあちゃんがいないことのほうが、不思議な気がした。
雨戸をあけるだけじゃなくて、高橋さんの奥さんが、お昼にと、おにぎりと山菜の入ったお味噌汁まで用意してくれていた。
「いえいえ、清子さんには、主人もアキラも、とてもよくしていただきましたから。」
高橋さんの奥さんが、アキラくんの頭をなでながらそう言っていた。
お昼ご飯を食べた後、お母さんやカナばあちゃんたちが片づけをしている間に、わたしは庭に出た。陸人はアキラくんと、うらの山へ遊びに行ってしまった。
ゆるゆるとふく早春の風に、ほんの少しブランコがゆれているように見えた。
わたしは、そうっと、ブランコにこしをおろした。
目をつむって、足を地面からはなして、ブランコをゆらした。
すると、すうっと、まわりの空気が体にまとわりついてくる感じがした。
何回か小さくブランコをこいで止めると、ひいばあちゃんちの中から声が聞こえた。
「パパ、吉井さんに電話した?」
高橋さんのおばさんの声だと思う。
(えっ? おじいちゃんとこに電話って、どういうことだろう。みんな、ここに、ひいばあちゃんちにいるのに。)
「あっ、今、する。
もしもし、あっ、高橋です。おはようございます。すみません朝早くから。
いえ、こちらこそ。
今、清子さんの家に来てるんです。
雨戸を開けて、空気を入れかえといた方がいいかなと思いまして。
いえいえ、とんでもないです。
それで今日は何時ころ、こちらに来られる予定ですか?
ああ、はいはい、分野の道の駅ですね。」
その時だった。
ボーン、ボーン、ボーン
ひいばあちゃんちの中から、柱時計の音が聞こえてきた。
全部で八回。
(えっ、八時?)
「ええ、そうです。台所の柱時計の音です。
今日来て、ゼンマイのネジをまいてみたんです。そしたら、ちゃんと動きました。
それじゃあ、昼前、十二時ごろですね。
ええ、お待ちしています。はい、それでは。」
(今の、今朝、お母さんが、高橋さんと話してた)
「十二時ごろに来るって。」
「ほら言ったとおりでしょ。おにぎりとお味噌汁、用意しといた方がいいって。このへん、コンビニなんか無いんだから。」
「分野の道の駅で、吉井さんと待ち合わせてから来るって言ってたから、道の駅で何か買ってくるんじゃないのかな。」
「えっ? ちょっと、だれに電話したの?」
「月野さん。清子さんのお孫さん。」
「えっ、なんで? 吉井さんに電話したんじゃないの?」
「吉井さんは、ちょっとな。」
「なんで?」
「吉井さんと話すと、あの時、もうちょっと早く清子さんをみつけられてたらって、どうしても考えちゃうんだよ。」
「それはちがうって、吉井さんも言ってたじゃない。」
「そうなんだけどな。」
高橋さんと、高橋さんのおばさんの声が、ひいばあちゃんちから続いていた。
でも、それどころじゃない。
(なんで今、朝の八時なの?)
そう考えて、ふっとうつ向いた時、
(えっ?)
わたしは、自分の足元の地面が、光っているのに気がついた。
ブランコの周りの地面に、ちょうどブランコがすっぽりと入るくらいの大きさで、丸い円が二重に描かれていた。円の中に、円にそって、いろんな記号や文字が描いてある。
その文字と記号が、前に見たときのひいばあちゃんちのお札と同じように、いやもっと強く、光っている。
二重の円も光っていた。
(これって、ひいばあちゃんのだ。)
ひいばあちゃんちの柱にはってある、お札に書かれている文字や記号と同じだ。
いや、お札よりももっと複雑だ。
でも見ていると、文字や記号や円の光は、だんだんとうすれていくようだった。
(どういうことなの? さっきまでお昼過ぎだったのに。わたし、時間をさかのぼったの?)
ビュルルルー
ひときわ強い風が吹いて、わたしをのせたブランコがゆれた。
すると、足元の、文字や記号や円が、ふわっと光り始めた。
あたりの空気が、すうっと体にまとわりついてきた。
そして、まわりの景色が、柿の木が、ひいばあちゃんちがゆれた。
(ブランコ? ブランコをこいだから?)
わたしは、あわててもう一度、ブランコを大きくこいでみた。
足元の、文字や記号や円が、今度は強く光った。
まわりの空気が、ぐるぐると、また体にまとわりついてくる。
すると、あたりの景色が、グンッと一気に暗くなった。
東の空が、うっすらと明るい。
空気が、すうっと冷たくなって、はだをさした。
わたしの、ブランコの周りは、夜明け前になっていた。
わたしは、もう一度、ブランコをこいだ。
グンッと景色が動いて、空にたくさんの星がかがやいていた。
すっかり夜になっていた。
(ブランコをこぐと、過去にもどるんだ。)
わたしは、もっとブランコをこいだ。
すると、空が少しずつ明るくなり、今度は西の空があかね色にそまり始めた。
夕方になったのだ。
(でも、どうして?)
今まで、何度もこのブランコをこいだけれど、時間がもどったりはしなかったのに。
それに、わたしには、前のような力がもう無いはずなのに。
(そうか、これって、ひいばあちゃんの力だ。ブランコの下に、ひいばあちゃんの描いた文字が、二重の円があるからだ。)
まちがいない。
わたしは、大きくブランコをこいだ。
あたりは、グンッと明るくなって、お日様が空高くのぼった。
たぶんお昼過ぎ、二時か三時くらいだと思う。ブランコに乗ってから、丸一日くらい時間をさかのぼったことになる。
(大きくこぐと、たくさん時間がもどるみたい。)
一回、二回、三回と、回数を数えながらブランコをこいだ。
四回こいで止めると、その日の夜明けまでもどった。
(一回大きくこぐと、二時間くらいもどるみたい。)
だとすると、大きく十二回こげば、だいたい一日分くらい時間がもどることになる。
(ひいばあちゃんに会える。)
そう思った。
ひいばあちゃんからメールが来た、あの日よりも前にもどれば、ひいばあちゃんに会えるはずだ。
(三十日くらいもどればいいんだよね。ええっと、何回? 何回ブランコをこげば、ひいばあちゃんに会えるの? 12回×30日だから...、360回!)
わたしは、夢中でブランコをこぎ始めた。
360回もブランコをこいだことなんかない。
でも、ひいばあちゃんに会うには、ブランコをこぐしかない。
夜になり、夕方になり、西から日が高くなって、東にかたむき、夜明けになって、夜になる。
(一日、二日、三日、四日)
夜が明ける回数を数えて、ブランコをこぐ。
(十二日、十三日)
ブランコがぎしぎし音をたてている。
(もし、ブランコがとちゅうでこわれたら)
ダメだ、そんなこと考えちゃダメだ。
わたしは、ブランコをこぎ続けた。
一日、また一日と、時間がもどっていく。
(二十九日、三十日)
わたしは、ブランコを止めた。
体中から汗がふき出て、来ている服がぐっしょりぬれていた。
どんどん変わっていた周りの景色が、今は止まっている。
(はあ、はあ、はあ)
息が切れていた。
寒い。
チチチチ、チチチチ
小鳥が鳴いている。
東の空に、お日様がかがやいていた。
朝、まだ早い時間のようだ。
大きくすって、はいて、息をととのえて、自分の両肩をだきかかえて、わたしはブランコから立ち上がった。
(今、いつなんだろう?)
ちゃんと二月の終わりのころに、もどっているんだろうか。
寒くて体がブルブルふるえているから、かなり前の季節にもどっているのはまちがいないはずだけど。
その時だった。
カラ、カラカラカラ
ひいばあちゃんちの玄関の引き戸が開いた。
(あっ!)
ひいばあちゃんが、出て来た。
「ひいばあちゃん!」
思わず、大きな声を出していた。
ひいばあちゃんが、こっちをふり向いた。
「日奈子。」
目を見開いて、じっとこっちを見ている。
「日奈子、なんで、なんでここにおるんじゃ。」
かけよって来るひいばあちゃんに向かって、わたしはかけ出そうとした。
グワンッ
ところが、わたしは何かに顔からぶつかった。
(な、なに?)
もう一度、足をふみ出そうとしたが、前に進めない。
何かが、わたしの前にある。
何も見えないけれど、何かがある。
分厚い空気のかたまりのようなもの。
地面で光っている円の向こうに、わたしは行けなかった。光る円の上に建っている、空気の円筒の中に閉じこめられているみたいだった。
「ああ、日奈子。」
ひいばあちゃんの目から、ボロボロと涙があふれていた。
ひいばあちゃんがわたしに手をのばした。
でも、ひいばあちゃんの手は、わたしにはとどかなかった。
ひいばあちゃんの手が、光の円の向こう側で止まっていた。
ひいばあちゃんが、わたしの足元の光る円を見た。
すうっと、ひいばあちゃんの顔から、ほほえみが消えた。
ひいばあちゃんは一歩下がって、ブランコ全体を見た。
「日奈子、このブランコに乗って来たんか。」
わたしはうなずいた。
「ひいばあちゃん、わたし。」
「しゃべりんさんなっ!」
ひいばあちゃんが、突然、さけんだ。
「ええか、日奈子、なんも言うたらいけん。あんたは、すぐにもどらんといけん。ひいばあちゃんは何も聞かん。誰にも会わんかったことにする。」
「でも、わたし」
わたしは、ひいばあちゃんにだきつきたくて、見えない円筒にはりついた。
「しゃべったらいかん! あんたは、過去を変えるようなことは、したらいけん!」
ひいばあちゃんが、ゆっくりと手をあげて、円筒にはりついているわたしの手に、円筒の向こう側で手を重ねた。ひいばあちゃんのほおに、涙が流れていた。
「日奈子、よう来たな。
でもな、あんたは、すぐに帰らにゃいけん。ここへ来た時間よりも、少し先まで、もどらにゃいけん。ええか、日奈子、逆向きにブランコにすわりんしゃい。そんで、来た時よりもちょっとよけいに、ブランコをこぐんじゃ。ええな。」
わたしは、ひいばあちゃんに言われたとおりに、南の谷の方に背を向けてブランコにすわった。
「日奈子、もどったら、足元の円も文字も、足でこすって消しんさい。ええな?」
わたしは、ふり向いてひいばあちゃんの顔を見あげた。
ひいばあちゃんが泣いていた。
わたしの目からも、ボロボロと涙があふれた。
「泣きんさんな。ひいばあちゃんも、日奈子に会えてうれしかった。ほんまじゃ。ほんまにうれしかった。ほいじゃけん、さあ、もどりんさい。」
わたしは、ひいばあちゃんから目がはなせなかった。
「早うっ!」
ひいばあちゃんの声に背中をおされ、わたしはブランコをこぎ始めた。
足元の文字や記号や円が光り、まわりの空気が体にまとわりついてきた。
泣きながら、ボロボロ涙を流しながら、わたしはブランコをこいだ。
今度は、時間がどんどん過ぎていく。
朝が来て日がのぼり、雲が流れて夕方になり、夜がやって来る。
月を追いかけて、星が夜空をかけめぐり、朝日がのぼった。
(二十九日、三十日。)
わすれないように、日数を数え始める前にもどっていたもう一日分、ブランコをこいだ。
(一回、二回。)
少し余分にブランコをこいで、わたしは、ブランコを止めた。
体にまとわりついていた空気がほどけて、ふわっと、体が軽くなった。
見上げた空は、あかね色にそまっていた。
体を回して、左を向くと、遠くの山々も赤くそまっていた。
そこは、夕方だった。
ブランコから立ちあがり、一歩、二歩と前に進んだ。
わたしは、光の円から、外に出ることができた。
わたしの元の時間にもどって来たんだと分かった。
(そうだ、消さなきゃ。)
ひいばあちゃんに言われた通り、わたしはあわてて足元の円を、文字を記号を、足でこすって消した。しゃがんで、ひざまづいて、手でも消した。
そして立ち上がろうとした。
そこまでしか、覚えていない。
目を覚ました時、見えたのは、古い木の天井だった。
わたしは布団の中にいた。
「日奈子ちゃん?」
声がしたほうを見ると、高橋さんのおばさんがいた。
わたしを見て、ぱっと笑顔になったかと思うと、ボロボロと涙を流した。
「日奈子ちゃんが、起きました!」
高橋さんのおばさんは、大きな声を出してどこかへ行ってしまった。
わたしは、ゆっくりと体を起こした。
柱に、文字の書かれたお札がはってあった。
そこは、ひいばあちゃんちの中だった。ひいばあちゃんちに泊まった時に、ひいばあちゃんといっしょにねた部屋だ。
お母さんがかけよってきて、わたしの両腕をぎゅっとにぎった。
「日奈子、どこ行ってたの!」
「ひいばあちゃんに会いに。」
そう答えると、お母さんが目を丸くしてわたしを見て、わたしをぎゅっとだきしめた。
お父さんや、おじいちゃんやカナばあちゃん、高橋さんとおばさん、陸人とアキラくんも、ぞろぞろと部屋に入って来た。
「日奈子、だいじょうぶか?」
カナばあちゃんに言われて、
「うん、だいじょうぶ。でも、ねむい。」
わたしはまぶたを閉じて、もう一度、ねてしまった。
その日の午後、三時ころに陸人とアキラくんが山からもどってきた。
それで、わたしがいっしょじゃなかったことに、わたしの姿が見当たらないことに初めて気が付き、それから、みんなで、あちこちわたしをさがしたのだそうだ。
だけど、わたしは見つからない。
どこにもいない。
ところが、日が暮れかかったころになって、わたしがブランコのそばでたおれているのを、高橋さんのおばさんがみつけた。
庭も、ブランコのまわりも、何度も何度も見たはずなのに。
さっきまでいなかったはずのわたしが、たおれていたのだ。
「ひいばあちゃんに会いに行った。」
そう言うと、もうそれ以上誰も、わたしにどこへ行っていたのかとはたずねなかった。
わたしは、ウソはついていない。
本当に、ひいばあちゃんに会いに行っていたのだから。
カナばあちゃんは、
「いつまでたっても、人さわがせな人だ。」
と、おこっていた。
ブランコ かんだ しげる @cckanda
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