第8話 お葬式

 柊さんに会った次の週、三月の最初の火曜日のこと、学校が終わると、わたしはカナばあちゃんちへ行った。

 先に来ていた陸人が、台所のテーブルで、ひらがなを練習していた。

(わたしも、宿題、すませちゃおう。)

 ランドセルから国語の教科書とタブレットを取り出して、テーブルの上に置いた。

 その時だった。

 スマホにメールがとどいた。

(あっ、ひいばあちゃんからだ。)

『日奈子、元気か?』

って、それだけ。

 あわてて、『元気だよ。』って返信した。

 でも、なんだか気になった。

 胸のあたりが、ざわざわした。

 すぐに、スマホでひいばあちゃんに電話をした。

 なんどか電話が鳴った後で、留守番電話サービスの案内になってしまった。

 わたしと陸人に、お茶とクッキーを持ってきたカナばあちゃんが、わたしの顔をのぞきこむようにして言った。

「日奈子、どうしたの?」

「ひいばあちゃんからメールが来たんだけど、電話をかけても出ないんだよ。」

「後でもう一回電話してみたら。おトイレかもしれないでしょ。」

 それで、その後も何回か電話をしてみた。

 でも、ひいばあちゃんは出なかった。

 カナばあちゃんも、自分のスマホから電話をしてみてくれたけど、やっぱりつながらない。

 ジョギングしに行っていたおじいちゃんが帰って来た。

 カナばあちゃんが話をすると、

「また、充電が切れてるんじゃないか。前にもそういうことあったよ。心配だからってあわてて車で見に行ったら、ピンピンしてた。」

 そう言って、おじいちゃんはシャワーをしに行こうとしたが、でも念のためにと、ひいばあちゃんちのとなりの高橋さんに電話をしてみてくれた。

「えっ、清子さん、そっちに行ってるんじゃないんですか?」

 スピーカーフォンから、高橋さんのおどろく声がきこえた。

 高橋さんが言うには、四日くらい前に、ひいばあちゃんが高橋さんちに、

「何日か多摩の娘のところに泊まりにいきますけん、おらんようになります。」

と、電話をしてきたのだそうだ。

 それで、ここ何日かひいばあちゃんちには行っていなくて、ひいばあちゃんの姿を見かけなくても、高橋さんは気にしていなかったらしい。

「すぐに行ってみます。

 また、ご連絡します。」

「お手数おかけします。よろしくお願いします。」

 そう言って、おじいちゃんは電話を切った。

「心配ないよ。念のためだから。それより今夜は、誠さんも来るんだろ? 鍋にでもするのかな?」

「今日は、カレーだよ。」

 陸人がそう答えると、

「ああ、そうか。カレーか。」

と、おじいちゃんはシャワーをしに行った。

「ただいま。」

 十五分くらいしてお母さんが帰って来た。荷物を置いて、台所のカナばあちゃんを手伝おうとエプロンを付けていると、おじいちゃんのスマホが鳴った。

 でも、お風呂場から、ブオオオーって、おじいちゃんがドライヤーで髪をかわかしている音がしている。たぶん、気がついてない。

「はい、吉井です。」

と、代わりにカナばあちゃんが出た。

 おじいちゃんがタオルを首にまいてもどって来て、カナばあちゃんが、

「今、主人に代わりますから。」

とスマホに言った。それから声を出さずに口だけで、

「高橋さん。」

とおじいちゃんに言った。

 おじいちゃんがスマホを受けとろうと手を出すと、

「えっ?」

カナばあちゃんの声の調子が、急に低く変わった。

「ああ、ちょっと、代わります。」

 そう言ってカナばあちゃんは、ぎゅうっと両手でスマホを持って、おじいちゃんにわたした。それから、その場に立ったまま、大きく息をすって、はいた。

「えっ。」

 おじいちゃんもそう言うと、スマホを持ったまま廊下へ出ていった。おじいちゃんの声だけが、聞こえてきた。

「そうですか。

 いえ、ありがとうございます。

 それで、どちらの病院に。

 ええ、はい、分かりました。

 とにかく、すぐにそちらに向かいます。

 はい、よろしくお願いします。」

 電話を切ったおじいちゃんが、台所へもどって来た。

 カナばあちゃんと顔を見合わせて、ふうっと大きく息をはいた。

 エプロンをつけたお母さんが、流しの方から顔をだした。

「なに? どうしたの?」

 カナばあちゃんがふり向いて、小さな声で、ゆっくりと言った。

「ひいばあちゃんが、たおれたんだって。」

「そんな」

 お母さんは、すとんと台所のテーブルのイスにすわった。

(えっ?)

 わたしは、椅子にすわったまま、体が動かなくなっていた。

 おじいちゃんが、もう一度、大きく息をすって、はいてから言った。

「今、高橋さんが救急車をよんでくれてるんだ。すぐに行かないと。病院がどこかは、高橋さんが後で連絡してくれるそうだから、とにかく分野へ向かおう。」

「美希、あなたは、どうするの?」

 カナばあちゃんに言われて、お母さんがはっと顔をあげた。

「ああ、そうか。わたしも行かなきゃ。」

 立ち上がろうとするお母さんに、カナばあちゃんが言った。

「日奈子と陸人は?」

「ああ、そうか。」

「美希、まず、誠さんに電話しなさい。」

 おじいちゃんにそう言われて、お母さんはうなずいて、エプロンのポケットからスマホを取り出して、お父さんに電話をかけた。

「誠さん? ひいばあちゃんが」

 そう言ったとたん、お母さんの目からボロボロと涙がこぼれ始めた。

「ううん、たおれたんだって。今、救急車よんでるって。

 うん、カナばあちゃんちにいる。日奈子と陸人もいっしょ。」

 お母さんが電話を切ってから二十分もしないうちに、お父さんが車でやってきた。

 おじいちゃんとカナばあちゃんは、下着なんかをつめた大きめのバックを持って、おじいちゃんの車で、分野に向かって出発した。

(ひいばあちゃんが、たおれた?)

 気がつくとわたしは、お父さんの車の後ろの席に、陸人とならんですわっていた。

 お母さんは、助手席に乗っていた。

 目の前で起こっていることに、わたしの頭はついていけていなかった。

 わたしの頭は、理解することをいやがっていたのだと思う。

 お父さんが運転する車は、うちのマンションには寄らずに、そのままおじいちゃんの車の後を追って走った。

 お母さんが、おじいちゃんの車のカナばあちゃんとスマホで連絡をとりながら、とちゅうのコンビニで、おにぎりとお茶を買った。

 おにぎりを食べると、陸人は、わたしのとなりでねてしまった。

(ひいばあちゃんが、たおれた?)

 わたしの心は、ずっとそこから動いていなかった。


 ひいばあちゃんは、わたしたちが病院に着くのを待っていたかのように、息を引きとった。


 後で教えてもらったのだけれど、高橋さんがひいばあちゃんちに行ってみると、庭のブランコのところに、ひいばあちゃんがたおれていたのだそうだ。

 スマホを、胸にだきしめるように、両手でにぎりしめて。

「すみません。ぼくが、もうちょっと早く」

 そう言って頭をさげる高橋さんに、おじいちゃんが言った。

「それはちがいます。

 どうか、頭をあげてください。

 高橋さんが見に行ってくれたから、わたしたちは、ひいばあちゃんの死に目に会えたんです。本当に、感謝しています。」

 後で、お母さんが、おじいちゃんのことを見直したと言っていた。


 お葬式は、葬儀場の都合とかで、金曜日になった。


 お葬式は、ひいばあちゃんちではなく、最寄りの分野の駅の一つ手前の、特急の止まる駅の近くの葬儀場で行われた。

 そこなら駐車場も広くて、参列者の方にも便利だということだった。

 ひいばあちゃんはずっと前から、お葬式のときに連絡する人のリストとか、お墓のこととか、預金通帳のことなんかをノートにまとめていた。それを茶箪笥の中に置いておくと、カナばあちゃんとお母さんには話してあったのだそうだ。

「まあ、そんなに人は、来ないだろう。」

 そうおじいちゃんは言っていたけれど、お葬式には、たくさんの人が来た。

 ひいばあちゃんちのご近所の方たちはもちろん、埼玉県や、遠く岡山県から来たという人もいた。ずっとひいばあちゃんと、手紙のやり取りをしていたのだそうだ。

「清子さんには、本当にお世話になりました。」

「こうして元気でいられるのは、清子さんのおかげです。」

 参列者の方たちから、口々に言われたおじいちゃんは、

「なんのことだか、さっぱり分からない。」

と、とまどっているようだった。

 もちろん、静岡から敦子おばさんも来た。

 敦子おばさんの顔を見たお母さんの目から、またボロボロと涙がこぼれた。

「日奈子も陸人も、ひいばあちゃんに最後のお別れをしなさい。」

 カナばあちゃんに言われて、わたしは白木の箱の中に横たわっているひいばあちゃんを見た。たくさんの白い花に囲まれたひいばあちゃんは、静かにほほえんでいた。

 お母さんが涙をふいていると、カナばあちゃんが言った。

「なんにも、悲しいことなんかないわよ。ひいばあちゃんは、好きに生きたんだから。病気で長いこと入院するのにくらべたら、よっぽどいいわ。」


 わたしは、お葬式の間も、お葬式が終わってからも、ぜんぜん涙が出なかった。

 ひいばあちゃんが死んだなんて、ぜんぜん思えなかった。

 今も、ひいばあちゃんちに行けば、ひいばあちゃんが手をふっているような気がした。

 お葬式の後、わたしと陸人とお母さんは、お父さんの車で式場からマンションにもどった。おじいちゃんとカナばあちゃんは、まだ何日か、ひいばあちゃんちにいると言っていた。


「ひいおばあちゃんは、たくさんの人にしたわれていたんだな。」

 お父さんが帰りの車の中でポツンと言った。

 陸人は、後ろの席、わたしのとなりでねていた。

 わたしも、横を向いて、目をつむっていた。

 わたしはひいばあちゃんのブランコのことを考えていた。

 ひいばあちゃんがいなくなって、ブランコはもうだれにも乗ってもらえなくて、ひとりぼっちになってしまったのだと思った。

「どうせ、いつもの調子で、また、近所の人にいろいろ言ってたんでしょ。」

 お母さんの声が、助手席から聞こえた。

「ひいばあちゃんがご近所でいろいろ言うもんだから、カナばあちゃん、子どもの時に、岡山で、相当いじめられたのよ。夜、どなりこんでくる人もいたって。ひいおじいちゃんが退職した後、こっちへ引っこすことに決めたのも、本当は、もうひいばあちゃんが、あっちじゃくらせなくなっていたからなのよ。」


 それから何日かして、夕ご飯の時に、お母さんがお父さんに言った。

「今日、カナばあちゃんから電話があったの。ひいばあちゃんちを、どうしようかって。」

「ああ、そうか。だれも住まなくなるからな。」

「古い家だから、だれも住まないようになったら、いたむのも早いだろうって、おじいちゃんが心配してるみたい。こわすんなら、早めにしたほうがいいんじゃないかって。」

「ひいばあちゃんち、こわしちゃうの?」

 お母さんにたずねると、お母さんはふうっと息をついて、わたしに笑って見せた。

 お父さんが、お母さんの代わりに言った。

「古い家をそのままにしとくのは、あぶないんだよ。」

「ひいばあちゃんち、まだ全然だいじょうぶだよ。そんなの、もったいないよ。」

「そうなんだけどな。でも、空き家になって、家がくずれたりして、人がケガとかしたら、あぶないだろ。」

 わたしは、ひいばあちゃんの家より、ひいばあちゃんのブランコがどうなるのかが気になっていた。


 ところがその次の日、夕ご飯のときに、おじいちゃんが電話をしてきた。

 ひいばあちゃんの知り合いだったという横浜の人から、

「もしよければ、ひいばあちゃんちを借りて、仕事場として使いたい。」

と言ってきたのだそうだ。

 電話を切ってから、お母さんが首をかしげながら言った。

「家の中を少しリフォームして、直して使いたいっていう話なんだって。リフォームの費用はその借りたい人が持つし、もちろん月々の家賃はお支払いしますって言われたんだって。」

「なんか、出来すぎた話だなあ。」

 コロッケにウスターソースをかけながら、お父さんが言った。

「あの古い家を仕事場に使うって、なんの仕事なんだろう。」

「女性の作家さんだって。」

「柊さん?」

「えっ、日奈子知ってるの?」

 わたしはうなずいた。

 もちろん、知っている。

「ひいばあちゃんちで、何回か会ったことがあるよ。」

 柊さんは、ひいばあちゃんの一番仲のいいお友達だったと、有名な作家さんだと高橋さんが言っていたと、お母さんに話した。

「そうなの。」

「カナばあちゃんは、たしか、柊さんと会ったことがあるって。」

 お母さんは、すぐにおじいちゃんに電話をした。


 その後、何日かして、おじいちゃんとカナばあちゃんは、新宿で待ち合わせて、柊さんに会った。

 そして、ひいばあちゃんちを、柊さんに借りてもらうことになった。

「わたしは、急いでいるわけではありませんから。みなさんのご都合の良い時から、お借りできればいいですから。」

 そう、柊さんから言われたそうだ。

 だけど、おじいちゃんがなるべく早いほうがいいと言い、三月中に、みんなでひいばあちゃんちに行って、家の中の物をかたづけることになった。

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