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第25話

財前は振り返り、羽那を見た。


着物姿ではない。初めて見る洋装。グレーのドレス姿だけれど、それは間違いなく彼女だ。


そして彼女は、自分の名前をつぶやいた。



(彼女は、僕を知っている。そして僕も、彼女を知っている……)



コツ、コツ、コツ。



財前はゆっくりと羽那に近づく。羽那も、前に歩き出す。そしてお互いの三歩前で止まる。


財前は緊張のあまりふうと息を吐く。


そして彼女に軽く頭を下げた。



「はじめまして、相楽羽那さん」


すると羽那も軽く頭を下げた。


「はじめ……まし、て、財前直哉さん。意識が……戻ったんですね」


財前は柔らかく笑んだ。


「はい、数日前に。そして、あなたのことを聞きました。それで、その」


「……」


「……」


たがいに、何から話せばいいのかわからなくて、言葉を失う。そもそも、初対面の距離感がいいのか・・・・・・・今までの距離感でいいのかも謎だ。



「その……」


財前は襖のほうを顧みた。


「すばらしい出来ですね……いつか見てみたいと思っていたんですが、案外早く望みがかないました」


羽那はふと微笑んだ。


「あれは……あなたがいなければ、完成しなかった作品です……本当に、ありがとうございます」


「えっ、あ、いや、僕は病院のベッドで寝ていただけですよ」


「でも、私の夢に出てきて、一緒に歌を選んでくださったでしょう?」


「は、は……本当に、本当なんですね……」


「ええ。こんなことって、ありえるんですね……」


「……」


「……」


再びの沈黙。口は動いているのに、お互いに何も言えなくなる。




財前はちらりと目の前の羽那を盗み見た。うつむいてはいるが、失望や嫌悪感は感じられないようなので、とりあえず内心ほっとする。



(この気恥ずかしさは……ネットで出会って結構親しくなった人と、初めて会った、そんな感じだな)



でも……



実際に目の前にいる羽那は、夢(?)の中で出会った羽那と、違いはないように感じた。着物ではなく服を着て美術館にいる彼女は、それなりに現代のひとに見える。そして、洋服姿もとても素敵だ。


あまりにも緊張しすぎて、ぎゅっと手を握りしめたとき。がさっと軽い音がして、財前は握りしめた手の力を慌てて緩めた。


「あっ、まずい」


「なんですか?」


羽那は首をかしげた。


財前は右手に持っていた透明のセロファンで包まれた一輪の花を差し出した。


「これ。展示会、おつかれさまでした」


「ありがとうございます……」


羽那は差し出されて一輪の花を受け取った。それは、赤いチューリップだった。赤いリボンが巻かれている。


「本当は……バラとかがよかったかもしれないですが、僕のキャラには合わないかもしれないので……」


「キャラって……」


羽那はくすっと笑った。


「羽那さんは……花言葉とかよくご存じですか?」


「いいえ。ええと、チューリップの花言葉は……?」


スマホを取り出して検索しようとする羽那を、財前は必死に止める。


「あ、あー……あの、今、じゃなくていいです」




「会いに行くなら、花束でも持って行って!」


昨日の夕方、快気祝いにおごってあげると飲みに誘われて行った居酒屋で、にこやかに片瀬が言った。


「花束? そんな……どうしたらいいんだ? 花はバラと菊以外、区別がつかないのに」


「はい? ないの? 女子に花を贈ったこと?」


「……ないです」


「は! マジですか? 999本のバラを奥さんに贈った人の部下のくせに?」


「それは僕には関係ないだろう?」


「色とか本数によって花言葉が違うとかもあんまり知らなそうね」


「え? バラ以外にもか? 奥が深いな」


「はぁぁぁ。先輩、いいトシしてやっぱダメね。好きな相手には、花を贈ってみたいとか思わなかったの?」


「いやそもそも、花を欲しがるような女とは縁がなかったな。小学生のころ母の日に母親にカーネーション贈ったくらいだ」


「イケメンの部類にかろうじて引っかかっていても、そんなんじゃカノジョできないわ。よし。私が代わりに考えてあげる。花言葉で告っちゃおうか。いっそのこと、もうプロポーズしちゃう?」




それで、いろいろな花言葉を教えてもらった。


最終的に選んだのは、一輪の赤いチューリップ。


羽那が意味を知らなかったことにちょっと残念な半面、気恥ずかしさが薄らいでだいぶほっとした。


「あっ、ちょ、ちょっと……羽那さん?」


今じゃなくていいと言ったにもかかわらず、羽那はすでに一輪の赤いチューリップの意味をスマホで調べてしまった。


「……これ」


彼女はスマホから顔を上げて財前を見た。少し驚いて、少し困惑して、そしてすごく嬉しそうな……チューリップのように、真っ赤に染まった顔。


「その、つまり、ですね……」



財前は何度かためらっては諦めるかのような動作を繰り返し、ついには決心したように羽那を見つめ返して言った。


「羽那さん」


「はい」


「手」


「はい?」


「手に……触れてもいいですか?」


羽那は首をかしげる。そして財前が差し出した右手の上に、自分の左手をそっと置いた。


「はい」


財前はそっと彼女の手を握った。



「はじめて、触れた。本当に本物の、羽那さん」


羽那はくすくすと笑う。


「はい、本物の、財前さん」


「現実の世界でも、あなたのことがもっと知りたいし、あなたとたくさんの時間を過ごしたい、です」


「私も同じく、です。だから今度は私が、あなたに赤いチューリップを一輪、贈りますね」


財前は嬉しさのあまり思わず涙が出そうになるのをかろうじて堪えた。三十を超えると、なぜだか涙もろくなった気がする。


「それから、私の山の作業場に、そのうち一緒に行って、本物の蛍を見ましょう。もちろん、財前さんが山にトラウマとかないなら、ですけど……」


「大丈夫です。あ、まさか桜は、咲いていないですよね?」


「そうですね。それはまた来年の春にでも……」


二人は手を取り合ったままふふふ、と笑った。




そして……


財前を衣装箱の中に突き落とした、上司夫妻の面影のある兄妹に彼らが会えるのはもう少し先。


そして女の子が言っていた「ひぃちゃん」に出会うのは、財前が羽那に40本の赤いチューリップを贈ったそのちょっと先の未来。









【完】

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