第28話

「ふんふん。でもさ、これって奇跡でも何でもないよね。カイがちょこっと、彼らの運命を変えただけだもんね」


 スカイツリーのてっぺんのフェンスに腰かけたファイは、真っ白い羽をふわふわと動かす。白い衣の裾をひらひらさせて足をぱたつかせ、歌うように陽気に言った。


 結ばれるはずではなかったつまらないすれ違いの両想いの人間たちを結ばせることは、天使はもちろん、堕天使にもたやすいことだ。



「ひとつ腑に落ちないんだけど。『みなみ』って誰のことだったの?」


 ファイの無邪気な質問に、カイは鬱陶しそうにため息をついた。


「ねぇ~、ねねねねぇ~、おしえてよぉ!」


「うるっさい! 早く消えろ!」


「もぉっ。冷たすぎるなぁ。ねぇ~、教えてくれたら消えるからさぁ」


「……あの男の、アメリカに留学する前につき合ってた元カノだ」


「その人はどうなったの?」


「自分で調べろよ」


「冷たいなぁ。教えてよぉ」


「今は別の男と結婚して、三児の母だ」


「はははっ。そっかぁ。うん、それならよかった。これでカイも444人分の善行をつんだね!」


「消えろって!」


 冷たぁぁぁいっ! と叫びながら、ファイはくるりと一回転して空中に姿を消した。





 ファイが闇の中に姿を消すと、カイはやっと安堵のため息をついた。



 ひゅうぅぅっ……と風が吹き抜ける。


 上空を、離着陸の飛行機の光が轟音と共に行き交う。




 カイが二人の運命をちょいちょいっと操作して無事に思いを伝え合わせてから一週間が経った。 


 今夜、ソナは志希と初デートのディナーに出かける。


 仕事で忙しかったから、ずいぶん間が開いてしまった。


 その間のソナのつぶやきときたら、なんでそんなに焦っているのかと突っ込みたくなるほどうろたえ過ぎだったとカイは思う。




   どうしよう? 何着ていく? それで服は何色? 靴は? メイクは? 髪型は? アクセサリーは?!


   ああ、明日有給取ってソウルのお母さんの店に行って、スペシャルコースのボディケア受けてこようかな? ついでに皮膚管理の通いつけの病院にも行って……


   ネイル! ネイルもどうしよう?! だれか! たすけて! 


   どうしてこんな時にミナがそばにいないのよ?


   ミカさんにでも訊く?!


   いや、でもはずかしいっ!




 心の中のつぶやきが聞こえてくるたびに、カイは何度も呆れて笑ってしまった。


 どうしたんだ、完璧なフローレス女、イ・ソナ。何十人の男たちを冷酷に振ってきた冷たい心コールドハーテッドのクールなお前はどこに行った?



 どう考えても、ただの恋する乙女だ。


 いや、本当に好きな相手に対しては、多かれ少なかれ、人間の女はいくつになってもみんなああなるんだろうな。


 彼女も、例外ではなかったというわけだ。




   自分に幻滅しないかって、志希が言ったけど……するわけないでしょ?


   いびきをかこうが、おならをしようが、そんなことで幻滅したりしない。


   格好悪い面も見られるなら、とても嬉しいと思う。


   あの完璧な男のちょっと抜けた面を知れたら。


   むしろもっともっと好きになっちゃいそう。




「ソナ、お前ってつくづく純粋で純情なんだな」


 カイのつぶやきが夜の中に溶けてゆく。


 彼は手すりに座り、顔を傾けて口元に笑みを浮かべる。ソナの幸福感が伝わってきて、自然と彼の口元はほころぶのだ。



 ソナの家のインターホンが鳴る。彼女がエントランスを解除して数分後、ドアがノックされる。彼女がドアを開けると、目の前にはカーディナルレッドのバラの花束が差し出された。


「一体……何本あるの?!」


 大きすぎる花束に驚きつつも、彼女の瞳は感動に潤んでいる。今まで、いろいろな花束をもらってきたけれど、彼女がこんなにも感動したことは一度もなかった。


「後でゆっくり数えてみたら?」


 花束を差し出しながら、志希は笑みを浮かべる。そんな彼をバラの花越しに見上げて、ソナはどうしていいのかわからないくらい我を忘れてぼうっとしてしまう。




   これって、現実?


   志希が私の家に花束を持って迎えに来てくれているなんて……


   夢、だよね?




「いや、現実だから。お前たちの運命を、俺が引き寄せて結び合わせたからだ」


 カイは無表情のままふ、と笑い声を漏らす。彼の前髪が夜風に揺れている。



 ソナはバラの花束をアイランドキッチンのシンクに水を張ってそっと浸し、志希とディナーに出かける。


 夜景を見下ろせるレストランで、二人は学生時代の思い出話を楽しんだ。これからは先輩と後輩としてではなく、上司と部下でもなく。恋人同士として、二人は長い年月を共に過ごすことだろう。



「……お」


 カイの目の前に、どこからか一枚の白い羽が振り降りてきた。それは天界からのメッセージで、彼の今回の報告書が承認された通知だった。


 444人分の善行。


「マジでチートだな」


 カイはくすっと笑った。少し、寂しそうな笑顔。報告書の証人通知を受け取った瞬間から、彼にはもうソナの心の声は聞こえなくなった。次の、救うべき魂を探さなくてはならない。今回444人分の魂を救ったからと言っても、まだまだ彼の罰は許されないから。




「さようなら、ソナ。もうお前の記憶から出て行かなくちゃな」


 カイはそうつぶやくと、指をぱちんと鳴らした。それもソナはもう、カイの存在をきれいさっぱりと忘れてしまった。


 彼が救うべき魂の一つ一つに自分の姿をさらすことは滅多にない。今回は特別だった。なにせ、120年ぶりに心の声が聞こえる人間と遭ったから。


 一抹の寂しさと虚無感。もしも彼がファイのような純真無垢な天使のままだったなら、ソナに惚れてしまったかもしれない。


 でも彼は堕天使だ。しかも、彼の贖罪はまだまだ続く。




 彼は手すりの上に立ち上がった。


 地上634m。


 カイは背に生えた赤黒い羽をばさりと広げ、夜の闇の中で羽ばたいてみる。



 ふわり。


 彼の細い体が手すりから50㎝ほど宙に浮いた。


 彼は目を閉じて首を右に傾ける。


 そして金色にも見える薄茶色の目を大きく見開くと、都庁のあるほうを凝視した。



「——どうやら、あの辺で絶望してる人間の気配がするな。一体、今度はどんな人間か」





 ばさり。




 大きな翼が夜の空気を後ろに押し出す。


 堕天使は新宿めがけて降下を始めた。次の魂を救うために。


 やがて許される時のために。









【完】






✣✣­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­あとがき­­–­­–­­–­­–­­–­­–✣✣




数か月間、東京に出張に行く機会がありました。


毎日通勤途中に空を見上げると、そこにはスカイツリーが。


見上げる位置や角度、天候や時間帯によって変わる印象が興味深いと思いました。立ち止まって写メっている人も結構いたし。



たぶん、彼女(タワーは他の言語では女性形で表されます)を見上げる人たちは、いろいろな人生を送っているんだろうなと思いました。


そして思い浮かんだいくつかの物語を書いてみました。


誰かと誰かがつながっていたりすれ違っていたり、同じことを目にしていたりする瞬間をそれぞれのお話に盛り込んでみました。




◆『三都物語』

三つの都市の、三つの塔(ホントは四つの塔だけど)。パリのエッフェル、ソウルのNタワー、東京のスカイツリー(と東京タワー)。


それらにまつわる国際恋愛のお話。


ユルやソナの言動は、私の友人たちがモデルになっています(笑)


韓国のお友達がいる方は、あー、あるある! って思ってくださるかな?



◆『H350』

スカイツリーでは高さを「H(high)+高さ(m)」で表すそうです。


一番短い話。


幸せって何だろう、どのあたりで妥協することがどんな幸せをもたらすのだろう、と常々考えています。


昔親友が言った、「あたしだって本当は結婚なんかしたくないよ。でも、仕方ないじゃない?」という言葉がとても印象深くて。



◆『White Lady』

数人のフランスの友達はエッフェル塔のことを「鉄の淑女」としてタグ付けした写真をよく載せています。スカイツリーの愛称はないのかな? と検索してみるも、見つかりませんでした。どなたかもしご存じだったら教えてください。


スカイツリーのあの藍白は不思議な色で、天候や時間帯によって灰にも青にも銀にも見えます。


たい焼きを食べながら歩いていて思いついたお話です。



◆『LOST AND FOUND』

駅で言えば「遺失物保管所」。年を取っていくと、手に入れるものがあれば失うものも多くなるなと感じてできたお話。


もともと持っているのに持っていることを忘れてしまっていたことに気づいた、そんな感じです。



◆『H634』

634mはスカイツリーの高さ、すなわちてっぺんです。


そこが人間には見えない堕天使のお気に入りの場所だったら? なんて考えてできたお話。


『三都物語』の主人公の親友が主人公です。彼女の上司であるミカは、実は私の『Rain』というお話に出てくるあのミカです。全く違う種類のお話同士の世界観をちょっと試しにつなげてみました。


それぞれのお話の登場人物がどこかでつながっている趣向の中で、唯一、別の作品からの登場です。


4のぞろ目の数は、ニューエイジの天使占いなんかでよく聞く「エンジェル・ナンバー」というものです。「444」の数が目に着いたら、そばに天使がいると言う証拠なんですって。


カイの兄弟の天使たちの名前は(カイ本人を含め)みんなギリシア文字です。




最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


どれか好きなお話があれば幸いです。




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