五月も半ばに差し掛かっていた。

 初夏の訪れとともに、新緑の若葉が芽吹き、風に乗ってゆらゆらと揺れている。

 春先には満開の桜に彩られていた談山神社も、今はその色に染め上げられている。

 この神社に来ると季節の移ろいを感じることが出来る。

 木製の長椅子に座って湯飲みを片手に、建はそんなことを考えていた。

「君は相変わらずじじくさいねー」

 ふいに、軽薄な男の声がした。

「黙れ、呂戯」

 建は目線を湯飲みに落としたまま言った。

 それに対して呂戯は肩をすくめると、おもむろに口を開く。

「この前は大変だったね」

 その言葉を受けて、建はすっと顔を上げた。

「ああ、そうだな……」

 今から二週間ほど前に起きた、一人の少女を巡る「出雲の争乱」は、霊能関係者に大きな影響を与えた。

 その騒ぎを起こした張本人である隆康は、出雲大社の宮司の座を追われ、今は霊能省のとある施設で幽閉されるような形になった。また、この件に絡んでいた霊能省役人もみな同様の処分を受けた。

 この「出雲の争乱」をきっかけに、霊能関係の行いに対する法整備の動きが生まれた。今まで禁止行為の取り締まりに関しては人としての道徳心に基づく暗黙の了解などで済まされていた。それは「霊能戦争」以降、今まで霊能関係の事件らしい事件が起きていなかったからだ。しかし、今回の件でそれだけでは不十分と判断された。もし、再び今回のような事件が起きた際、より迅速に対応できるようにするためきちんとした法整備を行うのだ。それに加えて、霊能関係の行いが正しく行われているか監査する組織も作られるらしい。今回のように悪い行いをした者を取り締まる役目を担うとのことだ。それら諸々について各地の有力な神職や霊戦士、陰陽師が集って話し合いを進めているらしい。

「建くんはその話し合いに参加しないの?」

「まあ、少し参加したりもしているが。それはほとんど年長者の領分だな。俺みたいに若い奴は、とにかく戦いに集中するように言われている」

「なるほどね」

 そう言っておもむろに呂戯が隣に座ってきた。

 建はそんな呂戯をしばらく見つめて、問いかけた。

「……なあ、呂戯。父さんってどんな人だった?」

 すると、呂戯は意外そうな顔で建を見た。

「いきなりどうしたんだい?」

 建は目を伏せながら、

「いや、何となく……」

 と言った。

「ふぅん……」

 そう言って、呂戯は晴れ渡る空を眺めた。

「……仁は真面目で正義感の強い男だった。だから、僕とはよく衝突していたよ」

 呂戯は苦笑しながら言った。

「何度か殺し合うようなやり取りもした……けど、そんな中で僕らは互いに相手を認め合っていった。まあ、僕はあくまでも神であるから一緒に『霊能戦争』を戦うことはしなかったけどね。その代わり、仁からされた頼みを聞いてあげたのさ」

「父さんの頼みって?」

 建が訊くと、呂戯はふいの口の端を上げた。

「……ところで建くんさ、そろそろ出雲の方に行く時間じゃない?」

 いきなりそんなことを言われて、建は少々面食らった。

「あ、そういえばもうそろそろ時間だ」

 ケータイで時間を確認して建は言った。

 今日は地域レベルの霊能試合でまた出雲大社に行くことになっていたのだ。

 建は湯飲みを持ってすっと立ち上がり、呂戯を見た。

「じゃあ、俺はもう行くから」

 そう言って、建は湯飲みを返すために社務所の方へ向かおうとした。

「建くん」

 ふいに呂戯が呼んだ。

 建はくるりと振り返る。

「僕はこれからも君のお目付け役でいてあげるよ……他でもない親友の頼みだからね」

 その時に呂戯が浮かべた笑みにはいつもの軽薄さはなく、温かく芯が込められていた。

「それじゃあ、巫女姫ちゃんによろしくねー」

 直後、またいつものような調子に戻り、呂戯は建に背中を向けた。

 その背中に向かって、建は口を開いた。

「……おい、呂戯。今度父さんの墓参りに行くんだけど、お前も付いて来いよな」

 すると、呂戯は振り返って目を見開いた。そして、微笑を浮かべた。

「はいはい、僕は君のお目付け役だからね」

 建も同じように微笑を返した。

 そして、二人は互いに背を向けて歩いて行った。



 約二週間ぶりに訪れた出雲大社は、相変わらず荘厳な雰囲気を放っていた。

 あの「出雲の争乱」以降、参拝者は減るどころかむしろ以前にもまして増えたように思われる。その事件の話題性に釣られてきたという人もいるだろうが、やはり一番はこの出雲大社が地域の人々から愛される存在だからだろう。

 隆康が宮司から退いた後は、それまで権宮司――宮司に次ぐ地位で神社の副代表に相当する――だった隆康の弟が宮司となり、出雲大社の祭祀を取り仕切っている。隆康と違って陰謀めいたことを考えない、誠実に神道を歩む者として信頼が厚い。

「さあ、早く本殿に行きましょう」

 建の隣を歩いていた亜矢が言った。

「そうだな」

 建は頷いた。

 二人並んで本殿へと向かう途中、亜矢がおもむろに口を開いた。

「そういえば、白百合さんにきちんと交際を申し込んだの?」

 すると、建はハッとしたように顔を上げた。

「……あ、そういえば色々とあったから結局出来なかったな」

「はあ? あなたきちんと交際を申し込むって約束したじゃない」

 亜矢が咎めるように言ってきた。

 それに対して建は、穏やかに笑ってみせた。

「……もう、言葉なんていらないんだよ。今さらそんなことを言わなくても、俺と白百合は深い絆で結ばれている。そして、これからずっとそばにいるんだ」

 その言葉に対して、亜矢は複雑な表情を浮かべた。

「……よくそんな恥ずかしいことが言えるわね」

「相変わらずきついな亜矢は」

 苦笑する建に対して亜矢はそっぽを向いた。

「けど、ありがとう亜矢」

「何よ突然」

「君が神職や霊戦士の仲間に声をかけて出雲大社に来てくれたおかげで、その後の処理も大分スムーズに進んだ。それから、タカミムスヒに襲われかけた時に、矢を放って助けてくれたしな」

「べ、別に大したことなんてしてないわよ」

 亜矢は頬を赤らめながら言った。

「やっぱり亜矢は俺の大切パートナーだ。これからもよろしくな」

 建は明るく笑ってみせた。

 そんな建を見て、亜矢は小さく吐息を漏らし、微笑した。

「……うん、よろしく」

 そしてしばらく歩くと、本殿にたどり着いた。

「――お待ちしておりました」

 ふいに、しとやかな声が二人を出迎えた。

 その時建の目に映ったのは、美しい巫女だった。

 純白の着物に身を包んだその姿は、一切の穢れがない。

 薄く紅を差したその口元が上品に微笑んでいた。

「…………白百合?」

 半ば呆然としながら、建は問いかけた。

「はい。わたくしは白百合です」

 つい先日まで病床に伏していた白百合が、今は見違えるような姿で目の前に立っている。

 以前からもちろん美しかったが、今こうして巫女としての正装を身に纏っている白百合は、この世のありとあらゆる物よりも美しいと思えた。

「……きれいだよ、白百合」

 建は自然と言葉が漏れていた。

「……ありがとうございます。建さんに誉めてもらえて、白百合はとても嬉しいです」

 白百合は頬を朱に染めていた。

「体の方は大丈夫なのか?」

「はい。あれから、大分体の調子が良くなりました。まだあまり無理は出来ませんが、こうして巫女としての責務を果たせるくらいには元気になりました」

「それは良かった。出雲市の人々も喜ぶだろうね」

 そう言ってから、建は白百合に歩み寄った。

「白百合、俺は今度こちらに住まいを移そうと思っているんだ」

 すると、白百合は目を丸くした。

「それは本当ですか?」

「ああ、ずっと君のそばにいたいんだ」

 建は真っすぐな眼差しを白百合に向けた。

「…………はい。ずっと、白百合のそばにいて下さい」

 白百合は幸せそうな笑みを浮かべて頷いた。

 直後、二人は見つめ合った。

 そしてそのまま、唇を重ね合った。お互いの愛を確かめ合うように――

「……白百合、俺は幸せだよ」

「……白百合も、幸せです」

 口づけを終えると、二人は互いに微笑み合った。

「……ちょ、ちょっとあなた達! な、何いきなりあたしの目の前で、キ、キキ、キスなんてしてるのよバカー!」

 すると突然、亜矢が叫び出した。

「あ、すまない。つい気持ちが高ぶってしまって……」

 建は少し冷や汗をかきながら言った。

「うるさいわね! もう、今後あたしの前で二度と破廉恥なまねはしないでちょうだい!」

「はい、すみません!」

 建は深々と頭を下げた。

 そんな建を見下ろして亜矢は吐息を漏らし、ふと白百合の方を見た。

「……白百合さん」

「はい……」

 白百合は静かに返事をした。

 亜矢は一瞬唇を噛みしめたが、すぐに解いて微笑した。

「建のことをよろしく」

 白百合は一瞬きょとんとしたが、すぐに笑みを浮かべた。

「はい、わたくしが建さんを支えていきます」

 そんな二人の様子を見守っていた建は、おもむろに口を開いた。

「それじゃあ、行こうか」

 すると、白百合と亜矢がこちらに振り向いて頷いた。

「では、参りましょう」

 白百合に先導される形で、建と亜矢は本殿に入った。そこでは、既に霊能試合を行うための準備が整っていた。霊能関係者たちがすでに集まっている。

 白百合は優美な所作で中央に出ると、辺りを一瞥した。

「みなさまお待たせいたしました。それでは、これより出雲大社における霊能試合を始めさせていただきます」

 繊細ながらも良く通る声で白百合が宣言した。

 建と亜矢の表情がにわかに引き締まった。

 二人はゆっくりと、霊界の広場に通じる入口の前に立った。

 そこで、建は鞘から白仁剣を抜いた。そして、そばに立っている白百合の方を向いた。

「白百合」

 建が呼びかけると、白百合は小首をかしげた。

「はい、何でしょうか?」

 すると、建はおもむろに白仁剣を掲げて見せた。

「俺が何でこの剣を『白仁剣』って名付けたかというと……俺にとって大切な人の名前から文字を取って名付けたんだ。それは白百合と飛鳥仁……父さんだ」

 少し照れくさくなって建が頬を赤らめると、白百合が優しく微笑んだ。

「嬉しいです建さん……今度、お父様のお話しを聞かせて下さいね」

「分かった。じゃあ、行って来るよ」

「はい。お気を付けて」

 白百合の優美な笑みに見送られて、建は戦いの場へと向かった。

 こうして霊戦士・飛鳥建は、今日も神々との戦いに身を投じて行く。



(了)












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霊戦士 三葉 空 @mitsuba_sora

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