朝日が出雲大社の境内を照らす。

 その本殿内にて、隆康とタカミムスヒは静かに佇んでいた。

「そろそろ約束の時間ですね」

 神妙な面持ちで隆康が言った。

「さて、あの小僧はどうするのかな?」

 タカミムスヒは不敵な笑みを浮かべていた。

 その時、本殿の入り口が開き、中に一人の男が入って来た。

「おや、来ましたね飛鳥さん」

 隆康が呼びかけると、建は小さく頷いてみせる。

「では、早速お主の結論を聞かせてもらおうか」

 タカミムスヒは悠然とした姿勢で問いかける。

 建は力強い眼差しをタカミムスヒに向けた。

「俺は戦います。白百合を救うために」

「なるほどな。して、それに見合う対価はどうするのだ?」

 タカミムスヒが品定めするように建を見た。

「……そのことで、ちょっと外に来てもらいたいのですが」

「どういうことだ?」

「付いて来れば分かります」

 そう言って、建は本殿の扉に向かった。

 隆康とタカミムスヒは訝しみながらも、建の後に続いて本殿を出た。

 その直後、隆康とタカミムスヒは目を見開いた。

 出雲大社の境内に、大勢の人々が居たのだ。本殿の周りは既に人で埋め尽くされている。

 拝殿と本殿を結ぶ門は人の波で決壊しそうだ。

 玉石をじゃりじゃりと転がす音があちらこちらで鳴り響く。

「これはどういうことですか……?」

 隆康は若干声を震わせながら建を見た。

「ここに居るのは出雲市民の方々です。さすがに一日では全市民は無理でしたけど、それでも一万人くらいがここに来てくれましたよ」

 建はどこか勝ち誇ったように笑みを浮かべた。

 すると、一部の者達が隆康の存在に気が付いた。

「隆康さま! 巫女姫さまを苦しめないで下さい!」「巫女姫さまひとりに重荷を背負わせるな!」「あんたのやっていることは真面目に活動している神職への冒涜だ!」「そうだそうだ!」

 とめどなく溢れ出す罵声を受けて、さしもの隆康も顔を歪めた。

「どうです、隆康さん。これが出雲市民の声ですよ」

 建は昨日、一日かけて出雲市民に白百合のことを伝えた。

 先月に声をかけられた初老の出雲市民を見つけ、彼を通して多くの人々に伝えてもらったのだ。

 たった一日でどれくらい集まるか心配であったが……やはり白百合は、巫女姫は人々から愛されているのだ。

「みんなあなたの行いに対して怒っています。白百合がひとりで苦しんでいることを嘆いているのです」

 無言のまま立ち尽くす隆康に対して、建は力強く息を吸った。

「霊戦士・飛鳥建は、己の命と、今ここに居る出雲市民の魂力奉納を賭けの対価として、あなた方に霊能試合を申し込む!」

 建が高らかに宣言すると、出雲市民から歓声が上がった。

「良いぞー!」「エリート霊戦士の飛鳥建さまに任しておけば安心だ!」「隆康さまの陰謀を打ち破って下さい!」

 それらの声に、建は小さく手を上げて応えた。

「さあ、これで文句はありませんよね? 俺は命をかける覚悟は出来ている! あなたはどうなんだタカミムスヒ神!」

 建の雄叫びが辺りに響き渡る。

 その場の視線を一手に浴びたタカミムスヒは不敵に笑みを浮かべた。

「……良かろう。お主の命と、それからここにいる一万の出雲市民の魂力奉納を賭けの対価と認める。そちらが勝てば巫女姫・白百合から霊力を奪うのをやめよう。だがこちらが勝てばお主は死に、ここに集まっている一万人から死なない程度に魂力をいただくとしよう。ただし、お主と戦うのは私ではない。代わりにもっとふさわしい者を用意した」

「……他にふさわしい者? それは誰なんだ?」

「ふふ、それは直に分かる。こんなこともあろうかと、既に戦いの場は用意してあるのだ。そこにて既にその者がお主を待っている」

 そう言って、タカミムスヒは手を振るった。

 すると、建の眼前に霊界へと繋がる道が開けた。

 さらに、出雲大社の境内に複数の白いもやが出現した。それらは次第に形を広げて、何やらモニターのようになった。

「さあ、私に歯向かった愚かな出雲市民どもよ。これから始まる試合をよく見ていろ」

 周囲が一気にざわついた。不安な表情を浮かべたり、興奮している者もいる。

「では飛鳥建よ、始めようか」

 タカミムスヒが言うと、建は静かに頷いた。

「分かった。俺が勝ったら、今後一切白百合に手を出さないでもらおう」

 タカミムスヒは鷹揚に頷く。

「約束しよう。もし、お主が勝ったらの話だがな」

 含み笑いをしたタカミムスヒに背を向けて、建は霊界の扉に足を踏み入れた。



 霊界の扉をくぐり抜けて建はある場所に降り立った。

「……ここは」

 そこは美しく神聖な霊界の広場と違い、荒れた場所だった。

 いわば「霊界の荒野」といったところだろうか。

 ごつごつとした岩がところどころに置かれている。枯れた草木が殺伐とした雰囲気により拍車をかけていた。

「――お前は誰だ?」

 ふいに、前方から声が響き渡った。

 驚いて振り向くと、建の目には甲冑を纏った男の姿が映った。

「俺の名前は飛鳥建。霊戦士だ」

 戸惑いながらも建が答えると、甲冑の男は獣のように鋭い眼を向けてきた。

「建……タケル……お前もタケルの名を持つ者か?」

 そう言って、甲冑の男の眼光はさらに鋭くなった。

 直後、建は背筋に寒気を感じた。

「あなたはまさか……」

 建は声を震わせた。

「――我の名はヤマトタケル、古代の戦士だ」

 建は思わず息を飲んだ。

 ヤマトタケル。その名を知らない者はいない古代の英雄。

 かつて日本の西へ東へと遠征を繰り返し、ひたすらに戦い続けた偉大な男が、今自分の目の前に立っていることに建は驚愕した。

「あなたがなぜこんなところに……?」

 建が問いかけると、ヤマトタケルはおもむろに口を開く。

「つい先刻、タカミムスヒ神に呼ばれたのだ。あの方は高天原に住む高貴な身分のはずが、なぜかように荒れた土地に訪れて我を呼んだのか不思議であったが……」

 そこまで言って、ヤマトタケルは建を見た。

「なるほどな。我と同じくタケルを名乗るものと戦う場を用意してくれたということか。ここしばらくは取るに足りない雑魚ばかり相手にして、渇いていたところだ。見たところ、お前はなかなか腕が立ちそうだ……ところで、お前は何を求めて我の前に立つのだ?」

「俺は……大切な人を守るためにここに立っている!」

「……そうか。まあ、我はその辺りの事情は良く知らん。ただ、思う存分戦って良いとだけ聞いている」

 すると、ヤマトタケルは鞘から剣を抜いた。

 凄まじく洗練された剣身が姿を現す。

 それは草薙剣(くさなぎのつるぎ)。ヤマトタケルが扱う伝説の剣。

「本物は、やはりあなたが持っていたのか」

 建はその鋭く輝く草薙剣を見て言った。

 草薙剣は、八咫鏡(やたのかがみ)と八尺勾玉(やさかのまがたま)と共に三種の神器と言われている。

 昔はそれぞれ模造品を祭っていたが、十五年より神々との繋がりが強まり、本物が然るべきところに祭られた。しかし、草薙剣だけは本物を祭られることは無かった。それは、今までずっとヤマトタケルが所持していたからだ。

「ああ。今までにこの剣を寄こせと高天原より使いの者が来たが、みな斬り殺してやった。この草薙剣は我が戦ってきた証だ。誰にも渡す気はない……そんなことよりも、飛鳥建よ」

 再び、ヤマトタケルは鋭く建を睨んだ。

「我は元々オウスという名であった。そんな我は九州の猛者であったクマソタケル兄弟と戦って勝ち、ヤマトタケルの名を授かった。このタケルという名は、軽々しく名乗って良いものではない。すなわち、お前がこれからも飛鳥建と名乗りたいのであれば、我を倒してみせろ」

 そう言って、ヤマトタケルは草薙剣を構えた。

「さあ剣を抜け、飛鳥建よ。そして証明してみせろ。お前がタケルを名乗るにふさわしい男だということを」

 建はごくりと生唾を飲み込んだ。

 そして、意を決したように鞘から霊剣を抜いた。

「俺はあなたを倒す、ヤマトタケル――」

「良い目だ……では、心行くまで殺し合おうぞ」

 直後、二人の戦士が同時に駆け出した。



「……はっ」

 薄暗い部屋の中で床に伏していた白百合は突然目を開けた。

 気が付けば、胸が激しく鼓動を打っていた。これは胸騒ぎなのかもしれない。

「……建さん」

 今なら分かる。きっと、建の身に何かが起きたのだ。彼と魂で繋がっている自分ならそれが分かる。

 ふと耳を澄ませば、何やら境内の中が騒がしい。歓声と悲鳴が入り混じって聞こえてくる。

「建さん……どうかご無事にお帰り下さい」

 白百合の瞳から一滴の涙がこぼれた。



 霊界の荒野にて、二人の戦士は激しく剣をぶつけ合う。

「はあああぁ!」

 激しい呼気を吐きながら建は剣を振り下ろす。ヤマトタケルの肩口を狙った一撃だ。

「ふっ!」

 建の放った一撃を、ヤマトタケルは草薙剣を水平に寝かせて防いだ。

 互いの刃が擦れ合って火花が散る。

「ちっ」

 建は小さく舌を打った。

「ほう。ただの霊剣ごときで、この草薙剣とやり合うとはなかなかやるな」

 ヤマトタケルが感心したように言った。

「それは光栄だ。まあ、一流はそんなものに左右されないからな」

 自らを鼓舞するために少し見栄を張った。

 建は小さく後退し、そこから勢いを付けて突進した。ヤマトタケルの胸を目がけて鋭い突きを繰り出す。

 その攻撃に対して、ヤマトタケルは防御の姿勢を取らず、むしろ建に向かって突っ込んで来た。

 互いに突きの態勢で交錯する――

 刹那、ヤマトタケルの体が沈んだ。

「なっ……!」

 建は動揺の色を浮かべた。

 直後、ヤマトタケルの握った草薙剣が建の左脇を切り裂いた。血潮が飛び散る。

「ぐあっ」

 建は苦痛に顔を歪めた。勢い良く突進していた分、ダメージが増したようだ。

 がくりと肩を落とした建を見下ろして、ヤマトタケルはほくそ笑んだ。

「お前の言った通り、一流ならば武器の条件に左右されないだろう。だが、一流の者が一流の武器を持った時、誰にも負けない覇者となる」

 血が溢れ出すのを押さえながら、建は戦慄していた。

 ヤマトタケル力だけではなく技も備えている。今もカウンターのような形で建の脇を抉った。

 さすがは古代の英雄、生半可な覚悟では太刀打ち出来ない。

「……それでも、俺はあんたに負けるわけにはいかないんだ」

 建はすっと左手を上げて、

「我、火の型を使役する」

 呪文を唱え、火を出現させた。その火を纏わせた左手で、血が溢れ出す左脇を押さえつけた。

「ぐあぁ!」

 激しい痛みに悲鳴を上げる。だが歯を食いしばって耐え、左脇を焼き払い、血の流れを止めた。

「なるほど、根性はあるようだな」

 ヤマトタケルは不敵に微笑んだ。

「まだまだ、ここからだ」



 出雲大社の境内は、集まった一万人の人々によって大いに沸いていた。

 モニターに映った建とヤマトタケルが剣を交わらせる度に「いけー!」「倒しちまえ!」と、建に対する声援が湧いている。だが中には、古代の英雄ヤマトタケルの姿を見て感動している者もいた。

「タカミムスヒ様、この戦況をどう捉えますか?」

 本殿に席を設けて、隆康とタカミムスヒは戦況を見守っていた。

「互いの実力にそれ程差はないが……やはり武器の質と、それから経験でヤマトタケルが勝つだろう。というか、勝ってもらわねば困る」

「そうですね。ただ、飛鳥さんは霊戦士として多くの神々と戦ってきた経験があります。決して侮れないですよ。万が一ヤマトタケルが敗北した場合、いかがなさるおつもりですか?」

 タカミムスヒは髭をさすった。

「なに、その時は私の力で何とでも出来る。それに、もしヤマトタケルが負けたら負けたで、危険物の処理が出来たと思えば良かろう」

 隆康は薄く微笑を浮かべた。

「なるほど。十年前にスサノオ神を処分したのと同じ考えですね」

 タカミムスヒは黙ったまま、不敵に笑みを浮かべた。



 それからの建とヤマトタケルの戦いはまさに死闘だった。

 お互いが自らの命を賭して剣を振るっていた。

「うおおおぉ!」

 建の霊剣がヤマトタケルの胸に目がけて走る。

「はあ!」

 ヤマトタケルはそれを瞬時に薙ぎ払う。

 先ほど建がヤマトタケルに脇を切られて以降、お互いにまともな攻撃を受けていなかった。

 鋭い剣閃が繰り出され、次第に両者の間に熱気が迸り始める。

 激しい攻防の中で、ヤマトタケルはなぜか笑みを浮かべていた。

「何がそんなにおかしい!」

 建は問いかけた。

 すると、ヤマトタケルはさらに喜色を濃くした。

「久し振りに骨のある強者と戦えて嬉しいのだ!」

 互いの剣がぶつかり合い、後方に引き下がる。

「飛鳥建よ。お前はなぜ、霊戦士になったのだ?」

 突然、ヤマトタケルがそんなことを問うてきた。

「なぜそんな事を聞く!」

 建は叫んだ。

「何となく興味本位でだ」

 建はしばし逡巡するように黙った。それから口を開く。

「……父が霊戦士だったからだ」

 建がそう言うと、途端にヤマトタケルは押し黙った。

「正確には父が死んだ後に霊戦士という呼び名が生まれたんだが……俺の父は初めて神々に立ち向かった人だった」

「……そうか。我はずっと霊界の隅でくすぶっていた故、あまり周りの状況にはうといのだが……十年前に『霊能戦争』が起きて、その際に活躍した一人の男のことは何となく知っている。お前は、その息子ということか」

「その通りだ。その戦いで父は死に、俺はその後を継ぐように霊戦士となった」

「……父か」

 ふいに、郷愁じみた顔つきになり、ヤマトタケルはぽつりと呟いた。

「お前は父に対して、何か特別な想いを抱いているな?」

 ヤマトタケルに問われると、建は一瞬口ごもった。

「それは……」

 そんな建を見て、ヤマトタケルはおもむろに口を開く。

「我も同じよ」

 建はヤマトタケルの様子が変化したことに気が付いた。

「我は父上に嫌われていたからな」

 俯き悲哀に満ちた表情を浮かべて言った。

 建は黙ってその言葉を受け止めていた。なぜなら、建はヤマトタケルの英雄譚の陰にある悲痛な想いを知っていたからだ。

 ヤマトタケルの父は第十二代・景行天皇であった。

 ある時、景行天皇はとある美しい姉妹の噂を聞き、彼女らを連れて来るように息子のオオウスに命じた。このオオウスはヤマトタケルの兄である。

 だが、オオウスは父である景行天皇を裏切り、自らその美しい姉妹と結婚して景行天皇の前に姿を見せなくなった。そこで景行天皇はオオウスの弟であるヤマトタケルに「お前からオオウスにねぎ教え諭しなさい」と命じた。「ねぎ」は「いたわる、ねぎらう」という意味だ。つまり、景行天皇はあくまでも温和な解決を望んでいた。しかし、ヤマトタケルはその意味を曲解し、兄であるオオウスを殺してしまう。その一件でヤマトタケルの残虐性に気付いた景行天皇はヤマトタケルを恐れ忌み嫌った。それから景行天皇はヤマトタケルを自分から遠ざけるために西へ、東へと終わりなき遠征をさせた。そしてその果てに、ヤマトタケルは再び故郷の大和に帰るという夢を叶えることが出来ずに死んでしまった。

「我は決して兄が憎かった訳ではない。あくまでも、父上の命に忠実に行動した結果あのようになってしまったのだ。だが、我の訴えは父上には届かず、最後まで父上に愛してもらうことは叶わなかった」

 ヤマトタケルは内心を吐露するように言った。それから、建を見据える。

「お前は父に対してどのような感情を抱いているのだ?」

「俺は……」

 建は霊剣の柄を固く握り締めた。

 自分が父に対して抱いている感情。改めて問われると、答えに窮してしまう。

「俺は……十年前、国を守るためと言って一人で全てを背負って戦い、俺を残して死んだ父さんを許せない……」

「それは何故だ?」

「国を守るという信念は立派なのは認める。けれども、残される家族の気持ちを考えない父さんが恨めしかった。国を守るという信念に比べたら、家族の、俺の存在がちっぽけなのかって」

 今こうして自らも大切なものを守るために命がけで戦いに挑む際、少しだけ父の心情を理解し、許せると思った。けれども、やはり許せない。父は十年前、建が戦いに行かないでと懇願したにも関わらず、国を守るという信念を優先させて戦いに臨み、そして結果死んで建に悲しい思いをさせた。

 建が沈痛な面持ちで佇んでいると、おもむろにヤマトタケルが口を開いた。

「お前の父は、本当に国を守りたかったのか?」

 意外なその言葉に、建はハッとして顔を上げた。

「どういう意味だ……?」

「いや、確かにお前の父は国を守るという使命感を持っていたのかもしれない。しかし、果たしてそれが真意なのだろうか?」

 何か勿体ぶるようなヤマトタケルの口ぶりに、建は眉をひそめた。

「父さんの真意だと? なぜあんたにそんなことが分かるんだ?」

「分かるさ。これでもお前よりもずっと多くのことを経験してきたのだ。良いか? 人は大きな信念であったり目標を語っても、その根本にあるのは小さな想いだ。我の場合は東西の強者を倒して天下を平定するという大きな目標を持って戦っていた。しかし、その根本にあるのは戦って勝つことで父上に認めてもらいたいという小さな想いだった」

 建は黙ってその話に耳を傾けていた。

「お前の父が国を守ると言ったのはあくまでも大義名分であって、本当の想いはまた別にあったのではないか?」

「父さんの本当の想い……?」

 そこで、ヤマトタケルは深くうなずいてみせた。

「お前の父が本当に守りたかったのは国などではなく、お前だったのではないか?」

 建は驚きのあまり目を丸くした。

「父さんが俺を守りたかった……だと?」

「そうだ。聞けば、十年前まで人間は神々から魂力を大量に奪われて苦しんでいたらしいな。お前の父はそんな世の中を息子であるお前に生きて欲しくなかった。だから、自らの命を賭して神々と戦い、今の平和な世を作り出したのではないか? まあ、あくまでも我の経験に基づく推測に過ぎないがな。だが、父というのは息子を大切にするものだろう。我は兄を殺した故父に愛されることはなかったが……お前は違うだろう?」

 ヤマトタケルの諭すような目が、建の心を揺さぶった。

 父が「霊能戦争」を戦ったのは、国を守るためではなく、建を守るため……今までそんな考えをしたことは無かった。父は正義感が強く真面目な人だったから、国のために己の身を差し出すという信念に駆られているのだと思った。

 だけれども、それがもし自分の思い込みだったとしたら?

「……父さん」

 建は思わず嗚咽するような声をもらしていた。

 そうだ、自分は父が許せない、勝手に死んだ自己満足野郎と罵りながらも、本当はただ寂しかっただけなのだ。尊敬していた父が。誰よりも強くて格好良かった父が。大好きだった父が死んだことが悲しかったのだ。大きな信念を抱いて、建の想いを無視して、死んでいったのだと思っていた父が、本当は自分を守るために戦っていたとしたら――

「俺は……」

 建はおもむろに顔を上げた。

 今しがたヤマトタケルに聞かされたことが本当であろうとなかろうと、建はもっと自分の気持ちに素直になろうと決めた。父の自己犠牲が許せないのではなく、ただ単に尊敬し好きだった父が死んで悲しかっただけなのだと。自分はずっと息子として、父という存在に甘えてしまうのだと。認めよう、どうしようもない事実だ。

 だが――

「……それでも、今だけは余計なことを考えずに戦う」

 建の目に再び戦士としての光が宿った。

 それを見たヤマトタケルはにやりと笑った。

「来い、叩きのめしてやる」

 直後、二人の戦士が再び剣を重ねた。

「うおおおおおぉ!」

「はあああああぁ!」

 お互いに咆哮にも近い雄叫びを上げながら、その手に握った剣を振るう。

 繰り広げられる剣撃の嵐の中で、二人はほくそ笑んだ。

 今自分が戦っているのは、愛する白百合を守るため。それを失念した訳ではない。

 だが、建はこの戦いを純粋に楽しんでいる自分に気が付いた。

 ヤマトタケルという最強の武者を相手にして、高揚しているのだ。

 激しいやり取りの中で、ヤマトタケルに一瞬隙が生まれた。

 ヤマトタケルが上段に剣を振りかぶったのだ。

 建は迷わず突っ込み、握った霊剣をヤマトタケルの肩口めがけて振り下ろした――

 その瞬間、ヤマトタケルは口の端を吊り上げた。

 その表情を見て、建は直感した。これは罠だと。

 しかし、気付いた時にはもう遅かった。

 ヤマトタケルはわざと隙を作り、建の攻撃を待っていたのだ。

「はあっ!」

 凄まじい勢いで振り下ろされた草薙剣が、建の握っていた霊剣を叩き折った。

「なにっ!?」

 折られた剣を見つめながら建は驚愕した。

 その直後、ヤマトタケルは間髪入れずに建の体を薙ぎ払った。

 建の体から鮮血が飛び散る。口からも紅い血がとめどな溢れ出した。

「がはっ!?」

 建はそのまま力無くうつ伏せに倒れ込んだ。

 そんな建に向かって、ヤマトタケルは口を開く。

「そろそろ決着をつけようか」

 自らの血の池に沈みながら、建は小さく呻いていた。

「久し振りにお前のような強者と戦えて楽しかったぞ。だが、もう終わりだ」

 そう言って、ヤマトタケルは草薙剣を高々と振り上げた。

 建は薄れゆく意識の中で、必死に抗おうとした。だが、体に力が入っていかない。

 もはやこれまでか……

 建が諦めかけたその時だった。

 ――建さん、負けないで。

 ふいに、いつか聞いた透き通るような声が胸の内に響いた。

「……白百合?」

 掠れるような吐息と共にそう呟いた。

 そうだ。自分は負けるわけにはいかない。大切な白百合を守るために。

 儚げに微笑む白百合の顔を思い浮かべた瞬間、それまで全く動きそうになかった体に、わずかながら力が湧いてきた。

「さらばだ、飛鳥建よ」

 ヤマトタケルは名残惜しむように言って、建に目がけて草薙剣を振り下ろした――

 刹那、建の体から炎が溢れ出した。

「何だと!?」

 草薙剣を振り下ろしかけて、ヤマトタケルは目を大きく見開いた。

 直後、体に炎を纏いながら建は立ち上がった。先ほどまで溢れ出ていた血は止まっていた。

「勝負はまだ、終わっていない……」

 大きく肩を上下させて荒い吐息を吐きながら建は言った。

「まだ向かって来ると言うのか、おもしろい。だが、お前は剣を失った。これからどうやって戦うというのだ?」

 そう問われると、建はにやりと笑みを浮かべた。

「剣ならここにあるさ」

 そう言って、建は右手を掲げた。

「我、五行における火の型をここに解き放つ。火の型奥義――紅蓮刃(ぐれんじん)!」

 その叫びと共に、建に纏っていた炎が一気に膨れ上がり、直後にまた収縮され――

 やがてその炎は剣の形を作っていた。

 火の型奥義・紅蓮刃。強大な炎の力を剣の形に凝縮する。それはもう一つの奥義、紅蓮華に 勝るとも劣らない力だ。いや、剣士である建にとってはこちらの方が本来の力を発揮出来る奥義と言っても過言ではない。

「ふふ、おもしろい。剣は折れても、まだお前の心は折れていないということか」

「さあ、決着をつけようか」

 建は力強くそう言った。

「良いだろう。全力でお前を叩き潰す!」

 唸り声を上げ、ヤマトタケルは建に迫って来る。

 建は静かに紅蓮刃を構えた。真紅に輝くその刃を、高々と振り上げた。

「うおおおおおおぉ!」

 草薙剣と紅蓮刃が衝突すると、凄まじい衝撃が辺り一帯を揺さぶった。

 地面がめくれ上がり、枯れ木が折れて吹き飛ぶ。

 両者の力は拮抗していた。ここまでくると後はもう気力の勝負だ。

「俺は……」

 激しいぶつかり合いに体がねじ切れそうになる。

 だが、ここで負ける訳にはいかない。

 白百合を絶対に守る。そう決めたから。

「俺はヤマトタケルを倒す!」

 その叫びと共に、紅蓮刃の威力が上昇した。

 激しい炎の刃が、草薙剣を弾き飛ばし、ヤマトタケルの体を切り裂いた。

「ぐおおおおおぉ!」

 灼熱の炎に焼かれて、ヤマトタケルは悲鳴を上げた。

 しばらくの間炎に包まれていたが、やがて解放されて地面に沈んだ。

「はあ、はあ……」

 建はヤマトタケルを切り裂いた姿勢のまま、肩で大きく息をしていた。

「勝った……のか」

 そう呟いて力を抜くと、紅蓮刃が消失した。

 建はゆっくりと、目の前で仰向けに倒れているヤマトタケルの下へと歩み寄った。

 ヤマトタケルの体は紅蓮刃によって焦げて黒くくすんでいた。

「……我の負けだ」

 仰向けに倒れたまま、ヤマトタケルは力無く言った。

「認めよう、お前はタケルの名を授かるのにふさわしい男だと」

 その言葉に対して、建は神妙な面持ちで頷いた。

「俺があなたに勝てたのは自分の力だけじゃない……大切な人がずっと心の中にいてくれたからだ」

「ふん、なるほどな。やはり、何かを背負って戦う者は強いということか……」

 するとおもむろに、ヤマトタケルは握っていた草薙剣を建に差し出した。

「飛鳥建よ。この草薙剣をお前に譲ろう」

 建は驚いて目を見開く。

「え? いや、しかしそんな偉大な剣を……」

「良いから受け取れ……この剣はな、かつてスサノオ神が出雲でヤマタノオロチを退治した時に手に入れた天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)が、巡り巡って我に与えられ、新たに草薙剣と名付けられたのだ。この剣を握ることが許されるのは真の強者のみ。そして我は、幾千の時を経て、ようやくこの剣の後継者たる戦士に出会った。故にお前がこの剣を受け取り、新たな名を付けてやって欲しいのだ」

 ヤマトタケルは懇願するように言った。

 その言葉を聞いて、建は武者震いをした。

 そして、ヤマトタケルの手から草薙剣を受け取った。

「この剣を授かったからには、俺はこれからも誇り高き戦士として戦い続ける」

 建は真っすぐな眼差しで、ヤマトタケルに言った。

 それを見たヤマトタケルは満足したように天を仰いだ。

「……我はこれから、黄泉の国へと旅立つだろう。最後にお前のような戦士と剣を交えることが出来て、我は幸せだった……」

 直後、ヤマトタケルの体が淡い光の粒子に包まれた。

「では、さらばだ……」

 静かに目を閉じて、ヤマトタケルは黄泉の国へ旅立って行った。

 その場に残された建は、ゆっくりと天を仰いだ。

「ありがとうございました、誇り高き英雄・ヤマトタケル……」



 霊界の荒野から出雲大社に舞い戻ると、建は出雲市民の大歓声が建を迎え入れた。

 拍手喝采が出雲大社の境内に高らかと響き渡る。

「……そんな、バカな」

 隆康がうつろな表情でそう漏らした。

 建は傷だらけでボロボロの体を引きずりながら、隆康へと歩み寄って行く。

「これで約束通り、白百合を解放してくれますね?」

「ぐぅっ……」

 隆康は表情を歪めて呻き声を上げた。

「よう、建くんお疲れさん」

 どこからともなく呂戯がやって来た。

「ああ、何とか勝てたよ」

「うんうん。これでようやく巫女姫ちゃんとイチャイチャ出来るね」

「っておい、茶化してんじゃ……」

 途端に、建はめまいをするような感覚を覚えた。

 ヤマトタケルとの死闘は、建に想像以上のダメージを与えていたようだ。

 体もそして霊力も限界近くまで消耗していた。

 建は精魂尽き果てていたのだ。

「建くん!」

 呂戯が呼びかける最中、建は本殿の階段から転げ落ち、地面に倒れ込んだ。

 その光景を見ていた隆康は、急に愉快そうな笑みを浮かべた。

「……くはは。おやおや、飛鳥さんどうされたのですか? せっかく勝てたというのに、力尽きてしまうのですか? かつて、あなたのお父様がそうであったように」

「……うぅ、くそ……っ」

 建は体に全く力が入らない状態だった。

 せっかく試合に勝てたというのに、自分はこのまま死にゆくのだろうか。

 まあ、それならそれで仕方があるまい。あれだけの強者を相手にしたのだから。

 ――でも最後に、白百合に会いたかった。

 薄れゆく意識の中で、建は強くそう想った。

 その時だった。

 ――建さん、死なないで……

 ふいに、白百合の声が胸に響いてきた。

 建と白百合は強い魂の絆で結ばれている。

 ごめん、白百合。俺はもう死んでしまうかもしれない。

 けれども、最後に白百合の声を聞けて良かった――

「…………さん、建さん!」

 すると今度は、胸の内ではなく、耳の鼓膜で白百合の肉声を聞いた。

「…………白百合?」

 閉じかけていた目を開くと、向こう側からこちらに駆けてくる白百合の姿が映った。

 そんな白百合の姿を見て、集まっていた出雲市民はにわかに歓声を上げ、道を開けた。

 床に伏しているはずの白百合がなぜここに……

 遠目から見ても分かるくらいに、白百合の顔色は青ざめていた。

 呼吸は荒く、身に纏っている純白の着物を乱しながら、懸命に走っている。

「建さん! 建さん!」

「……白百合」

 そして白百合は建の下にたどり着くと、そのまま倒れ込むようにして建に顔を近付けた。

「……げほっ、ごほっ……はあ、はあ……建さん」

 涙目で呼吸を乱しながらも、白百合は精一杯建に呼びかけた。

「……白百合……どうしてここに?」

 掠れるような声で建は問いかけた。

「はあ、はあ……建さんの声を……聞いたからです。わたくしのために戦ってくれた建さんに、こうやって寄り添いたかったのです」

「そうか……すまない、体の弱い君にこんな無理をさせて」

 すると、白百合は眉を吊り上げた。

「そんなことを言わないで下さい。建さんがわたくしのために命を賭けてくれたように、わたくしも建さんのためなら命を賭ける所存です。それに、わたくしは建さんに守られてばかりの存在にはなりたくありません。わたくしも、建さんを救います」

 直後、白百合は建と唇を重ねた。

 白百合の薄くも柔らかい唇の感触が伝わってくる。

 それと同時に、霊力が建の体に流れ込んで来た。

 それは温かく胸に染み入るようであった。

 失いかけていた力が徐々に満ち満ちて行く。

 しばらくして霊力の流れが止むと、二人はゆっくりと唇を離し、互いに見つめ合った。

「ありがとう、白百合……俺は君を愛している」

「……わたくしもです、建さん」

 この瞬間、二人は互いの愛を確かめ合い、穏やかに微笑んだ。

「……バカな、お主らは今霊力のやり取りをしたのか? 人間は誰であろうが他の者の霊力を受け取ることも、与えることも出来ないはずだ」

 それまで黙っていたタカミムスヒがおもむろに口を開いた。

 建と白百合は同時にタカミムスヒに振り向いた。

 しばし二人を見つめた後、タカミムスヒは突然目を見開いた。

「この霊力の感じ……まさかお主ら……あの時私から失われた『大いなる魂』を宿しているのか!」

 タカミムスヒは叫んだ。

「今思えば、そこに居る巫女姫の霊力を吸い取る時、どこかで感じた覚えのある霊力だと思っていた。そうか、巫女姫に宿っているのが『大いなる魂』ならば納得がいく。そして、その『大いなる魂』がなぜか二つに分かれ、この二人に宿ったということかなるほどな」

 すると、タカミムスヒは呂戯に鋭い視線を放った。

「おい、呂戯よ。お主は何か知っておるな? よもやあの時、私から『大いなる魂』を奪い、挙句の果てにそれを分断した……などということはないだろうな?」

 呂戯は吐息交じりに肩をすくめてみせた。

「いやはや、タカミムスヒ様は大分お年を召してらっしゃるのに……なかなかどうして鋭いですね」

「そうか……やはりお主が。今思えば、お主は信用のならない奴だった、呂戯よ」

「お言葉ですがタカミムスヒ様。あなたには『大いなる魂』を扱い切れませんよ」

「……お主の処分は後で下そう。それよりもまずは、かつて私から失われた『大いなる魂』を取り戻さねばな」

 そう言って、タカミムスヒは建と白百合をじろりと睨んだ。

「お主らに宿っている魂を私に寄こしてもらおうか」

 鬼気迫るような表情を浮かべて、タカミムスヒは二人に迫る。

 建はとっさに白百合をかばうように立ちはだかった。

 その刹那――二人に向かって伸ばしたタカミムスヒの手に、一本の矢が鋭く突き刺さった。

 あまりに突然の出来事だったため、タカミムスヒは一瞬呆然としていた。

 直後、その矢から木の枝が伸びてタカミムスヒの腕を縛り上げた。

「ぐああぁ……っ」

 タカミムスヒは唸り声を上げて、矢が飛んだ方を睨んだ。

「――そこまでよ!」

 凛とした声で叫んだのは、美しい佇まいで弓矢を構える亜矢だった。

「あ、亜矢!? どうしてここに!?」

 建は驚きのあまり目を丸くしていた。

「だって、あなたが電話でいきなり明日死ぬかもなんて言うから……心配で来てあげたのよ、文句ある!?」

「い、いやそんなことはないけど……」

 建はたじろいだ。

「ふん、バカ建……それに、来たのはあたしだけじゃないわ」

 亜矢に言われてその後方に目をやると、そこには数十人近くの神職、並びに霊戦士たちがいた。

「霊能省の役人は何人かがタカミムスヒ神に取り入られているからね。建から聞いた話をこの人達に伝えたのよ。そこにいる出雲隆康がこの出雲大社をのし上げるために、娘である白百合さんに行ってきたことに対して、みんな怒っているわ」

 亜矢が言うと、その後ろに立っていた神職・霊戦士たちは鋭く眼差しを光らせた。

「出雲大社の宮司よ、あなたの行いは我々神職の誇りを汚すものです」「その通り。即刻宮司の位から退き、ひいては出雲大社から去るべきだ」「実の娘に対する非人道的な行い……許すまじ」

 次々と、隆康に対する罵倒が飛び交う。

 彼らは霊能省の役人のように権力に屈服しないだろう。いくらタカミムスヒが偉大な神だとしても、非人道的な行いをしてまでその加護を得たいとは思わない。

「タカミムスヒ神、あなたが神々の政治の長だとしてもあたし達は屈しない。十年前の『霊能戦争』以来、人間と神々は対等にやり取りする関係になったはず。故に、このような陰謀を働いたあなたに、あたし達はそれなりの罰を与える」

 亜矢が言うと、後ろに控えていた霊戦士たちが前に出て来た。

「これからここにいる霊戦士たちで、あなたを殺さない程度に制裁を与えます。覚悟は良いかしら?」

 亜矢は鋭い目つきでタカミムスヒを睨んだ。

「……この人間風情が調子に乗りおって。良いのか、高天原を取り仕切るこの私に歯向かうのであれば、お主らにはそれ相応の天誅を下すぞ。もし今すぐに非礼を詫びれば許してやる。それが嫌だと言うのであれば、十年前のように再び我々神と戦争することになるぞ?」

 タカミムスヒは眉間にしわを寄せて言った。

「ふん。そんなの元より覚悟の上よ」

 亜矢は鋭い眼光を放ったまま言い切った。

「……そうか。では、今この場で始末してくれるわ!」

 タカミムスヒは右手を掲げて叫んだ。すると、辺りに光の粒子が舞い、数十柱の神々が現れた。固有の名前を持たぬ下位・中位神が数多くいるが、その中には偉大な神々もいた。

「エビス神、神功皇后……それに菅原道真公」

 そこには、先月の国レベルの霊能試合で戦った偉大な神々がいた。

「……道真公、なぜあなたが?」

 建が問いかけると、道真公は以前対峙した時と同じように静かな眼差しを向けた。

「すまないな、飛鳥建よ。最高神であるアマテラス様を除けば、タカミムスヒ様は神々の長と言っても過言ではない。そして、アマテラス様はあくまでも象徴である故、実質神々の中で一番偉いのはタカミムスヒ様だ。故に、例えその行いが悪行であろうとも従わねばならぬ。従わねばならぬのだ」

 最後の言葉を二度繰り返して、道真公は言った。

 呆然と佇む建に対して、すっと右手を上げた。それは雷を放つ構えだ。

「……くっ!」

 雷が落ちる直前、建は軋む体に鞭を打って、何とかその場から退避した。

 そして、道真公に向き直った。

「分かりました。あなた様がそうおっしゃるのであれば、私も覚悟を決めて戦います」

 そう言って、建は鞘から剣を抜いた。それは、先ほどの戦いにおける戦利品であった。

「私は先ほど偉大な英雄ヤマトタケルとの戦いに勝利して、この草薙剣を授かった。そして、ヤマトタケルはこの草薙剣に新たな名前を付けろとおっしゃった。故に、私はこの剣を新たに『白仁剣(はくじんのつるぎ)』と名付ける。そして、この白仁剣でもって、神々と戦う!」

 建は白仁剣を掲げて高らかに叫んだ。

 その叫びに呼応するように、他の霊戦士達も唸り声を上げて駆け出した。

「ふん。愚かな人間共に思い知らせてやれ!」

 タカミムスヒの声を合図に、神々も動き出す。

 神々と人間の争いが始まった。それは、霊能試合のように儀式めいたものではなく、相手の命を削るような争いだ。

 建の体はヤマトタケルとの一騎打ちの損傷で悲鳴を上げていた。それでもまだ剣を振るって戦い続けられるのは、白百合からもらった霊力……いや、もっと大きな力のおかげだった。

 偉大な神々の霊威は凄まじい。今この場において数では霊戦士の方が上であるが、それでも何とか互角に渡り合えているといったところだ。

 建はひたすらに戦場を駆け続けた。誰よりもボロボロのはずなのに、誰よりも敵を切り裂き沈めた。体からは火がとめどなく溢れ出し、下位・中位神は瞬時に焼き払われる。そんな建の前に、相変わらず涼しい顔で道真公が立ちはだかった。

「そこまでだ、飛鳥建よ。我が雷を受けて朽ち果てよ!」

 今まで以上に大きな光の奔流が起きる。直後、凄まじい雷撃が建に襲いかかる。

「うおおおおおぉ!」

 建は雄叫びをあげた。白仁剣を強く握り締める。

 ――一閃、白仁剣が雷撃を切り裂いた。

「なにっ!?」

 珍しく、道真公の顔に焦りの色が浮かんだ。

「はあっ!」

 そのまま、建の白仁剣が道真公を切り裂いた。

 道真公は口の端から鮮血を漏らし、地面に沈んだ。

「……なぜ、私を切る直前で力を抜いたのだ?」

 道真公は首だけ建に向けて問いかけた。

「あなた様が偉大な神なので、殺すのが忍びなかったのです」

「私はタカミムスヒ様の陰謀に加担したのだぞ?」

「本当はこんなことをしたくなかったのでしょう?」

 地面に倒れる道真公の側にひざまずき、建は穏やかな口調で言った。

 しばし、道真公は口を閉ざしていたが、やがておもむろに、

「十数年前、神々と人間の繋がりが強まって以降、人間は神々の加護なしでは生きられなくなった。しかし、同時に私達神々もまた、人間の魂なしには生きられなくなった。人間が奉納した魂を管理しているのはタカミムスヒ様だ。故に、タカミムスヒ様に逆らえば人間の魂をもらえなくなってしまうのだ……すまぬ」

 弱々しい声でそう漏らした。

 建は小さく目を瞑って口を開く。

「そうでしたか。では恐れながら、私がその苦しみから解放して差し上げましょう」

 建はゆっくりと立ち上がり、そして、本殿前に佇むタカミムスヒを見据えた。

 そして、タカミムスヒの方に向かって歩み出す。

「……この愚かな人間風情めが。おい、誰かこの飛鳥建を始末せよ!」

 そう叫んで辺りを見渡したタカミムスヒは、目を見開いた。

 数十柱いた下位・中位神はほとんど壊滅状態だった。エビス神と神功皇后はまだ残っているが、背を向けたままタカミムスヒに応じようとしない。

「おい、聞こえていないのか? もし私の命令を無視するようであれば、人間の魂を与えてやらんぞ!」

 しかし、それでもエビス神と神功皇后は動かなかった。また、残っている下位・中位神もどこか気まずそうな表情を浮かべながら立ち止まったままだ。

「くっ! なぜ動かないのだ!?」

「権力をやたらに振りかざすもんだから、下の者の信頼を得ることが出来ないんですよ」

 そんな周りの様子を伺いながら、建はゆっくりとタカミムスヒに近付いて行く。

 すると、タカミムスヒの表情がにわかに歪み始めた。

「や、やめろ。来るな。私は偉大な別天津神であるタカミムスヒだぞ?」

「知っていますよそんなこと。その上で、私はあなたを殺す」

「バカな! 神殺しは重罪、ましてや私のように高貴な神を殺すなどもってのほか……」

「――黙れよ、クソジジイ」

 途端に、建の語気が荒くなった。

「なっ、貴様!? 無礼だぞこのタカミムスヒに対して!」

「俺はただでさえ白百合のことで頭にきているんだ。その上、他の神々までも脅すような形で屈服させていたなんて……あんたは消えて無くなった方が良い。例え神殺しの罪に問われようが構わない。俺はタカミムスヒ……あんたを殺す!」

「ま、待て! 私が悪かった。もう巫女姫には手を出さん。それから、このように神々をけしかけて人間と争うことはもうしない。だから……」

「そんな言葉は信用出来ないな」

「ひっ!」

「どうした、抵抗してみろよ。それともあれか、周りの者を使ってばかりで、自分自身には戦うための力が備わっていないのか?」

「やめろ、来るな……来るなあああああぁ!」

 恐怖に震えるタカミムスヒに対して、建が白仁剣で斬りかかる。

 と、その時だった。

 突然、本殿に眩い光が生じた。

「うっ……」

 建は思わず目を腕で覆った。

 直後その場に現れたのは、偉大な最高神アマテラスであった。その周りには、数柱の側近を従えている。

 アマテラスはその場で一礼をした。

「みなさま、突然現れて申し訳ありません」

 アマテラスが言うと、周りの人々はざわついた。

 いきなり目の前に現れた偉大な女神を見て、みな息を飲んだ。

「この度は、こちらにいるタカミムスヒがみなさまに大変ご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。今までこのような事態に気が付かなかったのは、全て私の不徳の致すところです。重ねてお詫び申し上げます」

 アマテラスは深くお辞儀をした。

 そんなアマテラスを見て、建とタカミムスヒも呆然としている。

「……アメノウズメ、例の物を出してちょうだい」

 顔を上げたアマテラスがおもむろに言った。

「かしこまりました」

 そう言って、後ろに控えていたアメノウズメが何やら高貴な箱を持ち出した。

 アマテラスはそれを受け取ると、ゆっくりと建に近付いた。

「霊戦士・飛鳥建。あなたは今回の件で大変尽力なさったそうですね。そして、このタカミムスヒに対しては相当な怒りを覚えていることをお察しします。ですが、どうかここは私に免じて許してはいただけないでしょうか?」

 神妙な面持ちでアマテラスは言った。

「……ですが」

 建は唇を噛みしめた。

「もちろん、タダでとは言いません。許してもらえるかわりにこちらを差し上げます」

 そう言って、アマテラスは先ほどアメノウズメから受け取った箱を、建に差し出した。

「これは……?」

「この中には、私の太陽神としての力を込めて造り上げた特別な『勾玉』入っています。それを使えば、禁術で弱った出雲の巫女姫を健康な体に戻すことが出来ます」

「本当ですか!?」

 建はにわかに喜色の表情を浮かべた。

「はい。すぐに健康な体に戻るのは無理ですが、徐々に快方へと向かうはずです」

「ありがとうございます」

 建は深々と頭を下げた。

「いいえ。本来、このような物で解決することはしたく無いのですが……どうか、これでタカミムスヒのことを許してはもらえないでしょうか?」

 建はしばし逡巡した後に口を開く。

「……分かりました。アマテラス様に免じて許しましょう」

 すると、アマテラスはほっと安堵の息を漏らす。

「ありがとうございます」

 そう言って、アマテラスは側近の者達に目配せをし、タカミムスヒを担がせた。

「では、私達はこれで失礼いたします。この件に関しては、また後ほど改めて話し合いの場を設けることを約束致します。今後、このようなことは無いように」

「はい、よろしくお願いします」

「では、これにて失礼します」

 そう言って、アマテラス達は眩い光の中に消えて行った。

「……終わったのか」

 建がぽつりと呟いた時、

「建さん!」

 ふいに背後で白百合の声がしたので振り返る。

 直後、建の体に柔らかい感触が走った。

「ようやく終わったよ、白百合」

「はい。建さんがご無事で何よりです」

 白百合の表情には明るい笑みが浮かんでいた。

「そうだ、白百合にこれを」

 そう言って、建はアマテラスから受け取った箱を開ける。その中には金色に輝く勾玉が入っていた。

「これは……?」

「アマテラス様からもらった特別な勾玉だ。これを使えば、白百合の体が良くなるんだ」

 白百合は目を見開いた。

「それは本当ですか?」

「ああ、本当だ。じゃあ、行くよ」

 建は金色の勾玉を白百合の胸に当てた。すると、その勾玉は輝きを強め、白百合の体に吸い込まれて行った。すると、やがて輝きは弱まった。

「どうだ?」

 建が問いかけると、白百合はゆっくりと口を開く。

「何だか、心地良い気分です」

「それは良かった」

 建は満面の笑みを浮かべた。

 そして二人は見つめ合い、互いに唇を重ね合わせ、強く抱きしめ合った。



 高天原にある宮殿に戻ると、アマテラスを初めとした一行はタカミムスヒを取り囲むようにして立った。

「ほうら、やっぱりあたしの言った通りじゃない。このジジイ、やっぱり裏でとんでもないことをやらかしてたよ。あんたが出雲の巫女姫からワイロとして霊力を奪っていたことはもう分かっているのよ! あんたの下に付いていた者が洗いざらい吐いたわ」

 腕を組み、毒づくようにアメノウズメは言った。

 それに対して、タカミムスヒは意気消沈したように押し黙っている。

「まあ落ち着きなさい、アメノウズメ」

 諭すようにアマテラスが言った。

「けど……」

「……アマテラス様がやめろとおっしゃっているのだぞ?」

 ふいに、タカミムスヒが声を発した。

「あんたが言うんじゃないわよ、このクソジジイ!」

 アメノウズメは目をひん剥いて怒鳴った。

「……ふん。しかし、アマテラス様は寛大なお方だ。このような醜態を晒した私を助けて下さるなんて。このタカミムスヒ、これからもあなた様の下で天上界並びに人間界発展のために尽くす所存でございます」

 タカミムスヒは恭しく頭を垂れた。

 そんなタカミムスヒを静かに見つめて、アマテラスは口を開く。

「みんな、悪いけど少し席を外してくれるかしら? 彼と二人で話をしたいの」

 言われて、側近の者達は部屋を後にした。

「ほら、アメノウズメあなたもよ」

 一人残っていたアメノウズメに向かって、アマテラスが言った。

「……いえ、構いませんよ。あたしは覚悟できていますから」

 意味深な表情でアメノウズメは言った。

「……そう」

 すると、アマテラスはタカミムスヒに向かって、

「立ちなさい」

 と命じた。

「おう、そうですな。いつまでも座りっぱなしは体裁が悪い」

 そう言って、タカミムスヒは立ち上がった。

「それでアマテラス様、今回の件に関してですが……」

 タカミムスヒが言いかけた時だった。

「……十年前に起きた『霊能戦争』で、私は弟のスサノオを失った」

「は?」

「スサノオは強大な力を持ち、性格も粗暴であったが故に周りの者達からその存在を恐れ疎まれていた。スサノオが黄泉の国にほど近い根の堅洲の国に隠居しても、その存在は常に脅威とされていた。そんないつまた暴れ出すか分からないスサノオを消すために、あなたは『霊能戦争』において飛鳥仁と命がけの一騎打ちをさせたのよね?」

 途端に、タカミムスヒはうろたえ出した。

アマテラス様、何をおっしゃいますか。そのようなことは……」

 だが、アマテラスはそんなタカミムスヒの言葉に構うことなく続ける。

「でもね、スサノオは本当はとても純真で良い子なの。その力が強大なために周りに被害を与えることはあったけれど、誰よりも繊細な心を持っていたわ。私はね、そんなスサノオの事を愛していたの。大切な弟として。そのスサノオが失われた時、私は悲しんだ……そして、恨んだわ。タカミムスヒ、あなたのことを。その恨みは今まで十年間ずっと消えることは無かった」

 アマテラスの声はかすかに震えていた。

「そして今回の事件です。あなたは霊戦士・飛鳥建とヤマトタケルに命がけの一騎打ちをさせた。十年前と同じく、邪魔な者を消すために。そして、またかけがえのない命が失われた」

 タカミムスヒは、いつもと様子の違うアマテラスに困惑していた。そして、にわかに迫り来る恐怖を感じているようだった。

「私は高天原を統治する最高神として、これからあなたに罰を与えます。そのためにここに連れて帰ったのです」

 直後、タカミムスヒの表情が一気に強張った。

「そんな……アマテラス様は私を救って下さるのでは!?」

 すがるような声をタカミムスヒが漏らす。

「……私は全ての者に光を与える太陽神と言われている。けれども、その光を与えぬ時、私は闇の神にも成り得る。その姿を見せたくないからみんなには出て行ってもらったんだけど……」

 アマテラスはちらりとアメノウズメを見た。

「あたしのことなら心配しないで下さい。どんなアマテラス様でも受け入れますから」

 そう言って、明るく笑ってみせた。

「……ありがとう」

 アマテラスは穏やかに微笑み、直後、急転直下で冷たい顔つきになった。

「覚悟は良いかしら、タカミムスヒ?」

 そう言って、ゆっくりとタカミムスヒに近付いて行く。

「そんな、待って下さい! このタカミムスヒ、これからは改心をしてより一層この天上界ひいては人間界の発展のために……」

 ふいに、アマテラスの手がタカミムスヒの両目を覆った。

「――あなたに与える光などありません」

 その時、アマテラスの目からは涙がこぼれていた。

 直後、アマテラスの手から激しい閃光が溢れ出した。

「……ぐああああああああああぁ!」

 タカミムスヒは激しい叫び声を上げた。そして、タカミムスヒの体は暗い闇に覆われ出した。

「ああああぁぁ……どうか、どうかお助けを……」

 闇に覆われ行く中で、タカミムスヒは最後のわるあがきのように、アマテラスに手を伸ばした。だが、アマテラスはそれを冷然と見つめていた。

 やがて、タカミムスヒの体は完全に闇に飲まれて消失した。

 しばらくその場に立ち尽くしていたアマテラスは、ゆっくりとアメノウズメに振り返った。

 そして、よろよろと頼りない足取りでアメノウズメに近付いて行く。

 そのまま、アマテラスは崩れ落ちるようにしてアメノウズメの胸に抱かれた。

「…………私は」

 アマテラスは嗚咽するような声を漏らした。

「……大丈夫です。あなたは間違っていませんよ」

 そう言って、アメノウズメはアマテラスを優しく抱きしめた。








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