イノシシ令嬢にはあなたしか見えない、何もかも跳ね飛ばして進め!
uribou
第1話
「腕を捻ってこうです。わかりますか?」
「はいっ!」
「あたたた、師範代、手加減してくださいよ」
アハハ、手加減していますよ。
我がスコールズ子爵家は武門の家柄です。
スコールズ流無手武術を標榜し、王都の道場で門弟を募り、培った技を教えております。
当代の娘である私ボアも、師範代として気持ちいい汗を流しているんです。
スコールズ流には拳撃や当身もあります。
しかし相手を崩して転ばせたり関節を極めたりすることに長けています。
だから護身術として最適と、女性の門弟が多いのですね。
とても華やかだと思います。
女性が多いと男性も寄ってくるものでして。
最近スコールズ流はボチボチ知られてきてはいます。
本当にありがたいことですね。
もっとも剣術に比べればまだまだマイナーです。
いずれ天下にスコールズ流の名を知らしめたいものです。
私もやり甲斐があります。
「師範代のあの技はすごいですよね」
「『猪突猛進』な。無双だよな」
「恥ずかしいです」
門弟達から『猪突猛進』と呼ばれている技があります。
技というか、スコールズ流の神髄を具現したものとでも言いましょうか。
相手に向かって速足で近付き、体格の差に拘わらず転ばせたり跳ね飛ばしたりするというものです。
『猪突猛進』は初めて見るとビックリするみたいですね。
大男がいきなり倒れてしまうわけですから。
もちろん技には理屈があって、『猪突猛進』はスコールズ流の最も重視する高い練度の崩しの技法が用いられます。
相手を崩すこととは、重心の位置を見極め、押し引きしたり足をかけたりすることによってなされます。
ここで問題になるのが体重差です。
体重差があると崩しに必要な力に達しないのですね。
そこでスコールズ流で編み出されたのが、歩法を利用すること。
スピードは力に変換できます。
私ですと早歩きくらいのスピードがあれば、体重差が三倍あっても崩して倒すことができますね。
これが『猪突猛進』と呼ばれている技のタネです。
「わたし、先日のガーデンパーティーで『猪突猛進』を見たのです。令息令嬢がバタバタ倒れ、無人の野を往くようでした!」
「本当に恥ずかしいです。やめてください」
密かにファンだったカート・ウィリス様のお姿を見かけたものですから、近寄りたくなってしまったのです。
つい『猪突猛進』が発動してしまい。
カート様はフィリップ第一王子殿下の従者です。
冷静に考えれば、傍目にはフィリップ殿下に突進していく女に見えます。
怪しくないわけがありません。
近衛兵に捕まり、こってり絞られました。
十分に反省しています。
……近衛兵を転がさなくてよかった。
「オレも『猪突猛進』を習いたいです」
「あれは教えたからできるというものではありません。瞬時に相手の重心の位置を見極め崩しの方向を判断し、前進する勢いを力として加えてやればいいだけです」
「言われりゃ簡単に思えるけど……」
「まさに奥義ですねえ。すごいです!」
「スコールズ流を極めれば使えるようになりますよ。いえ、私もまだまだ未熟なのですが」
意識が一方向に向いていると、自然と『猪突猛進』が出てしまうのです。
無意識に相手を飛ばしてしまうのは控えなければ。
「はい、本日の稽古はここまでです。うりぼー!」
「「「「「「「「うりぼー!」」」」」」」」
◇
――――――――――王立学校にて。
今日はぽかぽかの日差し、穏やかな日ですねえ。
いいことがありそうな予感がします。
クラスメイトがニマニマしていますよ。
何でしょう?
「ねえ、ボアがフィリップ殿下の従者カート様をお慕いしているのは周知の事実でしょう?」
「ぶっ!」
し、周知の事実とは何事?
心に秘めた思いなのですけれども!
カート様はフィリップ第一王子と大体行動をともにしていらっしゃいます。
おどけた様子の明るい方で、雰囲気を大事にしていらっしゃるんだと思います。
いや、確かに私はカート様を素敵な方だなあと思いますけれども!
「わかりますったら。初めはフィリップ殿下に思いを寄せているのかと思いましたけど、殿下を話題に出してもボアはそっけないですし」
「代わりにカート様の話だとものすごい鼻息で聞きたがりますし」
「ああああ!」
鼻息って!
バレバレでした。
どうして私はこうなのでしょう?
恥ずかしいです。
「つい先ほどカート様のことに関して、ライラ様にお手紙をいただいたのですよ」
「えっ、ライラ様に?」
「ボアに渡してくださいとのことでしたよ。はい」
ライラ・ツイストレイン侯爵令嬢はフィリップ殿下やカート様と同じ、一学年上の先輩です。
とても優秀、かつ見習うべき淑女でありまして、最近フィリップ殿下の婚約者に決定しました。
うちの道場へ武道体験にいらしたことがあり、その時以来私とは少し交流があります。
「手紙には何と書いてありますの?」
「ええと、お茶会の誘いですね。ツイストレイン侯爵邸に招待していただけるのですって」
「わあ、いいなあ」
でもカート様に関することなんですよね?
一体何でしょう?
あ、先生がいらっしゃいました。
講義が始まりますね。
また後で考えましょう。
◇
――――――――――数日後、ツイストレイン侯爵邸にて。
「……というわけですのよ」
ライラ様とのお茶会です。
フィリップ殿下とカート様、そして私にまつわる事情を聞かせていただきました。
私がお慕い申し上げていることは、カート様本人にまで知られているそうで。
ところがパーティーで私が令嬢令息を跳ね飛ばして近付いた件に関して、相当な恐怖を持たれているようなのです。
何と私、『イノシシ令嬢』と呼ばれているのですって。
うわあああ、やらかしてしまったっ!
ライラ様が慰めてくださいます。
「わたくしはボア様が素敵な方だとわかっておりますし、カート様とお似合いだと思います」
「あ、ありがとう存じます……」
ライラ様はお優しいですねえ。
令息方に自分がどう見られているかというのは、頭に入っていませんでした。
門弟にはすごい技だ素敵なんて言われていたので、図に乗っていたかもしれません。
ああ、恥ずかしいです。
「逆転勝利を狙わねばなりません」
「逆転勝利ですか?」
カート様を振り向かせるということですか?
可能なのでしょうか。
カート様に大いに警戒されてしまっているのですよね?
話さえさせてもらえそうにないのですが。
「カート様との話し合いの場でしたら心配いりません。わたくしが責任をもってセッティングさせていただきます」
「えっ?」
力を貸してくださるようです。
何故かライラ様は私に好意的なのですよね?
とても嬉しいですが……。
「あ、あのう。ライラ様が肩入れしてくださるのは何故なのです?」
「わたくしはボア様が芯の強い真っ直ぐな令嬢と知っているからです。それにボア様には『猪突猛進』があるではありませんか」
「えっ?」
その『猪突猛進』のせいで私は恐れられているのでは?
「我が国にとって有用な技たりうるということです。現にフィリップ様は興味を示しています」
「フィリップ殿下が?」
話が大きくなってきましたね。
スコールズ流無手武術が殿下に注目されているのは、喜ばしいことではあります。
「しかしボア様は目の前に視点が固定されてしまうと、そこだけしか見ない傾向があると思われます」
「うっ……」
わ、私も実はそんな気がしていました。
問題のパーティーでの『猪突猛進』にしても、ただカート様が目に入ったのでもう少し側にと思っただけなのです。
そうしたら身体の覚えている技が発動してしまっただけで。
あれは私の失策です。
『猪突猛進』がすごいと感嘆してくださる方もいるのですが、パーティーの時に披露する技ではありませんでした。
ライラ様はさすがです。
物事を正確に把握していらっしゃる。
「淑女としてよろしいことではありません。修正すべきだと思います」
「面目次第もありません……」
「いえ、直すべき点がハッキリしているではありませんか。僭越ながらわたくしが指導させていただきます」
「ありがとう存じます!」
ライラ様が味方です。
何と心強いことでしょう!
「わたくしが合格と判断したら、カート様にアタックですよ」
「よろしくお願いいたします!」
目標がハッキリしているとやる気が出ます!
私はやります!
◇
――――――――――一ヶ月後、王宮にて。
「ええと?」
「うむ、ではボア嬢。よろしく頼む」
「はあ……」
淑女らしい振舞いについて無事ライラ様に合格をもらい、王宮に招待されたところまではいいです。
ところがフィリップ殿下によろしく頼まれてしまいました。
カート様とお話させていただけるのではなかったですか?
いえ、王宮のホールに一〇人ほどの近衛兵が集められていました。
『猪突猛進』で跳ね飛ばせということのようです。
どういうことでしょう?
フィリップ殿下とライラ様は明らかにワクテカしていますね。
あ、カート様にも興味を持っていただけているようです。
嬉しいです。
なるほど、暴力的なイノシシ令嬢ということでなく、『猪突猛進』という洗練された武技を見せつけろということですね?
同じことでありますのに発想の転換です。
私の価値を高めるのにも話のネタにも役立つという意図でしょう。
さすがはライラ様。
でも近衛兵達は胡散臭そうな顔をしていますよ。
全然信用していないようです。
私の腕やスコールズ流無手武術自体を疑われるのは、師範代として許せませんね。
燃えてきました。
「ボア様。相手は鍛えられた近衛兵です。存分に実力を発揮してくださいませ」
「了解です」
行きますよっ!
整列する近衛兵達に向かって突進!
バタバタと転がし、あるいは吹っ飛ばします。
近衛兵長さんが呆然としています。
「な、何と王国一の精兵達がこうも簡単に……」
「優れた技だろう? 僕も初めて見た時、恐怖を感じたくらいだ」
「まさに。剣術だけを偏重してはなりませんな」
「ボア嬢、時々王宮に来て、近衛兵を指導してくれぬか。僕とカートも必ず視察に来よう」
「はい、喜んで!」
わあ、カート様に会える機会が増えますね。
あっ、ライラ様の優しげで納得の視線は?
ライラ様の思惑通りのようです。
策士ですねえ。
ありがとうございます。
「では親睦のお茶会だな。ボア嬢も来てくれ」
◇
――――――――――さらに一ヶ月後。
「完全にボア嬢のことを誤解していたんだよ。ごめんね?」
「いえ、私も悪うございました」
フィリップ殿下とライラ様がお茶会ですので、私もカート様と別室で話をさせていただいています。
幸せですねえ。
「一つのことに気を取られると、そっちばかりに目が行ってしまうんです。ライラ様に指摘されて、注意するようにして」
「努力家だね。いやでも『猪突猛進』って、マジですごい。オレはボア嬢がパワーで跳ね飛ばしてるんだと勘違いしててさ」
「理屈としてあり得ないです」
「だよね? でもそう思い込んでたから、怖くて怖くて」
アハハと笑い合います。
こんなふうに話せる日が来るなんて。
最近ではカート様にも稽古をつけています。
フィリップ殿下の従者として、無手武術の心得があった方がいいそうで。
「ライラ嬢がね。ボア嬢は絶対にオレに合ってるからって、謎のプッシュだったんだ。今となったら理由がわかるけど」
「ライラ様には頭が上がりませんよ」
多分ライラ様は将来の王妃として、スコールズ流無手武術の有用性を感じてくださったのでしょう。
私もカート様と親しくなれて嬉しいですし、スコールズ流にとってもありがたいことですね。
「ボア嬢は純で素直で、とても可愛いよ」
「恥ずかしいです」
「……オレ、ボア嬢のこと『イノシシ令嬢』って呼んでてさ」
「知っております」
「えっ、知ってたの? まいったなあ」
「いえ、当然なんです。私は一部だけしか見えてなくて、本当にイノシシでした」
「ううん、でも集中力があるってことだろう? 『猪突猛進』は、ボア嬢の集中力が生んだ奥義だろうし」
「ずっとカート様を見ていたんです」
「えっ?」
これは伝えておかなければいけません。
カート様の目をしっかり見つめます。
「婚約前のフィリップ殿下って、クールな方だったではないですか。孤高なところがあって」
「うんうん」
「対照的にカート様が剽軽に振る舞っていらっしゃったのが、印象的だなと思ったのが最初です」
やっぱり私も初めはフィリップ殿下に注目していました。
何と言っても王子様ですから。
「でもフィリップ殿下がうまくやれていたのは、カート様が気を使っていらしたからだって気付きました。それからカート様を目で追うようになったんです」
「えっ?」
「どんどん好きになっちゃいました」
言えました。
自分の勇気が誇らしいです。
「そこまでオレのことを見てくれてたのか」
「はい。カート様は素敵です。フィリップ殿下の従者として立派です」
「やっぱりボア嬢の同じところばっかり見ちゃうっていうの、悪いことばかりじゃないよ。オレを見つけてくれてありがとう」
『オレを見つけてくれてありがとう』って、私に気を使ってくださっていますよね。
カート様らしい、ほっこりするセリフだと思います。
うふふ、イノシシみたいに前しか見えていないのも、悪いことばかりじゃなかったみたい。
ニコと微笑むカート様は優しいです。
「これからもよろしくね」
「私こそどうぞよろしくお願いします」
重ねるその手に親愛を込めて。
イノシシ令嬢にはあなたしか見えない、何もかも跳ね飛ばして進め! uribou @asobigokoro
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