6 遠

 ……え?

 ふと、眠りから醒めると、バイクに乗っていた。


 それもタケルが運転していて、マキはタンデムシートでうしろに坐り、タケルの背中に寄りかかっていたのである。


「ちょっと、なに?」


 どうやらタケルが、マキの眠っているうちに視覚効果をいじったようだ。


 両脇が砂漠で、ずっとさきまで砂漠をつっきっている直線の国道を、バイクで疾走している光景になっている。ティーポットの設定速度は変わっていないが、体感は時速80キロくらいだろうか。


「あ、起きた?」


「たぶん――でも、なによこれ?」


「いや、これもまた、オレのロマンでね……」


 ごていねいに低く重いエンジン音のせいで、声が聞きとりづらい。


 タケルは革ジャンでサングラスをして、風になびくロン毛がうっとおしく、ついでにマキまで黒のライダースーツすがたになっている。


「どうせなら夢を叶えようっていう寸法さ。20世紀に流行ったらしい自由人の映画の真似でね……これ、パンヘッド。どう?」


 陽光を反射するタンクに、ピカピカのフロントフォーク、やたら高いハンドルもふくめて、ぜんぶが冗談みたいだ。


「ロマンなら一人でやってよ……」


 風が砂っぽいし、髪がぱさつくし、素肌にまとわりつくライダースーツがちょっと気持ち悪い。

 ついでに、のどもカラカラだ。


 タケルがちいさく、ふふと笑ったのち、正面を向いてつぶやく。


「DATの人体生成のゆらぎの話でさ――」


 急に声のトーンがさがった。


「あれこれいわれてるけど、オレは再構築のさいに未知の物質を感得しているっていうよりは、とっくに忘れてしまったなにかを思いだしたっていうほうが近い気がするんだよ……」


「先祖がえりでしょ――私もそう思ってるけど」


「ああ、ホワイトラビットならみんなそう感じるみたいだし、要するにさ、オレたちってそういう遺伝子をもっているんじゃないかって思ってね」


「そういう遺伝子?」


「そう、ならず者とまでは言わないけどさ。ずっと昔、オレたちは縛られてなんていない、ここではない、どこか遠くがあるんだって信じた遺伝子ってこと――」


 走りだしてから10時間が経過しようとしている。

 

 AIによる演出の一環にちがいないが、空が夕暮れになった。

 

 つかの間、空も雲も道も砂漠も、タケルのうしろすがたや、自分の腕さえも茜色に染まった。


 うだるような蒸し暑さと、つばを吐きたくなるような砂まじりの風のなかを、二人はひた走った。

 苦しみや悲しみの経験をかさねて積まれた長い歳月を通りぬけるように。


「どうせだから言っとくけど……」


 マキはあきらめのような気持ちと、それに随伴している同情みたいなものを瞳に浮かべていたが、だれもみていないので無口なAIしか気づいていない。


「ん?」


「タケルのこと、ぜんぜん好きじゃないけど、出逢えてよかったと思う」


 タケルは口笛を吹く。


「いいね。こころが躍るよ。逆よりも」


 マキが返事をしないので、タケルも黙った。バイクの影だけが夕景に浮かびあがる。

 出発から24時間がせまっていた……。


 すると、目前にフラッグがみえてきた。


「ん――あれは?」


 水着の女性がウィンクしているやつだ。


「ってことは、一周したのか!?」


 タケルが叫ぶと同時に、まるで地震でも起きたかのように視界ががくがくゆれはじめる。

 まるで巨大な粉ふるいにかけられているかのような振動だった。

 耳ざわりな緊急アラームが鳴りはじめる。


「なに、なに!?」


 いままで風紋こそあれ、ゆるい風ぐらいしか吹いていなかった地表が、大荒れになっているようだ。

 うめき声のコーラスのような強風がティーポットに吹きつけている。


 心的な余裕もなくなったせいで、バイクと夕陽は一瞬で消え去り、二人はこわれかけのティーポット内部であたふた混乱する。


 すると、急激に機体が傾いた。

 砂にめりこんだのかもしれない。


 AIを経由してティーポットを俯瞰すると、どうやら機体が左にむけて倒れかけていて、右舷方向から左舷方向にかけて砂が流れているらしい。


 まるで鉄砲水でも喰らったかのような状況である。


「動いてる――!?」


 マキの悲鳴に、おなじく状況を観察していたらしいタケルが叫ぶ。


「とりあえず、落ち着いて――!」


 すると、思いきりティーポットが横倒しになり、マキの機体のはじっこまで二人して転がりこんでしまった。


 砂が怒濤の勢いで押し寄せ、厚みのあるにぶい音が機体をきしませる。

 まるで、パン生地にされてこねられているみたいだ。


「いてててて」


 尻に敷かれたタケルが片目を閉じ、顔をしかめている。

 どうやら、クッションになってくれたようで、マキはどこも痛めていない。


「どこかに流されているの――?」


「くそ、パネルだけでも復活しないもんか!?」


 そこで、タケルが腹いせにティーポットの内壁をがつんと蹴りとばすと、急に緊急アラームがやみ、目前にモニターが映しだされた。

 即座にマキが投影していた操縦席も復活する。


「――接触不良とかいう概念があるんだっけ?」


「知らないわ」


 それでも、ティーポットを浮遊させることができない。

 どうやら、砂の流動が強すぎて、流れに抗うことができないらしい。

 まるで、ずぶぬれになったスズメが飛べなくなってしまったみたいに。


 そして、モニターに写しだされた、ティーポットの測定した地表面と小惑星の解析図をみて、二人は愕然とする。


「なんだこれ――!?」


 タケルがわめいたけれど、マキも同感だった。


 球状の小惑星がふたつ、くびれでもってつながっていた。

 二人が落下したのは、そのうちひとつの惑星の地表面らしい。


 ドライブレコーダーで、ティーポットの走行経路が表示されると、マキは「ああ……」と思わず感嘆する。


 ティーポットは落下したほうの小惑星の地表面の外周を一周しており、その経路がおおむね円形になっていたからだ。


 くびれを経由して、上部の小惑星から下部の小惑星に向かって砂が流れ落ちているようで、そのせいで地表は中心に向かって傾斜がさがっているのだった。

 

 ゆえに、まっすぐ一周しただけで、経路は「円」を描いていたのである。


 二人のティーポットはそのまま、惑星の中心に向かって流されているようだ。

 どんどん加速しており、それはまるでアリジゴクのようだった。


「これって……」


 タケルが絶句する。


「砂時計じゃないの――?」


 マキは呆然とつぶやく。


「そういえば……オリオン座って、砂時計のかたちをしてるっていうな……」


 タケルがふふとちいさく笑う。


「しかも、イプシロン星はそれにたとえれば、くびれの部分だ」


 笑っていいのかさえわからないまま、ティーポットを巻きこんだ流砂が速度を増してくる。


 400キロほどの距離を一気に進み、どんどん中心に近づいて、それにともない砂のなかにとりこまれてきた。

 

 周辺全体が黄褐色に覆われ、外部カメラではなにも確認できなくなる。

 竜巻のなかに飛びこんだかのような轟音とともに、圧力で機体がみしみしときしんだ。

 まるで大型の台風が通過する夜みたいだった。


 モニターに表示されなくとも、二人のティーポットが砂時計のくびれに向かっていることがわかる。

 しかし、それがどういう結果を生むかだけは想像さえできなかった。


「なんだかこわい……」


 マキがおびえた目でみると、タケルが気丈なふりをして叫ぶ。


「よし、そりにしよう!」


 すると、操縦席だった仕様が、ボブスレーのそりみたいになった。


「どうせ、飛びこむしかないんだ……覚悟を決めないと」


 マキは一度大きく深呼吸をしてから、うなずく。


 そして、マキが前、タケルが後ろでそりに乗る。


 思ったより内部がせまく、タケルに抱きかかえられる格好になったが、いつかどこかで、だれかと長いすべり台で遊んだかのような気持ちになってきて、マキは少し安堵してしまった。


 そりは加速してくる。

 どうやら終着点が近いようだ。


 マキは鼓動が高鳴るのを感じる。

 すると、おしりに熱を感じて、タケルをふりかえる。


「ちょっと、こんなときに興奮しないでくれる――?」


「いや、さすがにそんな度胸はないな……ていうか、マキだろ」


 タケルはうろたえる。


「マキのしっぽが熱っぽいんだよ――」


 え?


 指摘されて気づいた。

 そりが惑星のくびれに近づくにつれて、しっぽがどんどん熱をはらんできたのである。

 それがどういうことなのか考えるよりさきに、砂時計のくびれがせまってきた。


「ねえ、ついでだから訊いていい?」


「ええ!?」


「タケルは私の容姿が好きなの?」


「はあ?」


「好きってどういうこと――!?」


「もちろん、見た目は好きだよ。でも、それがなくなったって理由だけで嫌いになんてならないさ――ほら、腐れても縁だろう?」


 モニターのずっとさきに、ちいさな点のようなものがみえ、それが一瞬にして巨大な穴になった。

 ティーポットはあっという間に、そこに吸いこまれていく。


「ああ――!!」


 全身にちからが入る。

 タケルががっしりとマキを抱きよせた。


 目まぐるしいほどの速度に、未知への不安と、血がたぎるような恍惚を覚え、マキは強く目を閉じる――。


 閉じたまぶたのなかに、まぶしい光を背景に例の少女が現れて、両手のひとさし指と親指をあわせて不格好なハートにみえる円をかたちづくり、微笑をうかべた。


 しかし、マキが話しかけるよりさきに、少女はふりかえって光のなかへ消えてしまった――。


 あなたは……。


 マキは納得する。

 あの女の子はきっと、遠い先祖のだれかか、遠い祖先のだれかか、そんなところだろう。

 

 でも、それでいいやと思える。

 きっと遺伝子が守ってくれたんだろうから。


 小惑星を一周し、砂時計の進行を早めることができたおかげで、熱射にやられなくて済んだのだ。


 きっと、到着時に小惑星を覆っていた分厚い黄色い雲は、砂時計が反転したことで砂嵐が起きていたのだろう。

 天地が逆さになったかのような激しい煙の正体はそれにちがいない。

 それに巻かれることで、地表面に落下してしまったのだ。


 マキは微笑を浮かべる。まぼろしの少女とおなじような。


 直後、二人は時の芯ともいえる圧倒的な時間に入りこみ、束の間、過ぎ去りしもの、過ぎゆくもの、過ぎゆくだろうもののすべてを通過して、深く、遠い、別の宇宙へと飛びだした――。

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コスモ砂丘 坂本悠 @yousaka036

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