星住さんのお水遣り日記

花野井あす

2022年 年末の某日にて

 皆さん、お花にお水遣りってしますよね。たっぷりお水をあげる子もいれば、霧吹きでシュッシュッってする子もいる。お水の量は季節によって変わりますけど、ある季節しかお水をあげないってことはないと思う。

 でも実は、あるんです。

 ある季節だけにお水をやる子が。

 季節は冬。うっかりお水をあげ損ねるとお部屋が燃えるからご注意です。


「ふあああ、ねむいいい」

 

 眠って仕方がない。最寄りの駅を出てすぐ、つい大きな欠伸をすると、横でくすりと嗤う声がした。

 その声で振り返ると、うんと背の高い、狐みたいに切れ長の目をした男の子がネギとか豆腐とかを入れた買い物袋を提げて立っている。彼は清瀬きよせ柊生しゅうせいくん。別の大学の学生さんで、確か今年で大学三年生。下宿先の親戚の家がこのあたりにあるらしくて、こうしてたまに会う。

 年下だし、別に彼氏でも気になる相手でもない。でも、大口を開けてそれはそれはきっとひどい顔をしていたに違いないと思うと恥ずかしくなる。頬が引き攣る感覚を覚えながらも、ひとつ上としての威厳は保つ。

 

「お、おはよ清瀬きよせくん」

 前言撤回。声が裏返っていてちっとも威厳が仕事をしていない。生暖かい年下の目が痛い。

「おはようございます、星住ほしずみさん。今から大学ですか」

「うん。今から『お水遣り』なんだ」

「ああ。大変ですよね、お水遣り」

 貧乏研究室で同じような研究をしているゆえの共感。まあ、三年生の清瀬くんの場合はフライングしてある研究室に居座っているんだけど。年末年始近くくらい勘弁してだよねえ、とわたしはぼやきながら清瀬くんと車道沿いを進み、なんとなしに空を見上げる。空は淡い水色だった。再び前方を見れば、さすがは閑静な住宅街で有名な地域。見慣れているけれど、のどかな雰囲気のある場所だといつも思わされる。

「自動水遣り機、できないかなあ」

 バイトがない日は自堕落に過ごしたい。それこそ朝から晩まで毛布にくるまってごろごろしながら、ア〇ゾンプライムで十二月の頭から配信開始しているクリストファー・ノーランのテネットとかを観て過ごしたい。暖房で暖まった部屋でキンッキンに冷えたアイスを食べながら、とかだったらもっと素敵。

「やるとしたら上水道から直接水をくみ上げる、みたいなやつですかね」

「そうそう。それで自動洗浄付き。メンテナンスは月一回とか」

「湿度を自動で計測して、AIが必要な水の量を計算する?」

「まさに理想!」

 そもそもそんな機材が買えるなら、水遣り当番なんてない。わたしの研究室は外部の研究所や研究室と共同研究をしているほうだけれど、それでも企業と組んでいるわけではないので実入りが少ない。じゃあ、企業と連携している研究室へ行けばいいのでは?となるけど、それはそれで忙しそうで嫌だ。というかそもそもわたしの大学にそういう研究室はない。……たぶん。

 

「清瀬くんって勝手に研究室出入りしているんだよね。そのままその研究室行くの?」

「そうですね。ドライ系なら時間縛られずバイトのシフトも入れられますし」

 わたしたちは別の大学に属しているけれど、同じような学部学科に属している。学問分類としては理学。科目としては生物。もっと詳しく言うならば生命情報学。

 ドライ系、というのはナマモノを扱っていない、という意味で、反対語はウェット系。ウェット系の研究は、蠅とか魚とかネズミとかを使って実験する都合上、実験はもちろんその実験生物を育成する時間を要するのでどうしても場所と時間が縛られる。対してドライ系の研究はPymolパイモルとかPythonパイソンとか入ったパソコンひとつあればいつでも何処でも研究ができる。計算量の多いものは自前のパソコンではできないので外部のサーバーを使うが、ウェット系に比べれば自由度が高く、これに慣れてしまうとウェット系には戻れない。まあ、パソコン苦手なひとは戻るけどね。

「何よりも、かわいいネズミを分解したり、吸虫管でエタノール吸って倒れそうになったりしなくていいもんねえ」

「ハハハ、慣れればそんなものになりますけどね」

「そうね。同級生、昼ご飯食べながらネズミの解剖方法について語ってたわ……」

 慣れとは恐ろしいものだ。花の女子大生たちは白熱すると周囲に外部の人間がいることも忘れて、「バージンの蠅がー!処女蠅がー!」とか大声で叫びながら語りだす。とくに、わたしの通う大学は真面目に学問する学生さんが多いのでなおさら議論に熱が入る。かくいうわたしも、実習明けとかに同じような言葉を連呼して通りすがりのサラリーマンをぎょっとさせてしまっていた。

 

 ふと前方を見れば、大学へ続く正門が見え始める。今日が年末近くなのもあって、付属小学校の送り迎えをする教育ママさんたちの姿はない(わたしの大学の構内には付属の小学校、中学校、それから高校があるのだ!)。わたしは手前で立ち止まり、清瀬くんに向き直る。

「じゃあね、清瀬くん」

「ええ、またサークルで。よいお年を」

「よいお年を!」

 

 入ってすぐ、わたしは守衛さんに学生証を見せた。とは言っても半分顔パスだ。ちょうど見回っていた守衛さんのもうひとりが戻ってきたところで、「あの猫ちゃんがどこどこで日向ぼっこをしていた、あの猫ちゃんが甘えてすり寄って来た」などと微笑ましい会話をしていた。わたしの大学には学生・職員がみんなで可愛がる猫ちゃんがいるのだ。わたしもお水遣りしたあと見に行こうかな、となど思いながら冬のイチョウ並木を進んだ。

 すぐ前の伝統ある本館を右手に折れ、付属中学校の校舎を横に見ながら進む。どこかの研究室の学生さんが寒い、寒いと言って横を通り過ぎるのを見かけ、今さらにオフラインでの活動が再開したのだとしみじみする。大学二年生と三年生が新型コロナウイルスの時期と被ってしまったわたしたちは楽しいはずの大学生活を逃してしまった。グループチャットで友人と議論できたことや三年生の後期からでもサークル活動に混ざれたことは幸運ともいえるだろう。

「さっさとお水遣り済ませて、部屋でごろごろしよっと」

 理学棟へ入ると鼻歌を歌いながら薄暗い階段を上がり、わたしは目的地の扉を開ける。そこはサーバールーム。さあ、お水遣りの時間です。

「湿度調節できる部屋とかないのかなあ」

 わたしの研究室にはサーバールームがある。保守運用担当は主に学生。責任者は担当教授。一定の湿度を保たないと、サーバーて熱くなりすぎてダウンしてしまうし、最悪火事になる。わたしはぶつくさと愚痴をこぼしながらも床掃除をするル〇バを避けてかわし、ほぼ空になった加湿器のタンクを取り出して水道へ。水道水の所為で塩まみれなのでついでに中を洗い、満水にしたら再び加湿器のスイッチオン。

「さあ、任務完了。猫ちゃんたち見たら、家でごろごろしよっと」

 スキップをするように弾んだ足取りで理学棟を出る。

 

 外は快晴。外気温は六度くらい。湿度は五十パーセント少し。よくものの燃えそうな、実にお水遣り日和です!

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星住さんのお水遣り日記 花野井あす @asu_hana

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