第6話 大団円
久保氏は、そんなことをまったく知らないのだろうか?
いや、実はそうではないのであった。
久保氏が、今回、タイムマシンのヒントというものを頭に描いたのは、そんな双子の伝説が頭にあったからであった。
しかも、久保氏を得るために、画策した博士の脳波と、久保氏の考える頭とが、シンクロしたということになるのか、タイムマシンの原型となるものが開発された。
まだまだ不完全な部分があり、飛んでいけるところは、数日という、実におもちゃのような、実験的なものであったが、それまでの、
「夢の大発明」
と言われていたところからの第一歩なのだから、この発明が、どれほどすごいものであったかということである。
「月面着陸」
において、
「この一歩は、タダの一歩でしかないが、人類の未来には大きな一歩だ」
というようなことを言っていた人がいたが、この研究もまさにその通りであった。
「地球と宇宙の架け橋」
というものと、
「異次元への扉」
というものは、本当によく似ているといってもいいだろう。
何といっても、この第一歩が開発されてから、急速に、
「宇宙開発:
であったり、
「タイムトラベル」
などは、ここから時代が進んでも。ほとんど進んでいないというのが、実情であろう。
それは、
「越えなければいけないハードルがいくつもあって、最初のハードルを越えただけで、あとのハードルの存在に気づかずに、どんどん先に勧めると思っているのだろうが、それは実に大きな間違いである」
ということなのだ。
これは、
「ロボット開発」
にも言えることであり、
そもそも、最初の扉を開いたその時というのが、
「一体いつから数えて、新しい扉が開かれたというのか?」
ということが問題だったのだ。
戦後からの開発であれば、
「あっという間に開発された」
といえるのだろうが、ひょっとすると、水面下で研究は、明治政府の時代から行われていたとすれば、
「約100年近く経っている」
ということになる。
しかし、それから、今までと考えると、まだ、50年とちょっとというくらいで、まだまだ時代半ばというところではないか?
それを考えると、
「開発のステップを同じスピードでやっているとすれば、まだまだこれからではないか?」
ということを考えたとすれば、確かに、簡単なものではないといえるだろう。
博士も。久保氏も、そのことは分かっている。
だから、
「そういうことであるなら、次のステップを超えるための研究は、次世代の人に委ねるしかない」
ということを分かっていたのだ。
すでに、博士も久保氏も、
「そろそろ引退する時期になってきている」
といってもいい。
この辺りの研究員や博士というのは、50歳くらいで第一線からは引退する。
ただ、研究チームの長としての存在感や、世間一般の顔としては君臨することになる。
だとすると、
「どうせなら、自分の肉親であったり、教え子が、その中心であり、開発者であってほしい」
ということを、研究者は、年を取ってくれば考えるようになるのであった。
だから、博士も、久保氏も同じことを考えていた。
実は久保氏も、博士同様、
「博士の家のことを調べていた」
ということである。
博士も、実は、
「双子が生まれていて、兄弟を里子に出され、同じように、幼くしてなくなっていた」
という自分と同じ運命であることが分かっていた。
久保氏は、ちゃんと分かっているのであった。
しかも、博士は知らないことも知っていた。
それが、
「死んだ子供が同じ瞬間にどこかで生まれ変わる」
ということを知っていたということであった。
しかも、それが、
「双子の家系」
に多いということである。
つまり、
「一度でも双子が生まれる家系は、ずっと双子の問題にかかわることになる」
そして、今の段階で、双子がかかわったことのない家庭では、今後も双子にかかわるということはない」
ということであった。
だから、博士と久保氏は、
「双子」
というキーワードで結ばれているのであった。
お互いに研究者ということでそれぞれに、相手を尊敬しながらも、さらに探り合うことで、
「自分たちの研究」
さらには、
「尊厳やプライド」
というものを保っているということだったのだ。
だから、
「研究者」
というものは、
「何を考えているのか分からない」
ということをよく言われているようだが、それは、当然のことながら、
「一般の人から見ての、やっかみ」
というものが大きいということは当然のことである、
一般の人は、
「プライドだけは学者と同じ」
という人も結構いて、そんな人が、
「俺も学者になりたい」
と思って頑張ったとしても、そこには、おのずと限界というものがあったりするものであった。
というのも、
「ここにも、研究しているものと同じで、段階的なステップが存在していて、そのことを分かっていないと、一つの段階だけを乗り越えたとしても、そこから先が今度は見えなくなったことで。どうしていいのか分からなくなる」
ということだ。
これは研究者だけにいえることではなく、
「芸術家」
というものにも言えることだ。
例えば、作家やマンガ家が、
「プロになりたい」
ということで、プロになるための、
「登竜門」
としての、
「新人賞」
などに応募を重ね、やっとの思いで、賞を受賞することで、
「やっとスタートラインに立てた」
といってもいいだろう。
しかし、普通であれば、
「これで俺は一人前のプロだ」
と思うと、ところがどっこい、
「そうもうまくはいかない」
ということである。
というのは、
「新人賞を取ったとしても、問題は、次回作」
ということであった。
新人賞を取れば、出版社がスポンサーとなり、いよいよ自分を売り出すということになるのだ。
「スポンサーは金を出す」
ということなので、
「スポンサーの命令は絶対」
ということで、自分が書きたいと思う作品を書けるわけではなく、しかも、
「さらに、受賞作よりもいい作品を」
と言われるのである。
これは大きなプレッシャーであり、
「受賞だけを目標にしてきた方とすれば、まるで、梯子で昇った頂上で、梯子が音を立てて崩れ落ちる」
というようなものである。
それを考えると、
「これこそ、第2のステップではないか?」
ということである。
「本人に分から第2のステップが、この時は有無も言わせず、すぐに襲ってくる」
ということになる。
それを考えると、
「芸術界で、プロになるということも、学者会で、発明、発見をして、その世界での第一人者ということになるということも、ステップがいくつもあるということで、大変な目に遭う」
ということであると考えると、
「どこまで、その覚悟と、その世界を前もって知っているか?」
ということであろう。
実際には、人間というものは、目の前のことだけを目指すものだ。
将棋のように、
「いくつもの先を計算に入れて勝負をする」
というものではないので、なかなか、分からないところが多く、結果として、
「生き残ることができる」
という人は数少ないということになる。
だから、そんな時代において、その問題を解決できるものとして、
「双子というものが一番の近い存在だ」
ということになるということを、お互いに、
「双子家系」
という、数少ない家系が、しかも、偶然といえばいいのか、同じ研究室にいることになるのだ。
「いや、これは偶然ではない」
と考えたのは、
「双子家系は、引き寄せられるように、研究者であったり、芸術家の世界に知らず知らずのうちに引き込まれるというものだ」
ということであろう。
しかも、
「お互いに、生まれ変わるたびに、その立場がコロコロ変わってくる」
ということなので、それこそ、
「死んだ、その瞬間に、どこかでもう一人として生まれ変わっている」
ということに繋がっているのだ。
「まるでたすきをかけるかのようではないか?」
ということが言われている。
人間というものは、
「知ってはいけないことは、往々にしてあるというもので、本当はこれを二人は知ってはいけないはずのことだ」
ということだったはずである。
しかし、
「お互いが知っているということで、うまくいっているとすれば、今度は、久保氏が、自分の息子の生まれ変わりを探すことになるのだろうが、同じように、久保氏の息子が、親の様子を見ていて、
「何をしているのか?」
ということを、本能のように知るということで、博士の息子に近づいていくのであった。
「今度は、お互いに、次のステップと、さらに、その次のステップをお互いに、たすきを架けながら進んでいくことになる」
と考えるのであった。
( 完 )
襷を架ける双子 森本 晃次 @kakku
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