第2話

 しばし、呆然とする俺。


 目をゴシゴシと擦って再度確認してみたけれど──眼の前にいるのは、やっぱりタヌキだった。


 全身、薄茶色のモコモコの毛で覆われたタヌキちゃん。


 つぶらなひとみがとても可愛い。赤い法被を着ているのがポイント高い。


 ぬいぐるみ化したら売れそう。


 ──なんて考えてる場合じゃなくて!


 いやいやいやいや。


 ちょっと待ってよ!? 


 何でタヌキが店番してるのさ!?


 しかも今、「いらっしゃいませ〜」って、ちょっと間の抜けた声でしゃべってたよね!?



「いらっしゃいませ、お客さま」



 タヌキさんは「うんしょ」と後ろ足で立ち上がると、ぺこりとお辞儀をする。



「小保ROOTへようこそ。僕は当旅館の店主を務めております、本田と申します」

「ほんだ……ポンタ?」



 あ、ほら! やっぱりタヌキじゃん!


 でも、ちょっと待って。


 俺ってばカンが鋭いから気づいちゃったよ。


 真夜中の田舎町。


 そして、古民家風の旅館。


 もしかして──妖怪に化かされているのでは?


 だってほら、タヌキって人を化かすって言うじゃない?


 ……あ。だけど人間を騙すなら、もう少しバレにくい格好で出てくるか。


 この子、法被は着てるけど見た目まんまタヌキだし。


 さっき俺に親切にしてくれたおっちゃんが実はタヌキでした……ってほうが、それっぽいよな。

 


「あ、あの、お客さま……? どうされました?」



 口に手を当て、おろおろと慌てふためくタヌキの本田さん。


 可愛い。


 思わずキュン死にするかと思った。


 こんなタヌキちゃんなら、騙されてもいいかもしれない。


 俺はこほんと咳払いをひとつしてから、続ける。



「ええと、泊まりたいんですけど」

「はい、お泊りですね! 空き室を確認しますので、少々お待ち下さい!」



 本田さんはカウンターにヒョイッと飛び乗り、器用に前足で台帳を開く。


 そして、ペラペラとページをめくり、



「……あっ、大丈夫です! 本日は全室空いてま〜す!」



 ヤッターと、嬉しそうにバンザイした。


 実に微笑ましい。


 久しぶりのお客さんだったのかな?



「どうしますか? お泊りになります?」

「はい、お願いします。宿泊料金はおいくらですか?」

「朝昼晩の食事付きで、一泊1000円です」

「安すぎかっ!」



 思わず突っ込んでしまった。 

 

 温泉もあるみたいだし、旅館の雰囲気もかなり良い。


 さらに3食の食事付きで、その値段は破格すぎるでしょ。



「何泊のご予定でしょうか?」

「あ〜……えっと、1……いや、3泊くらいかな?」



 ひと晩だけにしようかと思ったけど、どうせならしばらく滞在したい欲求が。


 本当は明日も仕事なんだけど……うん、考えないでおこう!



「なるほど、3泊ですか……」



 ふむむ、と首をひねる本田さん。



「遠慮せずに、もっといっぱい泊まってもいいんですよ?」

「えっ……」



 なにそれ。


 山のようにお菓子があるのにひとつしか取らなかった子どもを諭すみたいに……。


 だけど、そう言われるともっと泊まりたくなってくるな。



「じゃ、じゃあ、1週間くらい?」

「はい、よろこんで〜」



 本田さん、サラサラと「1週間宿泊☆」と台帳に書き込む。


 最後の☆の意味は良くわからないけど、すごく字が綺麗だった。


 それから俺の連絡先と名前を書いて、部屋へと案内してもらうことに。


 ちなみに、宿泊料金は後払いらしい。


 実に良心的。



「では、こちらにどうぞ〜」



 スタッとカウンターから降りてきた本田さんが、旅館の奥へと歩いていく。


 慌てて後を追いかける俺。


 しんと静まり返った廊下に、ポテポテと本田さんの可愛い足音が響く。


 廊下の窓から、ライトアップされている庭が見えた。


 しっかりと手入れされた日本庭園。


 大きな池と立派な松の木があって、池には錦鯉が優雅に泳ぎ、水芭蕉が咲いている。


 情緒あふれるその景色に、思わずため息が漏れてしまった。


 だけど、俺の興味はすぐに目の前を歩く本田さんのモフモフ尻尾に移ってしまう。


 いや、興味というより疑問と言ったほうが正しいかもしれない。


 何でタヌキが店番しているのかとか、どうして言葉を喋っているのかとか、そのふわふわの尻尾は何か手入れをしているのかとか!



「あの……本田さんってタヌキですよね?」



 ついに尋ねてしまった。



「……えっ?」



 振り向いた本田さんの瞳には、明らかな不満の色が。



「タヌキ? 何を言ってるんです? どっからどう見てもコボルトでしょう」

「……コボ? え?」

「コボルト。僕はれっきとした狼の亜人です。もしかして、ご存知ない?」

「ご存知ないですね」



 即答した。


 そんな、公然の事実みたいに言われても困る。


 いや、コボルトという存在はなんとなくわかるよ?


 確かファンタジー映画とか漫画に出てくる、犬と人間の混血児みたいなモンスターだよね?


 ……え? 本田さんって、タヌキでも妖怪でもなく、モンスターなの?


 そんなコボルト本田さんは、タヌキ呼ばわりされたたのが相当カチンときたのか、プリプリ怒りながら歩き出す。



「由緒正しいコボルトを捕まえてタヌキとか。そもそも、旅館の名前を聞いたらわかりますよね……ぶつぶつ」

「旅館の名前……あっ」



 はっと気づいた。


 もしかしてこの旅館、コボルトが経営しているから「小保ROOT」なの?


 うわっ、すごい安直!!



「お待たせいたしました。こちらのお部屋です」



 そんなプリプリ本田さんに案内されたのは、「くりすたる」と書かれた部屋だった。


 これは部屋のランク……なのかな?


 ほら、松竹梅的なさ。



「……おお」



 入り口の引き戸を開けると、すごく綺麗な板張りの部屋がお出迎えしてくれた。


 広さは10畳くらいありそう。


 部屋の真ん中にはテーブルが置いてあって、テレビにパソコン……さらに冷蔵庫やエアコンなど、電化製品が一通り揃っている。


 隣の部屋にはすでに布団が敷かれていて、奥には旅館特有の謎空間、広縁もある。ほら、旅館とかホテルの窓際にある縁側の小さいやつだよ。


 窓からは旅館の庭が一望できて、眺望もかなり良さそう。


 しかし、めちゃくちゃ広い部屋だな。


 とても一泊1000円の部屋とは思えない。



「明日の朝食は8時です」



 本田さんがサラサラと説明をはじめる。



「旅館の裏にある露天風呂は夜10時まで。玄関にある自動販売機はいつでもご利用いただけます。あと、部屋にトイレはなくて露天風呂の隣にあります」

「わ、わかりました」

「それと、縁側に置いてあるお布団はそのままにしておいてくださいね。僕のお昼寝スペースなので」

「はい……え? お昼寝スペース?」



 思わず聞き返してしまった。


 お昼寝スペースの説明のところだけ異様に力が入ってたけど、そんなに重要なのかな……。


 本田さんが続ける。



「何か質問はございますか?」

「え……っと」



 どうしよう。


 正直、本田さんに対して疑問だらけなんだけど、説明されても理解できなさそう。


 なので、「ありません」と伝えた。



「僕は隣の部屋にいるので、何かありましたらいつでもお声がけください。あ、内線は0番です」



 あの電話をお使いください、と本田さんが指さしたのは昭和レトロな黒電話だった。


 すごい。実物を見るの初めてだ。


 実に田舎っぽい。



「それでは失礼します。ごゆっくり」 



 ペコリとお辞儀をして、トテトテと部屋から出ていく本田さん。


 しんと静まりかえった部屋にひとり。


 なんだかドッと疲れが出てきた。



「……とりあえず、寝るか」



 いつもならまだ起きてる時間だけど、今日はいろいろあって疲れちゃったし。


 お風呂は……明日でいいや。


 ふらふらと隣の寝室に向かい、布団にダイブ。


 太陽のいい香りが鼻腔を擽る。


 おまけに体が沈み込むくらい、超ふかふか。


 ああ、これは良く眠れそうだ。



「しかし、今日は色々あったなぁ……」



 仕事でパワハラを受けた……は、いつものことだけど、彼女に振られて田舎にやってきて、タヌキさんが店番をしている旅館に泊まることになった。


 勢いで1週間泊まることになったけど、本当に良いのかな?


 せめて会社に休むと連絡しておいたほうが良いかも──。



「……ん?」



 なんて思ってたら、ポケットのスマホがブルブルと震えだした。


 取り出して、軽く絶望。



「うげっ。上司から電話だ」



 どうやらこの旅館は電波が届いているらしく、不在着信の履歴が山のようにやってきた。


 おまけにメッセージまで。



 ──電話に出ろ無能。

 ──仕事を舐めているのか。

 ──やる気がないなら辞めてしまえ。

 ──お前の代わりなんていくらでもいるんだからな。



「……」



 いつもならこんなことを言われると「俺ってダメなやつだな」と自己嫌悪に陥るんだけど、今日はなぜか怒りが込み上げてきた。


 好きな人ができたとか、無能だとか、会社を辞めてしまえとか、どいつもこいつも勝手なことばっかり言いやがって……。


 ああ、そうですか。


 だったら──お望み通り辞めてやりますよ!


 マッハで「では、辞めさせてもらいます」とメッセージを打って送信。


 既読が付くのも確認せず、スマホの電源を切って投げ捨ててやった。


 わっはっは! 


 これでどうだ! もう、何も言い返せまい!



「はい、俺の勝ちっ!!」



 スーツの上着を脱ぎ捨てて、布団の中に潜り込む。


 そして、胸いっぱい太陽の香りを吸い込んで、目を閉じた。



『ぴんぽんぱんぽ〜ん』



 ふと窓の外から聞こえたのは、チャイムの音。


 なんだろう?


 もしかして、町内放送かな?



『みなさ〜ん、今日も神伏町役場の宇多田さんが、午後10時をお知らせしま〜す』



 続けて流れてきたのは、気の抜けた女性の声。



『今日も一日お疲れさまでした〜。お布団の中に入っている方を狙い撃ちして、気持ちよくおねんねできるように歌いますね〜』

「……いや、何それ?」



 放送に突っ込んでしまった。


 まず、夜の10時に町内放送するなと言いたい。


 そして、町内放送で歌うな。



『ら〜、ららら〜、らら〜』



 そんな俺の突っ込みが届くわけもなく、すぐに綺麗な歌声が流れてくる。


 多分、録音ではないと思う。


 だって、「んっ……んんっ」って発声練習してたし。


 しかし、すんごい綺麗な声だな。


 これ、何ていう曲だろう?


 聞いたことがないメロディだけど、耳障りがすごく良い。


 例えるなら、川のせせらぎみたいな?


 子守唄にも近いかもしれない。


 これは確かに安眠できそう。


 やるな、宇多田さん。


 なんて考えていたら、次第にまぶたが重くなっていって──。





―――――――――――――――――――

《あとがき》


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とあるリーマン、ちょっと不思議な田舎町でタヌキと暮らす 〜電車に乗ってふらりとたどり着いたのは人とモンスターが平和に暮らす田舎町でした〜 邑上主水 @murakami_mondo

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