第4話






 迫り来る何かが近づいてきて、急かされるように目を覚ます。部屋の天井を見上げると、見ていたはずの夢の記憶が薄れていった。

 今日も頬が涙で濡れている。こういうことは、たまにある。慣れた手つきで、手のひらで涙を拭って起き上がった。


 私は今、平民として下町で一人暮らしをしている。二階建ての小さな家は、私には十分すぎる広さだ。一階は薬局を開いていて、女一人だけでも十分に食べていけるほど繁盛していた。

 リアンはその後、無事に城へ戻れたようで、すぐに王の命令でラフェリエール家に派兵された。王室騎士団に捕らえられた父やその部下たちは縛り首になったと聞いた。薄情なようだけど、私はあの家から逃げ出せてよかったと安堵している。王家の健在を示すため、その後すぐにリアンは立太子し、つい先日即位した。リアンは今年十八となり、成人した。あれから二年経った今、私は二十歳になった。

 忙しくて即位のパレードは見られなかったけれど、新聞の一面にでかでかと掲載されたリアンは、記憶のものより凛々しく成長していた。

 華々しい人生が始まったリアンの陰で私はひっそりと覆面薬師として王都の下町に居を構えていた。下町に溶け込みやすいよう、配合した薬液でくすんだ金髪に変え、普段はレナという娘として、薬の売り子をしている。また、薬を作っているのは、架空の兄だということにしている。舐められたり、買い叩かれないようにするためもあるけれど、一番の理由は身バレ対策だ。

 失踪したラフェリエールの令嬢である私は、王家から莫大な懸賞金がかけられ、二年経った現在もお尋ね者となっている。リアンが王太子になった頃、私の捜索隊も出ていたが、それも三ヶ月で打ち切られた。今も探しているという噂も出回っているが真偽は分からない。

 灯台もと暗し。捜索が手薄い王都に身を隠しているが、捕まったらおそらく私も縛り首となるだろう。その時はリアンの温情に訴えるつもりだ。


 人前に出られるように瞳の色を変える点眼液をさし、一階のカウンターに朝食代わりのコーヒーを置いて、開店のプレートを掲げた。

 しばらくすると、来客を告げるベルがからんと鳴る。すぐに本を閉じて、笑みを作る。

「いらっしゃいませ」

「久しぶり、レナちゃん」

「あら、お久しぶりです。レナードさん」

 人好きのする笑顔で帽子をとって会釈したのは、商人のレナードさんだ。一年前からのお付き合いで、うちに通ってくれる常連客の一人だ。

「無事に航海し終えたんですね」

「お陰様で商売繁盛だ。ただ、家に置いていた風邪薬がなくなっちまってなあ。今、女房が熱出してるんだ」

「それは大変ですね……診療所は行かれましたか?」

「ああ、それが風邪だってよ」

「そうでしたか、病気でなくてよかったです。すぐにご用意しますね!」

「頼むよ」

 後ろの薬棚から、ストックしてある風邪薬を出して小分けに分ける。

「そういえばこの薬局もだけど、ここの薬もいい香りがするよな。何か入れてるのか?」

「はい、入れてますよ。カモミールの花の香りを少し混ぜているんです」

 作業しながら返答する。

「何でカモミールなんだ?」

「心を落ち着かせる効果があるんですよ。薬って苦いじゃないですか、だから作った薬を飲むとき少しでも嫌悪感が消えるように入れてるんです。まあ、半分は癖みたいなものですが」

 苦笑しながら用意できた薬をカウンターに出して、勘定する。

「やっぱりこの薬局に来てよかったよ」

「ふふ、ありがとうございました」

 レナードさんの優しい言葉に顔をほころんだ。


 それから午前中は誰も来なかったので薬の本を読み終え、お昼を食べて、常連さんに用意した薬を渡し終える頃には、閉店時間になっていた。

 





◾︎◾︎◾︎






 朝から雨がざあざあと降り注ぐ。空気が水気を帯びることから、急いで薬箱に炭を入れて湿気をとる。雨の日は客の入りが極端に減るため、午前中は時間が取れなくて出来なかった薬の調合に精を出した。

 補充したあと、カウンターに座って、ぱらぱらとなる雨音に聞き入りながら普段は読めない、分厚い薬草の本を読み進める。

 店にかけられた掛け時計の秒針の音が部屋を満たす。不意に外と隔てられた窓硝子を見遣る。硝子にも多くの雨粒が降り、一つとなって伝うように流れ落ちていた。私は微睡みながら、夢中で本の頁の捲った。

 次に意識が覚醒すると、窓硝子の向こうはすっかり暗くなっていた。どうやら昼過ぎから眠っていたようだった。仕事中なのに恥ずかしい、と一人で赤くなっているとドアに取り付けたベルが、からんと耳触りの良い音を奏でた。

「いらっしゃいませ」

 黒いローブを羽織った男が会釈して近づいてきた。引き出しから顧客帳簿を取りだして、にこりと微笑む。

「何をお探しですか?」

「睡眠薬を頼みたい」

「かしこまりました。睡眠薬を飲むのはあなたですか?」

「いいえ、違いますが。なぜそのようなことを?」

 男の目に警戒の色が浮かぶ。

「薬は人によって飲む量が変わるんです。あなたではないなら、飲む人の歳や体格、腎機能に問題があるか教えてください」

「なるほど……あなたは専門家なのですね。失礼しました。その人は私と同じような体格で腎機能に問題はありません。歳は……確か二十です」

「承知しました。そこにかけてお待ちください」

 後ろの薬棚から睡眠薬を取りだして包装する。カモミールが香ってきて口をほころばせる。客の男は明らかに怪しい男だけれど、誠実に謝った姿に好感を抱いた。

「出来ました」

 店内に視線を走らせていた男を呼ぶ。

「ありがとうございます」

 勘定を済ませたのあと、顧客帳簿を開いて男の瞳を見つめた。

「それでは名前をお書きください。偽名でも構いませんが、次回入店した際にも同じ名前を名乗っていただかないと、薬をお売りできません」

 そう言うと男は目を見開くも、ペンを持ってさらりと帳簿に名前を書いてくれた。

「ありがとうございました」

 男が居なくなると、すぐ閉店のプレートをかけてカーテンを締めた。






◾︎◾︎◾︎






 翌日、いつも通り店仕舞いして、閉店プレートを掲げようとすると、人が近づいてくる気配を感じた。

「すまないが、少しよろしいか」

「ごめんなさい、今日はもう閉店なんです」

 閉店間際の客だろうと当たりをつけてあしらい、店に戻ろうと扉を開ける。

「夜分に申し訳ないが、我々は王室騎士団だ。これは王の命令である」

 その言葉に振り向いて目を見開く。王家の紋章が彫られたペンダントを手に持ち、高価そうな甲冑を着ている男が、二人もすぐ隣に並んでいた。

 自分の危機感が低下し過ぎていることに、さっと青ざめる。

「王室騎士団……?」

 騎士たちはなぜかこんな下町の薬屋にまで足を運んでいる。それも、王命とまで言葉にしているということはリアンの指示なのだろう。あまり考えたくは無いが、もしかしたら私がラフェリエールの生き残りだということがバレたのかもしれない。動揺を隠すように、営業用の笑みを浮かべる。

「王室を守る騎士様が、私なんかに何か御用でもあるのでしょうか?」

「ああ、少し話がある」

 王室の家紋を見せながら、鋭い目で見られる。

 断れない雰囲気に開けっ放しの扉を限界まで開ける。

「……分かりました。どうぞ中へ」

 中に入っていく騎士たちに、心臓が激しく跳ねる。

 カウンターに立って男たちを堂々と見据えた。

「それで……騎士様方は、私に一体何の御用でしょうか?」

 私が問いかけると、二人の騎士が顔を見合せて懐から何かを取りだした。

「単刀直入に言おう、これを作った人に会わせてくれ」

 右の男の手に持つものに目を向ける。それは、私の作った薬だった。包装からは何の薬だかは分からないが、この様子からして、正体がバレたのではなく、調剤ミスでもあったのかもしれない。

「なぜ……そのようなことをお聞きになるのですか?」

 少し警戒心を滲ませた声で尋ねると、左の男が何ともないように口を開く。

「王が作った者にお会いしたいとおっしゃっておりますので」

 王、その言葉を聞いた瞬間全神経がピリッとひりついたような感覚に襲われた。

 睫毛を伏せて唇を噛む。薬を作った者がクレアだとバレている可能性がある。

 カウンターの引き出しを開けて、何かあった時用のお金が入った巾着をポケットにねじ込む。

「その薬を作った者は二階におります。呼んできますので、腰掛けてお待ちください」

「ああ」

 男たちは任務が無事にこなせそうで安心したのか、場の空気が緩んだ。

 私は二人から見えないように、店を隔てるカーテンをくぐり、二階にあがる階段横の裏口から外に逃げ出した。裏口は下町の、裏の迷路のような路地と繋がっている。

 建物の陰に隠れながらなるべく音を立てずに駆けていく。十分ほど隠れながら走り続けると、逃げたことがバレたのか、例の甲冑を着た騎士が私を探しに周りをうろつき始めていた。


 荒い息を近くの騎士に気づかれないように必死に抑え込む。身を隠して何とか目を掻い潜っているものの、体力の限界が見えてきて、彼らの視界に映ってしまったらしい。

「いたぞ!」

 甲冑の金属がぶつかる音がして、足音がどんどん私に近づいていた。

 (ここからどこへ逃げればいいの、私はどうすればいいの)

 冷えた夜の外気が肺を満たす。胸を押えて鉛のように重い足をとにかく動かすと、気にならなかったポケットの貨幣がぶつかる音が耳に飛び込んできた。

 ここから逃げてどうなるのだろう、全て店に置いてきてしまったのに。

 目の縁に盛り上がった涙を袖で拭う。足音が近づいてきて、胸が苦しい。このままでは捕まってしまう。

「おい、こっちだ!」

 大声を上げた後ろに気を取られて、いつのまにか目の前にいた人にぶつかる

「ごめんなさいっ」

 顔も見ずに走り出そうとすると、ぶつかった人に腕を取られた。急いでいるのに、と眉を顰めて見上げると暗闇の中私を見下ろす黄金に光る瞳が見えた。

 心臓が大きく跳ねて、時が止まったような感覚に襲われる。

 足に根が生えたように全く動かない。今すぐにでも、腕を振り払って走らなきゃいけないのに、金色の瞳から目が逸らせなかった。

 雲に隠れた月が出て、明るい月光が彼を照らし出す。腕の先には月明かりにきらきらと銀髪が輝くリアンが立っていた。

「……リアン、なの?」

 よく見ると、宝石眼の下に濃い隈が浮かんで、見るからに顔がやつれていた。

「……凄く具合が悪そうよ。大丈夫なの?」

 あまりの姿に咄嗟に問いかけると、リアンの瞳が揺れて、初めて意識を私に向けた気がした。

「やっと見つけた」

 血走った目で見つめられて、「ひっ......」と小さく悲鳴を上げる。

「クレアだ」

「……っ人違いです。話してください」

 その言葉に私の腕を掴むリアンの手が、痛いぐらい握られた。

「……お願い、手を離して!」

 追手の足音がすぐそこまで近づいてきた。心臓が今までにないくらい強く脈打つ。

「ようやく見つけたんだ。もう逃がさない」

 リアンは獣のような爛々と輝いた瞳で私を射抜き、低く笑った。

 だらんとリアンの手から離れた腕が弛緩する。

 束の間、追手が追いついてきた。私はその姿を見て金縛りが解けたように駆け出し、リアンの横を通り過ぎるも、すぐさま後ろから手が伸ばされてリアンに抱き込まれるように肩を抱かれる。

「うっ」

「もう逃走劇は飽きた、クレアもそうだろ?」

 頭上から降ってくる言葉に全身が固くなる。リアンに強制的に首を上に向かされる。

「クレア、城へ帰ろう」

 心の底から嬉しいと言わんばかりの笑顔にゾッとする。

「……なに……を」

(この2年の間にリアンに何があったの)

 逃がさないと意思表示されているような強い手つきで、腰を抱かれながらいつまにか用意されていた豪華な馬車に押し込められる。リアンはすぐ隣に乗っては私の顔をじっと見つめ始めた。

 居心地の悪い時間を、リアンから顔を背けて窓の外を眺めることでやり過ごす。

(不味いことになってしまった)

 リアンをちらりと横目で見る。金色の瞳と目が合って、にこりと笑みを浮かべて再び腰を抱かれる。

 私をどうするつもりだろうか。今までの言動から殺す気は無いとしても、家に帰してくれるだろうか。明日は薬屋は休まざるを得ないだろうが、明後日からは再開したい。

 リアンの思惑を知らない限り、不必要に考えても意味が無いか。余計な思考を遮るようにゆったりと瞼を閉じた。

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ラフェリエールの毒 春宮 絵里 @eri_han

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